初恋の再会
最近、いろんな名作が新訳されている。その中、私の青春?の愛読書「トニオ・クレエゲル」「ヴェネツィアに死す」「マリオと魔術師」などの新訳が出たので早速購入して読んだのだが、衝撃を受けた。
特に「トニオ・クレエゲル」には人生規模で影響を受けている。文学観の面などでも。
しかし、それが悪いこととも思わない。
それほど圧倒的な傑作に出会い、魅力され、そういう読書体験を持てたことは幸福だと思う。
今の時代に合っているのかな?と思うが、訳がイカしている。
「誰よりも深く愛してしまった者は敗者であり、苦しまなければならない」(トニオ14歳。(-.-;)ちなみに愛したのは金髪の美少年ハンス(・ω・;)(;・ω・))
「文学は天職なんかじゃない。呪いなんだよ」
「僕は人生を愛している。これはいわば告白だ」
「僕が愛しているのは明るく陽気で生き生きとして幸せな、愛すべき平凡な人たちなのだ」
「ここには憧れと憂鬱な羨望とほんの少しの軽蔑とこの上なく清らかな幸福感があるのだから」
すごいな。オールドマスターズは。
三島由紀夫、吉行淳之介、北杜夫、辻邦生らはトーマス・マンを熱狂的に読み、影響下に置かれた。偉大な文学とはそういう尊敬のエネルギーである。
そういうものがない人は気の毒に思う。
新訳はまた新しい可能性も気づかせてくれる。
「ヴェネツィアに死す」はルキノ・ヴィスコンティの映画化作品の影響もあり、私は主人公アッシェンバッハの一人相撲の悲劇と思っていたが、新訳で読むとアッシェンバッハが恋する美少年タッジオの死も暗示されており、死の世界で二人が結びつく幻想的なロマンスの可能性も感じられた。
新訳、はまりそう。「嵐が丘」、シュペルヴィエールなんかもちょっと読みたい。