彼の物語/聖夜と吸血鬼(後)
そしてクリスマス。正確にはクリスマスイブと言うべきなのだろうけれど、クリスマスと言えばイブを指すと言っても良い。その辺りの細かい事は、日本において重要ではないどころか、意味がないと言っても過言ではない。
ま、罰当たりな話ではあるが、そもそも罰が当たるという考え方自体、宗教違いも甚だしい。真剣に宗教に没頭している人には、申し訳ない話なのだろうけれど。しかしそんな物は共有していない人間にとってはとことん意味がないし、価値だって理解できない。
勿論、本当にそこに価値があるなら、という話だが。
誰だって楽しみにする日なのだろう。楽しみでないのなら、どこか病んでいる。いつかどこかに居た誰かのように、じめじめと、腐っている。
昔の事だ。今はもうそんな事は無い。そんな事は関係ないとは、言えないけれど。
こっくり荘におけるクリスマスパーティーは、日本における平均的な家庭よりも幾分豪勢な程度で、それなりに普通な感じで行われた。たくさんの料理を用意して、普段は食べないようなごちそうを食べて、ケーキを食べて、クリスマスプレゼントを交換する。そしてそれ以上に騒いで、騒いで、はしゃいで、はしゃいだ。こんな日がやってくる事を、きっと昨年の僕は期待していても考えていても、信じていなかったはずだ。
こんなにも楽しい事があって、こんなにも楽しい思いを自分がする事になるなんて。思っていなかった。
今になって見れば、自虐が過ぎるという話なのだが、あの頃の僕は真剣にそう信じていたし、きっとあの頃の僕にとってはそれがそう信じるに足りる未来の現実だった。ここではないどこかに活けると望むのは、現実が不幸な人間ではなく、ただ現実に不満のある人間だけだ。捨てる事の出来る現実なんて、所詮、不幸の内には入らない。
現実から捨てられたとしても、不幸から逃れた僕は、不幸では無かった。
終わった事を何度も何度も掘り返しても仕方がない。過去になって、きっとこれからの日々に埋もれていくことであっても、それを忘れる事がないのだとしても。見たくもないものを、思い出したくないものを、わざわざ自分で掘り返す必要は無いのだから。
美しい思い出を掘り返して、無理やり続きを見ようとするよりも、きっとそれはたちが悪い。過去を台無しにしようとする行為よりも、現在を台無しにしようとする方が迷惑なのだから。
とかなんとか。
そんな事を言った所で自分の性格だ。折り合いをつけていくしかないのだろうし、そんな無意味な自己分析を何度繰り返した所で何一つ掘り下げられる事もない。何よりも、そこまで深い人間でも無い。
今年のクリスマスは楽しかったし、これからもう一つイベントが待っている。現実はこれだけで、僕にとってはそれだけで十分だ。
だから、いつもの何倍もの数の鬼がやって来た所で、そんな物、今の僕にとっては物の数ではないし、障害にだってならない。ちょっとした催し物で、物足りない程度の余興だ。
「カっ、苦労した割には軽いもの言いじゃのう」
「苦労の内にも入らないだろうがよ、こんなの。この後が本番で、所詮前座だ、語る意味すら無い」
「そんなものかのう」
「そんなものさ。苦しかろうと辛かろうと、楽しいことほど価値は無いさ」
苦しくも辛くも無かったのなら、それ以上に価値がない。鬼がなんであろうと、どこから現れたものであっても、このクリスマスにそんな存在の居場所はどこにも無い。悪意も害意も、今日くらいは空気を読んで姿を隠しているべきだ。
全くもって、迷惑千万極まりない。遺憾の意を伝えたい。
「言葉の届く悪意など、紛い物じゃろう。言葉が届かぬからこそ悪意で害意じゃ。聞くつもりがあるのならば、それは悪意では無くただのいたずらのようなものじゃ」
「なるほど、年寄り言葉で言ってくれるじゃないか」
含蓄がありそうに聞こえる。僕と同じ年齢で、僕よりも対人関係における経験が少ないのにな。見透かしたような事を言われて納得しそうになるが、こいつまだ子供だよ。僕と同じ子供であって、吸血鬼だけど長い年月を生きているわけではない。
「まあ良いさ、こだわった所で仕方がない。この鬼がどこから湧いていても、今日に限ってこんなにわいてきた理由だって、所詮僕達に分かる事じゃない。クリスマスにこんな事を考えているなんて時間の無駄だろうさ」
「妾を吸血鬼だと知ってそんな事を言っておるのか?」
「知っているさ、最初からな。人を抱えて蝙蝠の羽で空を飛ぶような奴が人間なわけがない」
「それは確かに、その通りじゃ」
「それにこの町に僕以外の人間がいない事は、お前に合うよりも前から知っている。だったら、そんな事は当たり前で、お前が吸血鬼だってことも僕には当たり前だ。クリスマスにはしゃいでお前が灰になるって言うのならそれは困るけれど、所詮日本のクリスマスでそんな事は無いだろう」
「それも確かにその通りじゃ」
日本人は何でもかんでも乗りでやり過ぎる、とナイトは言った。本当にその通りだと、僕も思うし、それが悪い事だとは思わない。悪い事だと思っていないのは、きっとナイトも同じだろう。
ナイトは嫌な事を言うときは嫌そうな顔をするし、減らず口をたたくときはいつも口の端で笑っている。口の端で笑っているから、これはただの減らず口。
多分ナイトも、それなりに今日の事を楽しみにしてくれていたのだろう。少なくともそうであったならば、僕は嬉しい。
聖なる夜だっけ。そんな物で灰になるのなら、そもそも吸血鬼なんて存在できないだろう。
「そういえば聖なる夜で思い出したけれど」
「なんじゃ?」
「前にさあ、デイに十字架を持たせた事があったんだ」
「とんでもない事をするのう……」
「まあ、大丈夫かなーって思って」
出来心で。
太陽の光の下で海水浴を楽しんでいるデイを見たら、誰だって十字架が駄目だと思わないだろう。と言うかあいつ、吸血鬼の新種って言う下地がなかったら、ただの元気でアホな娘だ。
「それで、結果はどうじゃった?」
「お前結果なんて分かり切ってるだろ、デイが灰になってたらこんな所でこんな話をしてる筈がない」
多分僕はヴァンパイアに殺されている。まあ、こんな話を聞かれただけでも、かなり命に危険を感じるけれど。
「確かにお父様は怒り狂うじゃろうな」
「その時は十字架をかざしてやるぜ」
殺し合う気か、とナイトは笑って、僕は肩をすくめた。そんなつもりは無いけれど、案外、本当にそうなったときはそうするかもしれない。あり得ない仮定だとは分かっているのだが、考えてみれば、そうすることが当然だ。
「で」
「ん?」
「ん、じゃないじゃろう。今の話には一体何の意味があったんじゃ?」
「いや意味は無いよ、ただの雑談」
なんとなく思い出した事を言っただけ。聖なる夜と銘打っている割に大して聖なる夜っぽくないイメージのクリスマスから、十字架を連想しただけだ。Xマスとか言うし。あれ、何をどうやったらクリスマスと読むのだろう。
安っぽいよなーって思うし、宗教に対する敬意の無さに安心したりもする。僕が言えた話じゃないのだろうけれど、馴染みの無いものに対する関心の無さと言うか、薄っぺらい野次馬根性と言うか、そういう無責任さは乗っている分には心地が良いものだ。
だからまあ、緊張することなくいい加減に切り出す事にしよう。別に年上ではないし、年寄り言葉を使っているだけなのだけれど、そんな事には関係なくナイトに僕の内心は見抜かれている。いつだって、今だって、多分これまでだって。
「あれこれ考えても仕方がないな」
「その通りじゃ、さっさと切り出さんか」
照れるんだよ。
家族全員集まってお祝いをしようなんて、そういう事とは決して違うような気がする。実際はたいして違わないのだろうけれど、しかしこうして改まってしまうと、切り出し方一つとってもどうしたものだかわからなくなってしまう。
二人きりと言うワードに弱すぎる。別にちゅーしようってわけでもないのに。
「なんじゃ、したければいつでも構わんぞ?」
「いつでも構わないなら、後にとっておいてくれ」
そこまで度胸がない。考えただけで心臓が苦しい。動悸が激しい、これは何だ、意識しすぎている自分が恥ずかしくて仕方がない。
「ケ、ケーキを食べよう」
「いきなりどもるのう」
「指摘しないでください」
見過ごしてください。見逃してください。
「外で食べるのかのう?」
「んー。寒くてそれどころじゃないな。星の下でって言うのも、悪くないと思っていたんだけれど、繰り返すが寒くてそれどころじゃない」
「繰り返さずとも分かる、こうして立ち話をしている間に、お互い雪が積もっておる」
「ああ、道理で寒いわけだ。さっきからお前が雪だるまに見えるような気がしていたけれど、僕が幻覚を見ていたわけじゃなかったのか」
「それは幻覚じゃ」
「そうか、とにかく早く帰ろう」
命が危険。ヴァンパイアに襲われるまでもなく命はこうして危険にさらされる。鬼がどうとか、そんなものよりも怖い。
「部屋も寒い」
「暖房器具を置いておらんからじゃ。普段どうしておるんじゃアキナ」
「寝てる」
「それは気を失っておるんじゃないか?」
そっかなー、どうかなー。確かに、近頃いつの間に眠ったのか、全く記憶がなかったりするけれど。布団の中に居るから安心していた。
もしかしたら部屋の中で凍死しかけていたのかもしれない。年寄りみたいだ。ナイトの年寄り言葉にあれこれ言っている場合ではない。そんな死に方をしてしまっては笑い話にもならない。
人が死んで笑い話になる事があるのかどうかは知らないが。
「心配な奴じゃのう……」
「気が付いた時は僕が生きているか確認してくれ」
「死んだ後に確認しても仕方なかろう」
もっともだ。
「むう……困ったな」
「こうすれば良かろう」
ばさりと、外套をそうするかのように吸血鬼らしい仕草だった。僕の部屋にそんなものがあるわけないと知っているのに、一瞬そうであると錯覚してしまう位、その動作は堂に入ったものだった。
確かにこいつは、吸血鬼だ。
「毛布か」
「毛布じゃ」
ふうむ。
「これはどういう事だ」
「あったかいじゃろう?」
「まあ、それは確かに、その通りだ」
温かい。毛布自体そもそも温かいものだが、こういう使い方をしたのは初めての経験だ。こういう使い方をする人間が世の中には数多くいて、多分今日本で数多くのカップルがこんな感じなのだろうけれど。
二人で一つの毛布に入るって、単純な距離以上に、ナイトを近く感じてしまう。
「これはあれだな、恋人みたいだ」
「恋人ではなく、婚約者じゃろう」
「仰る通りで」
ま、だとしたらこの距離だって悪くないだろう。温かいし、問題もない。文句を言うほど困る事もない。
「キスでもしてやろうか?」
「……それはまだ遠慮しておく」
どうしてそう積極的なんだ。僕は大人への階段はゆっくりと確実に昇っていきたいと考えている。一つの毛布に二人で車ってケーキを食べるのは、かなりもう、距離が縮まって、大人のクリスマスだ。
「ふん、いつか頼んででもしたいと、そう言わせてやるから楽しみに待っておれ」
「そんな事いつだって思っているさ。クリスマスだし、今日はプレゼントだって用意しているんだ、まずはとりあえず、ケーキを食べよう」
「チョコケーキじゃ」
分かっておるのう、とナイトは言った。距離が近すぎて顔を見る事が出来ないけれど、きっと彼女は笑っているだろう。僕の横で、吸血鬼は微笑んでいる。そんな日が来る事を、きっと昨年の僕は想像だってしていなかっただろう。
それでもこれが現実で、彼女は僕と一緒の毛布の中で幸せそうに笑っている。聖なる夜だと銘打っているのだから、吸血鬼が一人幸せになっても、悪くないだろう。