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迷子の子猫ちゃん(3)

 いい加減、僕についての話をしよう。これは、僕たちが猿屋敷で猿退治をした、あの日の話だ。たぬきおばさんが、次の日に控えた入学式へ向けて、カメラの準備をしている間に、僕は大天狗先生にいろいろな話を聞いた。

 それは、大切な話だった。確かに大切な話だったけれど、今のところむしろ、僕がその大切な話を聞いている間に、たぬきおばさんがどれ程準備をしていたか、そちらの方が重要だった。詳しく思い出すことは避けておきたいので、かいつまんで言うと、入学式にやってきたたぬきおばさんは、とんでもない重装備だった。目立ったことこの上なく、さらに大声で僕とキツネの名前を呼んでくれたのだった。

 そんなわけで、そんなユニークなたぬきおばさんの影に隠れてしまい、今後において非常に重要そうな話だったのだが、どうにも印象が薄かったりする。しかしそれでも、大切な話であった事には、変わりがない。重要さは相対的でも、大切さは絶対的なのだから。

 その頃はまだ僕にとって新鮮だったこの町の星空の下、弧狗狸荘の屋根の上に二人で座り、大天狗先生はとつとつと語った。

「この町は、人の知らない所で、人の知る事によって作られておる。そもそも、我ら妖怪の類は、人がそれを思ってこそ生まれるものだ。我らが関わったものが、お話として人の世に残ったのではない。人が空想した幻想が、われらを形作っておる。

 故に、時として新たな概念、枝分かれした概念、それは様々だが、何にせよ新しい住人が増える事もある。昨今で言えば、たとえば吸血種の類だな。人間の想像力の凄まじさを見せつけるように、新たな存在が生まれ出でる。太陽の光をものともせずに、闊歩する吸血鬼の風上にもおけんような新種すら、生まれておるからのう。

 その内、女性型の天狗も生まれるかもしれん。まったく、世も末じゃ」

 粗製乱造される新しい概念は、時として旧来の常識を打ち破る。吸血鬼の絶対的ルールであった、太陽の下を歩けないという制約。それすらも、現代社会におけるサブカルチャー、その中における設定では、無視される事がある。むしろ、そんな制約を踏み越える、新しい王道として君臨しつつあると言っても、過言ではない。

 キツネのように、もともと人を化かすような存在からしてみれば、アイデンティティーの危機という事も出来るのかもしれない。キツネが美女に化けるのは、ありがちな話のように思える。確か、中国にそんな話があったような気がする。思い出せないというか、詳しくは知らないけれど。

 大天狗先生は、天狗の隠れ蓑なんてものをもっている以上、その天狗なのだろう。そう言えば、天狗の隠れ蓑は、話の中で燃やされてしまったのだったか。だとしたら、その内そんな事があるのかもしれない。しかしそうなると、その灰を体に塗りたくって、挙句に恥をかくのは僕の役目なのだろうか?

 たぬきおばさんはどうなのだろう。物語だけでなく、言葉におけるイメージから生まれた者もいるらしいが、たぬきの話は何かあっただろうか。すぐに思いついたのは、カチカチ山、とらぬ狸の皮算用、げんこつ山の狸さん。どれも、たぬきにとっては碌な話じゃない。そのどれも出ない事を祈っておく事にしよう。

「ちなみに、区域ごとに街並みが異なっておるのは、お国柄の違い故じゃ。吸血鬼が、日本家屋の屋根の上に立っておるなど、笑い話にもならんし、逆に、天狗の団扇で壊れてゆく吸血鬼の屋敷も、想像できぬ。

 想像できぬから、存在せぬ。我ら旧式の存在は、そうした常識を決して踏み越える事は出来ん。旧式ゆえに、われらはそれゆえの道具と能力をもっておる、しかしだからこそ、存在できる範囲は制限されるのじゃ。

 キツネのように、新式の概念を含むものは、どこへでも行く事が出来る。まあ、キツネはその意味でも、ある種の例外ゆえに、一概に言えるものではないがのう。まあ、詳しい話は本人から聞くべきじゃのう。

 狸はわたしと同じく、旧式の存在じゃ。人の形に近い本性をもたぬ者は、基本的に旧式とみて良い。それだけに、設定に忠実であり、それだけに時として危険な存在でもある。人を害する、人を食する話をもっておるものは、それに忠実に行動する。

 猿については、古来から存在しながら日々新しく生まれ変わる、そんな変わり種と思っておくのが良いだろう。今日出会った猿と、明日出会う猿は確かに同じでありながら、しかし確実にどこか異なっておるはずじゃ。見ざる、言わざる、聞かざる。あの三匹に関しては、まあ、ずっとあのままなのであろう」

 猿は人の本能に近い存在。理性を失った人間は、非力な猿に他ならないのだから。

「そしてアキナ君、君についての話じゃ」

 大天狗先生は、ようやく本題に入ったというように、そう言った。実際、それまでの話はただの前ふりで、全逓のようなものに過ぎなかった。おおよその所は、猿屋敷に行く前に、大天狗先生自身から聞いている。まあ、説明が丁寧になっていた分、分かり易かった。

「我々という存在は、基本的に人と相いれる事が無い。共存は限りなく不可能に近く、だからこそこうして人の目から隠れてこんな山の奥地に住んでおる。

 ただそこに一人だけ人間を取り入れる事には、それなりの意味と、重みと、積み重ねがある。我らは、我等自身の手で、物語をつくる事が出来ぬ。人から生まれた幻想であるがゆえに、人を超える能力をもってはいるが、所詮決められたこと以外出ぬロボットに近い。

 だからこそ、内側に人間が必要なのじゃ。人がいるからこそ、物語は動き出す。人がいるからこそ、その物語に意味が生まれる」

 人から生まれた概念に過ぎないから。

 それは、もしかしたら生まれてすらいないのかもしれない。一人で、自分の物語を紡ぐ事も出来ず、歩いてどこか別の場所に行く事も無い。新式の存在が、必ずしも旧式を凌駕するとは言えないけれど、しかし日進月歩する概念を前にして、明らかにおいて行かれている。どんなに強くても、一歩も踏み出せない存在には、限界というものが確実にあるのだから。

 だから、だからこそ、一歩を踏み出すためのトリックスターが必要なのだろう。異物を放り込んでしまえば、それだけで物語は全く別のものになる。そもそも違う物語が、動き始める。

「無論、君以前にも無数の人間がここに招かれた。物語を紡ぐために、この町を回すために、そう生まれついたものがこの町に必ず一人招かれるのだ。

 たまたま君が招かれたのではない。君以前の多くの同じ境遇の人間と同じく、君は、ここに招かれるからこその君なのだ。君が生まれた時から、君が生まれるよりも以前から、君がこうしてここにいる事は、決まっていたと言っても良い。

 運命という事ではない。誰かが決めているという事でも、無い。今ここに君がこうしているからこそ、君がここにいる事はずっと以前より決まっていたのだから。

 君がこの町に対して、大した違和感も無く馴染みつつあるのは、そうあってこそ自然であるからだ。最初から決まっていた、自分の居るべき場所がここならば、君がここにいる事に違和感などあるはずがない」

 堂々巡りしそうな理屈、ウロボロスのように最初と最後がつながったような話だった。あるいは、これもまた、そう言ったお話に則っているのかもしれない。鑑の中の鏡。終わる事の無い、円環。

「君の物語が、喜劇となるか悲劇となるか、あるいは別の、まったく異なるお話となるかは定まっておらん。人の人生には、運命など無いのじゃから。

 故に。君は努々、気をつけねばならん。

 安易な選択、軽薄な行動。それらは間違いなく、君の物語を、ありふれた悲喜劇へと進ませようとする。かつてここに招かれた人間たちの多くの物語は、そうして終わりを迎えてしまった。

 君がここにいるのは、誰かの物語が、終わりを迎えたからこそじゃ」

 何かが終わるからこそ、何かが始まる余地が生まれる。

 それは、どんな時代、どんな場所においても変わる事はない。何かが始まるためには、何かが終わらなければならない。

 例えば、僕が普通であるとそう思っていた物語が終わり、こうして普通では無い街での生活が始まったように。この町でも、無数の物語が紡がれたのだろう。そして、それが終わったからこそ、こうして新しい物語が、新しく紡がれているのだ。

 僕の物語だって、僕の人生だって、いつか終わる時は来るだろう。

 その事と、何一つ変わらない。

「妖怪の類は、その性質故に、終わってしまった物語を覚えている事が出来ん。死んでしまった人間の事を忘れてしまうし、物語の結末すら、忘却してしまう。いや、忘却という言葉では、足りぬほどか。消失と、そう言った方が正しい。

 仮に、アキナ君。君がこの町でこれから関係して行く数々の妖怪の類に、自分という存在を記憶して欲しいと願うのならば、君は君なりの何かを残さなければならん。まだ先の話と思うだろうが、時間というものは、思ったよりもずっと早く進んで行くものだ。

 光陰矢のごとし。

 そういった言葉が存在する事には、それなりの根拠がある、君よりも長い時間を生きたものとして、忠告を素直に受け取ってもらいたい。君にとっては、年寄りが口やかましいだけに聞こえるかもしれないが」

 そう言った大天狗先生の、その口ぶりは、どこか不自然であるように聞こえた。何か、重要なことを見落としているような、そんな気にさせられる。

「いろいろと、難しい事も言いはしたが、わたしが言いたい事は、結局大したことではない。

 まずは、学生らしく、学生らしい生活を送ることだ。これから先、君がどんな人生を送るのだとしても、役に立つ事の無い経験など無い。今の自分を形作っているものが、それまで生きてきた全ての記憶だとするのなら、どんなに無駄に思える思いでも、大切な自分自身の欠片の一つには、違いが無い。

 今日、君は確かに一つの事を選んだのだろう。その選択において、君がどれだけの事を考えたのかは、私にはわからん。ただひたすら、キツネのためを思っての選択だったのかもしれん。あるいは、君なりに何かしらの考えがあってこその、選択だったのかもしれん。

 しかし、今日、君がした選択は、間違いなく君が思っている以上に、君が想像している以上に、重いものだ。その選択の先には、確かに無数の道が広がっているだろう。そのどの道をたどったとしても、君が君だけの道をたどったとしても、そこには間違いなく、困難が待ち受けておる。

 その時が来ない限り、その困難が君にとってどれほどのものであるのかは、分からん。あるいは、片手で払いのける事が出来る程度のものに、君にとっては見えるかもしれん。その逆に、膝をつき、全てを投げ出してしまいそうになるほどのものに、見えるかもしれん。

 だから、これだけは覚えておいて欲しい」

 大天狗先生は、言った。これから先も、僕が暮らしていく事になるその町の、僕がその街で最初に感動を覚えた星空の下で、まるで本当の両親がそうするように、僕の肩を両手でつかんで、言った。

「君がこの先、どんな道を進むとしても、出来る限り力になろう。私も、たぬきも、そうしたいと思っておる。そしてキツネもきっと、そう思うだろう。

 だから君が、困難に突きあたり、誰かの力が必要だと思ったなら、迷わずに頼って欲しい。君が今日、キツネのために物語を紡いだように、我々もまた、いつの日か君のための物語を紡ぐ事を誓おう。君がそう願う限り、君の味方で居る事を誓おう。

 そして、出来る限り友人を作りなさい。本当に信じる事の出来る、大切な友人を作りなさい。相手のために、君がどんな事でも出来ると、そう思う事が出来る友人を。その友人は、もしも君が苦境に立たされたなら、君がそう思うように、君のために何でもしようと、そう思ってくれるだろう。

 それが、この町において最も無力な君の力になる。

 それから、自分にとって一番大切だと思えるものを見つけなさい。そしてそれが見つかったなら、それを絶対に手放さないようにしなさい。もっと大切なものが見つかったなら、同じくらい大切なものが見つかったなら、その全てを守れる強い人間になりなさい。

 大切なものを守る事が出来る人間は、それを守り抜く限り、決して不幸にはならない。だから君も、そうできるようになりなさい」

 大切なものを見つけたら、それを守り抜く。

 当たり前なようで居て、それは案外難しい事なのかもしれない。大切なものほど、簡単に掌から零れ落ちてしまうのだから。壊すのは一瞬でも、守るのは、ずっとだ。死ぬときに、幸せに死ぬために。守り抜くという事は、終わるまで止めないという事なのだろう。僕たちの人生は、妖怪の類から見れば、それこそ、光陰矢のごとし。短く、一瞬の光に過ぎない、覚えておくほどのことも無いものでしかないのかもしれない。

 しかし、それでも、そこに意味がないわけではない。忘れてしまっても、何一つ残らないわけじゃない。これまでここで紡がれた物語の全てに、意味が無かったなんて事は、無いはずだ。

 物語には困難が付き物で、だからこそ友人を作れと、大天狗先生は言った。きっとそれは、僕以前の無数の人間たちもまた、そうして繰り返してきたのだろう。僕と同じくらいの年齢だったのかどうかも分からないけれど、どんな年齢になっても、人は一人で生きて行く事は出来ないのだから。

 その記憶が無くなったとしても、その事実が無くなるわけではない。この町に絶える事無く、誰か一人が存在していたのならば、その積み重ねもまた、一つの物語だ。その人がいなくなり、記憶がリセットされるのだとしても、積み重ねた物語の中に、きっと何かが残っている。本当に、何一つ残らない人生だったなら、そこには意味がない。何かを守り抜いたなら、守り抜いた事実が残る。もしも、守り抜いた事実が消えてしまうなら、きっと大天狗先生も、あんな事は言わない。

 だからきっと、それは何よりも大切なことで、僕はこの町に来て、確かに大切なものを見つけた。それを守り抜くための選択を、迷う事はないだろう。大切なものが増えたなら、僕はその全てを守るために、必要な選択があるのなら、守る事が出来る選択があるのなら、迷う事無くそれを選ぶだろう。

 信念というほど、大げさなものではないけれど。それだけは忘れない。忘れてはならない。大切だと思うのなら、決して忘れてはならない事だ。そしてそのために選んだ自分の選択を、後から悔やむ事だけは、してはならない。だってそれは、そのために選んだ大切な誰かに責任を求めているようなもので、きっとそれを選んだ自分は、そんな事は決して望んでなどいなかったのだから。



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