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こっくり荘へようこそ(1)

 自分のアイデンティティとは一体何を根拠にしているか、考えた事はあるだろうか。結局のところそれは、家庭であり、家族であり、環境であると、僕は考えている。その上で、自分自身のアイデンティティーとは、ひとえに、普通である事だと、そう考えていた。

 秋野アキナとしてのそれが普通であったというのならば、かつて確かにそうであった僕自身。そして今は、出雲アキナという名前に変わり、そのアイデンティティだの、パーソナリティだのは、変化してしまったのだろうか。

 普通。

 漢字にしても大してスペースの省略になる事も無く、むしろ画数が飛躍的に増えるばかりである、この言葉。

 はっきり言って、言われて喜ばれるようなものではない。しかし誰しも、その範囲の中に自分も含まれていると、勝手に自認しているものである。その例に漏れる事無く、僕もまた、そう思っていた。

 学力も、運動も、対人関係も、突出して秀でたものは無かったけれど、そのどれかで躓いた経験も無い。つまりそれが、普通であるという事であると思う。

 しかし、ここで言う普通とは、一体どこからどこまでを普通であるというのだろうか。ただ一点を指す言葉では無く、範囲を指す言葉である事には、同意してもらえるだろう。

 では、その範囲とは。

 そう尋ねると、その答えはいくつもあるだろう。

 もしかすると、無数にあるのかもしれない。

 範囲を示す言葉である以上、その内容も変動するのだろうし、実際その定義はあやふやなものである事が多い。

 例えば、常識の範囲内で、という注釈を付けるとしよう。

 ここで問題になるのは、その中に普通という定義が存在するのか、常識という枠組みが普通である事の枠組みであるのか。常識の範囲内であれば、本当にそれが普通であると言えるのだろうか。

 なーんて。

 こんな議論、全く意味が無いというのが結論として先に出ているというのに、もって回った言い回しをした所で、意味がない。それこそ、スペースの無駄だろう。

 結局、その範囲の外に出たその時にこそ、普通という定義は明らかになる。ああ、普通では無くなったと、そう思った時、一体何が一線であったのかは、明らかだ。

 例えば、今まで自分の本当の両親だと思っていた家族が、実は全く血のつながりの無い家族で、高校入学に当たって急に家を追い出されてしまった時。さすがに、普通である事を自認し続けていた僕も、十五年来の主張を撤回する必要がある事を察した。

 普通じゃない。

 こんなのまったく、普通じゃない。

 説明を要求するにも、赤の他人にそれを求めるのはどうかと思うような、そんなレベルだ。映画の話かと、ドラマの話かと、耳を疑った。まあ、映画でもドラマでも、小説でも無い話で、実際僕は家を出る事になってしまった。そうなると、いい加減現実であると認めるしかない。

 友達にお別れを言う暇も無く、短い春休みの間に、僕は受験勉強を経て入学の決まっていた高校から、入学式を前にして転校してしまうという、そんなウルトラCをかましてしまった。

 でもまあ、こういう事って割とあるらしいよ。

 高校に入学した新しいクラスで、出席番号に欠番があったら、入学前に転校したと思って欲しい。もしかしたら別の事情がある人もいるかもしれないけれど、多分、僕よりも悲惨なパターンだと思うのでそっとしておいてあげて欲しい。

 名字が変わって、住所が変わって、学校が変わって、環境も変わる。

 僕を育ててくれた元両親も、さすがに赤の他人であったとはいえ、それなりの情はあったらしく、引っ越しにかかった費用と、引っ越し先までの交通費は出してもらえた。電車に乗って、一時間と三十分。長いと見るか、それとも短いと見るかは、住んでいる場所によるだろう。田舎に住んでいると、まあ、そんなものかなあ、という程度だ。

 電車に揺られながらこれまでの人生を振り返ってみると、こうして今になって思えば、確かに僕は貰われっ子だったのだろうと、思う事もある。両親と同じ部屋で眠った記憶が無いとか、その他いろいろ。そう言えば、妹であったとはいえ、お下がりを全くしなかった事も、その一つだったのかもしれない。こうして見ると、割とあからさまだ。

 あなたはうちの子じゃない、と。

 言われていたのだろうと、今になって思う。

 妹も、多分知っていたのだろう。思春期特有の行動では説明のつかない、妹の、今となっては他所の娘さんの奇行はそういう事だったのだろう。家庭の中に入り込んだ異物、他人、そういうものに対する態度だったのだろう。

 ………はあ。

 昔は可愛い妹だったんだぜ。

 今となってはもう、妹ですら無いのだけれど。

 今になって急に僕を追い出したのは、少なからず彼女に原因があるのだろう。年頃の娘がいる所に、男を預かるのは不用心だとか、そういう事が理由だとしたら、納得のいく話だ。

 目に入れても痛くないくらい、可愛がっている娘だ。なんの事情か知らないが、高校生になった時点で放り出してしまう程度の愛着しか無かった他人を、近づけたいと思う理由は無い。

 ………泣きそう。

 自分で自分を追いつめている気がする。

 しかし、現実なのだ。

 嫌われていたかもしれないし、愛着が無かったかもしれないし、間違いなく他人だった。

 好かれていたとしても、愛着があったとしても、結局は他人なのだ。

 確かに僕は可愛げのない子供であったのかもしれないと、今になって反省した所で、すべて遅いだろう。今になってこそ、愛されていなかったのだと結論付ける事が出来るけれど、あの頃はただ、お兄ちゃんなのだから、と、そう思っていた。

 勝手に。

 そんなふうに自己完結して、手をかけないようにして、手がかからないようにして、出来るだけ自己完結していた。

 出来るだけ両親と関わらず、手間をかけず、誉めて欲しいとも言わない。馬鹿な子ほどかわいいと言うが、それはつまり、賢いだけの子供はかわいくないという事だろう。子供らしいから、子供はかわいいのだ。

 今の記憶をもって子供のころに戻る。そんな妄想をすることもあるだろう。しかしきっと、そんな事が現実になったとしても、自分の妄想通りには、希望通りにはならない。子供らしさは、抜け落ちて行くものだから。

 捨てるものでも、失うものでもなく、自然と抜け落ちて行く。あるいは、沈んで行く。

 江戸川コナンを見ている時に受けるちぐはぐな印象はそれだし、現実はもっとちぐはぐになる。

 現実なんて、ちぐはぐだから。

 何の因果か他人の子供を預かっていた夫婦も、それに気づかずに子供だと思っていた僕も、こうしてみれば、ちぐはぐだ。

 荷物も、全部合わせても少ない服と、本と、こまごました思い出の品だけだった。しかしそれでも、何一つ残してきたものは無い。帰る場所では無いから、残してくる事は出来なかった。

 何か残っていたら、捨てられるだろう。

 そう思うと、薄っぺらな人生だ。

 これから先が長いと言っても、しかしそれでも十五年。決して短い間であったとはいえないというのに、僕にあるのは少ない荷物と、色褪せるまでも無い、モノクロの思い出ばかり。友達だって、これっきりになってしまってもおかしくないし、多分そうなるだろう。永遠の友情を誓うほど、仲良くした記憶も無い。

 どこに行っても淡白な態度を貫いていたし、面倒な事には首を突っ込まない、金のかかる事はそもそも出来ない。そんな程度で友情を結ぶ事が出来ないのなら、最初からそうであったのかもしれないし、そんなだから結べなかったのかもしれない。

 彼女とかもいなかったし。

 図書室の主とか呼ばれていた。

 でも図書室では、はだしのゲンとブラックジャックばかり読んでいた。なんぱな主様である。そう言えば空想科学読本も愛読していた。

 だからまあ、こうしてそういう人生から切り離された所で、たいして思う所も無かったりもする。そういう意味では、これまでの人生は正解だったのかもしれない。人生に正解も不正解も無いのだろうけれど、敢えて言えば、強いて言えば、正解だろう。少なくとも、何一つ後悔が無い。

 何一つ残していないから、後悔だって残っていない。

 不正解で無い事を正解だというなら、確かにそれは正解なのだ。

 という訳で。

 過去にばかりこだわっても仕方がないし、僕にはこだわるほどの過去も無い。

 覆水盆に返らず、零れたミルクも戻らない。

 したがって、未来に目を向ける事にしよう。未来志向。

 僕がこれから住む場所とか、環境とか。まだ見ぬ未来である。本当の両親と対面する事になるのだろうかと、期待はしていない。しかし、一応心構えだけはしておこうと思う。大豪邸で、本当の両親が待っていたとしても、驚かないようにしよう。

 ちなみに以前いた家も、それなりである。少なくとも中流以上。

 行き先については、あまり知らなかったりもする。電車の窓から見ていれば相当な田舎であることと、そして乗客がだんだんと減っている事も分かる。実際、僕の行き先は終点である。海も見えない山の中、こんな所に本当に高校なんてあるのだろうかと、そう思ってしまう。

 終点。

 山の中。

 不吉なキーワードである。姥捨て山みたいなところに向かっているんじゃないだろうな。電気とか通っているのだろうか。情報化社会から切り離された秘境に放り込まれて、頼る人も無しに生きて行く自信はない。

 人に頼らないようにして生きてはきたけれど、依存せずに生きてきたわけじゃない。何もスラムで泥水を啜って生きてきたアウトローでは無いのだ、普通に自分の生活費を稼いだことも無い。

 まあ、アルバイトは考えないといけないだろう。

 行き先に僕の両親が居て、その人たちが豪邸にでも住んでいない限り、そうするだろうと思う。あっていきなり小遣いを請求できるような人間なら、きっと僕を育てた人たちとも、もっと上手くやれたはずだ。豪邸に住んでいるような両親だったら、アルバイトを許可されないイメージ。

 まあ、勝手なイメージだし、金持ちであるという事も勝手なイメージだ。でもまあ、予想する分には自由だよね。


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