ドラキュラナイトウォーカー(2)
夜間飛行の間は見る事が出来なかったのだが、ナイトの服装は黒いドレスだった。どうにもこうにも、自分のキャラクターに忠実な格好だろう。ヴァンパイアだってそうだったのだから、吸血鬼のくくりでものを言えばデイが例外という事になる。夏らしい恰好をした吸血鬼って、言葉にしていて良く分からない。おそらく聞いている人もイメージがわかないだろう。
「なんじゃ、妾の顔に何かついておるのか?」
「目と鼻と口は付いてるよ」
まあ、こうして改めて向き合ってみると、ナイトの顔はデイの顔に似ている。似ているというよりも、瓜二つというよりも、鏡合わせといった方が正しい。
鏡合わせ、なんて。そう言えば吸血鬼は鏡に映ったのだったかどうだったか、もしも映らないのだったら、皮肉な言葉遣いだ。旧式と新式、鏡合わせの双子。
しかし老人言葉については、キャラクターとしての意味しかなさそうだな。別に賢いようには見えないし。
「何をしておるのじゃ、そんなところに何時までも経っていた所で夜が明けるだけじゃ。ついてまいれ」
「はいはい」
吸血鬼の屋敷と聞いて思い浮かべるものは、おそらく世の中の多くの人が同じであるはずだ。洋館かお城。まあ、そのどちらも大差ない。でかいかそれなりかといった程度だ。少なくとも、日本人から見れば。
そう言うわけでこの町の吸血鬼が住んでいるのは、お城では無く洋館だった。しかし、こっくり荘と比べるまでも無くでかい。比べるのが失礼なくらいでかい。どれくらいかというと、大体、学校の体育館くらいの大きさである。でかすぎ。
僕はこれまで、この町にやってくるまで普通の家の普通の学生だったので、こんな屋敷にお呼ばれする事も無かった。世の中、こう言う所に住んでいる人間もいるという事は、もちろん僕も認識していたのだけれど、そう言うのはある意味おとぎ話じみた事だと思っていた。つまり、自分には関係の無い話だと思っていたわけだ。
しかし、いざこうしてそんなところに立ち入るのだと思うと、胸がいっぱいになる。そう言えば、この町へやってくるとき、僕の良心が富豪でお屋敷に住んでいるとかいろいろと考えていたけれど、半分は正解していたということか。ヴァンパイアを父親とするかどうかは、多分、僕の心次第といった所だが、例えばデイかナイトと結婚すればここは僕の義理の実家という事になる。
……やめだ。考えている事がヒモ野郎染みている。逆玉なんて、狙ってするものじゃない。相手にも失礼だろうし。
「ほれ、入れ」
玄関といっていいのか分からないが、両開きの扉はいかにも重そうな軋みをあげてゆっくりと開いた。扉の暑さを見た感じだと、僕では動かす事が出来ないのではないだろうか。この家の防犯に対する関心の高さを窺わせるが、これからここへ立ち入る事になる人間としてはあまり歓迎したくないような気もする。誘拐のような連れて来られ方もしているし。
いろいろと洒落にならない。
ここは仮にも婚約者であり息子と呼んだ相手に、いろいろと口に出せないような残虐な行為に及ぶ事は無いだろうと思う事で、自分を安心させておこう。
「こっちじゃ」
中に入るとホールになっており、その広さだけでもこっくり荘よりも大きくなってしまいそうだった。……いや、いい加減に止めよう。こんな事を言っていると、僕が今の住環境に関して文句があると思われてしまう。
壁の穴さえふさがれば文句は無い。
進んでいくと、食堂なのか、海外の名作劇場で出てくるような長テーブルと、その席についているヴァンプがいた。堂に入った登場の仕方である。車に乗って現れたどこかの天狗とは大違いだ。
テーブルの上には、これまたアニメか映画の中でしかお目にかかる事の出来ない燭台と真っ白な皿が並んでいた。いや、皿は見た事があるよ。
蝋燭がテーブルに載っている所は初めて見た。こんな状況でそんな事を考えるのはおかしいのかもしれないが、これだけ広い部屋を明るくするためのろうそくともなると、これだけの数になるということか。この部屋にある蝋燭だけで、一般家庭において一年間消費する蝋燭の数をはるかに超えているだろう。
「婚約者殿、ぼうっと立っておっても仕方がないじゃろう」
促された先には執事らしい人が待っており、僕の椅子を引いてくれた。吸血鬼が、ヴァンパイアとデイと、ナイトだけだというのなら、この人は一体何なのだろうか。まあ、関係ない事だけど、吸血鬼に使えると言えば何なのだろうかと思う。
「招待に応じてくれてありがとう、アキナ」
ヴァンパイアは言った。
「……いいえ」
誘拐されましたとは言うまい。いまさらあれこれと恨みがましい事を言っても、それはもう仕方のない事だ。
「ナイトも、ご苦労だった」
「いいえ」
一瞬、ばつの悪そうな顔をしたのは、説明せずに連行した事を一応反省しているからだろう。良かった、ちゃんとわかっていてくれて。本当に迷惑だからこれっきりにしてくれよ?
「吾輩たちはともかく、アキナは明日の事もある。始めようか」
ヴァンパイアがそう言うと、先ほどの執事らしき人がシチューの入った皿や、サラダなどをもって部屋に入って来た。もしかしたらこの人が料理からなにから、すべて任されているのかもしれない。この広い屋敷を一人で切り盛りしているとしたら、一家に一人は欲しい働き者である。
深夜という事もあって僕はあまりたくさん食べる事は出来なかったが、料理は美味しかった。しかし、ナイトとヴァンパイアの健啖ぶりには驚かされた。吸血鬼という事も加味して考えれば、血を吸わずに吸血鬼が生きている事の代償なのかもしれない。
デイも同じくらい食べるのだとしたら、まあ、ただの大食い一家だ。
「さて」
口元をナプキンで吹いてヴァンパイアが言った。どうでもいいがナイトは澄まし顔をしている。どうやら父親の前では猫を被っているらしい。
「食事も終わった事だ、話をするとしよう」
ま、そうなるだろう。そうなってもらわないと、僕が困る。わざわざこんな深夜に無理やり連れ出されて、トマトシチューを食べるだけの用事なんて、もっと時間をもてあましているときにするものだ。
「アキナ。君の生まれについておそらく大天狗が話をした事だろう。吾輩も、親友としてその程度の事は見とおす事が出来る。あれは、頑固ではあるがそれゆえに責任感は強い。そして、何よりも君に対して責任を感じておる。言うまでも無く、な」
まあ、それこそ言うまでもない。あんな話をしたこと自体、自分の責任を何らかの形で果たそうとしているとしか思えない。そんな物、僕からしてみればそもそもありもしないと言いたいところだが、僕から見て物を語っても仕方がない。僕からは見えないだけで、少なくとも大天狗先生には見えている。口ぶりからしたら、ヴァンパイアにだって見えている。
「大天狗の事だ、その話に嘘偽りはあるまい。その事は吾輩が保証しよう。あの男は、そもそも嘘が得意ではないのだからな」
「嘘が得意であるよりかは、そっちの方がましでしょう」
まあ、極端と極端を並べて語った所で、本来意味は無いのだけれど。誰だって嘘を尽くし、得意というほどでも無く、下手という事もない。普通はそんなもので、それが極端に振れれば、嘘の下手な人間だと言われたり、詐欺師になったりする。
しかし、嘘の下手な人間が、必ずしも潔白な人間ではない。だから、何事もほどほどが一番だ。
「うむ。そして、君の母親についても、聞いているだろう。勿論吾輩も彼女に恋をした身として、現状について思う所はある。切り捨てたものに対して感じた痛みが無意味になったとは思わないが、しかしだからといって報われているとも言えない立場と言えるだろう」
そりゃそうだ。切り捨てたものの重みは、たとえたぬきおばさんが人間のままであったとしても、報われるものではないだろう。そして、報われていいものでもない。僕はそれがどんな人たちであったのかを知らないが、溺愛していたらしい妹まで、ヴァンパイアは殺しているのだ。その重みは、失ったものは、大天狗先生と比較にならない。
そしてヴァンパイアは、どうあっても得るものは無かったのだ。そのうえでその犠牲を払うというのは、どうにもこうにも、覚悟というか執念というべきか、愛が深すぎる。あるいはその重さゆえに選ばれなかったのだとしたら、それこそ報われない話だ。
実際を知る所なく同情を抱いても、そんな事は大きなお世話だろうけれど。しかし、結果的に選ばれなかった立場にあるヴァンパイアが最も大きな犠牲を払った事は、やはり報われない。
この大きな屋敷に、三人きりの家族。先程の執事らしき人がいるとしても、しかし、それ以上いてもあまり多くは無いだろう。人が多くいる家にはその空気があり、この家にはその空気がない。
寂しくは、なかったのだろうか。ヴァンパイアはともかく、ナイトやデイは、ずっとここで暮らしていたのだろうか。ここには、およそ人の温かみというものが、感じられないというのに。
「しかし、彼女が幸せならば吾輩はそれで良い」
そう言いきったヴァンパイアの顔に、偽りや迷いは無かった。この吸血鬼はきっと、犠牲を払うよりも前から、それこそ、選ばれなかった事を知ったその時から、そう思っていたのだろう。
割り切る事無く、捨てる事無く、それを選ぶ。いよいよ、全くもって愛が重い。それを自覚しているのかどうか知らないが、この愛の深さは、普通なら絶対に引かれるだろうに。まあ、ここがおとぎ話の町である以上、おとぎ話にしか出てこない愛情だって、あってしかるべきなのかもしれない。
「そう、吾輩はそれで良い。しかし、デイとナイト。この二人についてはそうもいかぬ」
愛に巻き込まない分別。罪と罰と、贖罪に巻き込まないだけの、良識。こうして話をしていると、ヴァンパイアはどうにも吸血鬼らしくない。見た目に関して言えば、どこからどう見ても吸血鬼にしか見えないのに。
「寂しい思いをさせたし、楽しい事もさせる事が出来なかった」
寂しいし、楽しくない。
そういう生活を、僕は知っている。何も言われなくても、この家を見ていれば何となく僕は、共感を覚える。
「しかし、娘を救えるのは人間だけだ。この町においてそんな力をもっているのは、人間しかいないのだから。そして、それを任せる事が出来るのは、君を置いて他に居る筈がない」
二人の娘と同じく、僕もまた彼の息子なのだから。
「そして、君は彼女の息子なのだから」
「………僕が誰の息子であっても、それは僕の人格を保証してはくれませんよ。何よりも僕は、その両親に育てられたわけじゃあ、ない」
一人で大きくなったわけではないけれど、誰かに育てられたと言えるほど、僕が両親だと思っていた人たちとの関係だって深くは無かった。僕が誰の子供であったとしても、例えばたぬきおばさんの子供であり、大天狗先生の子供であり、ヴァンパイアの子供であったとしても、そんなことであれこれ言われたくない。
一緒に居なかった事に関して文句を言うつもりはないが、一緒に居なかったくせに勝手に僕の人格を保証されるのは、筋違いだ。僕は自分を人格者だとは思っていないし、少なくともそう言う風に育てられたとも思えない。
「勿論だ」
ヴァンパイアは言った。
「勿論だとも。だからこそ、今なのだ。君がこの町へやって来た時では無く、十分に見て、知った後なのだよ、アキナ。きっと、デイも言っただろう。君の事を好きになるくらいは、君の事を知っている。吾輩も、ナイトも同じことだ。君の事を知っている、好きになって、君のような子が吾輩の息子であって嬉しいと思い、吾輩の娘を預ける事が出来ると思っている」
「僕の何を知っているんだ、そんなの、見ているだけで」
「見ているだけで分かるさ。見ているだけで、いくらでも分かった。君がこの町へきて出会った全ての存在に分け隔てない事も、悪意に対して立ち向かう事が出来る人間であることも、家族に愛情を注ぐ事が出来る人間であることも、私には分かっている」
悪意に立ち向かうなんて、した事は無かったと思うけど。まあ、そんなことまで見て分かってしまうのだとしたら、吸血鬼の観察眼、恐るべし。
「結局、そう言う理由で婚約者が出来たという事ですか?」
「そうだ。だからこそ、こうして正式な場で言っておこうと思う」
頭を下げて、ヴァンパイアは言った。
「娘達をよろしく頼む」
そんな、とことんまで似合わない事をされてしまえば、僕も断る事は出来ない。即座に結婚と言われれば、それはお断りするけれど。それでも、寂しい人間の寂さは、僕も知っているのだから。
「お前はそれでいいのかよ、ナイト?」
まあ、一応確認しておこう。この流れでもしも嫌だと言われたら、僕が恰好悪いことこの上ないのだが。
「もちろん」
考えてみれば、この夜ナイトと初めて顔を合わせてから初めて見る、満面の笑顔で、そして正直言って非常に魅力的な表情を浮かべて、ナイトは言った。
「返品は不可能じゃからな、アキナ?」