間違い言葉辞典~変奏曲~
灰黄の枝を広ぐる林見ゆほろびんとする愛恋一つ(岡井隆)
今回は一つ一つの間違い言葉の指摘ではなく、ちょっと違う次元のことを書こうと思います。
すでにご存知の方も多いかもしれませんが、幕末から近代に日本は欧米からいろんな知識を導入しました。
そしてそれを日本に定着させるため儒教や仏教の経典の中からいろんな言葉を調べて、新しい言葉をたくさん作りました。
その最大のヒット作と言えるのはやっぱり「愛」という北村透谷の作った言葉。これほどまでに今や普遍的という顔をしている新語はないんじゃないか?と思います。
「百人一首」をパーと全部見ていっても「恋」「思ひ」という言葉はたくさん使われていますが「愛する」という言い回しは出て来ません。
自分が知ってる限り、古典で「愛」という言葉が出てくるのは「源氏物語」でお経の一節として出てくるところで、その時の「愛」というのは今の「愛欲」という言い回しなんかに名残があるネガティブな意味合いです。
もちろん古代から江戸にかけても豊かな恋愛感情はあり、現代よりはるかに豊かなボキャブラリーがありました。
しかし「愛」という言葉は明治に発明されるのを待たないといけません。(直江兼続が愛という字の兜を使っていたのは現代人が思っている意味ではなく、不良が悪い言葉を使う類いだったと思われる。)
それで、ここからが言いたいことですが歴史小説を書く場合は明治時代に作られた言葉が混じらないように慎重に書いてあるかで作者の見識や力量がよく分かります。そういうことを哲学的な考察にまで高めた作品は例えば山田正紀の「天正マクベス」があります。
逆にアイドルが出ている時代劇などはめちゃくちゃです。
しかし、それがダメという訳ではなく、書いている人が一種のファンタジーとわきまえていればかまわないと思います。
私が書いた歴史小説もそういう一種の歴史ファンタジーだと思っています。
一種のおとぎ話をまたお届けしたいです。(^3^)/
ぴいえす;愛知、愛媛などは当て字なので、「愛」という字が奈良時代からありますが、今の意味はありません。
それを書き忘れていました。