選択の結果は、静かに戻ってくる
再会は、思っていたよりも早かった。
王都西区、古い倉庫街。
再開発の波から取り残された、半端な区画だ。
俺がそこに来たのは、王女アリシアとの対話から十日ほど経った頃だった。
「ここで合ってるはずなんだけど」
手元にある紙には簡素な住所が書かれている。
(仮設雇用区画、か)
制度改革の「実験」として、新しく設けられた区分だ。
孤児院を出た少年たちの一部がここで働いていると聞いていた。
(見学者って立場は気楽なようで、きついな)
責任はないが、口も出せない。
「あ」
倉庫の扉がきしんで開く。
その中から、一人の少年が顔を出した。
背丈は、あの時とほとんど変わらない。
だが――立ち方が違う。
少し大人っぽく、しっかりとした印象を与える。
「あ」
少年もこちらに気づき、驚いた顔をしたが、すぐに少し困ったように笑った。
「来るとは思ってなかった」
「俺も」
正直に言う。
「偶然だ」
嘘ではない。
「仕事?」
「まあ」
肩をすくめる少年。
「倉庫の管理補助」
「荷の確認と、帳簿付け」
「危なくない?」
「全然」
即答。
「むしろ」
少し考えてから言う。
「つまんない」
それを聞いて、少しだけ安心した。
(つまんないって言えるなら、生きてるな)
倉庫の壁に寄りかかり、並んで立つ。
気まずい沈黙が続く。
あの時の会議室とは違う。
ここでは、俺は“特別な男”じゃない。
ただの通りすがりだ。
「あのさ」
少年が、先に口を開く。
「俺たちと話したとき」
「“正解はない”って言ったよな」
「言った」
「あれ」
「正しかった」
胸の奥が、少しだけ締まる。
「どういう意味だ」
「ここ」
倉庫を顎で示す。
「助かってる」
「寝る場所も」
「飯も」
「でも」
言葉を探すように少し黙る。
「ここに来たからって」
「未来が開けた感じはしない」
「うん」
「でもさ」
少年は、俺を見る。
「“間違えた”感じもしない」
それは、成功談じゃない。
救済譚でもない。
ただの、中間報告だ。
「それでいい」
俺は、そう答えた。
「え?」
「“間違えてない”って思えるなら」
「今は」
「それで、十分だ」
少年は、少し驚いた顔をして――それから、笑った。
「あんた」
「やっぱり変だな」
「よく言われる」
「でも」
少年の笑顔が、少しだけ真面目になる。
「“頑張れ”って言われなかったの」
「助かった」
「そうか」
「“強くなれ”とか」
「“夢を持て”とか」
「言われたら」
「多分」
「逃げてた」
胸の奥で、何かがほどけた。
(それでいい)
(それが、この制度の最初の一歩なら)
「なあ」
少年が、少し躊躇いながら言う。
「俺さ」
「この先」
「ずっとここにいるとは思ってない」
「うん」
「でも」
「どこ行くかも決めてない」
「それでいい」
「あんた」
少し呆れた声。
「全部、“いい”で済ませるなよ」
「済ませてない」
俺は、静かに言う。
「“今は”って言ってるだけだ」
少年は、しばらく俺を見て――小さく頷いた。
「分かった」
「じゃあ」
「今は、ここでやる」
「それで、飽きたら考える」
「それでいい」
倉庫の奥から、声がかかる。
「おーい、戻れー」
「はいはい」
少年は、一歩離れ――振り返る。
「なあ」
「俺」
「また、あんたに会っていい?」
一瞬、言葉に詰まる。
(希望になるな)
(ロールモデルになるな)
自分に、言い聞かせる。
「偶然なら」
そう答えた。
「偶然なら、いい」
少年は、満足そうに笑った。
「じゃあ」
「またな」
倉庫に戻っていく背中を、俺は見送った。
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その夜。
王女アリシアから、報告書が届いた。
《実験区画・第一段階》
《重大な逸脱なし》
《犯罪率・上昇なし》
《生活安定度・低水準だが継続可能》
数字は、地味だった。
だが。
(地味でいい)
(英雄も、犠牲も、出てない)
それだけで、十分だ。
エリスが、報告書を覗き込む。
「成功か?」
「分かりません」
正直に答える。
「でも」
「失敗では、なかった」
エリスは、静かに頷いた。
「それが」
「一番、難しい結果だな」
俺は、窓の外を見る。
王都の灯り。
その中で、誰かが生きている。
守られてもいない。
選ばれてもいない。
それでも――
切り捨てられてもいない。
(ここからだな)
制度は、変わらない。
世界も、急には変わらない。
でも。
“正解を押し付けない場所”が、一つ増えた。
それだけで、この異世界に来た意味はあったのかもしれない。
俺は、深く息を吸った。
次に問われるのは――
この実験が長く続いたとき、誰が犠牲になるかだ。




