ドラキュラナイト/メモリー(3)
僕は選ばなくてはならない。
彼女か、子供か。どちらを切り捨て、どちらを守り抜くのか。彼女自身か、彼女の意思か。彼女は間違いなく子供を選ぶだろう。しかし、その選択に僕は従う事が出来ない。僕は、結局自分自身のためにしか何かを切り捨てる事が出来ないのだから。そんなだから、彼女のために親友を切り捨てることしか、考えなかったのだ。
12人の仙人、僕を除いた仙人会の老人たちは言った。
「選択せよ」
「子供か、女か」
「この町に人間は二人要らない」
「鬼人戦争の再来は避けねばならぬ」
「童子切か」
「女を落すか」
「天狗に堕せば問題は無い」
「切り捨てる事は得意だろう」
「双方同じく切り捨てる事が貴様のやり方だったか」
「決断せよ」
「切断せよ」
「災いを断て」
口々に、よくもまあ好き勝手に言ってくれるものだと思い、しかしそれが彼らである事を思い知らされた。よりにもよって、彼らを頼ろうとした事が間違いだったのだ。彼らの役割はこの町を守ることであって、この町へやってくる人間を守る事ではない。人間には変わりがいるし、人間が死んでもそれはそんなものが足りであったという事に過ぎない。
その末席に加わりながら、僕はつくづくあまい考えだった。
帰り道、僕の腰には二振りの刀があった。一振りは、この町の人間が持つ守り刀、鬼丸。もう一振りは、仙人会に渡された童子切。
僕たちの子供を、殺す刀。僕が、僕がこの手で殺さなければならない。
しかしそれが選ぶという事で、それが僕の繰り返してきた事だ。残っているものは、ただそれを切り捨てなければならない事が無かったというだけで、きっと僕はもう覚えていないときだって何かを切り捨てていた。ただ今回は、僕が僕の手で切り捨てなければならないというだけ。
出来るのかと聞かれれば、僕はそれが出来るだろう。きっと人間だった頃から、必要ならばそれが出来る人間だった。その必要が無かっただけで、こうして必要になってしまえば、結局、迷っている振りをしているだけだ。
ヴァンプの活動時間外に済ませてしまおう。そんな事を考えている自分に心底嫌気がさしてきたが、しかし僕にはこれ以外の方法は無い。そうするしかないのであれば、迅速に、かつスムーズに済ませよう。
「出雲」
夕日が落ちない時間、本来彼が出歩くような状況ではないはずなのに、彼はそこで声を掛けた。後ろめたい事を考えているときに声を掛けられると、こんなにもばつが悪いものなのだろうか。
まともに彼の顔を見ることすらできない。
「その腰にある刀はどうした?」
「………」
子供を殺すためなんて、そんな事は言えないだろう。
「お前はいつまで切り捨てるつもりだ。選択肢は無限に広がっているというのに、なぜ大切なものを切り捨てようとしているんだ?」
「お前だって、お前だって言ったじゃないか、ヴァンプ。彼女のためなら」
「彼女のためなら、自分も、お前も切り捨てる」
これは同じ事だ。彼だってきっとそうすると、僕は思っていた。いや、もしかしたら誰だってそうするしかないとまで、僕は思っていた。
「だが」
彼は言った。
「だが、切り捨てるものにだって順番はある。俺は自分やお前を切り捨てるよりも前に、別のものを切り捨てるだろう」
「そうは言っても」
情けない声だ。我ながらどうしようもない。切り捨てる事ばかりしていたのは、結局、選ぶ事を避けてきただけの事だった。自分が傷つかないために、何かを選ぶよりも以前に全て決めていた。だから、彼女の事にしたって、彼女以外の全てを切り捨てることを決めていたのだ。
自分の事も、親友の事も、彼女のために切り捨てるなんて。そう言っているのは綺麗だが、僕のその決断は何一つ綺麗ではない。
「こんな物、俺達には必要ではない」
僕の腰にあった童子切を、彼はそう言って取り上げて、そのまま握りつぶす。まだ夕方で、むしろ彼はこの時間、力が弱まるどころか命を削ってすらいるはずなのに、僕なんかよりもずっと力強い。
その心の揺ぎ無さは、僕には無い。彼は何かを選ぶ事が出来る人間で、僕はそう言う所に憧れた。彼のそう言う所は、彼女にだってないものだ。
僕は何も選ばない、彼女は全てを抱えて行こうとする、そして彼は選ぶ意思を持つ。
「お前にはこれを渡そう」
握り壊した童子切の代わりに、どこから取り出したのか、一振りの刀を僕の手に押し付けて、彼は僕の腰に会った鬼丸を抜き取った。
「仙人会は、お前が手を下せなかったとしても間違いなく次の手を打つだろう。次の一手までは、俺にも予測できる」
そう言った彼の顔は、どこまでもまっすぐで、これからやる事に対して何を感じているのか、それを伺わせなかった。
「俺の家族は俺がどうにかしよう」
どうにか、とは、どういう意味なのか。
「お前は仙人会を斬り伏せろ。出来ないとは言わせない、彼女のためにその覚悟が無かったなど、この俺が言わせない。そうだろう、出雲?」
僕は頷いた。
切り捨てる事は、得意だ。
「仙人会を断ち切れば、少なくとも彼女に対して、彼女と子供に対して害をなそうという連中はいなくなる。勿論、この町の性質上それで全てが無くなるわけではないが、しかし、仙人会はどうあっても俺たちの味方にはならないし、敵でなくなる事も無い」
僕は頷いた。
「この刀は……」
彼は言った。
「化け物を切り伏せた刀、だ。青江。これがあればまあ、仙人会程度どうにでもあるだろう」
「こんな物、一体どこで手に入れたんだ?」
僕がそう聞くと、彼は肩を竦めて答えた。
「さあな、どうにも分からん。案外、必要とするものがいれば、そこに現れるのかもしれん」
何せ、この町に住むもの全てに対する天敵だ。こんなものがこうしてこんな所に実在していることそのものがどうかしている。無造作に手渡されたことで何も感じなかったが、こんなものは仙人会辺りが管理しているものだと思っていた。
まあいいさ。こうしてここにあるというのなら、何かが僕に味方しているという事だ。切り捨てるものを選ぶのも、たまには悪くない。
「行くか」
「ああ」
そうして、僕と彼は出顔を合わせたその場所で、再びお互いに来た道へ向き直った。僕は仙人会へ、彼は自分の家へ。
12の仙人と戦う事になると考えれば、僕の方が荷は重いと言えるのかもしれない。しかし、彼も可愛がっている妹を含めた家族を説得するのだとしたら、文句を言うわけにもいかないだろう。
溺愛ぶりを考えれば、案外彼の方こそ大変な事をしようとしているのかもしれない。
「こんな事を言うのは趣味じゃないが――――」
背を向けたまま、彼は言った。
「死ぬなよ、出雲」
僕は頷いて、そして。
「そしてそれを選ぶというわけか、若き天狗」
「自分らしくないとは思わないのか」
「童子切を折ったか」
「予想の範囲内だ」
「所詮、われわれと同じ世界を共有するには至らないか」
「貴様の切り捨てる生き方は、我らの一員として申し分なかった」
「この町を守る気は無いか」
「そこまであの女に執着するか」
「それともあの吸血鬼に誑かされただけか」
「いずれにせよ次に動かすのは吸血鬼」
「あの吸血鬼も処分せねばなるまい」
「不良部品は交換しなくては」
まあ、例によって例のごとく、好き勝手言ってくれる。彼らの立場からしたら、それも当然なのだろうが、ほんの一時とは言え、その末席に加わっていた事が悲しくなるくらい、小さい連中だ。
この町がどうとか、もうそんな事は僕にとってどうだっていい事だ。
「良いさ、あんた達老人と何を喋った所でかみ合う事は無いだろう。僕はもう、あんた達の末席に居た時の僕じゃない。選んでやるさ、誰に迷惑を掛けた所で、本当に大切なものは決まっている」
彼女を守る、生まれてくる子供を守る。それ以外の何だって、僕は切り捨てる事が出来る。彼女も、子供も、欲張って両方守ってやる。
「あんたらは邪魔だ。今、ここで死ね」
結果に関しては言うまでもない。
今ここで、こうしている僕が要る以上、それはつまり僕が12人の仙人全てを切り捨てた事を示している。
僕にとってはどうでもいいことだが、この日僕と仙人たちとの戦いは、仙人大戦と呼ばれ、それに勝ち残ったことで僕は大天狗と呼ばれるようになった。せいぜい、僕にとっては自分の名前が少し偉そうになって、仙人会が担っていた招かれる人間の選定という役割をそれから一人でする事になっただけである。
結局この戦いで、僕は肉体的にはともかく、精神的に傷を負う事は無かった。事前にいろいろと言ってはいたが、案外楽な仕事であったのかもしれない。
そして彼は、僕の親友は、その夜自分の家族を皆殺しにした。
その選択に至るまでに彼が何を考え、そして何があったのか。結局その事を聞いた事は無い。何にせよ、僕たちは自分たちのために数多くのものを切り捨てることを決めて、それを実行した。
罪深いと言われればその通りだが、しかし、言わせてもらえるならばこう言いたい。
ここは、そういう世界なのだ。何を言った所で、僕たちがその先彼女と子供、二人を守りながら生きようとすれば仙人会はそれを見過ごす事は無かっただろう。何をしてでも、そのどちらかを、あるいは片方だけでも殺そうとしたはずだ。吸血鬼や、鬼。そういった人を殺すものが、この町には存在しているのだから。
仕方がなかったという言葉で片付けるつもりはないが、まあ、相手は長く行き過ぎた人間の見本のようなものだ、化け物を切って罪に問われる事もない。あるいは、青江の伝承どおり幽霊を切った程度の事だ。
そうしてそのまま数カ月の間、僕たちは僕たち以外の犠牲の上で、穏やかな日々を過ごした。その間に変わって行くものはきっと、どれも形の無いものばかりで、そしてその変わったものが僕たちを大人にしたのだろう。
何かを得るためには何かを差し出さなければならない、なんて。そんな事生きていれば誰だって学ぶことだ。
例えば僕や彼女が、心の痛みを放棄するために全ての選択を放棄して両極端な生き方をしていたように、そのリスクが差しだされたものである事も、ある。彼が僕たちと一緒に生きるために、彼女と、彼女の子供を守るために、家族を全て殺したことだって同じことなのだ。
誰もが代償を払っているようで、ただ一人彼女だけは何も知る事無く、代償を払う事は無かった。僕と彼は、もちろんそれを望んでいたし、そのために代償を払ったつもりだったのだから、僕たちはそんな事を気にしていなかった。
しかし、代償を肩代わりする事は、本当は無理だったのかもしれない。実際、僕たちは代償を肩代わりしたつもりになって、全て丸く収めたつもりになって、彼女がなにも支払っていない事に気が付かないまま、肩代わりすることが出来ていないことにも気が付かないまま、その最後の平穏を過ごしていた。
いつからか、私は自分の事を私と呼ぶようになり。彼も自分を俺とは呼ばず、吾輩と称するようになった。それで大人になったとは言えないだろうが、少なくとも、わたしたちは子供のままでいるつもりは無かった。
そして、私達の子供が生まれる数週間前。私が外出し、そして彼が眠っている間に、彼女は一人の赤ん坊を拾ってきた。
キツネの赤子。それを見てようやく、私はすでに自分たちがどうしようもない所へきてしまった事を、理解した。