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鶴の恩返し(1)

 ネコの一件で、迂闊な行動がとんでもない結果につながる事を学んだ。ネコの一件に関してはそれこそ、ネコが言った通り、ネコで良かったと、そう思うしかない。僕の部屋のカーテンが一時的に無くなってしまったこと以外、被害は無かったのだから。そして、珍しく殊勝に、ネコがお詫びのしるしとして新しいカーテンを買ってくれたので、被害は無かったとさえ、言える。

 いや、本当にネコで良かった。

 そんなわけで、僕は以前よりも少しだけ思慮深い高校生になったように思う。まず、朝は右と左どちらの足から踏み出すのか、そこから考えている。お弁当のおかずは、何から食べるのか。宿題はどの教科から片付けてしまうのか。頭を使いすぎるくらい、いろいろな事を考えている。

 それから、夜は窓を開けて外を眺めたりしてはいけない事。窓の鍵はしっかりとかけてから、眠る必要がある事を学んだ。朝起きて、布団の中にネコがいるドッキリは、二度体験したら十分だ。暑くなればそんな事も無いだろうけれど、油断は禁物だ。

 思慮深くなった僕の、夕方の時間は、ネコとの散歩の時間である。言ってみれば、家猫状態になっているネコに一日一回散歩をさせているのだ。飼い主としては、その位はしなくてはならない。

 どうでもいいけれど、こうしてネコに対して、自分を飼い主と称するのは、なんだか背徳的だ。いけない事をしているような気がしてしまう。

 ネコと一緒に散歩をするのは、僕が何かしら面倒事に関わり合ってしまう事を防ぐためでもある。一人で歩いていると、また以前のように妙な事に関わり合うかもしれない、と。キツネにそう言われて、僕は否定することが出来なかった。ネコも横で頷いていたが、しかし、自分の事を面倒事と言われている事は、構わないのだろうか。

 二人で散歩をするのも、もう日課になってしまっている。そう思えば、短いようで長いと言えるのかもしれない。もう春が終わって、梅雨に差し掛かろうとしている。ネコも、僕も、それなりにクラスに馴染みつつある。

 クラスで唯一の男子という、地獄なのか天国なのか、紙一重な状況は変わっていないけれど。貧乏神先生といろいろな話をしたりしたし、クラスメートとも、朝しっかりとあいさつを交わしている。以前から考えれば、格段の進歩だ。

 それから、週に一度、月曜日にはキツネの作った弁当を食べている。それ以外の日はたぬきおばさんが作ってくれているが、キツネの弁当はそれに負けないくらい、美味しいと思う。そう言えば、一度ネコの手料理を食べる機会もあった。

 ねこまんま。

 美味しかったけれど、あれなら僕でも作れる。

 まだ付き合いは短いけれど、ネコは、何事に関しても大雑把だ。長風呂を嫌い、宿題はそもそも教科書全てを学校においてくる。好きなものと嫌いなものがはっきりしていて、嫌いなものには目もくれない。学校だけは、何とか無理やり一日縛りつけている。短距離走は抜群に早いが、長距離走は途中で姿を消してしまう。ネコは、そんな猫だ。迷い猫から招き猫にクラスチェンジしたと言っていたが、その辺りのシステムは良く分からない。変わったと言われても、何が変わったのかも、良く分からなかった。

 分からない事は、分かるまで放っておこう。分からないといけない事なら、大抵差し迫っていて、そのことくらいは僕にもわかるはずだ。

 思慮深くなって、傍にはネコも付いている。そこまでしても、たとえ迂闊だと分かっていても、放っておくわけにはいかに事だって、世の中にはある。むしろ、一寸先が闇だと知っていても、そこに本当に困っている人がいるのなら、その一歩を恐れているわけにはいかないと、そう思っている。

 僕とネコは、日曜日、昼食を食べた後、午後をすべて使って、川の方まで歩いて来ていた。ネコがいるのなら、と。大天狗先生の許可も下りたので、この町に来た日に車の中から見かけて以来、久しぶりに川にやってきた。

 川である。近ごろそう言えば、雨が降っていないので、どうやら川の水量もある程度減っているらしく、明らかに川底の一部だったらしい部分が地表に表れてしまっている。川の傍には背の高い草が生えていて、川の水に触れようと思えばその中を通って行かなければならない。高校生にもなると、そんな気にはなれなかった。それに、川遊びをするには、まだ少々時期が早い。川の下流の方を見ると、どうやら海につながっているらしい。この町は山の中にあるとばかり思っていたのだけれど、どうにも海が近くにある。今更考えても仕方のない事ではあるけれど、一体ここは日本で言うどのあたりにあるのだろうか。

 ネコはそもそも水が苦手なので、河川敷から降りて来ずに、その辺りに生えているらしい草花や、昆虫と戯れていた。

 不意に、背の高い草の中で何かが動いたような気がした。耳を澄ませてみると、何か大きな鳥が羽ばたいているような音も聞こえる。なんだか、こう言う話を、僕は知っているぞ?

 ネコを呼ぼうかと思ったが、まあ、すでに遅いような気がしたので、そのままにして、自分でそれが何か確認してみる事にした。僕が思った通りのものだったなら、むしろへんにネコを関わらせたりしない方がいいと思ったのだ。

 草をかき分けて音のする方に進んでいくと、そこには、一羽の鶴がいた。

 予想した通りの物がいたわけだが、正直驚いた。こんな場所に鶴がいるなんて、予想しながらも、自分でした予想ながらありえないと思っていた。鶴を実際に見るのは初めてだが、こうして見てみると本当にきれいな鳥だった。白、黒、赤。白がこんなにも美しい鳥は、他には居ないのではないだろうか。なんて、白鳥の存在をどこかに置いてきたような感想を、抱いてしまうほど。それほど、感動していた。神秘的。

 鶴が釣り糸に絡まっている。これは、かなり有名な話であるとしか思えない。もう、明日何が起こるのか、目に見えるようだ。

 しかし、放っておくわけにもいかない。ここまで来て、こんなものを見て、次の日に面倒事が起こりそうだとか、そんなことを理由にして、この場をこのままになんてしておけるはずがない。

 この選択が、僕の責任で終わる話だというのなら、そんな責任、喜んで背負ってやる。ネコの事だって、面倒事だったと思っていても、後悔だけはしていないのだから。だから、ある程度分かった上で助ける以上、後悔するなんてありえない。

 釣り糸を外してやると、鶴は僕に対してお時儀のような動作をして見せて、そのままどこかへ飛び去ってしまった。お礼とかは、お時儀で十分だから。そう思ったけれど、それを口に出す暇さえ無い、あっという間の事だった。

「おい、アキナ」

 ネコが、草の向こうから声をかけてきた。どうにも呆れているような、呆れている事を全く欠く鋤の無い、呆れ声だった。多分、草の向こうであきれ顔をしているのだろう。

「またやっちまったのかにゃ、こりにゃいのか?」

 ガサガサと、草をかき分けて、外に出てから僕はネコに言った。

「またやったさ、こりてはいるけれど、だからって、見つけてしまったからには放っておけないだろう?」

 本当は懲りていないのかもしれないと、頭の片隅で思った。それを見透かしたように、ネコは処置なしといった顔をして、肩をすくめた。

「そういうのは、確かに優しさだと思うし、実際優しさにゃんだろうけれど。そしてだからこそ、こうしておれっちは飼い猫ににゃっているわけだけれど。だからこそあのキツネも傍にいるんだろうけれど。それが美徳だと知った上で、一つ忠告しておくにゃん」

 珍しくまじめな顔で、真面目な声だった。けれど、手に持った花が風で揺れるのが気になるらしく、目がそちらに引き寄せられているせいで、どうにも締まらない。

「どんにゃに優しくても、抱えられるものは限られているにゃん。その両手に収まらにゃいものだって、世の中には数多く存在しているにゃん。それを前にした時に、そのスタンスを貫こうとするのにゃら、絶対に辛い思いをすることにゃる」

 にゃん、と。多分僕は、ネコに、らしくない事を言わせてしまったのだろう。

 どうにもならない現実は、いつだって、どこにだって存在している。そんなのは、誰だって知っている事だ。誰にだってどうにもならない事はある。それこそ、地球を逆回転させるだけで時間を巻き戻すことが出来たスーパーマンでもない限り、出来る事には限界がある。スーパーマンだって、地球を逆回転させなければ、死者をよみがえらせる事は、出来なかったのだ。

「分かっているさ。誰にもどうにもならない事は、世の中にたくさんある。

 僕にだって、どうにもならない事があった。だからそんな事は、言われるまでも無いよ。僕はそんな事、分かった上で、今の鶴を助けたんだ。もしもう一度、同じ事があったなら、間違いなくそうするよ。

 抱えきれなくなるとか、そんな理由をつけて、見てみない振りだけはしたくない」

 見て見ない振りは、する方もされる方も辛い。家族でもないのに、家族の振りをされるくらい、辛いことだ。どうにもならない現実は、確かに存在しているけれど、そんなのは、手を差し伸べるかどうかとは別の事だ。

「だったらいいにゃん」

 ネコはそう言った。ネコの言う事は充分に分かるし、また、いつか僕はそんな事に直面するのだろう。抱えきれなくなって、どうにもならない現実に直面するのかもしれない。それでも、その時どうにかしなければならない事は、それをどんなに避けようとしていても、いつかどこかで直面する物だ。

「そろそろ、帰ろうか」

 家までもの距離を考えると、夕暮れにはまだまだ早いが、そろそろ帰った方がいい。バイトも始めたので、お金がたまったら自転車を買っても良いだろう。そうすれば、もう少し遠出が出来るかもしれない。

「ネコは自転車に乗れるの?」

「二人乗りにゃら出来るにゃん」

 駄目だろ。二人乗りは禁止です。自転車を買っても、一緒に走る人がいなくては意味がない。一人で遠出は禁止なのだし、何よりも独りで走ってもなにも楽しい事がない。

「にゃんだ、自転車が欲しいのかにゃん?」

「自転車があれば、もう少し遠出もできるのかなーって思ってさ」

 そう言えば、前に住んでいて家には、自転車があった。僕のものではない、かなり古びた、錆びた大人用自転車だった。僕はその自転車を大切にしていたのだけれど、きっと今頃、あの自転車は処分されてしまっているのだろうか。

「どうしたにゃん?」

「いや別に、何でもない」

 昔の事がトラウマになっているとは言わない。そんな事を言っていると、本当にそうなってしまう。あんなものはただの過去でしかないし、そもそも、トラウマになるほど過酷な日々でもなかったのだ。

 思い出も無いけれど、記憶にも残らない。プラスマイナスゼロなら、少なくとも悪くはなかったと言えるのではないだろうか。

「ネコはあんまり鶴と関わりはないよな?」

「ないにゃん、寒いのが苦手だし、あんなでかい鳥には近づきたくにゃい。むしろ、キツネの方こそ、関わりがあるにゃん。お互いに、北国に住んでいるからにゃあ」

「そう言えば、キツネと鶴の話があったなあ」

 どんな話だっけ?

 なんとなく、キツネは平皿が得意で、鶴はコップが得意だったという所は、覚えているのだけれど。あまり相性が良くなさそうだ。

「どんな話にゃのか覚えていにゃいのか?」

「んー。聞いた事ありそうなんだけどなあ」

 妹がいたから、母親が妹に読んでいるのを聞いていたような気がする。関係ないような顔をして、それでも必死に聞いていたものだ。僕の妹でも、僕の母親でもなかったけれど。そもそも、彼女には結局兄などいなくて、妹では無かったのだけれど。しかし、思い返せば、きっとそれは思い出になりえた記憶だ。僕のためのものでなくても、僕には十分だったのだから。

「ま、いいや」

「いいのかにゃん」

「うん。どうせ今はたいして関係なさそうだし」

 その話は結局それきりだった。釣り糸に絡まれた鶴を助けた話が、僕の身の危険につながるとは、到底思えない。それに鶴自体、そう危険なものではないだろう。それこそ、僕の知らない、人を襲う殺人鶴の話でもない限り。

 人を襲う、か。

「人を襲う話って、一体どれくらいあるのかな?」

「そんにゃ事を聞かれても、答えられるわけがにゃいにゃん」

 ま、そうだろうけど。

「化けネコも人を襲うんじゃなかったっけ?」

「まあ、確かにそうだけど、主人を殺された猫が復讐する話が、化けネコにゃん。人間が一人しかいにゃい町では、成立しにゃいにゃん」

「ふうん」

「ネコにゃんて忘れっぽい動物にゃん。そういう意味で言えば、ネコよりもキツネの方が危険にゃのかもしれにゃいにゃん。それだって現状、心配がいらにゃい事は、理解しているんだにゃん?」

「あたりまえだろう」

 当たり前で、当然の事だ。

 キツネも、大天狗先生もたぬきおばさんも、それにネコだって、そういう意味で心配が要らない事を、僕はちゃんと分かっている。疑うことすらおこがましいどころか、疑うことすら考えつかないくらいだ。

「そう言えば、今まで考えもしなかったのだけれど。お前たちって、食物連鎖とか、そういうのは無いの?」

「それを言えば、食物連鎖の頂点には人間が立つ事ににゃる。まあ、それを除外したって、関係にゃく、そもそもそんにゃものは、形としても存在していにゃい。せいぜい、力関係という程度にゃん」

「ふうん、でもその言い方だと、頂点が居ないといけないだろう。それとも三竦みみたいに、力関係が一周しているの?」

「それもあるけど、そうではにゃいにゃん」

 ネコは言った。

「結局、人間を前にしてその存在全てを虐殺する様にゃ存在は、あり得にゃいにゃん。人間がいてこその、俺達にゃんだからにゃ」

 ああ、そうか。

 人間がいないと、物語は進まないから。この町に人間がいる理由を考えれば、人間を殺す事は自殺に等しい。自分自身の明日を犠牲にして、得るものはない。

「だからにゃにが最強もにゃにも、そもそも無意味にゃん。最強をどう定義しているのかしらにゃいけれど、そう名乗っていいのは、得手不得手を圧倒する、孤高の存在しかいにゃいにゃん。そしてそれは、それ自体が矛盾しているにゃん。最強は絶対的評価だけど、自称する物でも、自認する物でもにゃいにゃん。敵がいにゃければ最強にゃら、引きこもりが最強になるにゃん。

 不滅の存在が最強というにゃら、猿がそうにやるにゃん。けれどあれは、傷付かにゃいだけで、人に近いだけで、強いわけではにゃいにゃん」

 ただ、とネコは言った。

 最強では無くとも、最も恐るべきものは確かに存在しているのだと、言った。

「人間にとって恐るべきものは二つあるにゃん。

 物理的に恐るべき吸血鬼と、本質的に恐るべき鬼、にゃん。

 吸血鬼は、夜の支配者と呼ばれているにゃん。世界各国で共通認識として存在しているドラキュラ伯爵は、その存在における縛りが強いからこそ、備えもにゃく出会えば間違いにゃく吸われてしまうにゃん。たとえ、おれっちが傍にいたとしても、出会えばそれまでにゃん。

 かたや、鬼は人の心から生まれる、いわば猿の兄弟のようなものにゃん。ありとあらゆるネガティブにゃ感情が鬼を生み、そしてその存在が新たにゃ鬼を誘発するんだにゃん。鬼は、激情の存在にゃん」

 ドラキュラはともかくとして、鬼の方は分かりづらい。疑心暗鬼と言う様に、例えばそうと疑えば鬼に見えてしまうという言葉がある。そうして、鬼が陰から生まれるものだというのだろうか。けれど、妖怪の類は、例えば百鬼夜行のように、まとめて鬼と呼ばれる事もある。

 人が作った話から生まれる妖怪と、人の心から生まれる鬼。

 何が違うのかは、分からない。ネガティブな要素はどちらにだって入る余地があるだろう。噂話の半分は、妬み嫉みで出来ている。そこから生まれるものは、鬼なのだろうか、それとも妖怪なのだろうか。それとも、だからこそ百鬼夜行、そこには本来明確な境界線が無いという事なのだろうか。妖怪もまた、裏返せば鬼に近いという事なのか。いや、だとしたら、僕は自己矛盾している。妖怪の全てが敵になる事はあり得ないのならば、全ての妖怪が鬼となりえるというのは、矛盾している。そもそも、鬼は敵にしかなりえないこと自体が、間違った前提なのだろうか。分からない事は、分からない。分からなければならない事は、いつかその激情に出会ったときに分かるのだろうけれど。

 結局その日は、それ以上何事も無く終わった。

 そして、みんな大好き月曜日。


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