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ドラキュラナイト/メモリー(4)

 既にもう結果の出てしまった事。

 結局これまでわたしが語って来た事は、全てそういう事になる。何を言っても、何を論じても、今更その時の何かを変える事が出来るわけでもない。反省を後に活かすと言った所で、本来そういった機会はそもそも一度しか与えられないものだ。

 人生とはそういうものだ。どうしようもない失敗というものは取り戻せないし、重大な決断を下した後でそれが徒労であったとしても、それはもう仕方のない結果として残ってしまっている。

 殺して、切り捨てたもの。

 あの時はああするしかないと思い、実際そのつもりで全て飲み込んでいた。私も彼も、それで後ろ指を指されてもそれは仕方がない事だと考えていた。

 そう。

 穏やかな平穏の中に、彼の姿は無かった。家族を殺し、殺しつくした結果、彼にも数多くのやるべき事が生まれ、彼は結果的に私達と顔を合わせる事が無くなってしまった。

 溺愛していた妹だって、彼は殺して見せた。その決意がどれ程のものか、考えるだけ恐ろしくなる。

 赤ん坊のキツネを抱いた彼女に迎えられた時、全て理解した。仙人会なんてものはそもそも、大した問題では無かった。仙人会を切り捨てた所で、そんな事は、この町において最も分かり易いものを切り捨てただけの事だったのだ。

 どうにも、こうにも、自分たちが世界を動かす事が出来るのだと、そんな勘違いをしていたのではないかと疑いたくなるくらいの徒労感だ。無駄と知りつつやっていたのならともかく、可能性を信じてやっていたのならまだしも、私たちはそれが全てであると信じていたのだ。

 いっそ有体に言ってしまえば、完璧にこなしたはずのテスト勉強が、実はテスト範囲を間違えていた位の、それほどの肩透かしだった。そしてやはり、それはテスト範囲を間違えた自分が、その自分だけが悪い。誰かに責任を押し付ける事は出来ず、誰かに責任を肩代わりしてもらう事も出来ない。

 どうしようもなく、どうしようもない。あまりにもあんまりな、運命とでも言うべきものを前にしてしまえば、結局個人は膝を折るしかない。運命にあらが王なんてものは、個人ではなく集団か、あるいは怪物だ。

 諦めたと言われるだろうか。私のその時の決断と選択は、もちろんそれで万事解決する物では無かったし、何よりも善人が幸せになれる選択でも無かった。そんな事は、誰よりも、誰に言われるまでも無く私が理解している。

 恨まれる事も、憎まれる事も、忘れ去られてしまう事も、何もかもその時にならなくても私にはわかった。用事から帰って、出迎えた彼女の腕の中で眠る赤ん坊のキツネを見たその瞬間に、私は全て理解し、全ての未来を予測していたとすら、言えるだろう。事実、その後になって考えた事は、全て確認作業のようなものだった。

 赤ん坊のキツネを育てると言ったのは彼女だった。

 私はそれに反対する事は無かった。おそらくその時私がそれに反対して、キツネを狩りに育てることが無かったとしたら、キツネの代わりに別の赤ん坊がやって来たのだろう。例えば、迷子の子猫がやって来たのかもしれない。

 それはもはや、町の意思だった。この町は、赤ん坊が生まれた時点で彼女を人でない別物に塗り替えることを決めていたのだ。私が仙人会の後継として、外からやってくる人間を選定する権利を手に入れた所で、そんな事には関係なく、彼女は人間ではなくなる。

 人間で無くなることで、多くのものを失う。私がすでに人間としての顔を失ったように、記憶の多くを失ったように、彼女もそれと同じだけのものを失う事になる。

 既に、選択肢は無い。最初から選択肢は無かった。子供を殺す事が出来なかった時点で、今ここに居る彼女は形を変えて行く事は決まっていた。そんな事は、最初から最後まで、私が彼を裏切ったその時から決まっていたのだ。何をどうした所で、何をどう切り捨てたとしても、私が彼を裏切った事が何よりもどんな事よりも重要で決定的だった。それさえなければ、もしかしたらどうにかなったのかもしれないというのに、それがあったせいで、何もどうにもならなくなってしまった。

 いっそ、その意味で考えれば、私たちは出会うべきでは無かったのだ。

 彼女に出会った瞬間から、私は彼女に心を奪われていたのだから。だから、出会ったその時から、私が彼に限らず彼女以外の全てを裏切る事は決まっていた。覆す事は出来ない事実だ。出会ったその時の衝撃、鮮烈な印象は、そのどうしようもなさを、今も私に伝えてくれる。


 出産に立ち会ったのは、産婆のコウノトリ婆さんだった。

 出産そのものは問題なく進み、私はその間キツネを抱いていた。

 私にとってその時キツネはどうしようもなく可愛いわが子だった。キツネを抱いて、彼女は良く言った。

「この娘は、きっとお腹の子供の良いお姉さんになるわ。生まれた時期はあまり変わらないだろうけれど、それでも、女の子はそういうものだから」

 私はそれに頷いた。心から、私もそう思った。女の子がどういうものであるかを私は知らなかったが、しかし、彼女がそういうのであれば間違いなくそうなのだ。キツネは、私たちの娘で、お腹に居る子供のお姉さんにはなれないが。

 いつか二人が出会ったとき、きっと二人は仲良くなれる。

 そうならないはずがない。彼女がこんなにも愛情を注いだ二人の子供が、そうならない理由がない。

 恨まれても。

 憎まれても。

 いつかきっと、そんな時が来るだろう。

 生まれた子供は小さかった。生きて行くには足りないくらい、小さく弱い私たちの子供。生まれおちたというのにそれに気が付く事も無く、産声を上げずじっとしている。彼女は必死に生きて欲しいと願い、コウノトリ婆さんも手を尽くした。

 何も出来なかったのは私だけだった。キツネを抱いて、茫然と見守っていた。

 恨まれても、憎まれても、それでもいつかそんな時が来ると思っていたのに。私たちの小さな子供は、その命を私たちの目の前でとり落とそうとしている。あれほどのものを切り捨て、あれほどのものを切り捨てさせた、そんな私の全ての好意がこの結果だという事。もしかしたら、そんな事をしていたから、この結果なのか。

 誰かに助けて欲しいと願っても、私にはそんな相手もいない。

「何をしている、こう言う時こそ、吾輩の出番だろうが―――!」

 そう、私には彼以外に頼る相手が、居ない。

「ヴァンプ、お願いだ。私たちの子供を助けてくれ」

「言うまでも無く、是非もない。吾輩にかかればそんな事は、光を掴むよりも容易い」

 そういった彼は、自分の手首を髪切り、そこから流れ落ちたちを私たちの子供に浴びせかけた。吸血鬼の血を、私たちの子供に与えた。

 あるいは、分け与えたというべきなのか。

「心配はいらん。これしきでは、吸血鬼になど人はならんさ」

 理屈は分からないが、正式な吸血行為を行わない限り、人は吸血鬼にはならないらしい。少なくとも彼はそう説明して、実際に私たちの子供は人間のまま、吸血鬼の血にまみれた状態で産声を上げた。

 吸血鬼の血を与えられたことで、私たちの子供は生きて行くのに十分な強さを、ようやく手に入れた。

 その結果は、三人で一つの家族だった私たちに相応しい結果であったのかもしれない。

 彼女が眠った後、私と彼は二人で外へ出た。いつか誓った時と同じ場所で、星空の下、久しぶりに顔を合わせた親友。そこで私は、彼の一族は、彼と、新しく生まれた吸血鬼しか残っていないことを聞いた。新しく生まれる吸血鬼は、きっと新しい時代の吸血鬼だろうと、彼は言った。

 その辺りの事はわからなかったが、案外、将来同じ歳に生まれた子供たちは私たちの子供と一緒に居るのかもしれないと、そんな理由の無い予感が私にはあった。キツネと、最後の吸血鬼と、私たちの子供。

「両手に花というわけだ」

 私は笑い、彼も笑った。

 そして、私は言った。

「私達の子供を、町の外で育てようと思う」

 その後のやり取りについて、私はいまだにそれを誰かに語りたいとは、思えない。語る事が出来るとは、思えない。私達の主張はどこまでもお互いにすれ違い、殺し合いじみた争いにまで至り、理解し合う事は無かった。

 彼が私を許せない理由を、私は理解できる。

 彼女のために全てを切り捨て、私達の子供のために全てを切り捨てた私が、私達の子供を切り捨てようとしている。どんな考えがあっても、どんな理由があっても、それはきっと許せる事ではない。何よりも、彼はそもそも、そのために自分の家族まで切り捨てたのだから。

 そしてその事以上に、彼は私や彼女のような人生を子供に遅らせることを反対した。私たちが自分を不幸では無く可哀そうなだけだと称した所で、それは所詮不幸な人間がそういっているだけだ、と彼は言った。今になって見れば、それは正しい言葉であったのだと私にもわかる。

 最終的に私が自分の意思を通す事が出来たのは、彼には私を殺す事が出来なかったからだ。

 彼女のために切り捨てるなら、自分の方だ。

 いつかそういった通り、その後彼は私達の前に姿を現す事は無かった。親友と呼びながら、彼から与えられるばかりだった私は、彼に何一つ返すことなく、全てを奪っただけだった。最早、親友を名乗る事は出来ないだろう。

 それが、私なりのけじめだった。

 彼女が眠っている間に、私は、アキナと名付けた子供をコウノトリ婆さんに預けて、町の外に居る彼女の親戚へと託した。そうして、彼女は人間から遠ざかり、町には新しい人間が招かれる。

 季節は巡り、キツネが成長するとともに、彼女は人で無くなって言った。あの日、目を覚ました時から彼女にとっての子供はキツネとなり、その席を奪われた私達の子供は、彼女の記憶の中にすら残らなかった。

 その罪は私一人のもので、もしかしたら初めて私が一人で負った責任であったのかもしれない。この町で育てることも不可能ではないという彼の主張は確かに正当なものではあったが、しかし私には予感があった。

 私達の前にキツネが現れたように、きっと私達の子供の前にも何かが現れるのだろう。避ける事の出来ない、人間であることを否定するための何かが、きっと間違い無く現れる。一つ振り払っても、それはやむ事は無い。

 もしかしたら彼女にとって、私はその一つであったのかもしれない。さらに言えば、彼もまた同じであったのかもしれない。

 

 そして、15年たった。

 15年の間に、いろいろなものが変わり、キツネは美しく成長していた。彼女はもう、以前人間であった事を感じさせないくらい、たぬきでしか無くなっていた。キツネは私達をお父さん、お母さんと呼び、私達は家族だった。

 彼とはあれ以来、顔も合わせていない。

 そうして、私は15年ぶりに私達の子供をこの町に呼び寄せた。ぶしつけで、自分勝手な行為かと思ったが、彼は案外素直にこの町へとやって来た。それは私達と同じく、それ以外に行く場所が無かったからなのだろう。

 アキナの15年を思うと、もしかしたら私のあの時の決断は間違っていたのかもしれないと思う事がある。

 私達と家族になり、ネコを拾い、ツルを救い、彼に出会い、吸血鬼の許嫁まで作ってみせる。彼はそれを当たり前と思っているのだろうが、それは決してそんな事は無い。今までこの町に招かれた多くの人間は、短期間でそこまで多くの存在と関係を結んだ事は無い。

 誰だって、関係は狭くするものだ。人とそれ以外は、どこかで相いれないのだと戦を引き、その例外をつくる。彼女にとっての私がそうであったように、私にとっての彼がそうであったように。

 しかし、アキナは平気な顔をして、例えばアルバイトを始めて見せる。私がそれを見て気が気でない事に、全く気が付く事無く、ネコと戯れ、ツルと買い物をして、キツネと仲良く過ごしている。

 吸血鬼という存在すら、アキナにとってはそれと変わる事は無かった。もしかしたら、アキナにとっての例外が広いだけかとも思ったが、アキナは猿たちとも親しげに言葉を交わし、貧乏神とも物怖じ無く接している。

 これが、新しい時代というものなのだろうか。

 恨み、憎む事が、無かったはずは無いというのに。アキナはそれ以上に世界を愛している。私から見れば、器が広いのか、それとも無頓着なのか、それともただ変わっているだけなのか分からない。

 しかし、アキナの育ってきた状況の上に今はある。

 そんな話を、私はアキナにした。星空の下、暑苦しい夜に二人で屋根の上にあがって、昔語りをした。

「私は良い父親だろうか?」

 私は彼に尋ねた。そんな事は無いと自分で知りながら、もしかしたら私は期待していたのかもしれない。もしかしたら、そんなアキナであれば、私を肯定してくれるのかもしれない、と。

「さあ?」

 彼は言った。

「そういうのは、キツネに聞いてくださいよ。大天狗先生」

 肩を落とした私の肩に手を置いて、さらに言う。

「少なくとも、良い大人であるためには、自分で買ってきたそうめんくらい自分で処理するべきだと思いますよ、僕は。そうしてさえくれれば、まあ、満足です」

 どうやら私は、良い父親になるために、良い大人になる必要があるらしい。



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