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こっくり荘へようこそ(4)

「では、良いかの」

 大天狗先生の言葉に、僕は頷いた。それが見えているのかどうかは分からないけれど、しかし僕の意図は伝わったのだろう。僕たちは今、猿の住む屋敷の前に立っている。

 猿。猿どもは、お山の大将よろしく、山の上にある屋敷に、一族全員住んでいるのだそうだ。猿にまつわる話や、言葉。そういうものが集まって出来たのが、この町の猿らしい。そう考えれば、エロいのにも納得がいくだろう。

 妖怪の類。一言でそう言っても、そこには幻想と空想、そして疑心から生まれる鬼も存在する。猿は後者が多い。桃太郎の猿や、猿蟹合戦の猿もいるそうけれど、それ以上に、人の内面から生まれる本能をより強く具現する存在が多い。らしい。そしてそのどれもが、同じく猿だ。人のそれと同じ、二面性に過ぎない。

「行くぞ」

 屋敷を前にして、まさか僕たちがやって来るのを見はっている猿なんている筈がない。

 だって、天狗と猿が戦うことなんか、本当はあり得ないのだから。

「大天狗の団扇の威力、とくとご覧に入れて見せよう!」

 そう言って、一仰ぎ。それだけで、まるで台風の前兆のような、強い風が吹き荒れる。

「そら、もう一仰ぎ」

 また一仰ぎ。そうすると今度は、台風がやって来たような、木々をなぎ倒そうとしているかのような、暴風が吹き荒れる。

「まだ出て来んか、これで終いじゃ」

 さらに一仰ぎ。風はついに形をもち、風ではなく嵐でもなく、渦巻く竜、竜巻となって猿屋敷を取り囲む。屋敷の瓦も、屋敷を取り囲むようにしてあった木々の葉っぱも、竜巻に巻き込まれて上空へと舞い上がって行く。

 そしてここまで来ると、猿たちもいい加減、異変に気がついて屋敷から出てきたり、窓から顔をのぞかせたりする。

「やめるでげす大天狗、屋敷が壊れるでげす!」

「拙者何も見えぬでござる」

「某には屋敷が軋む音など聞こえぬでござる」

「小生は何も言わぬ、好きにしろでござる」

「裸の美女に見えなくもない」

「裸の美女だと? けしからん!」

「お前ら落ち着くでげす」

「裸の美女も拙者には見えぬ!」

「泣くな兄弟」

「アーアー聞こえんでござる」

「小生にも見えたがその事は言わぬでござる」

「ちょっと詳しく話すでげす」

「ところで大天狗もいるけどいいのか?」

「馬鹿野郎、おやじが百人いようと裸の美女を前にしたら価値は無いだろうが!」

「大天狗、裸の美女はそっちから見えるでげすか?」

 なんかもう、あっという間も無く、竜巻とかどうでもいいみたいだった。さすが猿。

 本能に忠実すぎる。

 ちなみに、本当に裸の美女は見えている。混乱した猿たちの空想でも妄想でもなく、竜巻の中で風にまかれた裸の美女は、確かに存在している。まあ、こちらからは見えないけれど。

 というか、個性豊かだった。下種い喋りかたの奴もいるし。

「そろそろ良いかの」

 大天狗先生がそう言って、もう一度団扇で、今度は今までとは逆の方向に仰ぐと、それまで吹き荒れた風が嘘のように収まってしまった。撒き散らされた葉っぱや、石ころ、木切れが、そこら一帯に散乱している。

「美女が消えたぞ」

「拙者にも見えぬでござる」

「最初から見えてなったはずでげす」

「何も聞こえぬでござる」

「もう何も言わんでござる」

「もう一度、もう一度頼む大天狗!」

「カムバック、カムバックマイビューティ―!」

「そう言えば大天狗、何しに来たでげすか?」

 さて。

 そろそろいいだろう。

「ん、もう一人いたでげすか?」

 僕は大天狗先生の背中から降りて、自分の足で地面に立った。そして、身にまとっていた天狗の隠れ蓑を取り払う。

「人間野郎でげすか………」

「なんだ、初めて会ったのに、知っているのか」

 猿たちもふざけるのを辞めてこちらの動きを窺っている。

「知るまでも無く分かっているし、見るまでも無く聞くまでも無く、言われるまでも無く、お前の事なんか知っているでげすよ。人間野郎」

 知らないのは、お前だけでげす。

 猿はそう言った。

 知らないのは、僕だけ。確かに、そうだろう。

「お前、分かってやっているんでげすか、大天狗。俺たちがこんな事を言っている意味を、きちんと理解しているのでげすか?」

 見ないのも、言わないのも、聞かないのも、許されるのは猿だけだ。

「分かっているとも、猿くん。見ないのも言わないのも聞かないのも、もう止めている」

 大天狗先生はそう言った。

「僕が何を知らないのかは、分からないけれど」

 僕は言った。

 どうだっていい水かけ論のような、そんなやり取りは最初からいらない。

 知らなければならない事は、いつか知る事になる。見なければならないものも、聞かなければならない事も、言わなくてはならない言葉も、いつか避けては通れない。それが分かっていれば、それだけで十分だから。

「お前たちが知らない事を、僕は知っている」

 星空に向けて、人指し指を立てた。

「上に何かあるのでげすか?」

「まさか裸の美女が」

「拙者には見えんでござる」

 空には満天の星空。この町に来るまでは、決して知る事の無かった、夜にある一つの真実。でも、今僕が指し示すのは、そんなきれいなものじゃない。

 猿に仕置きをするのなら、猿蟹合戦だろう?

 猿蟹合戦の最後は確か、石臼が落ちてくる。

「某にも何も見えんでござる」

「………」

「おい、何か気が付いたら言うでげす!」

 何も見えない。星空だって隠れてしまう位に、大きな石臼。

「動かなければ、死なないらしいよ」

 え?

 と。言う間もなく。辺り一帯に響き渡るような地響きとともに、上下逆さになった石臼が、猿屋敷に覆いかぶさるように落下した。多分、怪我ひとつしていないだろうけれど、石臼に覆われてしまった猿たちの悲鳴が聞こえるような気がした。

「こんなもんかの」

「こんな所でしょう」

 大天狗先生と僕は、そう言ってお互いに頷いた。

「お互い怪我も無いのなら、それで痛み分けです」

 物語は、後腐れの無いものだから。

「そろそろいいですよ、たぬきおばさん」

「そうかい?」

 どろん、と。石臼は宙返りをして狸になった。まあ、そういう事だ。こんなでかい石臼、現実には存在しないだろうし。

 猿たちは、半壊した猿屋敷の瓦礫の上で目を回している。

 そんなこんなで、こんなところだ。これが最初のお話で、結果についてはこんなものだった。何一つ解決したわけでは無かったけれど、溜飲は下がったかなあ、と。そんな程度だった。

 後腐れ無く、後にも残らない。お互いに居たいだけで何一つ手に入れなかったから、次が無い。取り戻すべきものも無しに、何かしてくることも無いだろう。物語の終わり、お話のお終い。その先に波乱はない。波乱が片付いたからこその終わりだ。

 そういう訳で、僕の頭を悩ませた問題もまた、この一件と共に終わりを迎えていた。宣言しておくと、その事に関して、とくべつ何かしらの意図があっての事ではない。そんなつもりが無い時ほど、案外物事は上手く運んでしまうような話だ。ビギナーズラックとか、無欲の勝利とか。

 次の日の朝、入学式その日。

「おはよう。昨日は、大活躍だったそうね。御苦労様」

「………おはよう」

 驚いた。

 こんなにあっさり仲直りできるとも、思っていなかったので驚いてしまった。お互い寝起きで、寝ぐせだらけのまま、そうして僕たちは、改めて友達になった。

 世の中案外、そういうものだ。自分の知らない所で、自分が動かしたよりもずっと大きなものが動いている。僕が知らないものが世の中に存在していないわけではない。それは、この町に着た初めて知った星空のように、ただ見えなかったもので、ただ見ていなかっただけの事に過ぎないから。

 でも、まあ。物事の裏ばかり気にしても仕方がないし、物事の裏なんて、覗こうと思って覗けるようなものではない。例えば、自分が一緒に暮らしてきた相手が、実は本当の家族ではなく、それどころかただの他人であった事とか。今思い返した所で、やっぱり、言われるまで気がつく事は無かっただろうと、そう思う。

 それでも、選んだのは確かだ。

 ここで生きて行くのだと、諦めたのではなく、選んだのはきっと昨日の夜だ。妖怪の類と共にある事を、受け入れた。もしかしたら、だからこそキツネは僕を許したのかもしれない。勿論、キツネにしか、本当の所は分からないのだけれど。そう思った。

 さあ、今日は入学式だ。

 新しい事を始めるには、今日を置いて他にない。新しい学校、新しい友達。新しい環境にも、きっとこれから慣れていく事が出来るだろう。新しい学校は、どこに行っても同じことだ。

「そろそろ、学校に行こう」

「おっけー」

 並んで歩く学校への道。考えてみればこの道は、僕にとって初めての道で、キツネがいなければ学校にもたどり着けなかったかもしれない。

「勉強はできる方?」

「あんまり」

 キツネは、勉強で当てになるタイプでは無いようだったけれど、それだってどうにかなるだろう。他にいなければ、僕が勉強を教えてやったって良いのだから。

 入学式には、桜が付き物だ。小学校の時も、中学校の時も、入学式のときに桜が咲いていた事を覚えている。あの頃は、一体だれと一緒に、その道を歩いていただろ。母親だったのか、それとも、近所の友人だったのか。そう言えば、両親だった彼らが、僕の入学式や卒業式にやってきた事は、無かった。

「今日は覚悟しておいた方が良いよ」

「なんで?」

「お母さん、入学式のときも卒業式の時も、張り切る人だから」

 渋い顔をしたキツネを見て、僕は笑った。ああ、それは、なんてうらやましい話だろうか。誰かが、自分の進んでいく道を覚えていてくれる。それが、どんなに幸せな事なのか僕はまだ知らない。僕が知っているのは、その逆の不幸だけだから。

「覚悟しておくよ」

 僕はそう言って、もう一度笑った。

 たぬきおばさんは、昨日猿屋敷から帰って、それから今日のための準備をしていたらしい。朝、かなり本格的な、プロが使うものなんじゃないかというような、大きなカメラを担いでいたので、入学式の保護者席で、どこに座っているのかすぐにわかるだろう。

 大天狗先生は、教職席で見ているそうだ。

「この間の卒業式は、高校を休んで、私を見に来たくらいだから、お父さんも今日の入学式を楽しみにしているかも」

 この分では、大天狗先生も、たぬきおばさんとうそう変わらないのかもしれない。似合いの夫婦といえば、きっとそうなのだろう。似合いの夫婦で、理想の両親。

 大天狗先生には、昨日、猿屋敷から帰っていろいろな話を聞いた。その事についてはいろいろと思う所もあったし、考えさせられることもあったけれど、今は、後にしてしまおうと、そう思っている。

「同じクラスだと良いけどなー」

「それは多分、心配ないよ」

 そう言った意味は、僕には分からなかったけれど、それだって、後になれば分かる事だ。ただ、そう言った後に楽しそうに笑うキツネが、僕には眩しかった。キツネと同じクラスなら大抵の事はどうにかなるだろうし、どうにかしていくことも出来るだろうし、どんなことだって、乗り越えていく事が出来るだろう。

 こうして僕たちは、友達になって、高校生になった。終わったものがあるからこそ、新しいものが始まる。いつか、こうしている日常だって、同じように終わる時が来る。それでもこの日々が、出来るだけ長く続いて欲しいと、そう思った。



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