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狐の嫁入り(4)

 キツネが出て言った後の部屋で、僕はもう一度空を見上げようと思って、窓の方に近づいた。

「娘はやらんぞ」

「どこから聞いていたんですか、大天狗先生?」

 屋根の上から降ってきた、そんな言葉に、僕はそう答えた。

 本当の父親ではないとしても、本当は僕の父親だとしても、やはり大天狗先生はキツネの父親だった。

「やはり、父親とは呼ばんか」

「今さらでしょう、そんな事」

 僕はそう言ったけれど、大天狗先生の雰囲気は寂しげで、もしかしたら本当にこの人は僕の父親だったのかもしれないと、そう思った。実感はなくても、事実そうだったのかもしれないと思った。

 けれどそれは、その程度でしかない。

 どこまで行っても、僕にとっては実感のない事実であって、実感がなければ、事実だけあっても仕方がないものなのだから。

「父親では無くても、両親では無くても、大切です。両親ではないけれど、家族だと思っていました。今更両親だなんて言われても、今はもうそんな事以上に、二人の事を大切に思っています」

「そうか………」

 亡くしたものはいつか戻るかもしれないけれど、最初からなかったものは、もはや、取り戻すべきものではない。何よりも、すでに別の物が別の形で、その席を埋めてしまっていたのだから。

 二人がキツネにとっての両親になったように、二人は僕にとって両親では無い家族になっているのだから。

「………娘はやらんからな」

「まだ何もしていませんよ」

 僕が苦笑してそう言うと、その瞬間、大天狗先生は僕を屋根の上まで掴みあげて、言った。

「まだとはどういう事だ!?」

 面倒臭いなあ。

「それよりも、本当にそれで良かったのか?」

「何がですか? 娘さんに手を出しても良いのですか?」

「そうではない。誤魔化すな」

 大天狗先生は言った。

「両親がいなくても良いなど、そんな事は嘘で、誤魔化しだろう。キツネが偽らず、騙さず生きる代わりに、お前が偽り、自分を騙していくつもりか?」

「これが嘘だったとしても、嘘から出た真にしますよ」

 そういう言葉もある。

 寂しくないとは言わないし、両親が欲しくなかったわけでもないけれど。しかし、今の僕が満たされている事もまた、真実だ。虚実入り混じるとはいえ、これだって同じことだ。優しい嘘には罪がないとは言えないけれど、混じりけのない真実なんて、本当は世の中に存在しないだろう。

 嘘で偽りだったかもしれないけれど、それでも本当でなかったわけではない。嘘でも偽りでも、それで良いと思ったし、辛くても苦しくても受け入れる事を選んだのだ。

 辛い事は辛いし、苦しい事は苦しいけれど、それでも、キツネが辛くて苦しい思いをするよりも、ずっといい。

「………」

「今の所、僕にはそれで十分です。寂しくなったら、キツネにでも甘えます」

 溜息をついた大天狗先生に、僕はそう言って、屋根を降りた。そして、そんな僕の背中に、大天狗先生は一つだけ言った。

「辛くてさびしくて耐えられなくなったなら、いつでも言いなさい。その時はまた、皆で考えれば、きっと今よりも良い考えが浮かぶだろう」

 僕はそれに何も言わず、お休みなさいとだけ言って、自分の部屋に戻った。

 これから先の事は分からないのだし、来年の話をしたら鬼が出る。まだ来ない苦難に対して恐れを抱いたところで、仕方のない話だろう。いつか僕が本当に、大天狗先生の言う寂しさに耐えられず、自分を騙すことも偽ることもできなくなったとしたら、きっとその時、考えるべき事だ。

「なぜ僕の布団にいる………!」

「さっさと寝るにゃん」

 良く分からないけれど、ネコを追い出す気にならないのは、もしかしたら僕が寂しいからなのだろうか。

 ネコは寂しい人によってくる。

「もういいや、端に寄れよ。入る場所がないだろうが」

 扇風機をつけても暑いのにわざわざ添い寝をしている僕たちは、単なる仲良しなのだろう。それで良いし、今はそれだけで十分だ。考えたってどうせ、答えは出ないのだろう。

 僕だって、自分を偽り、嘘をついていることだってあるのだろうから。

「おやすみ」

「おやすみにゃん」

 しかし、どうなのだろう。

「お前さあ、屋根の上で話をしていたの、聞いていただろ?」

「不味かったかにゃん?」

「いや、そうじゃなくて」

「かなり恥ずかしい事を言っていたにゃあ」

 聞かれていたのは不味かった。

 もしかしたら、この弧狗狸荘の住人全員に聞かれてしまった可能性がある。

「それで、聞いていたらどうかしたのかにゃ?」

「んー、お前は聞いていてどう思ったのかなあと」

 電気を消した部屋の中も、カーテンの隙間から入ってくる星の光で、うっすらとお互いが見える。僕のTシャツを着たネコは僕の方を向いた。

 そう言えばこいつは、僕よりも、暗い中でものが見えるのだったか。

「立派だったにゃん。にゃかにゃか、ああは言えにゃいだろうにゃあ。本当でも嘘でも、そんにゃことはどうだっていいにゃん。お前は宣言して、その通りにしなくちゃにゃらにゃいんだからにゃあ。よっぽど、キツネことが大切にゃんだにゃ」

「なんだよ、嫌味を言いたいのか?」

「そうじゃにゃいにゃん、嫌味を言うほどの頭は猫にはにゃいんだから」

 そっか。

 でもまあ、キツネでなくても、ネコでもツルさんでも、僕は同じ事を言っただろうし、言うだろう。だからたとえ、嫌味であったとしても、それは筋違いだ。あんな事が言えたのは確かにキツネが大切だからなのだろうけれど、大切な誰かのためになら、その事は変わらない。

 口に出してそんな事を言うつもりはないけれど、口に出したりしなくても分かるからこそ、ネコは嫌味で言ったわけではないのかもしれない。

「寂しくにゃったら、おっぱいくらい触っても笑って許してやるにゃん」

「無いものには触れない」

「おい、にゃんてことを言うんだ!」

 ネコはそう言ったけれど、嘘は言えない。

 無い袖は振れないし、無い胸は触れない。

「ああにゃんだ、嘘か」

 酷い事を、言ったか。まあ、苛酷な現実では、あるか。

「だからお前はキツネに甘いのかにゃん?」

「おい。失礼なことを言うな。僕はキツネの乳に惚れたわけじゃないぞ」

「しかしあれは見事だよにゃあ。大きすぎず、小さすぎず、適度に大きいにゃん」

「うむ」

「あのツルが時々キツネの乳を見て寂しそうな顔をしているにゃん」

「まあ、でかくないしな。ツルさんは」

「背丈を考えると、おれっちより重症にゃん」

「お前は明日ツルさんに土下座しておけ、あれはスレンダーというんだ。あと、ひそかに自分を正当化するんじゃない。あの人は少なくともゼロじゃないぞ」

「ふふん、分かっているにゃん、それも嘘だろう?」

 まあ、そんなこんなで、あれだけ大見えを切ってさびしくないと言ったけれど、ネコがこうして傍にいたからこそ、今は寂しくない。

 元迷い猫で、家なし猫。今は飼い猫で、招き猫。

 一番仲良しなのは、こいつなのかもしれない。

 結局僕たちは、日付が変わるまでそんなやり取りを続けて、いつの間にかお互い眠ってしまった。おっぱいには触らなかったけれど、寂しい時に傍にいてくれるのならば、それで十分だ。

 無い袖を触れなくて、無い胸に触れなくても、傍にいてくれれば、それで良い。


 次の日の朝も、変わる事のない朝だった。何を選んでも、いきなり僕の日常が変わってしまう訳ではない。朝が眠たいのは変わらないし、学校へ行くのが億劫なのも変わらない。

「おい、ネコ。自分の部屋で着替えてこい」

「蹴り起こすのはいい加減に止めるにゃん」

「うるさい。僕の服がだんだん減っているのはお前の仕業だろうが。もう、使うなとは言わないから、せめて返せよ」

「うるさいにゃん、新しいのを買ってやるから、もう全部よこすにゃん」

 その新しいのをお前が使えば良いんじゃないのか?

「おはよう、ツルさん」

「おはようございます」

「おはよう、アキナちゃん」

「おはようございます、たぬきおばさん」

 居間へ行って、朝ご飯をつくっているツルさんとたぬきおばさんに挨拶をする。

 おかあさん、か。まあ、実感はわかない。たぬきおばさんも自分が人間であった事は覚えていないそうだし、お互いに実感がないのに、母親と息子も無いだろう。そんなのは今更だし、今更そんなものは、いらない。

「なんだか今日はいつもよりも眠たそうですね、アキナさん?」

「まあね、なんだかんだで何時まで起きてたのかなあ?」

「睡眠は大切ですよ?」

「分かってるよ」

 そんな話をしながらも、ツルさんは手を休める事無くテキパキと作業を続けている。それを見ると、確かにこうなるのを目指すのは大変だろうと思う。この人にとってこういう事は当たり前で、努力以前にそうあったのだろう。別にそれで価値が無くなってしまう訳ではないけれど、僕は、一緒に努力できる相手も好きだ。

「おはよう、アキナ」

「おはよう」

 起きてきたキツネは、昨日までとは違い、悩んでいる様子はなかった。勿論、僕の言った事は、僕のやった事が、根本的な解決であったとは思わない。

 けれど、これから先、僕たちが衝突する困難に、僕たちは手を取り合って立ち向かう事が出来るだろう。お互いに大切に思う事を確認して、僕たちはお互いを失う事が出来なくなったのだから。

 自分以上に大切な誰かのために、僕たちは生きている。

「そうだ」

 良い事を思いついたので、思わず手を叩いてしまった。結果的に、集めるつもりも無かった注目を集めてしまう。

 自分が赤面しているのが分かる。恥ずかしい。

「今度の月曜日、お弁当は僕とキツネが準備するよ」

「そうなのですか?」

「今決めた。キツネも大丈夫?」

「おっけー」

 誰かのために、何かをしたいと願う事は、キツネも僕も同じことだ。お互いにお互いが大切で、それと同じくらい、周りにいる人たちを大切に思っている。ツルさんも、困った顔一つせず受け入れてくれたのはきっと、もうツルさんにとって料理を作る事は、本当に恩返しではなくなったという事なのだろう。

「ですけど、もう次の月曜日は夏休みですよ?」

「なんと」

 それには思い至らなかった。

「では晩御飯を作ろう」

「おっけー」

 そう言えば昨夜。ネコが僕に、女天狗は存在するのだと教えてくれた。

 女天狗が存在していながら、なぜ、僕の母はたぬきになったのかを考えてみれば、そんなのは簡単な事だった。天狗と天狗の間からキツネは生まれないけれど、たぬきと天狗と狐なら、三人合わせてこっくりさんだ。

 多分、母が狸になるよりも先に、僕の両親はキツネと一緒にいたのだろう。

 まあ、こんなのは知らなくてもかまわない事だったのかもしれない。けれど、それを聞いて僕は、やはり昨日の夜、僕がキツネに言った僕の選択は、間違っていなかったのだろうと思った。

 奪われるよりも先に、キツネの方が家族だったという事だ。


 あっと今に、目の前に夏休みが迫っている。こんな町にやってきても、そういう現実は変わらない。

 もしも僕の一学期間の経験が物語だったとしたら、それはなんて起伏のない物語なのだろうか。今時バトル展開も無しに、エンターテイメントは語れないというのに。しかしまあ、本来こういうものだ。そう言えば、ツルさんが帯刀している意味は、結局無かった。意味があっても困る話だし、女子高生に刀はありなので、それで良しとしよう。下手にそんな展開になった所で、物語を紡ぐ所である僕は、到底ついていけないのだから。

 仮に僕が赤ん坊の頃からこのこっくり荘で育っていたら、きっとそういうものを必要とする物語に染まっていただろう。赤ん坊を育てるのは、両親と環境だから。善悪に染まり易いというのなら、その右に出るものはいない。だからこそ、僕はこの町で育たなかった。だからこそ、大天狗先生は僕を町の外で、育てたのだろう。

 案外、桃太郎あたりになってしまっていたのかもしれない。狸から人は生まれないのだから、桃から出てきた事にされて、鬼にでも戦いを挑む。鬼は劇場の存在なのだから、それは子供こそ、生み出し易い。餓鬼なんて言う位なのだし、だからこそ、人として僕に育って欲しいと願った大天狗先生は、この町の外の他人に金を渡してでも、育てさせたのではないだろうか。

 だからこそ僕は、人として生きて、この町にいる。この町での出会いは、人であるからこそだ。だとするのなら、感謝するべきだ。この出会いがなければ、きっと僕は、不幸な奴だったかもしれないから。

 幸か不幸かは別として、それもまた、今となっては過去の話だ。幸も不幸も関わりなく、僕を形作る欠片の一つには、変わりがないのだろう。

 人生にそうそうドラマチックな展開はないし、必要でもない。僕にとっては、同じ屋根の下に暮らしていたキツネ耳の美少女が、冷静に考えると僕の義理の姉だった事の方が、よほど重要だ。少しも姉らしくないけれど、僕は実際、そっちの属性がある。

 妹は、もう、こりごりだ。

 前に住んでいた頃の日常が終わって、この町での新しい日常が始まった。

 迷子の子猫と、恩返しに着た鶴と、弧狗狸一家が、僕の家族になった。

 もしも今この時、一つの物語が終わるなら、同時に新しい物語が始まるのだろう。

 どんな物語も、終わる時が来る。どんなに綺麗な星空も、夜明けとともに太陽に呑まれるように、物語という夢から覚めるときは来る。

 それでも、僕の日常が明日へとつづくように、僕たちの生活が夏休みへと続いて行くように。キツネの過去が跡形もなくなってしまっても、猿という結果が残ったように。僕の目に見えなくても、確かに存在していた物があったように。物語のお終いは、ただ星が見えなくなることと同じで、その世界が僕たちに見える所に無くなってしまうだけの事だ。

 物語は終わる。

 確かに僕は、幸せになった。

 それでも世界は続いて行く。


いろいろと思う所はありますが、ここで一区切りとしたいと思います。続きについては無理しない程度に、書ければ書くつもりです。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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