彼の物語/婚約者の手料理(下)
勘違いといってしまえばそれまでだが、しかし自分自身の事に関してあまりそういう言葉を使いたくないと思うものだ。僕だって、別に好んで自分を勘違い野郎と称するわけではない。
しかし、実際に、今回の剣に関して、さらに言えばもしかしたらこれまでの事に関しても、僕は勘違いしていたのかもしれない。今回の結果を見れば、どんなに自分に自信があったとしても、そう思うだろう。結局何がどうなった結果、その結論に至ったのか、皆目見当がつかない。
自分でやるべき事、自分がやらなければならない事。案外、そんな物は無いのではないだろうか。この町にやってきた僕の立場は、なるほど確かに、ある意味で特別なのだろう。しかしそんな特別さなんてものは、時間と共に日常に埋没して行くものなのだ。金メダリストだって、何も死ぬまで金メダリストであるというわけではない。その事実が残っても、本来の意味で頂点にいる時間というものは、短いのだから。
勿論、僕ごときの立場と金メダリストとを比較対象にしている時点で、自意識過剰も甚だしいのだろう。恥の上塗りも、今更恥をかいて困る話でも無いのだから、まあ、この際分かりやすさを優先して許してもらう事にしよう。
要するに、デイの事であれこれと無力感や後悔に似た感覚を感じ、さらに言えば敗北感じみた感情を抱いていた僕が何をするまでもなく、何を考えるまでもなく、問題は解決してしまったのだった。
順を追って話そう。順を追って話さなければどうせ僕にしか分からない話になってしまう。
「今日は午後から停電?」
この町でもそんな事があるんだなあ、と。そう思った。特殊な町であっても、別にかまどでコメを炊いているわけではないし、ランプの光で夜を過ごしているわけでもない。電気だって届いているし、ガスだって通っている。
停電で、ガスも止まるとか何とか、そういう話だった。
そういう日だってある事はあるだろう。しかしまあ、古典的な話だ。昭和の匂いがするけれど、実際、現代においてそういう事はあるのだろうか。
まあいいや。
「そういえば、晩御飯はどうするんだ?」
「うーん、おにぎりでも作っておきましょうか」
と、ツルさんは言ったのだった。
そして、この時点で問題は解決していた事を、僕は全く知らないまま、ネコを連れて散歩に行ったのだった。暢気なものだが、しかし、問題といってもそこまで深刻では無かったのだし、普通こんなものである。
悪い事は無いだろう。何事も根をつめても仕方がない事だって、ある。世の中どんなもんだ、と、分かったような事を言う大人ではないが、しかしそれくらい僕にだってわかる。
で。そんなこんなであっという間によるになって、皆いつもより早い入浴を終えて、その後に夕飯となった。既にガスも電気も止まってしまっているのだが、夏という事もあってたいして暗いというわけでもない。蝋燭もまだ要らないくらい。
夕飯は、ツルさんが言っていた通りおにぎりだった。
しかしここで、語るまでもない事を語っておこう。おにぎりと一口に行っても、それは決して一口で語る事の出来るような底の浅いものではないという事を、日本人ならば誰だって知っているだろう。僕だって知っているのだから、やはり多分、日本人ならばだれでも知っている。多分。
おにぎりといってどんなものを思い浮かべるのか、それは案外統一されていないのではないだろうか。三角おにぎりしかおにぎりと呼ばない人だっているかもしれないし、俵型のおにぎりしか受け付けない人だって、要るかもしれない。それ以外にも、例えばサッカーボール型だとか、昨今のキャラ弁ブームの中で新しいおにぎりが生まれているかもしれない。
形だけ言ってもそれだけあるというのに、さらに海苔をどう巻くかという違いもある。全面を海苔で覆うとか、海苔は要らないとか、そんな事もあるだろう。
最後に中身。多分ここが最も重要だと言う人が多いはずだ。梅におかか、昆布とか、シーチキンマヨネーズ、鮭、その他諸々。個人的には、爆弾おにぎりという複数の具が中に入っているおにぎりが僕は大好きだ。
とまあ、おにぎり博士でも無い僕がほんの少し語っただけでもこの程度の話題にはなる。この程度ではあるけれど、おにぎり博士ならばきっと論文を一つでっちあげるくらいの事はしてくれるはずだ。
しかし、これだけ前提として話をしたうえでこう言うのもどうかと思うのだが、一人の人間がおにぎりを握れば、形に関しては一種類、あるいはせいぜい二種類とか、その程度に収まるのではないだろうか。
んで、ここまで言えば、察しの良い人というまでもなく、どんなに察しの悪い人であっても気が付いているだろう。もしかしたらくどいと思われているかもしれないし、もしかしたら落ちまで見えている人もいるかもしれない。
「ふうむ……」
おにぎりを前にしてため息をついてみた。腕を組んでみたり。
「これはツルさんだ」
きっちりとした俵型おにぎり。大きさもきっちり揃っているし、分かりやすい。うん、ツルさんが握ったおにぎりはこれ以外に考えられないだろう。そういえば、ゴマ塩をふるというのも、おにぎりではオーソドックスだった。
僕が言うまでもないのだろうけれど。
「これは多分、キツネだろう」
三角おにぎり。微妙に不ぞろいだが、そこはまあ、御愛嬌。いつも一緒に料理をしているので、大体分かるのだった。その辺り、いろいろと丁寧にしようとするのだが、案外大雑把な仕上がりになるのがキツネなのだった。本人も気にしているようなので、まあ、直接それを言ったりはしない。
で。
ここからが問題である。問題というか、問題解決。
僕の目の前に、明らかに僕が食べるために用意されたように、一つ大きなおにぎりが用意してある。丸くて大きな、海苔で全面を巻かれたおにぎり。ツルさんではないだろうし、多分キツネでも無いだろう。
ツルさんはそういう特別扱いのような事を料理においてしない人だ。キツネに関しては、まあ、形にこだわる所があるから、作るのならこう言うおにぎりではなく、三角型だろう。実際、三角型を握ったのがキツネなのだし。
さて、ここで問題だ。僕とネコは、おにぎりを握る間散歩に行っていた。つまり、そもそも僕を選択肢から除外するにしても、ネコは選択肢から外れる事になる。もしもそうでなかったら、ネコが握ったおにぎりかなあと思うような、そういう感じのおにぎりである。つまり、猫まんまと同系統である。
まさかの話ではあるが、まさかたぬきおばさん謹製という事は無いだろう。そんな特別扱いをされる理由は無いし、特別扱いされても困る。
となると残るのは一人である。午前中にいろいろといっていたはずなのだが、どういう事だろうか。心変りが早すぎる。幼児性がどうとかいったが、まさにその通り、小さい子供みたいな立ち直りの早さである。
ま、しつこいよりもずっと良いのだけれど。
「んじゃ、食べようか。これを食べれば良いんだろう?」
いただきます、と手を合わせて食べ始めた。
ふうむ。まあ、見え見えだし、それ以上にこちらの様子を窺っているデイの事を考えれば、そんなものだ。デイが握った事はまあ、分かった。
そのうえで、ほんの少しこのおにぎりに対して不安を覚えた事は、罪に当たるだろうか。危うく火災を起こしそうになった婚約者が、その後で握ったおにぎり。どうにもこうにも、最初からエンジン全開で、ブレーキの存在を認知してすらいなさそうな彼女である。見た目はともかく、中に何が入っているのか、分かったものではない。
まあ、キツネとツルさんが傍に居たのであれば、まさか食べられないものが入っているという事もないだろう。
ええいままよ。
ふうむ。
かぶりついてみたのだが、どうにもでかくて一口では具の入っている部分までたどり着かなかった。もしかしたら中身など無いという事もあり得るのだが、それはないだろう。しかしでかい。何を考えて握ったのか手に取るように分かる。
まあいいさ。分かっていれば問題ないし、それで僕が何か困るという話でも無いのだ。
さらにもぐもぐ。
「………」
「………」
どれだけ気になるんだよ。デイはさっきからおにぎりを食べる事もせず、僕の方をじっと見ている。それだけ見られると、いくらなんでも食べづらいのだけれど、ここでそれを指摘した所で、解決しそうになっている問題を無駄にこじらせてしまうだけだ。
「……うん」
「美味しい?」
隠したいんじゃなかったのか?
ほら、食べさせてあげないとかさ、そういう事を言っていたからてっきりそんな事を考えているのだとばかり思っていた。単に忘れてしまったのだろうか。それとも、僕の勘違いだったのか。
いいけどさ。シンプルで結構。
「美味しい」
「本当?」
「本当」
「本当に本当?」
「本当に本当?」
「本当に本当で、本当に本当に本当だよ」
疑いすぎだろ。
「おいしいよ、この爆弾おにぎり」
「爆弾おにぎり?」
知らないのか。
まあ、そうだろうよ。そもそも、正式名称としてちゃんと存在しているのかどうかも、良く分からない。商標登録とかされているのだろうか。
「こういう具がいくつか入ったおにぎりを爆弾おにぎりって言うんだよ」
「ふうん?」
「まあ、知らないで作ったならそれでいいさ。僕は好きだよ、このおにぎり」
女の人が好きになるのかどうかは、僕は女性では無いので分からないけれど。
「好き?」
「単語だけ抜きだすな、といいたい所だけど、まあ良いや。正直なところ、僕はこのおにぎりがおにぎりの中で一番好きだ」
「ふふ、そっか!」
嬉しそうで何より。まあ、これでいろいろと落ち着いてくれればありがたいし、実際おいしいのも本当だ。爆弾おにぎりが好きなのも、本当の話である。
そういうわけで、朝から火災を起こしそうになったデイの料理問題については、僕が何をするまでもなく、こうしてあっさりと解決してしまったのだった。世の中、何もかも自分の手で解決しなければならないという事は、決してないのである。そもそも考えてみれば、デイが自分で自分の問題を解決してしまったのだと、それだけの事なのかもしれない。
出る幕が無かったというか、いろいろと考えていたこと自体余計なお世話だったのかもしれない。まあ、こんな所で、この件については全て片付いたと、そう結論付けて良いだろう。
で。
「ふうん……アキナ、こっちも食べて見て」
「よろしければこちらもいかがですか?」
と、こんな感じで差し出されたおにぎりを見て、僕はとりあえず自分のお腹がどこまで耐えられるのかを心配した。でかいおにぎりって、それだけで結構お腹いっぱいになるよね。
しかし、ここで拒否できる雰囲気ではないのだった。
嬉しそうにおにぎりを食べ始めたデイを見て、キツネやツルさんがデイのように喜んでくれるのなら、それも悪くないと思う事にした。僕のお腹の問題は、いくらなんでもそれでどうにかなるという事は、無いだろう。
大体、よろしければ、という前提にまったく意味のなさそうなよろしければ、という言葉を初めて聞いたよ。
「食べるよ……」
ま、こんな事で良ければいつだって。
「おかかも美味しいにゃん」
お前は握ってないだろうよ。自分の手柄のようにおかか入りのおにぎりを差し出してきたネコから、さらにそのおにぎりまで受け取って、いよいよ僕は自分のお腹の無事を心配しなければならないらしい。
しかしこの状況、何とも自業自得という気がしないでもないのだけれど、僕は何か悪い事でもしたのだろうか。心当たりがあったらだれか僕に教えて欲しい。