震災記⑤
火曜日は何か原子力発電所を巡る報道などあり、月曜日のどん底の気持ちを引っ張っていました。
しかし、仕事をするため名古屋に行き、地下街のAL ALAVISでシェカラートとクロックムッシュの夕食をとっていると若い女の子が話していました。
「私たちは生まれてからずっと不幸じゃん。阪神大震災。オウム事件。同時多発テロ。今回の地震。ずっと不幸だったから強くなったの。ギャーハハ」
女の子たちは本当に元気で、笑って話しており、私は強い悲しみを感じて店を飛び出しました。
しかし、地下街から地上に上がると若者たちが募金活動をしていました。そのことをミクシィのつぶやきに書き込むとカズマたちが「それは俺の同級生です!」「俺も栄で募金しています!」など書き込みがありました。
またその日、私は戦国時代の英雄が好きという新入生のために「常山紀談」という戦国時代の説話を集めた古典を用意していました。
文学や古典など役に立たないことは理解しつつも、日本の歴史や文学に思いを馳せました。
応仁の乱の時の読み人知らず「汝や知る都は野辺の夕雲雀上がるを見ても落つるは涙」(お前は知っているか?都は焼き尽くされ野となり、夕方には雲雀が空に飛び上がるのだ。それを見ても落ちるのは涙だ。)
この歌を頭では分かっていたつもりでしたが、本当の悲しみ、怒り、慟哭が胸に染みて来ました。こういう破壊と再生を繰り返してきたのが日本の歴史だったのかもしれません。(;_;)
また本当は風流な歌も違う顔を見せて来ました。
八幡太郎義家「吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな」(吹く風をやってくるなと思う勿来の関だが風が吹いてきて、道を所狭しと散る山桜だなあ)
勿来は東北の名所です。「なこそ」とは「くるな」という意味の古語で、桜が美事だから風よ吹くな吹くな、と歌っているのですが、何故か昨日から真冬のような気候で、被災地の人に冷たい風が吹きつけませんようにと祈らずにいられませんでした。(;_;)
あるいは与謝野晶子「漁り火は身も世も無げに瞬きぬ陸は海より悲しきものを」
この歌は親友であると同時に夫の不倫相手だった山川登美子を悼む歌で死後の世界≒海より生きている陸にいろんな悲しみはあるのに、という歌。しかし、この歌も海に消えてゆかれた方々と陸で悲しんでいる私たちのことのように響いて来ます。
私はこの歌を本歌どりして、こう歌いました。「海よりも悲しき陸に住み果てて空に向かってうたう悲歌〔えれぢい〕」(;_;)
でも昨日詠んだ愚詠(自作)を末尾に書いておきます。
「ガーベラを希望を込めて育ててる再び花が地を埋めるまで」