王女アリシアの政治的敗北 正しさは、常に勝てるわけではない
決定は、驚くほどあっさりと下された。
王城中央議場。
白い石で造られた半円形の会議室。高い天井には王家の紋章が刻まれ、中央には玉座。その前に、円弧状に並ぶ議席。
貴族、軍部、行政官。
全員が手元の資料に目を落としている。
紙をめくる音だけが響く。
顔を上げる者は、ほとんどいない。
(もう結論は出ている)
議論ではない。確認だ。
そういう空気だった。
玉座に座る王女アリシアの表情は変わらない。
だが、肘掛けに置いた指先が、わずかに強張っている。
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「――以上を踏まえ」
静かな声が、会議室に広がる。
発言者はヴァレリア・グラント。
灰色の軍服に身を包んだ、国防強化派連盟の代表。
「試験的施策は、一定の成果を認めつつも」
「国家運営における優先順位と整合しない」
丁寧な言い回し。
だが、刃のように鋭い。
「よって、全面停止ではなく」
書類を持ち上げる。
「規模の縮小と、対象の再選定を提案する」
配布された資料には、具体的な項目が並んでいる。
・医療窓口の限定化
・雇用区画の新規受け入れ停止
・既存対象者の段階的整理
(撤退だ)
全面否定ではない。
だが、確実に後退している。
アリシアは、黙って聞いている。
「王女殿下」
ヴァレリアが視線を向ける。
「この案は、殿下の施策を全否定するものではありません」
わずかな間。
「ただ、持続不可能な理想を切り離す、現実的判断です」
“理想”。
その言葉が、空気をわずかに震わせる。
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反論は、確かにあった。
行政官の一部、市民代表。
医療利用率の改善、犯罪抑止の成果、労働安定の数字。
だが。
弱い。
軍事予算の逼迫。
補給線の緊張。
魔導資源の不足。
「戦線補給が逼迫している」
「魔導資源の再配分が必要だ」
「配慮は理解するが今ではない」
その一言が、決定打になった。
“今ではない”。
未来に回された正しさは、ほとんどの場合、削られていく。
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「殿下」
議長が、アリシアを見る。
「ご判断を」
静寂。
すべての視線が、玉座に集まる。
(ここね)
アリシアは、ゆっくりと立ち上がった。
背筋は真っ直ぐ。視線は揺れない。
「――承認します」
短い一言。
それで、会議は終わった。
拍手も歓声もない。
ただ、椅子を引く音だけが響く。
形式上は合意。
実質は敗北。
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会議後。
王城の奥にある長い回廊。
夜の光が窓から差し込み、床に細い影を落としている。
アリシアは一人で歩いていた。
足音が、やけに大きく響く。
(負けた)
完全ではない。
だが、押し返せなかった。
背後から足音。
「殿下」
エリスだった。
「結果は知っている」
振り返らずに言う。
「はい」
短い返答。
「あなたのせいではない」
エリスが即座に言う。
「分かっています」
アリシアは立ち止まる。
「彼が前に出なかった。だからこそ、この敗北は政治の敗北です」
象徴の敗北ではない。
それだけは守られた。
「それでも」
エリスは、慎重に続ける。
「彼は、“失う側”に回りました」
アリシアは、静かに息を吐く。
「ええ」
「だからこそ」
彼女は低く言う。
「私は、彼の選択を裏切れない」
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その夜。
正式通達が、王都全域に流れた。
《試験的施策の一部終了について》
《対象者の再選定を行い、段階的に整理する》
穏やかな文面。
だが意味は重い。
倉庫街ではざわめきが広がる。
「俺たち、どうなるんだ?」
「すぐじゃないって」
「段階的って言ってた」
希望ではない。
延命だ。
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俺は、その報を宿の部屋で聞いた。
机の上の通達。
やはり、名前はない。
(そうか)
胸の奥が静かに痛む。
(分かってた)
(これは実験だ)
(成功しても、潰される可能性はあった)
それでも。
(全部じゃない)
窓の外に広がる王都の灯り。
そのどこかで、今日も誰かが切り捨てられずに生きている。
扉がノックされる。
エリスだ。
「殿下は負けました」
「でも?」
「全ては失っていない」
俺は頷く。
「はい。“前例”は残りました」
一度でも実行された制度は、存在した事実になる。
「それだけで」
一拍置いて続ける。
「次は、もっとやりにくくなります」
エリスは静かに言う。
「だが、不可能ではなくなった」
その通りだ。
今回は縮小。
次は微修正。
その次は、また別の形。
正しさは、負けた。
だが、消えてはいない。
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翌朝。
王城の書庫。
アリシアは、一枚の記録用紙に静かに書き込んでいた。
《試験施策・第一期終了》
《成果:限定的》
《課題:多》
《再検討:次世代王政期に持ち越し》
そして最後に、小さく付け加える。
《記録:“余剰を減らす試み”として価値あり》
それは、歴史書の片隅に残る一文だ。
誰も読まないかもしれない。
すぐには意味を持たないかもしれない。
だが――
歴史は、そういう一歩から、確実に動き出す。




