成功の代償 守られなかった声は、遅れて届く
異変は、数字だけでは見えなかった。
犯罪率、生活安定度、就労継続率、どれも王女アリシアの前に並べられた報告書には、全て「想定内」と書かれていた。数字上は順調に見え、問題はなさそうに思えた。
しかし、現場の空気はまるで違っていた。
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最初にそれに気づいたのは、リリアだった。
「これ、おかしい」
魔法学院の研究室で、彼女は机に広げられた資料を見ながら眉をひそめていた。
「何がだ?」
俺は対面に座りながら、どうして呼ばれたのか理由を探っていた。
「実験区画の男性たち」
リリアは紙を一枚抜き出すと、指でその項目をなぞる。
「数は安定してる、犯罪も起きてない。就労状況も順調だ、でも」
「でも?」
俺が問い返すと、リリアは指で叩いた欄を示す。
「医療利用率が異常に低い」
「低い?」
リリアははっきりと言った。
「怪我しても病院に行かない、魔力疲労の自己申告もゼロ」
「それって、良いことじゃないのか?」
リリアは即答で首を振った。
「違う」
「これは、”我慢してる数字”だ」
胸の奥がゾクッとした。
(それは)
医療施設に行かず、問題を抱え込んでいる――
それが”正常”のサインになっているという事実に、何かが引っかかる。
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その日の午後、俺は再び倉庫街へ向かった。
あの少年がいる区画。
その足取りは重かった。
(嫌な予感がする)
倉庫の裏手、人目に触れない場所に、しゃがみ込んでいる人影があった。
「おい」
声をかけると、顔がゆっくりと上がる。
あの少年だ。
顔色が明らかに悪い。
「あ」
弱々しい声で返事が返ってきた。
「どうした」
近づくとすぐ分かる。
右腕をかばうようにしている。
「荷物、落とした」
「病院は?」
首を振る少年。
「金、かかる」
「無料枠があるだろ」
「女が優先」
その言葉が胸に突き刺さる。
(制度の盲点だ)
守られなくなった男は、助けを求める場所も同時に失う。
「動くな」
俺はしゃがみ込むと、少年の腕を慎重に調べる。
打撲。
だが――魔力反応が明らかにおかしい。
内部がやられている。
「なあ」
少年がぽつりと呟く。
「俺さ」
「ここ、嫌いじゃない」
「・・・」
「でも」
「“守られない”って」
「こういうことなんだな」
その言葉に、返す言葉がなかった。
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治療はリリアが引き受けた。
正式な医療ではない。
研究室での応急処置。
(グレーだな)
「文句は王女に言って」
リリアは険しい表情で言う。
「これは制度の設計ミス」
「あなたのせいじゃない」
「分かってます」
分かっている。
でも――見なかったことにはできない。
少年は、処置台の上で眠っている。
「なあ」
リリアが小さく言う。
「この制度、続ける?」
「続けます」
即答だった。
リリアは、驚いた顔をする。
「迷わないんだ」
「迷ってます」
正直に答える。
「でも」
「ここで止めたら」
「“出口”はまた塞がる」
「代わりに」
「修正します」
「どこを?」
一拍の沈黙が続き、俺は答える。
「“守られない男”が声を出せる場所」
リリアは目を細めて、少しだけ笑った。
「面倒ね」
「はい」
「すごく」
「でも」
「研究者としては嫌いじゃない」
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その夜、王女アリシアとの三度目の対話が行われた。
今度は、王城の回廊にて。
書斎ですらない場所で、彼女と向き合う。
「報告は、受けた」
アリシアの声は低く、冷静だ。
「失敗ですか」
「いいえ」
首を振り、続ける。
「想定通りの問題発生です」
(さすがだな)
「あなたは」
アリシアは俺を見つめる。
「止めに来ましたか」
「いいえ」
「修正案を持ってきました」
「聞きましょう」
俺は、はっきり言う。
「男性専用の“低負荷医療窓口”を作ってください」
「費用は?」
「最小限で」
「場所は?」
「既存施設の空き時間利用」
アリシアは即座に言う。
「優遇だと反発が出る」
「出ます」
即答だった。
「でも」
「“守られない代わりに自己申告できる場所”がないのは」
「切り捨てです」
アリシアは、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりとつぶやく。
「あなたは」
「制度を“甘く”しようとしていない」
「“現実的”にしようとしている」
「はい」
「だから」
結論が下される。
「修正を許可します」
「ただし」
「公表は、しません」
「え?」
「“弱い男性のため”と言えば」
「制度全体が揺らぐ」
「だから」
「“労働者保護の試験施策”として処理します」
(政治だな)
「それで、構いません」
アリシアは、少しだけ疲れた顔で言った。
「あなたは」
「英雄にならずに」
「ずいぶん面倒な仕事を増やしますね」
「慣れてます」
そう答えると、彼女は小さく笑った。
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翌日。
少年が目を覚ました。
「あ」
「生きてるな」
「ああ」
少し、気まずい沈黙が流れる。
「なあ」
少年が、少し躊躇いながら言う。
「俺」
「弱いままでいいのかな」
即答はできなかった。
だから、こう言った。
「分からない」
「でも」
「弱いままでも」
「選び直せる場所は」
「少しずつ、増やしてる」
少年は、ゆっくり頷いた。
「じゃあ」
「今は、それでいいや」
その言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ軽くなった。
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成功には、必ず代償がある。
だが、見える代償は修正できる。
見えない代償より、ずっといい。
この世界で、男は弱い。
その事実は変わらない。
でも――
弱さが、即“切り捨て”に繋がらない世界は作れる。
英雄にならなくても。
希望にならなくても。
ただ、面倒な存在として。
俺は、その場所に立ち続ける。




