マイラ・グランヴィルは動揺する2
「な……」
マイラもそうだが、思わず声を漏らしていたのはマイラの父親だった。見るとメアリも驚いて両目を見開いている。
「秘密裏に話す場がちょうどありましたので、彼女の紹介も兼ねておこうと思いまして」
「ま、待て待て、聖女だと! 確かにそういう噂は耳にしたことがある。しかし噂だけで調査はまだ」
「していたのですよ、グランヴィル卿。我が研究所は噂を聞きつけ、すぐに調査へと乗り出しました。これは極秘の王命でもあります故、王妃にも秘密裏に行われていたのです」
(……流れはゲームと同じ)
彼女がマイラ・グランヴィルとなる生前に遊んでいたゲームでも、第一王子とその護衛として調査へ赴いていた王宮魔術研究所の副所長達がフィデス・サンクの奇跡を目の当たりにして、彼女を王城へと招くストーリーだった。ということは既にあの時フィリップスは聖女の存在を知っていたことになる。そしてその聖女というのはゲームにおける主人公の役割を果たしており、ストーリー中に彼女は誰にも使えないような強大な魔術を何度も使用することになるのだが。
(アズヴァルドが王宮にいたしフィリップスも殺したから、聖女が来るとしてもまだ先の事だと高をくくっていた!)
マイラは勘違いをしていた。時系列としては聖女たるフィデスと出会う前にフィリップスを殺す計画だったのだが、既に聖女と出会っていたということになる。話の展開が進んでいなかったため、フィリップスの心はまだフィデス・サンクに惹かれていなかったのだろうとマイラは考えたものの、この勘違いはマイラにとって酷く手痛いものだった。
警戒すべきは彼女の性格というより、その正体不明の魔術だ。ゲーム内では奇跡だと持て囃されていたが、マイラにはその奇跡こそ彼女しか使えない魔術の類だと確信を持っていた。
(私もそうだから分かる。彼女ほど派手な魔術じゃないけれど、彼女が聖女たる所以となるほどの魔術の使い手だってことぐらい)
つまりどういう魔術か、ゲームでもはっきりしていないのだ。とにかく周囲を癒したり謎を解明するような光を出したり、設定自体がふわっとしていたところがある。しかしそれだけに警戒するに足る要素としては十分過ぎた。
(特に『謎を解明した光』って、今の私とは相性が悪すぎる。他にも隠し要素があるに違いない。あまりにも異質過ぎて彼女は『読めない』……!)
この場に彼女を呼んだ理由はアズヴァルドが説明をしたものの、到底それに納得するほどマイラは自分が素直ではないことを自覚している。
(なら目的は彼女と私を出会わせること。出会わせると何が起こる? それともこれから? だとしたらまずい! でも下手に動けない! アズヴァルドはどこまで事情を把握しているの!)
「それではマイラ様」
マイラが次の手を考える暇も無く、アズヴァルドは言葉を続ける。
「彼女とご友人になっていただけませんか?」
「……は?」
(おっと!)
思わず口元を手で押さえる。今のは態度が悪かった。そこから変に読み取られる可能性もあるので、態度にはできるだけ気を配らないといけないのだが。
(友達? は? どういうこと?)
「彼女は田舎の出であり、当然貴族ではありません。しかし聖女ともなれば王城で保護しなければなりません。すると何が起こるかといいますと」
「なるほどな、平民風情が城の中を歩くことに対する差別意識か。マイラの庇護下にあるならば少なくとも目に見える嫌がらせは回避できよう」
「さすがグランヴィル卿、その通りです。歳がほぼ同じである優しきマイラ様ならば、聖女様をその様に扱わないでしょう」
(そりゃそんなことしないけど!)
「部屋はマイラと同じにするのか。あの部屋ならばもう一人か二人追加しても大丈夫だろうしな」
(お父様! 勝手に決めないでお父様!)
「それが理想的ですね」とアズヴァルドは爽やかな笑みを浮かべながら「マイラ様もよろしいでしょうか」
「え、ええ、聖女様が宜しければそれで」
(断りづらい状況を作っておいてよくも!)
マイラからすると今後の活動に支障を来さないかが問題となる。今までは同室にメイしかいなかったから良かったものの、第三者が入るとなるとマイラ・グランヴィルの計画が頓挫する可能性が飛躍的に高くなる。
「あの、ありがとうございます。私などの為にここまでしてくれるなんて……」
「ははは、聖女様が申し訳なく思うことなど一つもありません。まだご自身の力に不安を抱いているでしょうが、今はそれでいいのです。慣れるまでゆっくりとやっていきましょう」
アズヴァルドの微笑みはどこか胡散臭く思えたものの皆が聖女と呼ばれる少女のことを気に懸けている今、それを指摘するには空気が悪い。
「聖女様の荷物は? 元のお部屋から運ぶのは大変でしょう? 一日で運べるかしら」
試しに少しばかり抵抗してみるが。
「ああ、所員と城の兵士達によってすでに城内へ運ばせてもらっていますよ」
(こちらの断りも無くぅ! いやこの副所長、私が断らないと確信していたんだわ!)
「あの、マイラ・グランヴィル様」
白髪の少女が頭を下げ、その髪がするりと下へ流れていく。たどたどしい一連の動作だが、なぜか目を奪われる魅力が潜んでいる。
(この世界の『主人公』たる存在感ね。私もこの子のことは決して嫌いではないし、マイラ・グランヴィルが死ぬ直接の原因というわけでもないし、何より)
「不束者ですが、これからお世話になります。まだこういう高価な場所での生活を知らぬ身なので、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします」
少なくともマイラから見る限り、それは嘘偽りの無い言葉だった。
(本当に良い子なのよね……)
マイラ・グランヴィルという存在さえいなければ『推し』になっていたかもしれない、それぐらい純粋無垢な少女こそフィデス・サンクだった。
――マイラがフィデスを連れて王の間を出て行った後、穏やかだった場の空気が一瞬にして切り替わり、まるで戦争でも起こそうかというような殺気だったものへと変わる。
「我が娘に向けた殺気は覚えておくぞ」
「これはこれは、そういうつもりではありませんでしたが」
グランヴィルが左手で鞘を掴みながら静かに脅しの言葉を投げかけるも、アズヴァルドもまたにこやかにそれを受け流した。
「仕方ありません。そうしなければ――」
「――私が向けていたことでしょう。そう言いたいのですね、王宮魔術研究所副所長?」
「……」
この中で最も位の高い女性が感情の無い言葉でそう言うと、アズヴァルドはゆっくりと頭を下げた。
「そして私がそうした場合、グランヴィル家との確執にもなり得る可能性がありました。隣国との緊張感が高まる中、今はほんの些細な綻びをも見せるわけにはいかないのです」
「故に、王子殺しを早急に見つける必要があります」
アズヴァルドに続いて、今度はグランヴィルが口を開く。
「確かに第一発見者である我が娘が疑われるのは分かる。しかし今回の呼び出しはあからさまに過ぎた」
「ええ、父親であるグランヴィル卿がこの演技に付き合ってくれたのも驚きです」
「グランヴィル家の長として、娘より国政を優先する。強いては民の為に尽くすのは当たり前だ」
「――して」
メアリが話しかけると、二人は即座に頭を下げる。
「黒ですか?」
「不明です。私の勘だけでは説得力も無いでしょう」
「勘では黒だと?」
「……難しいところですね。第一王子の殺害を行う動機がマイラ・グランヴィルにはありません。殺害方法は王子の脇腹を刺していますが、あの王子に刃を突き立てられるでしょうか。あまり現実的な話ではありません。何しろ殺意があればフィリップス王子なら気付かれたかと」
「マイラには殺意が無かったから、フィリップス王子はマイラに警戒心を抱かなかった、と聞こえる。つまりそれは殺意が無ければ殺せたとも?」
「グランヴィル卿、いくら何でも殺意も無しにナイフを突き立て、さらには抉るなんてことは不可能ですよ。特にマイラ様は常識を弁えている方だ、そういう方こそ突飛な行動に出ないものです」
「ならばマイラ・グランヴィルに怪しいところは無かったということになりますね」
王妃の言葉に、しかしアズヴァルドは首を振る。
「犯人は窓から飛び降りて逃げたという話ですが、そちらの証拠も見つかっておりません。証拠という意味ではマイラ様が殺していない事も証明されていないのです。引き続き軟禁は必要かと」
「……娘の妄言か、あるいは虚言の可能性もある、か」
「父親としては複雑でしょうね」
「なに、信じるのみだ。信じた上で疑う。これができねば政治など務まらんよ」
欺し欺されが当たり前の世界を生き抜いてきたグランヴィルにとって、娘が疑われている事実も別段珍しいことではないのだろう。しかしその上で守り抜いてきた自負がそこにはあった。
「もう良い――アズヴァルド、真意を話せ」
王妃の口調が変わり、アズヴァルドが目を開いて一筋の汗を流す。
「――ならば、私の見解を述べましょう。ただしこれは非公式であり、決してこの言葉の上で行動を起こさぬよう約束を頂けますか?」
王妃は頷き、またグランヴィルも了承の意を告げる。
「ならば、マイラ・グランヴィルは黒です。白と考える方が難しい。状況、手段、時間、悉くが彼女に殺すタイミングを与えている。恐らくですが、第二王子が発見された時にそれははっきりとするでしょう」
「何故あの子が……?」
「昨晩から姿を見失っていると聞いております」
「……マイラ・グランヴィルに殺された、と?」
「マイラ・グランヴィルは昨晩部屋を出たのはトイレと湯浴みのみです。指定の時間内に戻ってきて、浴場から洗っている音が聞こえているのも確認済みです。時間的に何かをするのは難しい」
「それは私も報告を受けている。娘が何かを仕掛ける暇は無かった筈だ」
「ええ、そうですね。アリバイはあるのです。私は彼女を疑っていますが、彼女が殺す動機もその手段も見つけられていません。実にもどかしいですね」
「アズヴァルド殿、まるで貴殿は我が娘を犯人に仕立てようとしているように思えるが?」
「決してその様な意図はありません」
グランヴィルが厳しい視線を送るものの、やはり涼しい顔で受け流すアズヴァルドだった。
「して、聖女を近づけたのは何故か?」
メアリの問いに対し、アズヴァルドは即答を避けた。どう説明しようか思案したようにも思えるが、その上で彼は正直に答える。
「聖女様に置かれましては、恐らくマイラ・グランヴィルが何かを仕掛けても問題が無く、そして仕掛ける意味も無いと思ったからです。さらに彼女の行動を制限できれば更なる被害が防げると」
「その様な理由で聖女を利用するか!」
聖女とはその名が示すとおり、神聖なる存在である。この世界にはあらゆる人間が魔術を行使するが、聖女の魔術は平民から王族を含む全ての人間とは違う特殊な魔術を使う伝説があった。そして聖女の役目は大概の場合世界を救うことと相場が決まっており、聖女誕生は謂わば近々災害規模の出来事が起こることを意味している。グランヴィルが怒鳴るのも道理だった。
「しますよ。事は重大だと、わかりきっているでしょう? 聖女は大切な存在ですが、それ以上に国の行く末のほうが問題です。そも災害はこの国で起こるかも分かりません。不明なものに備えるのは現実的に難しい。ならば目の前にある危機への対処を行うのが最善手です」
国の行く末への不安とはは隣国との緊張状態であり、また王位継承権第一位の王子殺害という事件の余波による国内情勢の変化でもあり、また再度国を揺るがす事件が起こるかもしれないことへの懸念であった。それを突かれたグランヴィルは黙り込み、メアリは深く頷く。
「確かに、尤もです。過去幾度となく王の座を賭け陰謀が巡り、誅殺、毒殺などありましたが、此度は違います。いいですね」
「――はっ」
跪く二人の男性を見下ろしてから、メアリは席を立つ。
「アズヴァルド副所長、本来の業務とは違う仕事を押しつけてまで力を尽くしてくれていることに感謝を。またグランヴィル卿にはマイラ・グランヴィルの監視を。王は我が子が死に喪に伏しておられる。しばらくは私へ報告をするように」
「承知致しました」
深々と頭を下げ、それは王妃が王の間を去るまで続けられたのだった。