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鏡合わせの物語

 まるで鏡にでも向かい合っているような気分だった。もしかしたら、ナイトとデイが向かい合った時、彼女達はそんな感想を抱くのかもしれない。血のつながった家族というものを持たない僕にとって、ここまで自分を連想させる人間は、初めて見たものだ。

 考えるまでも無く当たり前に、この町へ来る前の家族は、血のつながりがあってもそれは遠く、だからこそ自分を思わせる雰囲気や匂いというものを持っていなかった。勿論それは、彼らにとっても同じ事だっただろう。

 だからこそ仲良くなれなかったのかもしれないとか、そんなバカみたいな事を考えた事もあったけれど。

 こうして相対して見て分かる。

 鏡に映った自分と、誰が仲良くなろうと思うだろうか。


「やあ、出雲アキナ」

 そう言いながら、彼は思い出したように右手に握っていた赤鬼の首を放り出した。無造作で、まるでゴミ袋を適当に放り出した位の何げない動作だった。そして、実際、彼にとってそれは本当に何でもない事だった。

 気にしていないし。気にかけるような事ではないと思っている事が、見ていれば分かる。

 そんな事よりも僕に挨拶をする方が重要であると、そう思っている事がありありと見えた。挨拶なんて、そもそも今更でしか無いというのに、そんな認識すら僕たちの間では共通していない。

「ボクは九十九トウキ。ボクは君をアキナ君と呼ぶから、君もボクをトウキと呼んで欲しいね」

「………ああ、よろしく」

 九十九君。

 本当に、こいつが何を考えているのかが分からない。向かい合って、どこまでも僕を思わせる人間だというのに、赤鬼のように無い面が全く見えない。人と向かい合って心読む事が出来るわけではないけれど、しかしここまで分からないのは、不可解だ。

 快も、不快も。

 何一つ見えない。

 赤鬼を殺されて怒りに燃えていたはずだった僕の心も肩透かしに合ったように―――いや、言い訳は止そう。

 恐い。怖い。僕はこいつを見ているのが怖い。

 怒りをへし折られるくらいこいつは気持ち悪くて、その圧倒的な気持ちの悪さがどうしようもなく僕を恐怖させる。この町に来る以前はもちろん、この町に来てからも、こんな事は無かった。

「そんなに怖がらなくても良い、ボクは君をこの刀で殺そうと思ってここに居るわけじゃない」

「この状況で、こんな事をしておいて、そんな事を信じろと言われても、そんなの出来るわけがないだろう」

「そんな事は無いさ」

 九十九はそう言った。

 まるで僕が見当違いなことを言ったかのような顔をして、そして用事を諭すような口ぶりでこう言った。

「鬼なんて所詮蜃気楼から湧き出た偶像さ。君だって鬼を殺したけれど、そんなことでボクの心は痛まなかった。むしろ、心が現れるような気分だったと、言っても良いくらいだ。君にもそうだろう、ボクにとってもそうだったのだから、君にとってもそうに決まっている。だってボク達は、同じなのだから」

 そう言って彼は片方の目を覆い隠していた長い前髪をかき分けるようにして、今まで隠れて居た左目を僕に見せつけた。

「………」

 そこには眼球が無く、ぽっかりと空いた空洞と痛々しい傷跡だけが残っている。空虚で空々しくなるような現実感の無さを、僕は感じた。ここまでまざまざと人の傷跡を見せつけられたのは、初めての事だ。

 こんな事が現実には怒りえるのだという事を、九十九は僕に示している。

「痛々しいと、思うかい?」

「痛々しいと言う他ないだろ」

 それ以外に思い浮かばない。一体どんな状況でそんな事になったのか、そしてどう見ても治療の跡が見えない事とか、そんな事以上にそれは痛々しい。

 体の一部を失い、視覚の半分を失う。想像するだけで痛いし、苦しい。想像することしかできないし、実際に体験したいとは思えないけれど。

「こうなりたいと思うかい?」

「………思うわけ無いだろ」

 率直に、そうなってしまった人間を前にして言う事ではないのだとしても、決してそうなりたいとは思わない。

「そうだろうね。ボクだって別にこうなりたかったわけじゃない」

 彼はそう言って笑った。何故笑うのか、なぜ笑えるのか、分からない。笑って話すようなことではないと、関係のない僕にだってわかる。彼だってこうなりたかったわけじゃないと、はっきり言ったと言うのに。

 それなのに、そんな事さえ無造作に扱って、あっさりとそんな事を言っている。

 つくづく、気持ち悪い男だ、九十九トウキ。

「ボクについて話をしよう。君についてはきっと君以上に知っているから聞く必要がないけれど君はボクを知らないだろう、だから、ボクについての話を君に聞かせてあげる」

 大きなお世話だったが、そんな事を言いだせないような雰囲気だった。鬼気迫ると言うか、遮ってしまえばその時点で手に持った刀で切りかかって来ても、おかしくない。まるでそうしないといけないと思い込んでいるような、そうしないといけないと知っているかのような。

 有無を言わせず鬼気迫る。

「ボクの生い立ちは君とまるきり同じだ―――――なんて、言わないから安心して欲しい。確かにボク達は似ていて、まるっきり同じだと言っても良い位なのだけれど、それでも生まれた時はきっと、ボク達は正反対だった。つまり、ボクは幸せな家庭に生まれついた」

「………」

「意義があるって顔だね。けれど、君の主観に意味は無いさ、君がどんなに不幸ではないと言い張った所で、君は不幸な子供だった。親から捨てられ、母親に忘れられた可哀そうなアキナ君。君は不幸で、ボクは幸せだった。そう、ボクは、幸せだった」

 遠い、遠い夢の国、天国を見透かすように、そして同時に人の過去を見透かすようにして、まるで上の空な声で彼はそう言った。

 幸か不幸か。

 彼か僕か。

 そんな違いに意味があるとは思えないけれど、主観と客観を混ぜるような事はしない。ただ僕は、自分が幸せかどうかを他人に決めてもらう必要は無いと思っているだけなのだ。

「去年の三月、春休みの最終日だった。あの日ボクたちは家族でドライブに出かけた」

 去年の三月、春休みの最終日だった。あの日僕達は、何をしていただろうか。それは確かに、僕がこっくり荘の一員になった日の事で、もしかしたらそれは、今というものが始まった日なのかもしれない。

「出かけたその日にボク達家族は事故に遭った。ありがちな居眠り運転のトラックがセンターラインを越えて、僕たちの乗った車は跡形もなく破壊された。僕は車の外に偶然投げ出されて、その結果命を失わずに済んだ」

「………」

「そしてボクの両親は、その次の日に病院で息を引き取った」

 その次の日に、僕はキツネと仲良くなった。その日は確か、入学式だった。

「ボクも無傷では済まなかった」

 そう言って彼は、自分の左目があった場所を指差して見せた。

 自信が負った痛み。その代償に彼が手に入れたものはあったのだろうか。両親を失って左目を失って、その結果彼は、掌に何を残したというのだろう。どこにも、何も残らなかったのではないだろうか。

 ヴァンパイアにだって救いがあった。

 九十九にはきっと、それは無い。

「君に分かるかい、ボクの気持が?」

「そんなの」

「ああ、そんな事はボクにしか分からないさ。こんなにも不幸なのは、こんなにも酷い事を経験したのは、ボク以外には居ないのだからね。ボク達は同じだけれど、所詮それは結果に過ぎない。ボクは君を理解できるけれど、君にはボクを理解できないように」

 理解できない。

 確かに僕には、理解できない。痛みを折って、失う事の辛さを経験したはずの九十九が、なぜ赤鬼に対してこんな事が出来たのか。

 僕に悪意を向ける理由。

 悪意を向けながら、こんなにも親しげに接して来る理由。人がこんなにも歪に、どうしようもなく歪んでしまえる事が、僕には理解できない。

 やはり世界に神はいない。居るとしたら、目の前にある悪意の現実は、どうしようもなく、言い訳しようもない、齟齬だ。

「ボク達は似ている」

「そうでもないさ」

「そんな事は無い。神に誓ってボクたちは相似形で、鏡に映った自分こそ君だ」

 まるで僕の言う事を聞いていない。

 聞いたうえで、まるきり意に介していない。こいつは、世界に自分しかいないとさえ思っているのだろう。経っている場所は現実ではなく、舞台の上で、脚本は存在していて、そこに無いものは雑音でしかない。

 そしてその雑音には、舞台を止めるような力を認めていない。

「………」

 気を強く持て。

 こいつが何をしたのか思い出せ。僕の友人を心に抱け、奪われた怒りをそこに焼き付けろ。赤鬼を殺した九十九が、どんなに不幸な経験をしていたのだとしても、そんな事は関係ない。

 不幸な人間には、何もかもを奪う権利があるなんて、だれも認めない。不幸だとか、そんな事を自分から言い出す人間は、うそつきだ。権利を主張するばかりで、失ったものを他人から奪って埋め合わせをしようとしている。

 九十九はその典型だ。

 こいつの言う事に、一々耳を貸す必要もない。人の話を聞かない奴は、思いこみでものを語る。真実を語るような顔をして、事実を語るふりをして、妄想を撒き散らしているだけだ。

 だから。

 だから、一体僕はどうするんだ?

「神はいる」

 彼は言った。不幸を自称する隻眼の男。似ても似つかない、僕の鏡像。鏡の向こう側から噛み合う事のない言葉を発し続けた、僕の友達を殺した仇。

「あんなにも違ったボクたちの人生がこうまで交錯したのは誰かの意思があったからだ。偶然ではあり得ない運命ではあり得ない、作為でしかあり得ない。不幸な奴は不幸なまま終わればいいし、幸せな人間は幸せなまま終わればいい。そうすれば人間誰だって自分のたっている場所に納得できるし、分不相応なものを持って破滅する事もない。君とボクが似ているというこの現実は間違っている。鏡の向こう側は見ているだけで十分だ」

「お前は何が言いたいんだよ、九十九トウキ。お前の妄想なんて聞きたくもないし、聞いたところで仕方がない。何がどうとは言わないが、とりあえず――――」

 赤鬼を殺した償いはしてもらう、と言いかけた所で僕は言葉を飲み込んだ。

「繰り返そう。神はいる。今、ここに」

 カランと音を立てて、僕の手に合った鬼丸は地面に転がった。そんな物を持っていた所で意味がない事は、見れば分かる。神様なんていないと、今でも思っているけれど、目の前にあるものはそうとでも言わない限り形容できない。

 黒い球体に、びっしりと意味不明な文字のようなものが刻まれている。ただそれだけで、それだけでしかないと言うのに、鬼よりもずっと重い。鬼なんかじゃ比較にならないくらい、この球体から圧力を感じる。

 悪意でもなく、害意でもなく。ただひたすら、隔意を感じた。

「これが神だ」

 彼は表面に刻まれた文字をなぞるようにして、その黒い球体に手を這わせた。

「神が正してくれる君が間違って得たものを、ボクが間違って失ったものと換算してくれる。目には目を、歯には歯を。君が得たせいで失ったものを、ボクは取り戻す」

 彼はそう言って笑った。

 正しさも、何もかも置き忘れてきたような無邪気な顔で、本当に何かを取り戻す事が出来るかのような顔だった。

 そんな事は、決して出来る筈がない。

 神様にだって、取り返しのつかない事はある。

「父さんと母さんと、ボクの左目」

 切っ先を真っ直ぐに向けて、それは僕の命を抉るのだと彼は宣言する。得たものと、失ったもの。そこに本当に間違いがあったのならば、彼にとって本当に、それは正さなければならない事だ。

 だから僕を。

「返してもらうよ、アキナ君」

「………」

 僕は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。彼にもその音が聞こえたのではないかと思う位、その音は大きかったように思える。

 絶体絶命。

 神の偶像。事実はともかく真実はともかく、彼は、九十九トウキは本当に僕を殺して取り戻すつもりなのだ。そして目の前にある黒い球体。彼が神と呼ぶそれが、僕を殺すことで彼に全てを返すのだと、信じている。

 殺すか、殺されるか。

 死ぬか、生きるか。

 与えるか、奪うか。

 ありがたくもない選択肢の数々は、どれも結局選ばなければならない。こんな事を望んでなんか居なかったというのに。ただ僕は、温かい日常と現実の中で静かに過ごしていられれば良かった。他人の不幸に興味は無かったし、持ち込んで欲しいと思った事も無かった。

 それなのに。

 過ぎた事は何一つ望まなかったはずだと言うのに、いつの間にかどうしようもない。

 僕の物語は、こんな所に来てしまった。


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