ドラキュラナイト/メモリー(1)
僕の話をしよう。
これは間違いなく、僕たちの話だ。全て過ぎ去ってしまった日々の中、星の輝きよりも遠い所に置き去りになった思い出。良い事も、悪い事も、楽しかった事も、悲しかった事も、全てないまぜになっている。
僕の出自を語っても仕方がないが、しかし気になる人もどこかに居るかもしれない。僕がどこからきて、どんな人生を歩んでいたのか、そんな事を気にする人だって、世の中に一人くらいはいてもらわなければ、僕にだって張り合いがない。触れて回るような事でも、言って楽しい事でも無いが、しかしこれは語っておこう。
僕はどこにでもある普通の家庭で、自分がその家族の一員であるという事を知らずに育った。それが良くあることなのかどうかは、僕にはわからない。誰か統計でも取って見れば、それは分かるのだろう。僕にはその意思がないというだけの事である。
その意思は無いし、それ以上にそんな統計には意味がないと思っている。そんな統計が合った所で、人間が立ち会う事の出来る現実は、所詮自分だけのものだ。他にどれだけ似たようなものが存在していても、それは慰めにしかならない。あるいは、慰めにもならないことだってあるだろう。そうなれば、いよいよそれは無意味という事になる。
結局、まあ、そんな程度だ。語るべき事はたいして多くないし、あまり過ぎれば不幸自慢のようにもなってしまうだろう。敢えて言えば、僕は幼いころ、両親にどこかへ連れて行ってもらった記憶がない。妹とどこかへ行く両親を見送ってばかりいた記憶がある。あの頃はそれが当たり前で、それこそ、お兄ちゃんだから我慢しなければならない範囲の事であると考えていたが、結局それが、僕が家族では無く他人であったという事実を端的に示している。
同情は大いに受け付ける。しかし、不幸だったとまでは思っていない。せいぜい、僕自身の事は可哀そうだった程度の事だろう。それ以上のものであるとするには、まともに成長しすぎている。致命的な障害を負ってこそ、自分は不幸だったと言えるのではないかと思う。まあ、実際に致命的な障害を負った人間が、自分を不幸であると捉えているかどうかは、僕の知る所ではないし、知りたくもない。
所詮、そんなものだ。子供の頃の境遇なんてものは、穴がいその先に関係ないものだ。トラウマなんて、半分くらいはそう言うどうという事もないものに、あやふやな恐怖を抱いているだけなのではないだろうか。ま、その辺り、偉そうに語る立場で無い事も、また確かなのだが。
何にせよ、僕の語る僕の事情なんてものは、例えば子供が転んですりむいた程度のものだ。可愛そうではあっても、不幸ではない程度。人によっては、可愛そうではなく不幸だと思う人もいるかもしれないが、それはまたそれだろう。僕が語る事の出来る事は、所詮僕の主観でしかない。
その可哀そうだって、この町に来るよりも前の事に過ぎない。多分それは、その期間は、人生における助走にすら当たらない、スタートラインに並ぶまでの事だったのだろう。
そう思えば、やはり、不幸では無かったというわけだ。
そんなこんなで、それなりにいろいろとあった。いろいろあって、あれこれ重ねて、重ねただけ自分の人生が厚くなったわけでは、無いのだろうけれど。底の浅い人間である事だけは、自覚できた。
諦めてきたものは多いし、手放したものはさらに多い。
星空を眺めても、思い返すのは自分のつまらない失敗ばかりで、一体何を残す事が出来たのかを考えれば、失ったものを残したかったと思うばかり。本当に大切なものは、失って分かる。そんなのは、ただの泣き言に過ぎない。
繰り返して、繰り返した。
積み重ねて、積み重ねた。
それでも何一つ積みあがる事無く、ただ薄まって行く密度とともに、僕は少しずつ自分が人間から遠ざかって行く事を感じていた。人間であった事が遠ざかったのではなく、自分が遠ざかっている事を認識しながら、もはやその時には何も出来る事は無かった。僕自身に、どうにかしようという意思がなかった。
人間では無くなった。
頭からつま先まで、何から何まで、自分自身の全てがこの町の住人となり、自分であったものが全て失われたのだろう。後悔を残すことも無く、辛かった事はただの過去になった。自分の過去に対して、不幸では無く可哀そうなんて表現が出来るようになったのはそのおかげだ。
それだけは、良かった。
過去に囚われる事無く、自分を見つめる事が出来るようになった。そしてやはり、僕は僕自身が不幸では無かったという結論へと至る。今日も、明日も、毎日、毎日、思い返す過去を重ねて、それは不幸ではないと断じる。
人間ではない。
人間ではない。
きっといつか、自分が人間であったという事実そのものもまた失われるのだろう。もしかしたら、と、思う事がある。この町の住人は全て、人間のなれの果てなのではないだろうか、と。人間でいる事が嫌になって、別の何かを演じているだけなのかもしれない。
まあ、正確な所は誰にも分からないだろう。
この世界に、神はいないのだ。その髪が居た所で、それがもともと人間であったという可能性を否定する事は出来ないし、元が人間であったなら、その髪を信頼することも難しい。元が人間でありながら、全知全能に至る事は出来ない。清濁併せ持ってこその人間が、そのどちらであっても、完全に捨て去る事は出来ないのだから。
僕が僕の過去を失う事があっても、僕が僕の過去を忘れ去ることがあっても、僕は僕の過去を捨てる事だけは出来ない。それはどこまで行っても、僕を形作る一部として、僕と共にあり続ける。
大変わりをして、僕の次の人間がこの町へやって来た時、僕は彼女の人生がどんなものであったのか、興味を持った。この町へやってくる人間は、仙人会の老人どもが選定しているが、その基準を聞いた事は無かった。僕自身、仙人会の末席とは言えそこに名を連ねておきながら、それを知らないのは、若いからこそ軽視されていたからである。
世の中、そんなものだ。この町に限らず、人間の居る所ならばどこでだってあるだろう。軽視するものと、されるもの。
まあ良いさ。きっと誰もが通る道だろう。
僕の事よりも、彼女の事。
過去よりもこれからの事。
彼女の名前は、秋野モミジという。どこかできいたような名前だと思うが、まあ、以前人間だった時聞いた事があるのだろう。今となっては思い出す事も出来ないが、秋野という名前がそう珍しいものでも無いという事に過ぎない。
彼女はどんな人生を歩んできたのだろうか。僕のこの感情は、ただの野次馬根性なのだろうか。自分と同じような、自分よりも可哀そうな人間を見つけようという、下劣な欲求を抱いているのだろうか。
良く分からない。僕が何よりも分からないのは、自分自身の事だ。他人の事の方がよほど分かりやすい事だと、常々思っている。
彼女の人生は、つまり僕の言うスタートラインにつくまでの期間、この町へ来るまでの間、僕のそれと大して変わるものでは無かった。似たような人間を集めているのかもしれない。そもそも、考えてみれば、一人の人間がある機関から神隠しにあったかのように消息を絶つ事を考えれば、そうなるのかもしれない。
惜しまれない人間でなければ、連絡の一つくらいとるものだ。僕がそうであったように、彼女もまたそうなのだろう。
僕はそう思って、彼女と過ごしていた。僕が彼女と共に過ごす事になったのは、半分は偶然だった。つまりきっかけは偶然だったのだが、それ以降の流れは僕が自発的に動いた結果という事だ。元人間で、人間で無くなって間もないからこそ、僕にはある程度の自由が与えられる。
彼女は、僕と同じような人生を歩んだとは思えない人格形成だった。何がどう違ったから、そうなったのかは、皆目見当が付かない。もしかしたら、何一つ違う事無く、ただ自然にそうなったのかもしれない。
そもそも、人の人格形成に公式なんてものは無いのだ。何があったからこうなるとか、あれがあったからこうなったとか、そんな事は所詮後付けの結果論に過ぎず、前もってわかっていることなんてない。同じ経験をした所で、そこから得る印象も、教訓も、違って当たり前なのではないだろうか。見ている世界だって、同じであるという保証はどこにもありなどしないのだから。
何にせよ、彼女と僕は同じような人生を歩みながら、全く別の人間だった。時代が違ったと言えばそれまでだが、しかし、自害が違えども同じ人間が暮らしているのであれば、そんな事はつまらない違いでしかないだろう。せいぜい、テレビの番組が多少違う程度。それにしたって、僕と彼女の時間の差を考慮すればほとんど同じ事だ。ほんの数年で、社会構造が大きく変化するとは思えないし、その変化はこの町にも少なからず波及する。
この町は、人の見る夢のようなものだ。人間社会の影響を受けないわけがないし、影響が無い程度の違いでは人は変わったという事が出来ないだろう。
僕が何かを切り捨て、捨て去って行く人間だった事と同じように、彼女は何もかもを抱えて、それを全て自分の身の回りにおいておけると信じてやまない人間だった。
話を聞けば、何一つ僕と同じ人間であるとは思えない。
傍で見ていると、何が僕と同じであったのか分からなくなる。
僕はそれを、羨ましいと思ったのだろうか。日を追うごとに薄まって行く自己という存在を前にして、僕は自分の心をつかむことすらままならない。情けない話、もてあましている。
自問自答した所で、答えは日々自分の中から失われてゆく。人から遠ざかり、僕は僕である事を失って行く。
僕は何を想い、彼女に対して何を思っているのか。積み重ねた日常に、僕は一体どんな意味を見出しているのだろう。
全てを抱えたまま進んで行こうとする彼女の姿勢は、無茶で無謀で、所詮どこまで行っても無理な事だ。抱えて行けないものを抱えたまま進んで行けば、いつかどこかで進む事は出来なくなる。言って聞くような人間ではないが、いつかその時が来るのだという事は、僕にとってはどこまでも明らかだった。
自己が薄れて行くにつれて、彼女の破滅は鮮明になって行く。
どうにもならないその歩みを進める彼女を、僕が支えているのはなぜだろうか。それが僕でなくてはならない理由なんて、どこにも無いというのに。一体何をしているのだろうか。もともと人間であった義美なのか、同じような境遇を生きてなお正反対の生き方をする人間に希望を見出しているのか。
無責任で、勝手な話だ。彼女もそうだが、それ以上に僕自身があまりにも無責任だ。破滅が迫っている事はどこまでも明らかで、支えようが何をしようが、彼女を止めるか、彼女の抱えているものを捨てさせるかしない限り、それは避ける事が出来ない。
僕は、一体何をやっているのだろう。
僕は、一体何のためにやっているのだろう。
無意味で、無価値で、無理な事をしているだけ。それをそうと知りながら重ねる事は、欺瞞で、罪悪だ。彼女の事すら欺き、騙している。僕が破滅に導いているようなもので、僕が導こうとしているのはきっと、より大きく深い破滅なのだ。
どうして、どうして。
悪意も無くそんな事をするのだろうか。
彼女は言う。
「そんな物、私のために決まっているじゃない。だって―――――」
ああ、そうだ。そんな事は最初から分かっている。しかし僕が知りたいのは、僕が自分の中で掴みたい事は、そのうえで何故と、そう言っているのに。彼女のためで、彼女のため以外には無いけれど、しかしその彼女のために何かをするという事の根源にあるものを、僕は知りたい。
それはきっと。本当はどこまでも明らかなものだ。捨てた事は、無かったのだろう。捨てることも何も、初めて抱いたものなのだろう。これは、憧れでは無いと僕は知っている。憧れとは、もっと別な感情であるという事を、身をもって実感しているのだから。
簡単で単純で、どこまでも明確に、僕はきっとそれを言葉にできる。
僕は彼女に恋をしている。
僕の親友と同じように、僕の親友が彼女に対して抱いている気持ちと同じくらい、彼女を愛している。彼女のために何でもできるのは、きっとだからなのだろう。彼女を愛していて、大切に思っていて、喜んでもらいたいから。
だから。そのためなら、それ以外のどんなものだって切り捨てる事が出来る。
世界を敵に回したって、かまわない。親友と僕と、誰よりも彼女がいれば、僕は何にだって立ち向かう事が出来る。僕が導く、より大きく深い破滅にだって、立ち向かう事が出来るだろう。
彼女のためならば、僕は死ねる。
これが恋で、それが愛だ。
僕は言う。
「確かにそんな物は決まっているのかもしれないね、僕たちは――――」
恋をしていると、彼女に言う事は無いだろう。僕も、僕の親友も、それを告げる意味と、その先にあるどうしようもないものを知っている。彼女を手に入れることで彼女を永遠に失うのであれば、僕たちは彼女をただ守っているだけで良いのだから。
「僕たちは、家族なのだから」
彼女は言う。どこまでも明るく、何一つこの先に待っているものは問題でないとでも、言うように。
「わたしと、出雲君と、ヴァンプ。三人で、他には誰もいない家族だから、わたしが二人のために何だってできるように、二人も私のために何だってしてくれる」
傲慢なのか、献身的なのか分からない言葉だった。
家族だから。それは、僕にとってどれだけ救われる言葉だったのか、きっと彼女には分からないだろう。
目の前の天狗が、どれだけ自分に救われたのか、きっと彼女は知らない。でもだからこそ、僕はそんな彼女が愛おしい。