震災記②
2日目、土曜日。
私はもともと低血圧でなかなかスイッチが入らないのですが、コーヒーを飲んで、えいっ!と起きました。
昨日、買ったお寿司をご飯に。
その日は名古屋で仕事の予定でした。この時点で名古屋はどんな状態か分からなかったのですが、名古屋在住の靡けこの山先生が「名古屋は日常の生活」「生き残ったものはやるべき仕事をやるべき」とおっしゃって下さったこともあり、出勤を決意しました。
もう一つ私を勇気づけてくれたことがありました。一日が新しく始まり、ツイッターやソーシャルネットワークサービスなどで、首都圏の友人が無事ということが次々連絡が入ったのです。
ただみんな一様に命は助かったがアクセスが麻痺し、帰宅難民になり職場から日付が変わった後まで、早朝まで歩いて帰ったとのことでした。
助かったことはありがたいと思いつつ、帰宅難民の苦しさなどに思いを馳せるとズーンと沈んだ気持ちになりました。
しかし、東海地方内部では鉄道も動いていました。
この先がデリケートな感性の方を傷つけないか心配です。
名古屋駅で降りた私は別のショックを受けました。
それは名古屋の街は平常、いえ、かえって人出など多いぐらいだったのです。
この頃、まだ少しおかしくなっているのですが、冷静な部分が、「あっ!テレビなどがニュースだからみんな遊びに外出しているんだ!」と察しました。
非常に複雑な気持ちでした。被災地(首都圏も含む)のことを考えると不謹慎な気もする、でも平常心を持つことも大事なのか?この疑問はまだ解決出来ていません。でも例えば食事している若い家族などを見ているとかえって家族、命のありがたみを再認識した輝きみたいなものを放っている感じもしました。
ただ昨日、今日ぐらい富山県のミュージシャンの方が「生き延びて日常生活していることに強い罪悪感がある」と言っていて、「あっ!仲間だ!」と思いました。
そして夕方に仕事(学生に勉強を教えている)している時、大事件が起きました。私のパーチクリン仲間カズマが「みんなでボランティアになって救援に行きたい!(ToT)」と直訴してきたのです。私はそれを一喝しました。
「今回の震災は阪神大震災の時とケタ違いの大災害だ!今、安全なところにいる私たちがうかつに被災地に行ったりするのは二次災害を起こしかねない!私たちは安全なところで命を大事にして、復興の時に働くのに備えるの!」
感情的に叱ったかもしれませんが、この時、言ったことは基本的には間違っていないと今でも思います。
また私は大学の先輩や同級生がテレビ局や新聞社に勤めているので、いろんな意味で、ひ弱な優等生たちが入れるような被災地の状態じゃないと聞いていました。
ただボランティアをやりたいという生徒たちにも涙が出ました。素直で優しい。そんな生徒たちだから危険にさらすことは耐えられなかったのです。エゴイズムでもあり、ある意味、罪深いです。
その日は大垣に帰ったのは深夜でした。疲れました。(*_*)