ドラキュラナイト/ヴァンパイア(2)
お昼前にバイトを終えて帰ってきた僕を迎えたのはキツネだった。ツルさんはお昼の準備、ネコはおそらく自室で寝ている事だろう。
「今日のお昼は何かしら、っと」
靴を脱いでこっくり荘の中へと上がる。ここへきてすでに三カ月。
長いというべきか短いというべきか、それはどこに基準を置くかによって変わるだろう。僕のこれまでの人生から考えれば、まだ三カ月と言うべきだ。しかし、ここへ来てからの経験、つまり僕の経験の密度で考えれば、ついに三カ月。
密度高すぎ。濃密すぎる。
あっさりと流されているけれど、僕の両親が狸と天狗であるという、驚愕の事実が明かされたのは、何を隠そうまだ数日前の事であったりする。我ながらあっさりしたものだと思う。
良くも悪くも。あっさりとしているというべきか、冷淡というべきか、淡泊と言うべきなのか。我ながらどうかと思う所も無いではないが、しかしこればかりは、もって生まれた性分のようなものなのではないだろうか。それとも、三つ子の魂百まで、なのか。
まあ良いや。
拘るほどの違いも無い。経験に形作られていようと、環境に形作られていようと、血縁によって形作られていようと、結局、自分とは今ここにいる自分以外には、存在しないのだから。
「今日はそうめんだよ」
そう。
今日はそうめんなのだ。
僕が何を思い悩んだところで、何を考えた所で、何に思いを馳せた所で。僕が何によって形作られていたとしても、所詮その程度。
何をどういったとしても、今日はそうめんだ。僕が生まれたその日から、今日の昼食はそうめんだと決まっていたのだし、昨日もそうめんだったのだし、明日もそうめんなのだ。
いっそ誰か、優しい味のそうめんでも作ればいい。
「そっかー」
相槌も投げやりになろうものだ。
夏休みに入ってからという者、こっくり荘における昼食とは、何をどう隠してもそうめんばかり。何を隠そう、そうめんなのである。
運が良いのも重なれば不運となる事を、僕は身をもって知った。何一つ文字の上では重なっていないのだけれど、しかし現実に、幸運の積み重ねこそが、今この現状をつくっているのだ。
そうめん地獄。
料理してくれるツルさんに対して、失礼になるだろう。これでもなんとか耐えていられるのは、ひとえにツルさんがどうにかこうにか、毎日の食卓に変化をもたせてくれているからだ。
「がんばってね」
何をがんばるんだ?
あー、もう。
もう、思い出したくも無いのだけれど、こうなってしまったからには思い出してしまおう。
そもそも、たぬきおばさんが商店街の福引で、そうめんの詰め合わせを当てた事が始まりである。一夏分のそうめんはそれで十分かなあ、と。そんな話をするくらいの量がそこにはあった。
その次に、ツルさんの実家から、桐の箱に入った高級そうなそうめんが届けられた。高級そうというか、どう見ても高級品であった。量を見ても、まあ、普通のそうめんを食べ飽きたら、これを食べてみようと、そういう程度だった。
さらにその次に、僕がバイト先からそうめんをもらって帰った。まあ、自分で言うのもなんだが、これに関しては許してもらいたい。まさか、あって数日の相手から、しかも目上の人間からの好意をどうして断れるというのか。この分については、すでに消費し終わっている。朝から晩までそうめんを食べた僕の献身であった。まあ、自己責任のようなものだけれど。
そして最後に、大天狗先生が大量に買って帰った。勿論、そうめんを。
もう、一体どういうつもりなのだろう。あのバカ親父。
大好物なのだ、じゃ、ねえだろ。
百歩譲って大好物なのは認めるとしても、量を考えて欲しい。一体何を考えて、そうめん一年分買って来るような暴挙を冒してしまったのだ。保存がきくとは言っても、保存しておく場所には限りがある。湿気の無い場所で無いといけないだろうし。
そういう訳で、僕たちは毎日、大量のそうめんを処理する仕事に従事しているのだ。そうめん奴隷である。そうめんを処理して、新しいそうめんを得る。永久機関が完成してしまったかのような、そんな錯覚すら覚えてしまう。
まあ、そんなものは幻に決まっている。蜃気楼だ。
そんなこんなで、大天狗先生は今、こっくり荘に身の置き場が無いのだった。女性陣にあからさまに嫌がられている。そうめん大魔神という陰口すら立っている。まあ、奥さんが言う分には勝手だ。
居場所の無い大天狗先生は、お風呂に入るときは、わざわざ僕と時間を合わせてくる。僕が邪険にしないからだろう。そして、お風呂の中では、たぬきおばさんの事を陰口ダヌキと呼ぶのだった。
あれだよ、お互い父と息子と呼び合っていないとはいえ、実の息子の前でそんな陰口をたたき合うんじゃねえよ。気不味い。どっちの味方をするわけにもいかないだろう。そもそも、実の親子とはいえ、あってまだ三カ月なのだ。
僕としてはまだ、慎重に距離感を測っているところである。
そんな中で、両親がお互いに陰口をたたき合って、息子としてはどうしたものやら頭を抱えているところだ。目下、僕の癒しは、義理の姉であると判明したキツネだけだ。
大天狗先生と言えば、大好物だ、とか何とかほざいておきながら、昼食はこっくり荘でとっていない。仕事があるとか何とか言って、お弁当をもって言っているのである。信じられない。
そうめんもって行って茹でて食え。
そんなだから陰口叩かれているんだよ。
有言実行ならぬ、有言不実行。まあ、どこへ行っても信用されなそうな言葉だ。
そんなこんなで、そうめん苦行。これを終えても何一つ得るものは無い。最早地獄だよ。来る日も、来る日もそうめんをゆで続けるツルさんの精神も、かなりヤバい。
口元がうっすらと笑っているのを見たときは、背筋が凍りついた。夜な夜な刀を研いでいるとは、ネコからの情報だが、一体何のためにといでいるのだろうか。
流血沙汰は勘弁してほしい。
せめてそうめんをすべて処理させた上で、そうなれば煮るなり焼くなり、斬るなり突くなり、不肖の息子としてすべて許可しよう。
「そうめんはもういやだ………」
「そんな事は言わずに、頑張って」
そりゃあ、油揚げを乗っければすべておいしいとか言っちゃう、お馬鹿舌のキツネはそれで良いだろう。
ここ数日の、そうめん苦行、そうめん地獄。その中において最も戦力となっているのは、僕では無くキツネなのだ。油揚げを乗せるだけで最高の料理と認定して、大した変化の無い毎日の食卓を、一人だけ宮廷料理か何かにトリップする。いろいろとギリギリな感じの、そうめん処理マシーンだ。
余談だが、僕は戦力としては下から二番目。最下位に居るのはネコであり、あいつはこの夏休みが始まってからという者、冷房を取り付けた自室に引きこもり、実にブルジョワジーかつ、堕落を極めた毎日を送っている。羨ましいような、そうなっては終わりのような、そんな感じだ。
そんな生活を送っていれば、どんなに健康な人間でも夏バテになる。夏バテというか、クーラー病。僕も経験があるのだが、一日中クーラーの中にいると、異常なほど食欲が減退する。
仕方が無いので、毎日夕方、暗くなり始めて、多少は涼しくなった時間に、無理やり散歩に連れ出している。それで多少はましだろう。しかし、小食である事には変わりがない。
まあ、ネコの事は置いておこう。
僕が下から二番目。これは別に、僕が男なのに小食であるとか、ダイエットをしているとか、そういう話ではない。たぬきおばさんとツルさんが、たくさん食べるだけだ。
たぬきおばさんの事は置いておこう。話した所で大した話題にもならないし、たくさん食べるドラえもんだと思っていただければそれで良い。それ以上のものでもないし、それだけのものだ。そうめん苦行に疲れ果てると、ポリバケツがそうめんを吸い込んでいるように見えるときがある。自分の母親に対して何て言い草だろうと思うが、その辺りは、そうめん苦行によって心がささくれだっているのだと、そう思っていただきたい。
ツルさんに関しては、一体どこへ消えているのだろうか、そもそもこんなに食べる人は、これまで毎日食べていた夕食の量では到底足りないのではないだろうか。そんな心配をしてしまう位、良く食べる。よく食べて、それでいて苦しそうな顔をしない。その辺りは隠しているだけなのかもしれないけれど、あの細い体のどこに消えているのだろう。不思議だ。いつか調べたい。
それを言ったら、キツネだって同じだけれど。油揚げ一つで狂喜乱舞する彼女は、なんだかそれ以前の話のような気もするのだ。
誕生部プレゼントは、油揚げを送れば鉄板だ。
ま、そんなことしないけれど。しないけれど、実際に送ったら喜びそうで怖い。恐がる事も無いけれど、義理の姉が誕生日に油揚げをもらって大喜びしていたら、僕は嫌だ。勘弁してほしいと思う。狸と天狗で、今のところ手いっぱいなのだから。
なにも思いつかなかったときは、いっそのことそうしてしまうのも悪くないかもしれない。勿論それで時間稼ぎをして、その後改めて一緒に、誕生部プレゼントを選びに行く。悪くない。いやさ、悪くない。問題は、誕生日プレゼントを皆の前で開けてしまった場合、間違いなく大顰蹙を買ってしまう事だ。
大天狗先生の仲間になってしまう。父子で空気を読めないって、もうなんだか救いが無い。
話のついでに、キツネの誕生日は七月二十八日。つまりもうすぐ。何を隠そう僕のアルバイトは、そこを目標としている。日数は少なくても、毎日詰め込んでいるのでそれ名入りの金額には成るだろう。
誕生日。
誕生日なんて。せいぜい自分のものしか覚えていなかったものだけれど。こうして、誰か別の、自分以外の誕生日を大切に思っている。それは、なんだか不思議だ。経験が無かったからなのだろうけれど。
うーん。
なんだかもう、ずっと昔の事のようだけれど、考えてみれば前の家でも誕生日はあったのだ。妹と合同で。ケーキを食べたりしていた。
ちなみに、僕と妹の誕生日には三カ月の開きがあった。僕の誕生日は十月で、妹はその三カ月あと。誕生日パーティーは妹の誕生日に合わせて行われるため、僕は自分の誕生日があった次の年まで、祝ってもらえなかった。いや、そもそも、祝ってもらっていたのだったっけ?
まあいいや。どちらでも、今となっては構わない。構ったところで、仕方が無い。
キツネの誕生日に向けて、それぞれ準備を進めている。誕生日プレゼントに関してめどが立っていない事は、そうめんの次に、僕にとっての悩みの種ではある。しかし、それ以外にもいろいろと考えているので、考えるだけで楽しみだ。
ネコやツルさんも、それぞれ考えているだろう。
大天狗先生とたぬきおばさんだって、考えているだろう。昨年までどうしていたのかは知らないけれど、今年は盛大なパーティーにしようと、画策しているところだ。問題を抱え込んでばかりだったけれど、こうして見るとそれも悪い事では無かった。
周囲に人が増えて、厳密には彼女たちは人間とは言えないのかもしれないけれど、こうしてにぎやかになった。自分が中心であるだなんて、そんな勘違いはしないけれど、それでもこうしてお互いにお互いを祝う事も出来るのだ。
これでそうめんが無ければ、世界は最高だ。
きょうののるまはおわったよ。
という訳で、今日もまた僕たちは無尽蔵に存在するそうめんに対して戦いを挑み、勝利とも敗北ともつかないような、そんな結果に終わった。終わりの見えない戦いが、こんなにも人の心に対して負担を与えるなんて、僕は知らなかった。