ドラキュラナイト/ヴァンパイア(4)
例えば、自分の人生における最も理不尽な出来事。納得できるはずの無い不幸を見舞う意思決定を、誰かが成したのだとしたら。そしてそれは、その誰かの独断でしか無かったとしたら。
僕はそれを許す事が出来るだろうか。
「そう。君はそれを何一つ構う事は無いのだとふるまっている。しかし、本当にそれは、君にとってその程度の事であったろうか。君は君が育った環境について何一つ思う所がないと言い得るだろうか。言うまでもない。言われるまでも無く、そうではないだろう。君がどこまで思っているか知らないが、大天狗を恨めしく思わないわけではないだろう?」
吸血鬼、ドラキュラ・ザ・ヴァンパイアはそう言った。
許すとか、許さないとか。そんな話ではないのだと言った所で、この吸血鬼が納得する事は無いだろう。そもそも、そんなもの言いは、この吸血鬼の問いかけに対して詭弁でしかない。問題は、許せるか許せないかでしかない。
許さないという選択肢は、そもそも存在していないのだろう。
例えば、自分の人生に置いて得る事の出来なかったもの。本当は僕のものであったはずのものを、自分のものとしている誰か。許すと言った所で、それは本当に許す事の出来るものなのだろうか。
僕は本当に、彼女を許したのだろうか。
「そう。あのキツネの娘に罪は無いと君は言うのだろう。そしてそれは確かに、君の中ではその通りであって、あの娘は君にとって罪の無い被害者のようなものだ。しかし同時に、彼女が繰り返す一生の中で数えきれない罪を犯している事を君は知っている。それは例えば、猿と言う存在を生んだだろう。その存在における罪の全てをあの娘が背負うわけではない。勿論この吾輩も、そのような事を言うつもりはない。しかし、だからと言って罪がないわけではないし、罪が無くなったわけでもない」
キツネ。僕の大切な同居人。僕の両親出会った人たちは、今はもう彼女のものでしかない。僕が生まれた頃から、僕を生んだ人たちは僕のものではないのだ。
その罪がキツネにあるとは言わないし、そこに罪が存在するとさえ思わない。誰にも無い。けれど、妬みや嫉み、恨みと言ったものは、必ずしも罪を必要とはしない。妬んでいないとは言えない。
例えば、自分を大切に思ってくれる誰かが、それを本当に心から思っているのか。この町における僕の立場を考えれば、それこそそれは考えるだけ虚しいものにさえなりかねない。絵にかいた餅をありがたがっているだけであったとしても、それはあり得ない話ではないのだ。
僕は本当に、誰かに愛されているだろうか。
「そう。この町における君の立場は、君が知る以上に不自由だ。何かを望めば――」
何かを強く望めば、それが現実になりかねない。ここは、そういう町なのだから。願いがかなう町ではなく、願いがかなってしまうかもしれない町。望めばかなうのではなく、望むより前にかなってしまう事もあるだろう。都合よくはいかないが、だからこそ余計に都合が悪い。
だって、それは。
「それは、君が得たものは全て君が生み出して知ったものに過ぎないかもしれないのだから」
例えば、家族。
僕がそれを欲しいと思ったから、だから彼らは僕を受け入れたのではないだろうか。そうだとしたら、なんて無様な独り相撲だ。キツネを恨む道理がないなんて言うまでも無く、その権利すら無い。
全部僕が良いようにしてきただけだとしたら、それはただの支配だ。物語を、おとぎ話を紡ぐような、そんなかわいらしい話ではない。
「その立場はあまりにも支配的だ。もしかしたら、自分を愛させてしまったのではないかと思ってしまうほどに。そしてよほど愚鈍でなければ気が付くだろう。それがどこまでも、その可能性を否定できない事である事に」
「言われなくても……」
分かっているし、認識している。分かっていたし、認識もしていた。だけど、それでもこうして面と向かって言われると、やはりそれは簡単なことではない。
僕は、どう答える事が正解なのか、分からない。だって、どこまで行っても僕は他の誰かの心の中まで知る事は出来ない。それを知ろうとすれば、そんな事をしてしまえば、それこそどこまで行っても支配的になってしまう。他人の心まで好きにしようだなんて、それだけは、それだけはやってはいけない事だろう。
けれど、知らないからと言ってそんな事をしていないとは、言いきれない。僕が知らなかっただけで、そうであったとしても。そうであったとしても、そうであったとしても、そうであったとしても。
「そうであったとして、それがどうしたというにゃん」
僕の傍ら、先ほどまで、とにかく吸血鬼の動向を警戒していたネコが、そう言った。まるでどうという事でも無いと、そう言うかのように。
「おれっちを見て、おれっちと一緒に居て、お前は本当にそんな可能性があると考えているのかにゃん、アキナ」
……それは無いな。
ネコに限らず、本当に僕の思うまま、望むままになっている人間なんて一人もいない。誰かに心を痛めることを望むなんて、そんな事は無いのだ。家族を望んだことは事実だけれど、その家族は愛するために、愛されるために欲しただろう。
そうでなくても、そうめん地獄をつくって欲しいなんて、思いもしない。
「それににゃにより、お前の両親がお前の物じゃにゃいにゃんて、その残酷さをお前は忘れたわけじゃあ、にゃいだろう。あの夜の誓いは尊いし、見上げたものだと思うがにゃん。それでもだからって、その事実がどうでも良かったわけじゃにゃい事は、あの日言ったものにゃあ」
そうだ。
ただ、それでもいいと。その選択を、選びとる事が出来ると思ったから。だからそうしているだけで、最初からそれで良かったわけではない。最初からそれで良かったわけが、あるはずない。
「ああ。そうだ、僕は両親が要らなかったわけじゃない。もしもこの町で、何もかも僕の思い通りになるというのなら、きっと、僕は両親を取り戻していたし、そのうえでキツネを悲しませないでいただろう」
それは案外、それが一番良いようにも聞こえるけれど。
そんな事は無い。
「悲しませないというのは最高だけど、きっとそれは仕方がない事なんだ。キツネが悪かったとは言わないし、今でもそんな事は思っていないけれど、何かを得るためには何かを差し出さなければならない」
あの時、大天狗先生は、皆で考えればもっといい考えが浮かぶかもしれないと言った。そうかもしれないと思ったけれど、でもそんな事は無理だ。
だってたぬきおばさんにとっての子供は、キツネなのだから。大天狗先生が知っていたとしても、それだけだ。息子のように思ってもらえても、所詮、息子のように思うだけ。何かのように、その模倣を続けている限り、それは本物にだけはなれない。
「僕は僕のために家族を差し出した。それで永遠に失う事になっても、それは構わない。でも、それを望んだわけじゃない」
「誰かのために、か」
吸血鬼は、何かを思い出すように遠くを見つめていった。
「だとしたら、君はもうそれを取り戻す事は考えていないというのか。世界に二つとない、自分だけの両親を他人に差し出す事を、良しとするのか?」
「他人じゃないよ」
僕は言った。
これまでの会話のどれよりも確信をもって、それは否定できる。
「他人なんかじゃない。キツネも、大天狗先生も、たぬきおばさんも、ネコもツルさんも。僕にとっては家族だ。それだけは、否定させない。誰にも、そんな事はさせない」
家族のためなら、我慢だってできる。
「あんたにだって家族はいるだろう?」
僕がそう言うと、吸血鬼は一瞬苦い顔をしたが、それに頷いた。
「だったら分かるはずだ。家族を悲しませたくないと―――」
「申し訳ないが、吾輩は家族を殺している」
遮るように吸血鬼は言った。
「それも、皆殺しにしているのだよ、出雲アキナ」
それまでの雰囲気が一変し、一気に気温が下がったかのように感じるほどの豹変ぶりに、背筋が凍る思いだった。触れてはいけないものに、触れてしまったのだろうか。
「しかし、君の言う事は分かる。少なくとも、大切な誰かのためであったなら、この吾輩は何だってできるだろう。例えば、愛した女性が望むのなら、吾輩は息子をこの町で育てる事を選んだはずだ。息子が人間で無くなるというのなら、そうさせないために全ての手を尽くし、彼女を傷つけさせなどしない」
その話は、誰のためのものなのか。
「そして息子を傷つけさせはしない」
吸血鬼の声は、それまでの語りかけるものではなく、硬い、誓うような、呪うような声に変わっている。
ドラキュラ・ザ・ヴァンパイア。何が彼をそうさせるのか。それが分からないほど、僕は鈍くない。彼の言っている事が正しいかどうかを別にすれば、言いたい事は明らかだ。
大天狗先生に対する、恨みつらみなのだろう。
まあ、いいさ。知らない話だし、きっとそれは僕に関わりの無い事なのだろう。何よりも、終わってしまっている事なのだ。結果はどうあれ、今の話をするのなら、たぬきおばさんは大天狗先生の奥さんだという以外に言いようがない。
「結局」
そう言って口を挟んだのは、ネコだった。
「結局、噛み合わにゃいぜ、吸血鬼。お前がにゃにを思い、どんにゃ思いで今アキナに話をしていたとしても、そもそもアキナはお前が思っているようにゃ人間ではにゃいし、お前が知っている人間とは別人にゃんだからにゃん。面影を押し付けようとしたところでそんにゃ事に意味がにゃい事くらい、さっさと理解するにゃん」
「………」
吸血鬼はネコの言葉に対して何も言わなかった。その通りだとも、そんな事は無い、とも。肯定も否定もする事無く、何を思っているのか僕にはわからない表情だった。
多分、最初から僕が言うべき事は無かったのだろう。僕は、吸血鬼が僕の母親なる存在に浅からぬ関係があるという事に気が付いた時点から、一体何を言うべきなのか考えていたのだけれど。けれど、そんな事は大きなお世話で、要らない世話だった。
それこそ僕が何を言った所で、訳知り顔で好き勝手語るようなものだったのではないだろうか。
関係のある話ではあっても、所詮関わりの無い話である。
結局、その出会いはその程度で、僕とドラキュラ・ザ・ヴァンパイアの間における出来事はそれで終わった。彼がこっくり荘を訪れる事は、その先永遠に無かったし、僕が知る限り彼は大天狗先生ともたぬきおばさんとも、言葉を交わしていない。あるいはそれは、彼の意地だったのかもしれない。
今回の一件と言うか、この奇妙な海港の中から何か一つ僕が学ぶべき事があったとしたら、それは、何事も気にしすぎるものではないという事だ。例えば吸血鬼が言った、僕と言う存在は支配的になる危険性を孕んでいることだって、そんな物は所詮どうしようもない事だ。
そうでなくたって、何かを願う事は、その思いそのものが何かに働きかけることだ。願っただけでかなってしまう事だって、世の中案外、無い事でもない。願って、行動することを忘れさえしなければ、それで良いのだろう。
そしてそれ以上の事は、そもそも僕には出来ないのだから。
だから、そんな程度。自分すらままならない僕が誰かを支配しているなんて、そんな大それたこと、出来る筈がないのだった。
「それで結局」
帰り道、すっかり暗くなってしまった中で、だしぬけにネコが言った。
「最後の質問には、おれっちが答えたわけだけれど、それ以外についてはどうだったのかにゃん?」
そう言えば、あの吸血鬼もそれにこだわる事は無かった。まあ、前振りのようなものであって、大して意味も無かったのかもしれない。少なくとも、吸血鬼、ドラキュラ・ザ・ヴァンパイアにとっては。
答か。まあ実際、分かり切った事だし、言うまでもない事だ。というか、あまり言いたくない。
ふうむ。まあいいさ。答が出せそうになかった僕を助けてもらった恩返しとでも考えて、この際恥をかいてやろう。
「簡単だよ」
僕は言った。ネコだけしか聞いていないことを確認して、肩をすくめて。
「恨みごととは言わないまでも、言いたいことだってあるだろうよ。でも、生きていればそんな事は当たり前で、皆それを抱えて生きている。僕だってそれと同じだというだけだ」
「普通とは言えにゃい境遇だけどにゃん」
「はあん」
馬鹿な話だ。こんな町に居て、今更普通を語るなんて。
「恨めしかろうが、羨ましかろうが、それ以上に愛してやるさ。それが家族だ。ちっぽけな負の感情なんて、全部飲みこんで愛してやる」
「にゃるほどにゃん」
それが家族というもので、それが愛するという事だろう。
まあ、口に出すと恥ずかしい。けれど僕は、そう思っている。
ドラキュラナイト、1/4完了。
苦しいです評価してください。
次回から13時更新にしてみます。ドラキュラナイト編はまだつづきますが、簡潔まで書いてありますので、そこまでは安定して更新します。