ドラキュラナイトウォーカー(3)
いろいろと話をして、積もる話は尽きないけれど、僕は僕として明日があるのだから帰って眠らなければならない。帰って眠って、明日に備えなければならない。そう言う事情を置いておくにしても、いい加減眠たい。話をしながら心ここにあらずという感じ。
話はおおよそ、聞いたことの確認であったり、僕の話であったり、誰に報告するような事でも無かった。実りがない話では無かったが、話の種にはならない。好きな食べ物の事とか、好きな本とか、そういう話だった。
僕の事を知っているという、彼らの話は、それが一体どこからどこまでなのか、考えてみる必要があるのかもしれない。浅くても、深くても、僕が得する事は無さそうだ。口から出まかせであれこれと言われて婚約者になっているのも、僕の恥ずかしい秘密をあれこれと知られていたとしても、嫌な話だ。
まあ、気にしないのが一番なのかもしれない。結局、どこの誰と話をしていた所で、そう言う事は分からない。自分の事をどれだけ分かってくれているのか、自分の事をどれだけ知られているのか。そんな事を考えて生きていると、疲れてしまう。
「しかし、あれじゃのう」
帰り道もやはりナイトに抱えられて、頭の上から聞こえてきた声に、僕はどういう風に相槌を打てば良いのか、どうにもつかめない。意識しすぎと言えばそれまでだが、考えてみれば女の子とここまで密着したのは初めての経験だ。
これで意識しなかったら、僕はホモか何かだろう。
「なんだよ」
「こうして今一緒に飛んでおるが、妾とアキナの時間はおおよそすれ違うのじゃろうか」
「まあ、そうかもしれないなあ……」
それはそれで寂しい。デイと一緒に居る時間は、ナイトと一緒に居る事が出来ない。そういう縛りがあるのだから、その辺りは僕が調整しなければならないだろう。まあ、デイは早寝早起きの生活らしいから、全く一緒に居る時間をつくる事が出来ないという事は無いのか。
「どうにかするさ。どうにもならないほどの事じゃあないし」
所詮時間の問題だ。結局、僕がこうして夜更かししていれば解決する程度の問題なのだから、深刻に考えなければならないという事もない。
「僕としてはあれだ」
「なんじゃ?」
「こんなものを渡されて、先行きに不安を覚えるね」
刀なんて、持つものじゃないというのに。それじゃあそろそろ、と、お暇しようとしたときにヴァンパイアから手渡された一振りの刀は、鬼丸というそうだ。人の持つべき守り刀とか何とか、そんな事を言っていたが、しかしヴァンパイアはおそらく家族を切り捨てたその日からずっとそれをもっていたという事だ。この日のために、なんて言葉を使うのは、ロマンチストが過ぎるのだろうか。
「まあ、あまり気にしても仕方がないじゃろう。お父様にはお父様の考えもあるのじゃろうが、しかし、そんな物は無くとも妾がアキナを守ってやるぞ?」
んー。そういう事じゃあ、無いのだけれど。
「つうか、何事も自分の事は自分の知っている所で動いて欲しいし、責任は出来るだけ自分で取りたいよ。大天狗先生の話を聞いて思ったよ。他人の選択に関してあれこれ言うつもりはないし、僕にその権利は無いだろうけれど。けれど、言わせてもらえばあの人たちの齟齬は、当の本人を置き去りにしてしまった事だ」
その辺り、たぬきおばさんに責任がないとは言わないけれど。
全部抱えて生きていこうなんて、そんな生き方が人に出来るわけがないのだ。そんな事、言われるまでも無く、考えるまでも無く、生きていれば誰にだってわかる事だというのに。そういう意味で言えば、大天狗先生もヴァンパイアも、そんなたぬきおばさんの生き方に巻き込まれたようなものだ。
そういう所に惹かれたのだったら、それはまあ、それぞれみんな自業自得だ。
僕は自分がどういう生き方をしているとか、そういう事を考えた事は無かったし、実際今でも考えていない。それ自体の良し悪しはともかく、そういう事を考えながら生きている人は少ないだろう。
考えながら生きていく事は、疲れる。その時思った事に忠実であることも決して楽ではないだろうけれど、何が正しくて何が一番良いのかは、きっとその時決める事だ。
眠たければ眠ってしまえば良いし、眠れないときは話し相手にでもなってもらえば良い。自分勝手かもしれないが、だからと言って他人の事情ばかり優先するというのも、やっぱりそれはそれで歪だと僕は思う。
家族のために、大好きな相手のために何かしたいと願う事は、やっぱり自分のためでもあるのだから。それを忘れて、誰かのため、誰かのためというのは好きになれない。誰かがそうやって生きているのだとしても、そんな事は勝手だと思うけれど、少なくとも、僕にそんな事を押し付けて欲しくない。
まあ、押し付けられてもいないものに関してあれこれ文句を言った所で仕方がないのだけれど。
「アキナの事であっても、そのほとんどはきっとアキナの知らぬ所で動いておるじゃろうよ。自分の知る所で動いて欲しいと願う事は当然じゃが、世の中そうはいかぬものじゃ。妾のような夜の住人が、そんな事を語るのも、おかしな話なのかもしれないがのう」
「だろーよ。いわれるまでも無く知っているさ、そもそも婚約者がどうとかって話自体、僕が知らない間に決まっていた事だしな」
というか、婚約者が二人っておかしくないか?
「昼はデイ、夜は妾。バランスが取れておるじゃろう?」
「なんか、いろいろと問題があるな。僕はその場合重婚という事になるんじゃないのか?」
結婚詐欺師かよ。
「そんな事構うものか、妾は妾とデイをないがしろにしない限り何人増えようと構わんぞ?」
「その予定は無い」
「本当に?」
本当である。そこまでモテやしない。しかしまあ、ナイトの物言いは器が大きいのだか何だか、良く分からない。価値判断がずれているのかもしれないし、吸血鬼だからこそそんな事を言うのかもしれない。
「まあ――――――」
その続きを言いかけた所で、僕たちの眼前を覆いつくすように巨大な掌が現れた。正直言ってその瞬間、僕は何よりも驚きばかりが先行して何一つ考える事が出来なかった。
例えば、その掌が明らかに僕たちをはたき落そうとしているとか、この高さから落ちれば間違いなく死んでしまうとか、そもそもあれだけ大きな掌にはたき落される衝撃に関してとか、そういう事を考える余裕がなかった。
混乱して、混乱していたせいで正面から感じてしまった。掌しか見えていなくて、その全体を見る事がなくても、何一つ隠される事無く僕にはその悪意が伝わってくる。
「死んだかと、思った」
はたき落されて、本当に死んだのかと思ったがどうやらほとんど怪我もしていないらしい。
「う……」
「ナイト!」
呻き声をあげたナイトが、多分僕をかばってくれたのだろう。目に見えた怪我は無いし、気を失っているわけでもないようで僕が上から独と即座に立ちあがって僕たちをはたき落したものを見上げていた。
心配が要らないとは言わないが、心配をしている場合ではなさそうだ。
「大丈夫かよ、つうか、悪かったな。僕がいなければ、あっさり避けたんじゃないのか?」
「まあ、避けること自体は難しくないじゃろう。こちらこそ悪かった、あんなに近づくまで気が付かんとは、少々、浮かれ過ぎておった。お父様が鬼丸を渡した理由は、これじゃったか」
鬼。なるほど、この直視するまでも無く明らかに感じられる悪意は、鬼という他ない。てっきり吸血鬼がそうであるように、鬼もまた人間じみた生態を取っているのかと思っていたが、直球で鬼じゃないか。言葉が通じるなんて、思えない。
こいつは、僕を殺したいと思っている。悪意と害意、あるいは殺意か。こんなのを相手に、僕は戦わなければならない。
「人の心が鬼を生む」
「知っておったのか、アキナ」
知っているさ。聞いた時から、僕は忘れていない。僕の心が鬼を産むなら、どんな鬼が出てくるだろうかと、何度となく考えていた。しかし、想像は甘かった、考えが甘かった以上に、僕が想像していた鬼は甘かったのだ。こんな、悪意だけで形成された鬼を、僕が生み出したなんて。
「自殺願望でもあったのかよ、僕は……」
溜息の一つも付きたくなる。こんな鬼が今日現れるのであれば、こうして外に連れ出されていて良かったとすら思う。夜更かしをした甲斐があった。こんなのをこっくり荘に近づけさせるわけにはいかない。
ヴァンパイアがどこまで僕の事を見通していたのかは知らないが、ありがたい話だ。こうして僕は、鬼と戦うための刀をもっていて、鬼に立ち向かう事が出来る。自分の力で、悪意に対して抗う事が、できる。
「手伝ってくれ、ナイト」
悪いけど、僕一人じゃ無理だ。僕は、桃太郎なんかじゃないのだから、まともに鬼を相手にすることなんかできやしない。一人でできることなんて、本当に限られていて、だからこそきっと僕たちは一人ではない。
「なんじゃ、一人でやるつもりかと思ったぞ?」
「婚約者なんだろう、こう言う時に手伝ってくれて悪い事は無い」
刀を抜いてみるが、これが人を殺せるものだという実感は、あまりわかない。もしかしたら、この町でしか使えないものなのかもしれないが、しかし確実に、吸血鬼の血を吸っている事を考えれば、何と無く罪深いような気もする。
「浮かれていなければ避けられたんだろう?」
「そうじゃ」
「だったら僕を抱えて飛んでくれ」
「そしてアキナが切りつけるというわけか」
「うん。動きはお前に任せる」
そんなところだ。僕がいろいろと指示を飛ばした所で頓珍漢な事になると決まっているのだから、ここは無いとの判断に任せておいた方がいい。本人の言葉を信じれば、そうしていれば少なくとも安全は確保される。
つまりぼこり放題という事だ。
「任された!」
言うなり、僕を抱えて飛びあがる。それまで何もしてこなかった事が不思議なくらい、僕たちがそうした瞬間から鬼は暴れ始めた。もしかしたら、耳も目もあまり良くないか、動いていないと見えないのかもしれない。
「ほら、チャンスじゃ、やってしまえアキナ!」
耳元でないとの声が聞こえるが、正直僕の目には真っ黒い景色がごちゃごちゃになって通り過ぎて行くだけだった。恰好つけて手伝ってくれとか言ったけれど、これじゃあ僕はただのお荷物だ。
「御免何も見えない、指示してくれ!」
「手がかかるのう」
びゅんびゅん飛び回りながらため息をつかれてしまった。鬼は鬼で、腕を振り回して僕たちをはたき落そうとしていて、もう何が何だか、状況がつかめなくなってきた。それからついでに、アクロバット飛行の連続によって気分が悪くなってきている。
具体的に言えば吐きそう。
「じゃったらすぐに決めてやる、今じゃ!」
「良く分からんが喰らえー!」
いまいち恰好のつかない、間の抜けた掛け声とともに刀を振り抜くと、明らかに何かを切り裂いた感触が伝わって来た。その感触に、一瞬刀を手放してしまいそうになるが、そのまま握り締めて、僕が切り裂いたものを確認しようと首をひねって後ろを振り返った。
「どっちを向いておるのじゃ、すでに旋回して正面におるぞ」
「そうですか」
どうにもこうにも、どこまで行っても間が抜けている。少し恰好つけようとしただけで恥をかいてしまった。慣れない事は、するものではない。
「どこを切ったんだ、僕には暗くて見えない」
「首じゃ」
ふうん。それでも首が落ちたというわけでもないだろうに、鬼はもがき苦しむわけでも怒り狂うわけでも無く、動きを止めている。
「鬼丸は、鬼殺しじゃからな。浅くても深くても、吸血鬼や鬼にとっては致命的な傷となる」
「じゃあ、あれで死んでいるのか?」
「そうじゃ」
物騒な刀だ。しかし、僕が殺したと、そういう事になるのか。
「気にするでない、所詮鬼は人の心が生んだ影、生き物を殺したというよりも心を殺したという方が正しい。アキナが気に病むべき事は無い」
「そっか」
よくわからないな。僕の心が生んだ鬼だとしたら、僕は僕の心を殺したという事になるのか。しかし、あれだけ大きな自殺願望を抱いているとは、我ながら心の闇が深いものだ。自覚は無いのだけれど、そういうものなのだろう。
「まあ良いさ、何はともあれ一件落着だろう」
「そうじゃのう、まあ格好良かったぞ。さすがは妾のアキナじゃ」
「そりゃどうも、僕としてもお前がいてくれて助かったぜ、ナイト」
とか何とか、そんな事を言い合いながら帰ろうとしている僕たちは、日の出の時刻がすぐそこまで迫っているという事を知らないのであった。