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日本人と文学

震災のことをきっかけに改めて日本人と文学について考えています。震災直後は太宰治のような気持ちでした。

「神様!いるのなら出てきて下さい!」(「ヴィヨンの妻」)



しかし、生き残ったものは何かやるべきことがあって神様に生かされているのかもしれません。(;_;)


以前も書いたことがあるのですが「めでたさも中くらいなりおらが春」と詠んだ一茶。「中くらい」は長野弁では「ちょっくれー」と発音し、かなり劣るという意味と研究されたのは斎藤史でした。


その一茶が愛する子供が亡くなった時に詠んだ句は今の日本人の胸にズーンと響きます。



露の世は露の世ながらさりながら



撫子の何故折れたぞよ折れたぞよ



昨日も書きましたが人間の歴史はずっと悲しみとの闘いだったかもしれません。


あるいは斎藤史の力強い歌。



死の側より照らせばことに輝きてひたくれないの生ならずやも



生きているといろんな悲しみや悩み、苦しみ、争いすらあります。しかし死の世界から生を見れば、生の世界は輝いている。そう史は歌います。史は斎藤劉(正しい字が出ない)将軍の娘で、226事件に巻き込まれ、多くの友人は処刑され、父に連坐して長野に流刑にされ、戦後偉大な文学者として復権しても長野を離れず、悲しい歴史の証言者となりました。



三島由紀夫も第二次大戦とその後の混乱を目撃しました。その死は悲劇的でしたが、「金閣寺」の最後はこんな風です。「一仕事を終え一服した人間が思うように私は思った。生きよう、と」




大乱世ですが生きていきましょう。頑張ろうとか無理に笑おうとかじゃなく悲しみは悲しみとして受け止め、休息をとり、お互いをいたわりながら生きていきましょう。



「いいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ」(「ヴィヨンの妻」)

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