王女アリシアとの再対話
部屋は静かで、質素だった。王城の奥深くにある、小さな書斎。
豪華ではないが、粗末でもない。落ち着いた空間だ。
机の上には、書類が山積みになっていて、シンプルに整えられた椅子が二脚、部屋の中央に置かれている。
この部屋の装飾は最小限だ。飾り気のない、実務的な空間だった。
王女アリシアは、すでにその椅子に座っていた。
今日はドレスではなく、簡素な室内着を着ている。
そんな彼女は、俺が部屋に入るのも気にせず、無言で書類に目を通している。
見上げもしない。
その姿勢は、王族としての強さを感じさせる。
「座って」
アリシアは、何も言わずに、ただ手を軽く動かして席を勧めた。
俺は一歩踏み出して、向かいの椅子に腰を下ろす。
エリスも、今日は護衛として黙って立っている。
俺が話すのは、今日が初めての一対一だから、きっとそうしているのだろう。
そして、それはきっと重要な場だ。
この部屋、そしてこの時間にエリスが口を挟まないのは、アリシアとの会話があくまで「本音」のものだからだろう。
アリシアは、再び書類を整理しながら、ポツリと口を開く。
「少年たちとの話、聞きました」
「はい」
俺は簡単に答えた。
「どうでした?」
アリシアは、ようやく目を上げて俺を見つめる。
その目は、冷静で落ち着いている。
反応を探っているのだろう。
「困りました」
俺は即答した。
正直に、感情を込めて答える。
アリシアはその答えに、少し微笑んだ。
「正直ですね」
「統治者にとって、『困る』はかなり深刻な評価です」
アリシアが顔を上げ、少しだけ表情を強くする。
その言葉は冷静で、無駄な気遣いを省いたものだった。
俺は続ける。
「でも、そう言われても、必要だと思いました」
アリシアは、小さく息を吐いてから言う。
「あなたは、制度の外から制度を見ている」
その言葉に、少し驚く自分がいた。
その通りだが、俺はそれをわざわざ言われるとは思わなかった。
「だから、きれいごとを言わない」
アリシアは、ゆっくりと目を閉じ、少し笑みを浮かべる。
「褒めてます?」
「ええ」
「かなり」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「では、本題に入りましょう」
アリシアが表情を引き締めると、部屋の空気が少しだけ変わった。
これから、重要な話になる予感がした。
「あなたは、今の制度をどう思いますか?」
その質問が、突然だった。
「合理的です」
俺は、しばらく考えた後に正直に答えた。
「残酷ですけど」
「合理的です」
「男が弱く、数が少ない世界で」
「全員を守るのは無理だ」
アリシアは静かに頷きながら、話を促す。
「続けて」
「だから、制度そのものを“間違い”だとは思いません」
慎重に言葉を選びながら続ける。
「ただ、“唯一の正解”として扱うのは、違うと思います」
アリシアの目が鋭くなる。
「理由は?」
「制度は、人を守るために作られる」
俺はゆっくりと言う。
「でも、長く続くと、制度を守るために人を切る」
「その段階に見えました」
沈黙。
アリシアはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開く。
「その通りです」
その答えに、少し驚く自分がいた。
「だからこそ」
アリシアが続ける。
「制度を、簡単に変えるわけにはいかない」
「一部を変えれば、別の場所が壊れる」
「孤児院の規定を緩めれば、次に切られるのはどこか」
「女性労働者か」
「戦線か」
「他の子どもか」
「はい」
重い沈黙が続いた。
(分かってる)
(この人、全部分かってる)
「だから」
アリシアは静かに言った。
「あなたに聞きたい」
「変えるとしたら、どこからどう変えるべきか」
(俺に、聞くか)
一瞬、躊躇した。
(これは、罠じゃない)
(覚悟を、測ってる)
「制度を“優しく”するのは無理です」
最初にそう言う。
「はい」
「だから」
俺は続ける。
「“出口”を増やしてください」
「出口?」
「はい」
「守られなくなった男が、犯罪か、危険労働か、野垂れ死ぬか」
「その三択しかないのが問題です」
アリシアの指が机の上で止まる。
「第四の選択肢を作れますか」
「例えば?」
「訓練でも、魔法でもない」
「“補助役”としての公的職」
「危険を負わない」
「前線に出ない」
「責任も、最小限」
「それは」
アリシアが眉をひそめる。
「コストがかかる」
「はい」
即答。
「でも、“切り捨てるコスト”ももう限界です」
アリシアは目を閉じた。
(刺さったな)
「あなたは」
しばらくして言う。
「ずいぶん、自分を棚に上げますね」
「俺は」
少し苦笑して言う。
「この世界の例外です」
「参考にすると、危険です」
「自覚はある、と」
「あります」
「だから」
続ける。
「俺を“モデル”にしないでください」
「制度は、”例外”で作ると歪みます」
「正しい」
アリシアは、小さく笑った。
「困ったことに、とても正しい」
「だから」
彼女は、結論を出す。
「制度は、すぐには変えません」
「はい」
「だが」
「実験はします」
視線が、こちらに向く。
「あなたの提案した“出口”」
「小規模に」
「試験的に」
「条件は?」
「あなたは」
「関与しない」
「え?」
「監督もしない」
「指導もしない」
「名も出さない」
「完全に、無関係な存在として扱います」
それは――かなり厳しい条件だ。
「なぜですか」
「あなたが関われば」
アリシアは、はっきり言った。
「“希望”になる」
「それは、制度改革にとって毒です」
納得できる。
(本当に、この人、統治者だ)
「代わりに」
続ける。
「あなたには」
「“観測者”になってもらいます」
「観測者」
「ええ」
「制度が」
「誰を救って、誰を切るか」
「その結果を、あなた自身の目で見なさい」
重い。
だが――逃げ場のない重さじゃない。
「分かりました」
俺は頷いた。
「約束します」
「希望には、なりません」
アリシアは、深く息を吐いた。
「あなたは」
「王族向きではありませんね」
「よく言われます」
「ですが」
立ち上がり、窓の外を見る。
「国にとって」
「必要な“異物”です」
その言葉に、
不思議と悪い気はしなかった。
(異物でいい)
(余剰より、ずっといい)
「今日は、ここまでです」
「ありがとうございました」
書斎を出る前、彼女が言った。
「あなたは」
「制度を壊そうとはしていない」
「ただ」
「“壊れる音”を聞かせに来た」
「それが」
「一番、やっかいです」
俺は、軽く頭を下げた。
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王城を出ると、夜風が冷たい。
(変わるかな)
すぐじゃない。
多分、遅い。
それでも。
(やらないより、マシだ)
俺は、歩き出した。
次に待っているのは――
制度の“結果”を、見る回だ。
少年の一人が、選択の結果を持って戻ってくる。
それは、成功かもしれない。
失敗かもしれない。
あるいは――そのどちらでもない現実かもしれない。




