人生という物語
数日たって、ようやく大天狗先生の葬儀が行われた。その間、九十九トウキに動きが見られなかった事は引っかかるが、大人しくしているのであればそれに越した事は無い。僕の大切なものはその間僕の傍にあって、奪われる事も無かった。
キツネとたぬきおばさんには全て事情を話して、ナイトにも報告して置いた。あれだけ盛大に燃え上がったヴァンパイアは、一昼夜や経つと元気になった。戻らなかったのは、大天狗先生と赤鬼だけ。こっくり荘だけで考えれば、大天狗先生だけだった。
失ったものは大きい。
そもそも、最初から僕のもので無かったとしても、この一年近くの関わりと、日々は、僕を形作るうえで本当に重要なものだった。生きていたいと心から願う事が出来る今の僕は、この一年がなければ存在しなかっただろう。
大天狗先生は結局、キツネにもたぬきおばさんにも言葉を残すことなく、ドラキュラ・ザ・ヴァンパイアの腕の中で死んだ。僕を守って、僕に言葉を残して、息絶えてしまった。その生涯においてなされた選択から言えば、どうしようもなく身勝手な終わりだったのかもしれない。
最後の最後で、切り捨てたものを拾い上げようとしたのだから。
僕からしてみれば文句を言えた立場ではない。そんな事はもちろんわかっているし、命を救われたことを感謝してもいる。大天狗先生が自分の父親なのだと、胸を張って言えるようにもなったのかもしれない。
けれど、それでも最後まで、キツネの父親でいて欲しかったとも、思うのだ。選んできた結果、それがたとえ本意では無かったのだとしても、僕はその選択を受け入れていたし、何よりもそれを選んだのは大天狗先生だったのだから。
全ては過去で、終わった事だ。
結局どこまで行ったところで、何一つ覆らない。
赤鬼が死に、そして大天狗先生も死んだ。殺されたと、そういうべきなのだろうし、奪われたと言うべきなのかもしれない。
大天狗先生の葬儀には多くの人が訪れて、そのほとんどが涙を流した。キツネもたぬきおばさんも、こっくり荘のそれ以外の住人も皆涙を流した。涙の数が必ずしもその人の価値を表すとは言わないけれど、それでも、この涙はきっと、僕の父親がどんな存在であったかを、示しているのだろう。
いろいろとあって、結局僕は人が多く集まっている場所から逃れるようにして、再びあの橋の下へとやって来た。花を一本失敬して、赤鬼がいつも座っていた場所に置いた。あの赤鬼が喜ぶかどうかは知らないが、誰にも知られず、ただひっそりとここにうずくまっていた僕の友達を、僕一人くらいは悼んでやるべきだろう。
本当に、なぜ生まれてきたのか分からないくらい、短い時間だった。大天狗先生のように何かを残したわけでもなく、その命に対して涙を流す人間も僕しかいない。僕しかいないから、僕くらいは涙を流す。
彼はこの結末をどう思っただろうか。
僕の鬼として生まれて、僕を羨み、僕の友人になり、そしてそのまま死んでしまった。きっと楽しい事も知らず、ただ僕の話を聞いただけだった。それでなにを満足できるだろうか。他人の心を勝手に語っても仕方がないだろうけれど、それでも、これはあんまりだ。
死ぬために生まれてきた命なんて、どこにも無い。
九十九トウキ。彼はどこまでそれを分かっているのだろうか。失ったものを取り戻すなんて、そんな事を本気で行っているのだとしたら、それは狂っている。一人で勝手にやっていればいいものを、こうして僕を巻き込むのだからどうしようもない。
巻き込まれたのはこっちだ。
無茶に付き合わされているし、奪っただの奪われただの言うのであれば、こっちこそ奪われている。
「よう人間、こんな所に一人でいても平気なんでげすか?」
「サルか、本当に久しぶりだ」
「そうでもないでげす、さっきの葬式にだって出たでげすよ」
そうだったか。なんとなく、ものすごく久しぶりにあったような気がしたのだが。
「で、どうしたよ。人がへこんでいるときに、来るんだったか?」
「まあ別に、どうだっていい事でげす。大天狗との付き合いも長かったでげすから、これは義理のようなものでげすよ」
ふうん。
まあ、大天狗先生だって元は人間なのだし、その頃何があってもおかしくは無いだろう。ヴァンパイアとは人間の頃に親友になったと言っていたが、その頃猿と何かあってもおかしくない。
生きていれば、出会いもある。
「てっきり落ち込んでいるかと思ったでげすが、そうでもないようでげすなあ」
「横でげすげす言われていたら、へこむにもへこめないだろ」
全く、シリアスもぶち壊しだ。せっかくの心機一転、頭おかしい系の人間が現れたと言うのに、振り出しに戻った気分だ。殺すとか、殺されるとか、そんな事を考えていた事が、馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
殺された事は確かだけれど、でもだからって、殺さなければならないわけではない。
「九十九トウキ、だったでげすか」
「お前は誰に聞いたか知らんが、良く知っているな、サル」
「所詮人間の事でへすよ。人間が見た黒い球体がこの町のルールであるように、この町に居る人間の事について知らない事は無いと言うだけの事でげす」
だったら何故、九十九トウキだったでげすか、とか言ってんだ。最初から面倒な事は省いて、断定口調で言えば良いのに。面倒だな―、こいつ。
「去年の今頃に両親が死んだんだとさ」
僕が幸せになったから、九十九トウキは不幸になった。
ばかばかしい計算だ。そんな単純さで世界が成り立っているとしたら、きっと幸福とか不幸なんて言うものは、もっと偏っている。誰かが不幸になることで、他の誰かが必ず幸福になるとしたら、人はもっと荒んでいるだろう。
もしかしたら、不幸を引き受けるための人間だって生まれているかもしれない。家畜のような扱いを受ける人格を認められもしない人間。九十九トウキがやっている事は、まあ、それに近いのかもしれない。
「死んだのは確かでげすが、あの男の話には嘘があるでげす」
「幸福なんかじゃなかったとか、そういう事だろう?」
「………気が付いていたでげすか」
そこまで驚く事もないだろうに。
まあ、最初は単純に、交通事故でああいう風に片目を抉るような事があるのだろうかと、そう思ったのだ。実際、それがあり得ないとは言わないし、もしかしたら世の中どこかにそんな目に遭った人もいるのかもしれない。
しかし、決定的なのは治療を受けた跡がなかった事だ。九十九は確か、両親は病院で息を引き取ったと言っていた。つまり九十九自身も、病院か、またはそれを知る事が出来る場所に居たはずなのだ。そんな状況で、あの傷跡をそのままにしておくとは、到底思えない。
だったら何故そんな事になっているのか。
考えられる可能性としては、彼は実際に事故に遭いそこで片目を失って、救急車が来る前に姿を消した。そのままこの町へと紛れ込み、その結果治療を受ける事が無かった。両親に関しては、何らかの方法を使って後日結果を知った。
あるいは、そもそも事故にはあっていない。別の何かによって彼は片目を失い、同じく両親を失った。治療されていない理由はそのまま死にかけた状態でこの町へ運ばれたとか、そんな事。
最後に、まるっきり嘘だった可能性。
まあ、最初の可能性については却下だ。考えてみればそもそも、鬼が現れたのは四月では無く夏以降だった。それまでの期間、彼がどうしていたのかが分からない。少なくともこの町に居れば、鬼が生まれたはずだ。あの黒い球体は、町に人間が二人以上いる事を許さないはずなのだから。だから二つ目についても同様だ。僕が幸せになった瞬間に彼がこの町へやって来なければならない理由は無いが、空白の期間があけば、治療していない理由がどうあってもこじつけられない。
「穴だらけの理論でげすな」
「まあ、僕は探偵でもないしな、自分が納得できればいいと思う」
「それは、その通りでげす」
九十九が僕に嘘をつかなければならない理由は見当たらなかったのだから、だとしたらその嘘はきっと自分のためのものだろう。それこそ、そんな事をしなければならない理由は、想像することしかできない。
「九十九トウキは、愛されない子供だったでげす。奴の両親は実際、九十九トウキを愛していなかったし、虐待だって加えていたでげす。そしてその結果、九十九トウキは片目を失い、そしてそこが臨界点だったでげす。臨界を極めた状況の中で、九十九トウキは自分の両親を殺したでげす」
「………」
言葉もない。どうしようもないくらい、不幸な話じゃないか。今に始まった事でなく、しかし片目を奪われるほどになるとあまり聞かない話ではあるのか。いや、幼児の内に殺されることだってあるのだし、あり得ない話ではない。片目を奪われるほどの虐待。
愛のない両親。
「でも、だとしたら。九十九トウキはなぜわざわざそんな両親を取り戻そうとしているんだ?」
自分で殺したのなら、取り戻す理由は無い。
「そんな物は、お前の尺度に過ぎないでげすよ。九十九トウキの思考を、出雲アキナが理解できなかった所で、それは何一つ不思議ではないでげす。お前たちはお互いを鏡に映った自分のようだと感じているようでげすが、所詮そんな物は最初からただの虚像でげすよ。鏡像で、虚像に過ぎないでげす」
「そりゃまあ、僕はあいつじゃないからな」
あいつがおれでおれがあいつで、なんて。そんな混同をしていたわけではないが、確かに、多少似ていると言うだけで相手を理解出来るわけでもないか。
「そうでげす。鏡像は所詮、同じ形ではないし、相似形ですらないでげすよ。お前たちは所詮似ているだけで、本当は何一つ同じではないでげす。だからこそ人間。お前はお前の立場に立ってこの先の事を予測していたみたいでげすが、そんな物はどれも的外れだと考えるべきでげす」
似て非なるもの。
紛れなく違う僕たちは、当然、考えることだって違うだろう。そしてそれ以前に、九十九トウキの言っていた、取り返すという言葉だって、今となっては怪しいのではないだろうか。
鏡に映った自分は、本当は自分と正反対。
「なあ、サル――――って」
居ない。
これはあれか、力を貸すのはここまででげす、と言った所なのだろう。何にしても、十分を超えて、やり過ぎな程力は貸してもらえた。考え違いを正すには十分だ。九十九トウキは僕に似ているとか、そんな事を考えていたら、きっとまた何かを奪われていただろう。
考えろ。考えて生きろ。今となっては意味を無くした前提を思考しろ。
神様は決して一方的ではない。九十九は僕を殺すことに固執しなかった。それはあの時、大天狗先生が割って入った瞬間の表情を思い出せば明らかだ。邪魔が入って笑ったのではなく、きっと、あの状況を九十九は望んでいた。
大切なものを奪う。九十九は確か、父親と母親、そして九十九自身の片目を失ったと言っていた。奪い合う、幸福を奪う事で不幸を脱ぎ捨てる。そんな事が可能かどうかはともかく、数の上では、三つ奪うのではないだろうか。
んー。考えてみたら、考えた所で答えは出ないんだよなー。答え合わせもせずに突撃をかますのは、正直あまり、気が進まない。九十九を殺さないかどうかはともかくとして、とりあえず自殺という選択肢は無いのだけれど。
「って」
千客万来だ。
「神様だっけ?」
『然り』
おお。喋った。今更驚きはしないけれど、何となく距離が縮まった気がする。喋らない方が、神様っぽかった。その辺りは、良く分からないもの、という事を徹底した方が神様らしいという事なのだろう。ギリシャ神話のしっちゃかめっちゃかぶりを見て、神様として敬う気になれなくなるようなものだ。
『大天狗が死んだ事でこの町の運用役が消失した。故にルールそのものを理解していないお前に、直接説明する』
ルールって。レフェリーかなんかみたいだなあ……。
『神と名乗ったわけではない。あの男が勝手にそう呼んでいるまで。お前も好きに呼ぶがいい』
「神様で良いさ。わざわざ違う名前をつけてもお前が混乱するだろう?」
『では、説明を始める』
どうぞ。
『奪い合うという考えは間違いである事を始めに言っておこう。奪い合うのではなく、相手が失っただけ差し出さなければならない』
だとしたら、それは、何一つ戻らないと言う事だ。九十九は取り戻すとか言っていたけれど、それはやはり、嘘だったのだろう。
「相手が失っただけ差し出さなければならない。それは、過去を含めての話だよな?」
『然り』
成程。まあ、そうでなければ成立しない。九十九は両親と片目を失った。そして、それと同じだけのものを、僕は失っていなければならない。
やはり三つ。いや、今の所、三つ。
あの時殺さなかったのも当然だ。殺してしまえば取り返しがつかず、奪えるものは僕の命一つだけ。
「じゃあ――――」
と、僕が言いかけた所で神様は消えてしまった。なんとも不親切な説明だ。
「アキナ!! こんにゃ所に居たのかにゃん、大変だにゃん、キツネがさらわれたにゃん!!」
「――――!」
血の気が引いて、同時にどういう事かも理解した。このタイミングでそんな事をする奴を、僕は知っている。そして僕達は、そこで決着をつけなければならない。神様が急に消えたのもそのせいなのだろうか。なんにせよ、お互いに失いすぎているのだから、後がないのもお互い様だろう。
余ほど急いできたのだろう、肩で息をしているネコに、僕は言った。
「僕に心当たりがある。お前たちは僕の背中を守れ」
「合点承知にゃん!」
奪い、奪われる。奪うと言う事は、次の瞬間奪われると言う事。九十九がどこまで考えているのか知らないが、このゲームが終わるのは、一つしか方法がない。
殺す、か。物騒な話だ。
「……にゃにを考えているにゃん?」
「あいつをどう殺すか」
奪われた者に関して、失ったものに関して、今更何も言うまい。恨みごとも、文句もあるけれど、何を言った所で取り戻す事は出来ないのだから。だからこそ、僕は九十九を殺そうとは、思わなかった。
けれど、僕から奪おうと言うのなら話は別だ。これから奪われようとしているものを、黙って見過ごすつもりはない。
それは許さないし、それは許せない。
九十九トウキ。
僕はお前の奪い合いに、これ以上付き合うつもりはない。