エピローグ
そしてそこから、さらに一年後。
僕は僕の失った右目を眼帯で隠して、普通に暮らしている。片目が無くなって、不便が無いわけではないけれど、それで日常生活に支障が出るほどでは無かった。周りに居る、キツネやツルさんは時折気にしているようだけれど、特に何かをしてもらわなければならないと言う事もない。僕にはまだ、左目だってあるのだ。
お風呂は一人では入れるし、料理だってできる。朝起きて、一人で着替えることだってできる。
そう言っても、ちっとも言う事を聞いてくれないのだった。
いよいよ、僕には一人の時間が不足している。もしかするとトイレに居る時だけが、僕が一人になる時間なのかもしれない。下手に気を許すと、トイレの中にまでは行ってきかねない所が恐ろしい話だった。
「アキナ」
「キツネか………」
夜に星を眺めていると、キツネがやってくる。星空にキツネはつきものなのかもしれない。それとも、今日という日が特別なのだろうか。
「一年か」
「まだ一年なのかな、それとも、もう一年?」
どうなのだろうか。早いような気がするし、短いような気もするし、長かったような気もする。大天狗先生が死んでから、丁度一年。
死んだ瞬間の喪失感とは裏腹に、大天狗先生がいなくても日常は廻る。過去がいつしか埋もれて行くように、喪失感も埋まって行く。僕が特別薄情なわけではなく、きっとそういうものなのだろう。そうでなければ、多分人は生きていけない。
「あのときは、一年前は言いそびれたけれど、約束を守れなくて悪かったな……」
一年たってようやく、僕はその事をキツネに謝る事が出来た。僕は、夏休みの直前に誓った事を、結局守り抜く事は出来なかった。
「約束?」
「結局、大天狗先生は僕のせいで死んだようなものだろう?」
誓っておいて、僕のせいで死なせて、最後は僕の父親として死なせてしまった。それは結局、奪ってしまったようなものだ。大天狗先生を、キツネの父親を、僕は奪ってしまった。
「アキナは約束を守ってくれてるよ」
「でも……」
「私の事、大切に思ってくれているでしょう?」
それは、勿論だ。大切だし、大切に思っていて、喜んで欲しくて、笑って欲しいくらい。
「だったら、約束は守ってる。お父さんはアキナのために死んだけど、けれどそれはきっと、アキナがお父さんの本当の子供でなくても、お父さんはそうした。私はお父さんの娘だから、それくらいの事は分かる。アキナも、お父さんの息子だから。だから、アキナはお父さんを私から奪ってない。それに、その事とは関係なく、アキナが私を大切に思ってくれているのなら、私はアキナの全部を受け入れる」
「君が僕を受け入れなかったとしても、僕は君を大切に思っているさ」
そう言って、手を繋いで僕達は仲良くなった。もしかしたら、大天狗先生が見ていたら僕に文句を言うかもしれないけれど、文句が聞こえないと言う事は、許されているという事だろう。
あの星空の下で、指切りをするだけだった僕達は、こんなにも仲良くなった。結局僕は、その誓いを守り続けているし、これからもずっと守り続ける事だろう。キツネにはあんな事を言ったけれど、キツネが僕を受け入れなくなることだって、この先ないだろう。
お互いにそんな確信を持てる食らう僕達は親密で、ここでは言えないくらい親密だ。
「じゃあ、私はもう眠るね」
「そっか」
しばらく二人で、こっくり荘の屋根の上で語り合った後で、キツネは下へと降りていった。
「明日の昼食は二人で作ろう」
「おっけー」
「おやすみ」
「お休み。また明日」
そんなやり取りをして、キツネを見送った後、僕は星を眺めていた。
一年間。
長いような、短いような。けれど、何一つ変わらないでいるには、長すぎる時間だった。僕とキツネの関係が少しだけ変わったように、この一年で変わったものは数えきれない。
「なーにが、語り合った、じゃ。いちゃつきおって」
「ぶち壊しに来たのか?」
せっかく恰好をつけておいたのに。
「そもそも、夜は妾の時間じゃ」
はあん。まあ、名前からしてナイトウォーカー。確かに、夜は彼女の時間なのだろう。星空ときたらキツネのイメージだったけれど、眺めた星空の数はナイトの方が多い。
「んー。でもナイトと一緒に居ると、鬼とかやって来そうなんだよなあ」
「何を言うんじゃ、妾とだっていろいろあったじゃろう? 二人で夜の空を散歩したりじゃとか、そもそも、鬼がやって来て追った期間は、それ以外よりも短いじゃろうが。ほら、思いだせ、妾との熱い時間を」
そんな事あったかなあ。一年間。ぶっとばした時間の中の出来事なので、会ったのか無かったのか、いろいろと曖昧である。熱い時間と言われると、熱血無イメージだし。
「婚約者に対してなんという仕打ちじゃ。せっかくさっきは大人しく待っておったのに」
「出歯亀って言うんだぜ、そういうの」
まったく。
恥ずかしいじゃないか。
「つーか、さりげなくもなんともないが、さりげない振りをして人の膝の上に乗った奴が言う事じゃないだろうが。密着しすぎだよ」
「なんじゃ、照れておるのか?」
婚約者じゃろうに、とナイトは言った。
照れるに決まっている。こう、全身を密着させて来ることで、いろいろと柔らかい感触が伝わってくるのは、いつまでたっても慣れるものではない。慣れてしまっては、不味い気がする。人として。
「かかっ、照れ屋さんじゃのう。このからだを何時でも好きに出来ると言うのに」
そう言って、僕を抱きしめるような恰好のまま、器用に夜空へ飛びあがる。抱えているのか、抱えあげられているのか、何にせよ、このまま夜の散歩に出かけるようだ。
「お前は、何も気にしてないような顔だけど、僕の婚約者で満足なのか、ナイト?」
「満足じゃよ」
空を飛びながら、僕の顔のすぐ傍から答えは聞こえた。密着しすぎて、良く分からない状態になりつつある。こんな状態に慣れてしまいそうな自分が、今はひたすら恐ろしい。
しかし、即答だった。
「心配せずとも、妾は愛しておるよ。愛してもおらん相手に候まで密着せんし、そもそも一緒に飛びたいとも思わん。勿論、デイもアキナを愛しておる」
「何故おまえが代弁した」
「今は夜じゃから、出てこれんではないか」
納得できるようで、出来ないような、納得するしかない理由だった。
「それは仕方がないな」
「うむ、夜は妾の時間じゃからな」
夜の散歩に約二時間。てっぺん超えたというような時間まで、僕達は楽しんで、そしてこっくり荘に帰った。変えるのは、こっくり荘しかない。吸血鬼の館に泊まった事もあるけれど、やっぱり、僕達の家はこっくり荘だ。
「毎日こうして付き合ってくれんでも大丈夫じゃぞ?」
「寂しそうな顔をするくらいなら最初から言うな。僕は僕で、好きでやってる事だ。明日眠くても、大したことじゃない」
「そうか」
「そうさ」
僕が選んだ事は、僕だけの責任だ。ナイトと一緒に居ることだって、僕が自分で選んだことで、そして僕だって十分にそれで楽しんでいる。
「おかえりなさい、アキナさん」
「あ、はい。ただいまです」
帰って見ると帰りを待たれていた。あっという間に姿を消しているあたり、ナイトは先に気が付いていたのかもしれない。別にやましい所は無いのだけれど、何なのだろうか、この、浮気帰りの男みたいな気分は。
いや、そんな気分は知らないのだけれども。
なんとなく、そんな感じ。
「早く寝てくださいね?」
「うん?」
「あすの朝も、起こしに行きますから」
「いや……あのう」
ううむ。何度言っても意味がないのに、ここでわざわざ繰り返していわなければならない理由は無いのかもしれない。しかし、意味がないのだとしても、言っておく必要はあるのではないだろうか。
僕の権利主張のために。
こう、繰り返し言っておくことにも、それなりに意味があると思いたい。
「なんですか?」
言っても大して意味がない事を思うと、口に出すよりも前に徒労感が僕を襲う。しかし、言いかけた事は最後まで言うしかない。
ツルさんも気になるだろう。
「着替えはちゃんと自分でできるから……」
「……」
だから平気だよー。
お越しに来てくれるのはありがたいけれど、その後着替えを手伝おうとするのはありがたくない。いろいろな意味で、ありがたくない。有難迷惑である。
なので事あるごとに、毎日、一日一回どころかそれ以上、言い続けている。言い続けているのだが、受け入れられた事は無いのだった。当たり前の事だ、受け入れられていたら、今もこんな事は言っていない。
「わかりました」
おお。分かってくれたか。
「じゃあ、お休み。ツルさん」
「お休みなさい」
ツルさんの背中を見送りながら、僕の心は晴れ晴れとしていた。子供でもないのに着替えを手伝われるのは屈辱と思う人もいるかもしれないが、大人扱いしながらそうされると怒るにも怒れない。
ただ、気恥かしいのだ。
その辺りを主張していたのだが、どうやらようやくツルさんにも通じたらしい。祝杯をあげたいくらい、これは喜ばしい事である。
まあ、今ここで祝杯をあげないのは、以前にもこんなやり取りがあって、それでも今日まで着替えの手伝いが続いているからなのだった。
いや、希望を捨てるべきじゃない。
明日はきっと、一人で着替えるのだ。
まあ、とりあえず目覚まし時計を早い時間にセットしておく事にしよう。
「遅いお帰りだにゃん」
「なぜ僕の布団で寝ている……」
いつもの事だが。もう慣れてしまった位に上茶飯事だが、一応言っておこう。何故ここで寝ようとするんだ。自分の部屋のドアを開けて、ツルさんが強いてくれた布団にネコが寝ているという、いろいろと駄目な状況を普通に受け止めようとしている事が、何よりもどうしようもない。いろいろな意味で。
「まあ、気にするにゃ」
「お前にそう言われたら言葉も無いよ」
もうあれだよ。部屋を交換しようぜ。そんなにここで眠りたいんだったらよ。
「そういうわけじゃにゃいって、分かっていて言うのは酷いにゃん」
「それは失礼」
まあ、寂しくも無いのにネコがすり寄ってくる理由は、僕の方が推して測るべきなのだろう。考えれば考えるほど、自分の立場の罪深さにめまいがしてくるのだが、今更なのだろうか。
カムバック倫理感。
「おっぱいを揉ませたやった仲じゃにゃいか」
「それは嘘だな」
無いものは揉めない。空気を掴んでどうするんだ。多分それ、雲をつかむよりも難しい事を僕に要求しているぜ。
一年たって、変わらないものだってあるのだった。
下世話な話になってしまったが、一年たってもネコはネコのまま、いろいろと成長した様子は見られないままだ。
「酷い」
「酷かったか?」
事実じゃん。
間違いなく、今も絶壁しか見えない。胸ではなく肋骨と呼んだ方が正しい。密着した時の、こつん、という感触は涙すら誘うのだった。
非情な現実である。
「酷い事を言ったときは、嘘にゃん!」
「嘘でも何でもいいけどな……」
それで乳がでかくなるって事も無い。ま、口には出すまい。
以前うっかりそんな事を口に出してしまったせいで、同じ布団の中でおっぱいに関して朝まで生討論をする羽目になった事があったのだった。自分の肋骨を見せながら熱く語る姿は、涙なくして語る事は出来ない。
今も思い出すだけで、涙がこぼれそうだ。
しかしこいつ、どう考えたってそこにコンプレックスがあるくせに、自分から話題にするんだよなあ。良く分からん。
複雑な乙女心という奴なのだろうか。
「お前は変わらないなあ、ネコ」
「そんにゃ事もにゃいんだけどにゃあ」
「ふうん?」
まあ、僕がネコの全てを知っているわけでもない。変わらないものは無いのだから、変わっていないように見えて、ネコも変わっているのだろう。
僕から見れば、せいぜい、毎晩僕の布団で寝るようになった程度の変化だ。
迷惑だけどな。
朝起こしに来たツルさんの視線の冷たさったらない。
「まあ良いさ。お前がそういうなら、確かに変わったんだろ」
「そうにゃん」
そう言ってお互いに口を閉じる。
既に電気は消えていて、カーテンも占めているので部屋の中に明かりは無い。もしかしたら猫にはまだ見えるものがあるのかもしれないが、僕から見れば部屋の中は真っ暗になった。
真っ暗な部屋。
真っ暗な視界。
僕の右目は一年前からずっと、そんな状態だ。自分でそうしたのだから、後悔も無いけれど。こうして部屋を暗くしたときに、僕は果たして、もう一つの目も、必要となれば差し出す事が出来るのだろうかと思う。
実際そうなって見ないと分からないのかもしれないけれど、しかし、それを断言できない事は、僕の弱さなのではないかとも思う。あの時迷わず差し出せたのは、ただ、もう一つの目が残るからだったのではないだろうか。
だとしたら僕は、自分の視覚を家族の命と同程度に考えているのだろうか。
「アキナ」
「何?」
「難しい事を態々考える必要は無いにゃん」
そっか。
まあ、お前がそういうのなら、確かにその通りなのだろう。
なにも今すぐに答を出さなければならないわけでもないのだし、ネコの言う通り、僕は今それを決めなければならないわけでも、無いのだ。それに、考えるのであれば、そもそもそんな状況まで追い込まれないようにする事を考えた方がいい。
この一年は穏やかで、何事も無く過ぎていった。出会いはあっても、こっくり荘の住人と出会った時のような劇的なものではなく、普通に後輩が出来たとか、そんな程度の事だった。
僕が片目を失った事と、大天狗先生がいない事を除けば、多分その前の一年と変わらない。幸せで、何か足りなくても、それでも満ち足りた毎日。
キツネがいて、ネコがいて、ツルさんがいて、たぬきおばさんがいて、デイがいて、ナイトがいる。
それ以上望むべくも無く、僕は幸せだ。
赤鬼の事を考える事もある。彼が生きてたら、どうなっただろうと想像する時もある。彼が生きていて、出会い、別れ、何を手に入れてだろうかと想像するけれど、結局答えは出ないままだ。彼は僕ではないし、彼は結局、もういない。
大天狗先生がいないように、赤鬼もいない。
九十九トウキについても、もういない。彼は死んだと、神様が教えてくれた。あれを神様と呼ぶ事にはまだ抵抗があるけれど、しかし、ボーリング先生と呼んだ時は本気で怒られてしまった。結局僕は神様先生と呼んでいて、神様先生は大天狗先生の代わりに教員として働いている。
黒い球体なのに。
僕の人生で語るべき所があるのなら、それは、一年前のあの時までだろう。せいぜい今は、長いエピローグの最中で、大した起伏も無い日常を、僕は楽しんでいるだけだ。それはそれで楽しみだという奇特な人もいるのかもしれないが、僕としては恥をさらさないうちに幕を下ろす事にしたい。
明日は早起きして、デイと一緒に日の出を見よう。
目を閉じても世界は無くならないように、幕が下りても、物語は続いている。夜空の星が太陽の光に呑みこまれても、また星は昇り、そこには新しい物語が続いている。何にせよ、これで一年たって、区切りをつけるには丁度いい。
だらだらと続けて、自分で自分の物語に蛇足をつける事も無い。ここで物語が終わるのだとしても、続いて行くものがどこかにあるのだから。この楽しく、幸せな毎日が続く限り、僕の人生には意味がある。
さあ、目を閉じよう。明日にはまた、別の物語が始まるだろう。
僕の物語は終わる。
それでも僕は生きていく。
勢いだけで書きすすめた小説ですがここで完結です。
とにもかくにも、未完の小説に終わらなかった事だけで、良かったと思っています。
お付き合いいただいた方も、何の気なしに最終話だけ開いた方も、皆さんありがとうございます。よろしければコメントや評価などをつけていただけると、次回作の励みにもなります。
ありがとうございました。




