河野裕子先生
ちょっと暗い話にはなってしまうけれど、最近、二人の文芸の巨匠の訃報があった。やはりふれてはおきたい。
河野裕子先生は癌で亡くなった。歌会始めの選者も務め、主要な文学賞もほとんど制覇してきた大御所である。
ところが!私は彼女には悪い印象を持っていた。
斎藤茂吉が営んでいた短歌の団体はアララギという団体だったが名古屋中心の「未来」という団体と「塔」という京都の団体に分かれた。
「未来」は比較的新しい作品を意欲的に作っていたが、京都の「塔」は比較的保守的で、近年も穂村弘さんや林あまりさんといった新しい作品を作る人に厳しかった。
私はそういう保守性にちょっと反感を覚えたのだった。
しかし、河野裕子死去のニュース速報を見た瞬間、へたりこむような感じがした。
上手く表現出来ないが、伝統を守りながら確かに存在している大御所に反発しながら、若い歌人たちは新しい作品を苦しんで生み出していたのだろうか。
河野裕子先生は京大の教授永田和宏先生の妻で夫妻で活躍していた。
永田和宏先生が河野裕子先生に贈った歌に「どう切っても西瓜は三角にしか切れぬあとどれぐらいの家族だろうか」がある。
私はこの歌も保守的と思っていて、内実は知らなかったが、永田和宏先生は河野裕子先生の命が限りが迫っていると分かっていらしたのかと思う。
河野裕子先生、私は反逆児でしたけどご冥福をお祈りいたします。天国から永田和宏先生を見守って差し上げて下さい。