その小柄な婚約者では、不釣り合いですって?
深く考えずにどうぞ。
「その小柄な婚約者では、アイミリア様には不釣り合いですわね」
夜会の広間で、男爵令嬢ジョランダがそう言った瞬間。
わたくしは、手にしていた紅茶のカップをそっと置いた。
周囲の令嬢たちがくすくすと笑う。
ああ、またこの話題だ。
わたくし――アイミリア・ベルステインは伯爵令嬢。
そしてよく言われることがある。
背が高すぎる。
令嬢としては珍しいほどの身長。
すらりとした体格。
そのうえ顔立ちは、可愛いというよりも、きつめの美人らしい。
そのせいか、社交界では、こう思われているらしい。
「近寄りがたい」
「強そう」
「生意気そう」
「令嬢らしくない」
だが――それは誤解だ。
わたくしは別に、強くなどない。
ただ一つ、好きなものがあるだけだ。
そして好きなものを諦めたりしないだけ。
わたくしの好きなもの。
それは、小さくて可愛いもの。
ぬいぐるみ、小動物、可愛らしい小物。
そういうものを見ると、どうしても頬が緩んでしまう。
手に取ってみたくなる。
出来れば頬ですりすりとか……。
わたくしの婚約者もまた、わたくしにとってはとても可愛らしい人だ。
ヴァイダス・リューク。
伯爵家三男。
さらりとした黒髪に、整った顔立ち。
冷たいほど整った美貌。
剣も魔法も優秀で、希望すれば騎士団入りが、確実だと言われている。
ただし一つだけ問題があるとすれば。
背が低いことだ。
少なくとも、わたくしよりは小柄だ。
だからこそ、社交界ではよく言われる。
「不釣り合いだ」
だが、わたくしは思う。
(何を言っているのかしらね、あの人たちは)
わたくしにとっては、理想そのものなのに。
十二歳のとき、家同士の取り決めで婚約した。
それから五年。
最初はぎこちなかった関係も、今ではすっかり変わった。
ヴァイダスは、とても優しい。
そして何より――わたくしを大切にしてくれる。
だからわたくしもまた、彼を大切にしたいと思う。大切にしている。
「その婚約、考え直した方がいいと思うが?」
背後から声がした。
振り返ると、公爵子息ファディルが立っていた。
社交界でも有名な人物だ。
すらりと背が高く、顔立ちも整っている。
だがわたくし、ファディルのことは、あまり得意ではない。
彼はよく言うのだ。
「自分の方が似合う」
「背の高い君には、もっと堂々とした男が必要だ」
「その男では守れないだろう」
何度も何度も。
(余計なお世話ですわ)
そう思いながら、わたくしは微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます」
だが、内心でははっきり思っている。少々怒っている。
わたくしの『好き』に、踏み込まないでください!
そのときだった。
会場の入り口がざわめいた。
騎士団の制服を着た青年が入ってくる。
黒髪。
整いすぎた顔立ち。
そして――わたくしより少し低い身長。
ヴァイダスだった。
彼はこちらに気づき、わずかに微笑む。
今日は事情があって、会場には別々に入ったからちょっと寂しかったけれど。
ヴァイダスの笑みだけで、胸が温かくなる。
だがその瞬間、
男爵令嬢ジョランダがすすすっと彼に近づいた。
「ヴァイダス様」
甘い声。
嫌な予感がした。
「あなたには、アイミリア様より、もっとふさわしい女性が――」
そこで言葉が止まる。
ヴァイダスの視線が冷たくなったからだ。
広間の空気が変わる。
そしてこのとき――まだ誰も知らなかった。
今夜の王宮夜会が、勘違いした貴族たちのアホっぽさを、公開することになることを。
それは五年前のこと。
わたくしが十二歳の時、彼と婚約した。
伯爵家同士の、よくある政略婚約。
初めて顔を合わせた瞬間、わたくしは思った。
(理想の人が、来ましたわ!)
その頃からヴァイダスは細身で、どこか儚げな雰囲気をしていた。
しかも礼儀正しく、控えめで、少し照れ屋。
つまり。簡単かつ明瞭に言えば。
好み!
完全に、わたくしの好みだった。
ただし。残念なことに……。
わたくしの外見は、その趣味、即ち、「可愛い人やモノが好き」とまったく合っていない。
わたくしの背は高い。女性としてはかなり。
整ってはいるけれど、顔立ちはきつめ。
社交界では「近寄りがたい美人」と言われている。
「……綺麗ですね」
初対面で、彼はそう言った。
「え?」
「あなたは背が高くて、とても綺麗です」
それは、本当にただの感想だったのだろう。
ヴァイダスは顔を少し赤くしていた。
その表情を見た途端、わたくしは心に誓った。
(この人、絶対逃がしません)
それから五年。
現在、わたくしたちは……。
仲が良い。
とても、とても仲が良い。
「ヴァイダス」
わたくしは声をかけた。
「はい?」
彼が振り向く。
あ……可愛い。
整った顔がこちらを見上げる。
少し首を傾げる仕草や、その角度、完璧だ。
(ああ、可愛い……)
「どうしました?」
「今日も、可愛いですわ」
思わず本音が出た。
ヴァイダスの顔が一瞬で赤くなる。その顔でこんなことを言う。
「……アイミリアの方が綺麗です」
「いいえ、ヴァイダスです」
「いえ」
「いいえ」
ヴァイダスとわたくしのやり取りを、周囲は呆れた顔で見ていた。
「相変わらずだな」
低い声が割り込む。
苦手な公爵家の子息が立っていた。
「伯爵令嬢」
彼は軽く笑う。
「そんな小さな婚約者より」
ファディルの声が粘りを帯びる。
「私の方が似合うと思うが?」
周囲の令嬢たちが息をのむ。
小さなざわめき。
だが、わたくしは即答する。
「お断りします」
「ほう?」
「わたくし」
わたくしはヴァイダスを見た。
ヴァイダスの黒髪。サラサラと肩にかかっている。
長い睫毛の影が落ちる。。
わたくしより、少しだけ低い身長。
……なんて、可愛い。
それから公爵子息を見た。
背が高く、堂々としている。
喉ぼとけがくっきりとしていて、首も太い。
何よりも。
大きい。
それだけだ。
だから、はっきりとファディルに告げる。
「あなた、わたくしの好みではありませんので」
夜会の空気が、少しだけ凍った。
ファディルの笑顔が、わずかに歪む。
「面白い」
彼は低く言った。どことなく剣呑な視線。
「だが
その婚約が、いつまで続くかな」
ファディルは意味深に笑った。
口元が、感じ悪い。
その言葉は、わたくしの耳に妙に残った。
――その婚約が、いつまで続くかな。
ファディル公爵子息は、それ以上何も言わず去っていった。
周囲の令嬢たちは小声でささやき始める。
「今の……」
「公爵子息が……」
「伯爵令嬢にあんなこと……」
わたくしは、気にしないことにした。
公爵子息の意味深発言も、令嬢たちの囀りも。
むしろ。
どうでもいい。
そんなことより。
隣にいる人の方が大事である。
「ヴァイダス」
「はい?」
振り向いた彼の顔は、神々しい。
少し困ったような目で、こちらを見上げる。
(なんといっても、可愛い……)
「大丈夫ですか? さきほどの言葉」
彼が心配そうに言った。
「気にしていませんわ」
きっぱり答える。
「わたくし、あの方のこと、好きではありませんし」
ヴァイダスが少し笑った。
「それは分かっています」
「分かっていますの?」
「はい」
彼は少し照れたように言う。
「だってアイミリア、僕を見る時の方が……」
「?」
「……すごく嬉しそうですから」
わたくしは一瞬固まった。
顔が少し熱い。
咳払いをする。
「そ、それは当然ですわ」
「当然?」
「だって」
わたくしはヴァイダスを見た。
もう一度、しっかり見る。
やはり可愛い。
「ヴァイダスこそが、わたくしの理想の人ですもの」
ヴァイダスが真っ赤になった。
「アイミリア……」
その反応もまた可愛い。そっと手を伸ばし、彼の指に触れようとしたのだが……。
「ヴァイダス様!」
甘ったるい声が割り込む。
振り向くと、男爵令嬢ジョランダが近づいてきていた。
わざとらしく胸元を強調したドレスを着ている。
「少しお話よろしいですか?」
ヴァイダスが困った顔をする。
わたくしは心の中で、『よろしくない!』と叫んでいた。
「今、アイミリアと……」
「すぐ終わりますわ」
にこにこ笑って、ジョランダは彼の腕に触れた。
わたくしの目が細くなる。
(触りましたわね、ヴァイダスの腕に)
だが、ここは夜会。
いきなり怒るわけにもいかない。
「すぐ戻ります」
ヴァイダスは申し訳なさそうに言った。
「ええ」
わたくしは微笑んだ。最大限の笑顔を作って。
(あとで聞きますわ)
少し鼻息が荒くなった。
◇◇
数分後。
ヴァイダスが戻ってきた。
「お待たせしました」
「どんなお話でしたの?」
わたくしはにこやかに聞く。目じりがピクピクしているのを、悟られないように。
ヴァイダスは少し困った顔をした。
「ええと……」
「?」
「婚約、本当に幸せですかって」
思わず眉が動いた。
「……それで?」
「僕は」
ヴァイダスは即答した。
「とても幸せですって言いました」
胸の奥が少し温かくなる。
「そうですの」
「はい」
彼は少し笑った。
「だってアイミリア、可愛いですから」
わたくしが固まった。口がパクパクしているが、言葉にならない。
「……」
「?」
周囲の空気が少しざわめく。
なぜなら。
普段「きつい美人」と呼ばれるわたくしが、少しだけ……。
ほんの少しだけだが。
照れていたからだ。
◇◇
次の夜会は王宮で開催された。
音楽が変わり、舞踏が始まる頃だ。
「皆様、聞いてくださいませ」
大広間の真ん中あたりから、突然、声が響いた。
そこに立っていたのは、ジョランダだった。
彼女の隣には、ファディル公爵子息。
嫌な予感が背中を走る。
「大変なことが分かりましたの」
彼女は悲しそうな顔を作る。
「ベルンシュタイン伯爵令嬢の婚約者、ヴァイダス様が……」
ざわめきが、段々大きくなる。
「わたくしと密会していたのです」
ざわめきは一瞬にして凍った。
「なっ……」
ヴァイダスが言葉を失う。
ジョランダは続けた。
「昨日のことです。わたくしとヴァイダス様は二人きりで、一緒に過ごしました!」
はい、アウト。
完全な嘘。
だが夜会では、真実か否かを問わず、噂が一瞬で広がる。
「まさか」
「浮気?」
「婚約者がいるのに?」
視線が集まる。
わたくしと、ヴァイダスへ。
ファディルがゆっくり言った。
「伯爵令嬢」
薄い笑み。唇の端が上がっている。
「その婚約
続けられるのかな?」
――ああ。
(面倒ですわね)
わたくしは、静かにグラスを置いた。
そして一歩、前に出る。
広間の視線がすべて集まる。
「……くだらない」
小さく呟いた。
「伯爵令嬢?」
わたくしはゆっくり顔を上げる。
「嘘ですわね、で、証拠は?」
夜会の空気が、ぴたりと止まった。
ジョランダの笑顔が、わずかに引きつった。
ここからが、わたくしの番である。
――証拠は?
わたくしの言葉で、広間の空気は完全に止まった。
男爵令嬢ジョランダの笑顔が、わずかに揺らぐ。
「しょ、証拠ですって?」
「ええ」
わたくしは落ち着いて言った。
「密会していたとおっしゃるのなら、当然ありますわよね?」
ざわり……。
周囲の貴族たちが視線を向ける。
夜会での告発は、貴族社会では非常に重い意味を持つ。
証拠もなく言えば、それはただの中傷だからだ。
ジョランダは一瞬言葉に詰まった。
だがすぐに、強気な笑みを作る。
「もちろんですわ」
そう言って、ファディルをちらりと見る。
公爵子息はゆっくりと前に出た。
「伯爵令嬢」
余裕のある声だった。
「証人がいる」
ざわめき。
「昨日、確かに二人は会っていた」
周囲の視線が、ヴァイダスに集まる。
ヴァイダスは一瞬青ざめた。
「僕は……」
言いかけて止まる。
だが、わたくしは振り向かない。
ただ静かに言う。
「まあ、そうですの」
ファディルは笑った。
「これで婚約は――」
「では」
わたくしは言葉を遮った。
「昨日の出来事を、時刻から確認しましょう」
広間は静まっている。
「昨日の午後六時」
わたくしは言った。
「ヴァイダスは、ベルンシュタイン伯爵家の屋敷にいました。夕食を摂っていたのです」
一言ずつ、ゆっくりと言う。
「父と」
「母と」
「わたくしと」
空気が揺れる。
「……何?」
ファディルの眉が動いた。
わたくしは続ける。
「そして午後四時から五時、ヴァイダスは王宮訓練場にいました」
騎士候補生の一人として、彼は訓練に参加している。
「記録も残っています」
さらに言う。
「つまり」
ゆっくりとジョランダを見る。
「あなたが言う『密会』の時間、ヴァイダスは、二箇所にいることになりますね。どういうことかしら」
沈黙するジョランダ。
次の瞬間。
「嘘ではないか」
誰かが言った。
「男爵令嬢が嘘を?」
「夜会で?」
ざわざわざわ。
ジョランダの顔が真っ青になる。
「ち、違います! 会いました! 本当に!」
「いつですの?」
わたくしは冷静に聞いた。
「そ、それは……」
言葉が止まる。
なぜなら、嘘だからだ。
その時だった。
「その話」
低い声が響いた。
広間の入口から、数人の騎士が入ってくる。
そして。
「私も聞かせてもらおう」
王宮騎士団副団長が姿を見せた。
会場が一斉にざわめく。
彼はヴァイダスを見た。
「レイル」
「はい」
「昨日の訓練記録は確認済みだ」
そして言った。
「確かに、お前は訓練場にいた」
完全な証明だった。
ジョランダの足が震えた。
だが。
まだ終わりではない。
わたくしはゆっくりとファディルを見た。
「公爵子息」
「……何だ」
「あなたは」
少し微笑む。
「証人がいるとおっしゃいましたわね?」
沈黙。
「どなたですの?」
ファディルの笑顔が消える。なぜなら、証人など、最初から存在しないからだ。
周囲の貴族たちがざわめく。
「まさか」
「証拠なし?」
「公爵家の子息が?」
ざわめきの中、ひと際通る声がした。
「実に興味深い話だ」
振り向くと。
そこに立っていたのは――王太子だった。
会場が一斉に跪く。
「面白い夜会になっているようだ」
王太子はゆっくり歩いてくる。
そしてファディルを見た。
「グラハム公爵子息」
「……殿下」
「夜会で虚偽の告発」
淡々と告げる。
「しかも婚約者同士を引き裂く目的」
静かな声だった。
「言い訳はあるか?」
空気が凍る。
ファディルの顔が歪んだ。
「……私は」
言葉が続かない。
周囲の貴族たちの視線が変わっていた。
軽蔑。
それがはっきり分かる。
やがて王太子は言った。
「グラハム公爵家には、後日説明を求める」
それは。 社交界において、ほぼ処分宣告だった。
ファディルの顔から血の気が引く。
ジョランダはその場で崩れ落ちた。
静まり返る広間。
その中で。
わたくしは一歩前に出る。
そして言った。
「わたくし」
全員に聞こえる声で。
「誰を好きになるか」
「誰を信じるか」
「それは」
ゆっくり言う。
「わたくしが決めます」
ファディルを見る。
そして。
「わたくしの『好き』に踏み込まないでください!」
どこからか拍手が起きた。
貴族たちの空気が変わる。
「見事だ、伯爵令嬢……」
ざわめきが広がる。
ヴァイダスが、そっと隣に来た。
「アイミリア」
「何ですの?」
彼は少し照れて言った。
「僕」
「?」
「やっぱり、アイミリアが好きです」
思わず笑ってしまった。
「知っていますわ」
そして彼を見る。
黒髪。
長い睫毛。
少し低い身長。
(可愛い)
ヴァイダスは、わたくしの理想の具現化。
わたくしは思う。
大きいとか。
小さいとか。
強いとか。
弱いとか。
そんなことは関係ない。
好きなものは。
好き。
それだけなのだ。
そしてヴァイダスは、わたくしの視線に気づいてまた赤くなった。
――今日も、とても可愛い。
後日。
わたくしへの評価は、きつめで冷たそうな令嬢から、大幅に変わった。
「信念のある伯爵令嬢」
「格好良い女性」
「理想の奥方」
そんな噂まで出ている。
ヴァイダスが小さく息を吐いた。
「……心配してました」
「何がですの?」
「もし」
彼は少し視線を落とす。
「アイミリアが、僕よりも、もっといい人を選んだらどうしようって」
わたくしは瞬きをした。
「……どういう意味ですの?」
「だって」
ヴァイダスは苦笑する。
「僕より背が高くて」
「僕より堂々としてて」
「僕より格好いい人」
「いくらでもいますから」
その瞬間。
わたくしは即答した。
「いりません」
「え」
「全部いりません」
きっぱり言う。
「わたくし」
ヴァイダスを見る。
「大きい人、好きではありませんので」
「……え?」
「むしろ」
わたくしは言った。
「小さい方が、好きなのです」
ヴァイダスの顔が真っ赤になる。
「それに」
わたくしは続ける。
「ヴァイダスは強いです」
「優しいです」
「綺麗ですし」
そして。
「可愛いです!」
「アイミリア!」
彼が真っ赤になった。
わたくしは少し笑う。
「わたくし」
ゆっくり言う。
「自分の好きなものは、絶対に手放しません」
ヴァイダスはしばらく黙っていた。
ぽつりと言う。
「じゃあ」
「?」
「僕もです」
ヴァイダスは顔を上げる。
「僕も」
ヴァイダスは真剣な顔で言った。
「アイミリアを手放しません!」
彼は照れながら付け加える。
「だって」
「?」
「アイミリアも」
少し笑うヴァイダス。
「とっても可愛いですから」
風が庭園を吹き抜ける。
紅茶の香り。
花の匂い。
そして、向かいに座る婚約者。
なんて幸せなんでしょう。
やっぱり思う。
可愛い!
わたくしの「好き」は、絶対誰にも譲らない。
これからも。
ずっと――――
了
お付き合い下さいまして、ありがとうございました!!
二人が可愛いとか、バカっぽいとか思われましたら、★を投げていただけますと、有難いです!!




