マイラ・グランヴィルは動揺する1
朝食を終えたマイラは、特に予定のない一日を過ごすことに心のどこかで平穏を感じていた。というのも昨日が色々とありすぎたのもあり、今日は可能なら何事も無く無事に過ごしていたいというのが本音で、もし何も無いのであればマイラの工作はある程度上手くいったという証明にもなるからだ。
(椅子に座って外を眺めながら過ごす午前の時間、なんて贅沢なのかしら)
毎日こういう日々を送りたいところだが、さすがに食っちゃ寝状態が連日続くのは体裁が良くない。それにマイラの目的も果たさなければならない。
(問題は次いつ動くかよね。『彼女』が来る前にできるだけ事を進めておきたいし、計画を進めれば進める程私の知っている世界とは違ってくる。まだ予想の範囲内であることはありがたいけれど)
「マイラ様」
考え込んでいる頭が急激にストップして、マイラは名前を呼んできたメイドへと振り返る。マイラに仕えている彼女の名前はメイ。マイラにとっては幼い頃から世話になっているのもあり、半ば姉のような存在だった。
「お父様がお呼びです」
「父が?」
「会わせたい人がいるので、正装で来られるようにとのことです」
王宮内なのだからそもそも正装以外の服装が認められる筈もない。いくらマイラが有力貴族の娘であろうと、まさか寝間着で廊下を歩くといったはしたない真似が許されるのならば、恐らく今頃はもっと簡単に計画を遂行できていただろう。
「メイ、着替え手伝ってくれる?」
「もちろんです」
「……それと、香水も強めでお願いするわ」
「はい」
準備を終えたマイラは軟禁されている部屋を出ると、門番代わりの警備兵が彼女に向き直ってくる。
「話は伺っております。昨日のエドアルド王子の特例を除き、今回も一定の時間までの外出となります。特殊な事情を除き戻られなければ失踪扱いになりますので、十分にご注意を」
「ありがとうございます。十分に気をつけることにしますわ」
(ここで貴族スマイル)
にこりと完璧な笑みを浮かべて顔を斜めにすると、警備兵は一瞬見蕩れた様子で言葉を詰まらせた後、軽く咳払いをする。
「ではマイラ様、参りましょう」
「ええ、案内宜しく」
メイに案内をさせる必要などなく、この城の構造はほぼ把握している。何しろ子供の頃から親に連れられてよく来ていたのだ。当然目的は第一王子フィリップスとの仲を深めるといったところだが、フィリップス自身の気持ちはともかくマイラにとって城に連れてこられるのは非常にありがたいことだった。幼いフィリップスがあちこちを案内してくれたのは今となっても輝かしい思い出だ。
城内をすれ違う貴族と思しき男性に頭を下げる。その男は一瞬目を見開いたかと思えば慌てて頭を下げた後、逃げるように去って行った。マイラの素性を知る者の反応だ。以前からグランヴィル家の娘であり王子の婚約者であるマイラは利用すべき人間、取り入るべき小娘として特別扱いされるか、あるいはその度胸のない貴族からは腫れ物扱いされることが多かった。そして今となっては殺害された王子の元婚約者であり第一発見者、そして扱い的には容疑者の一人となっているのだから以前より遙かに人が避けるようになりつつある。または同じ女性から同情の視線を受けることもあり、マイラからすれば『人が勝手に離れてくれる』のだから都合が良いことこの上ないといったところだ。
「こちらです」
メイの案内した先は、王城内で最も緊張感が溢れる場所――王と面会する王の間である。正式には王と向かい合った王城内でも特殊な魔術が施された巨大な両開きの扉から入るのだが、今回は正面を王に据えた場合の左手にある小さな扉からの案内だ。扉を開こうとすると「チリンチリン」と来訪者を報せる音が鳴り響く。
さすがに中にまではメイも案内できず、扉の前で待つことになる。一人になることへの不安もあるが、まず用件というものを知らないと心構えも難しい。
中に入ると王こそいなかったものの、マイラの父と、そして王座には王妃が座っている。本来の王が来ない場合は代理として王妃が用を為すという知識はあったものの、実際に見るのは初めてだった。グランヴィル家は代々王家に仕え重宝されてきた貴族なのでこの組み合わせ自体に不思議なところはない。あるとするならば――
「おはようございます、マイラ様」
なぜか自分の父と並んで王宮魔術研究所副所長のアズヴァルドがここにいることだ。
ピリ、と警戒心が生まれたのを表に一切出さず、マイラはスカートを持ち上げて礼をする。
「さすがはグランヴィル家の令嬢ですわね。その年齢で作法が様になっているようです」
「ありがとうございます、メアリ様」
自分が言うよりも早く優雅な一礼を以て父が言葉を発していた。まるでそう言われることを事前に知っていたかのようだ。事実、知っていたのだろう。
「さて、この度お前を呼んだのは、会わせたい人物がいるからだ」
「会わせたい方、ですか、お父様」
「ああ、第二王子エドアルド殿下だ」
手が跳ねそうになるのを強引に抑え込んだ。
「会うのは初めてではないだろうが、話すのは初めてだろう?」
「――いいえ、実は昨日お会いしております」
「そうなのか」
驚く父親に、アズヴァルドがそっと前に出てくる。
「エドアルド王子は昨日、マイラ様をお連れして我が魔術研究所に来られました。親しく話してらしたのがとても印象的でしたよ」
「アズヴァルド卿がそう仰るならば、そうなのでしょう」
何やら父親は強く頷いて納得している様子だが、一方のマイラは彼らの目的が見えず頭の上に「?」マークを浮かべている。
(そりゃ連れ回されたけど、楽しく話していた? あの人の目はどうなってるの?)
とてもではないが楽しく話していたつもりなんて微塵もない。できうる限り早く解放して欲しかった気持ちと、勘の良い王子と天才の魔術師を前にどう出し抜くかで必死に頭を回していたのもあり、場を楽しむ余裕などまるでなかった。
(というか、昨日の今日でエドアルドの話? どういうつもり? まさかもう発見されたの? となると私は容疑者として呼ばれた? 人数がこれだけしかいないのは騒ぎを最小限に抑え込むため? ならば衛兵の代わりにアズヴァルドを呼んでいる説明がつく!)
かのアズヴァルドならば自分を容易く制圧できるだけの力を持っているだろう。マイラも格闘術を学んできているが、風の噂に聞く彼の力は武術・魔術共に自分を十分上回っていてもおかしくない。事を穏便に済ますならば最適な人物の一人とも言える。
(とにもかくにも納得する理由が欲しい!)
「ならば話は早い。マイラ、今日からお前はエドアルド殿下の婚約者だ」
――納得した。
それと同時に頭が痛くなる。
「エドアルド殿下は気紛れな方だ。いまだどこに出掛けているのか誰も知らぬようだが、現在捜索中である。今日は王子と顔合わせをしてもらう」
「す、すでに顔は合わせておりますが……」
「非公式な場でだろう。まぁ、これも半分非公式みたいなものだが、改めて正式に顔合わせをさせておきたい」
「マイラ」
まるで耳元を抜けるような、そんな透明な声だった。決して大きくはない、むしろ囁くような声だったにも関わらず彼女の言葉は心臓を掴んでくる。たった一声を前に流れていた空気は止まり、マイラの父と王宮魔術研究所副所長はごく自然と膝を折り頭を下げていた。
王妃であるメアリの涼やかな双眸がマイラを掴んでおり、自然と身体に緊張感が走るのを覚える。
(相変わらず化け物みたいな人……!)
声に魔術でも載せているのではないだろうかと疑うぐらい、その端麗な容姿からは考えられない存在感が放たれている。
(しかも出し入れ自由なのよね。どういうこと?)
「我が息子が迷惑を掛けています。ですが、貴女ほどの才女ならば我が子の許嫁候補に相応しいでしょう」
(『候補』?)
ということは確定ではないのかな、とぼんやり考える。正直第二王子の許嫁云々などマイラにとってどうでもいいことである。
(だって死んでるもの。なれないものに興味を持てって言われてもねー)
「しかしまだエドアルド王子が見つからないのは、やや気懸かりですね」
アズヴァルドの言葉に、王妃は小さく頷く。
「昨夜からいなくなっていたとのこと、最後に見たのはアズヴァルド副所長、あなたでしたか」
「恐らくは。第一王子の件もありますので、城内での動きについてはある程度把握させてもらっています。私の立場なら捜査に協力することも多々あると思いますので」
「副所長、昨夜怪しい動きをしていた者はいなかったのか?」
というのはマイラの父親だ。マイラを一瞥した後、アズヴァルドへと向き直る。
「エドアルド王子が研究所を出た後は、どこへ向かったのか。何かに巻き込まれていないだろうな」
「調べておきましょう。王妃、通信魔術を使用しても?」
「ええ、許すわ」
「ありがとうございます」
王の間ともなれば容易に魔術を使う訳にはいかず、必ず許可を得る必要がある。魔術を発動する寸前、魔術は力となって形を得る故に、もし王あるいは高官達に魔術で害を為そうとしても事前に察知が可能だからだ。一見して害の無い通信魔術一つとってもそれが他国へのスパイ行為を防ぐ意味もある。魔術の管理は徹底しており、例え王であろうと宣言してからでなくばこの場で魔術の行使は認められていない。
(ということは、エドアルドのいない現状を思ったより重くみているかもしれないわね)
元々あの野性味溢れる性格なのもあり、ふらっと城を抜け出すことは度々あった。今まで無事だったのは彼の実力のために他ならず、ならず者やそこらの暗殺者では彼に到底及びもしない。
(まぁ、王子が強すぎるなんていかにもゲーム設定らしいといえばらしいけど)
自分の父親とアズヴァルド、そして王妃が揃っていて肝心の王子がいないのに、そこへ自分を呼び出した。許嫁の話だけだと考えるのは少し違和感を覚えて、マイラは決して顔には出さず心を冷やしていく。
(さっき想定した通り、下手な警備兵を付けずにまずは内々で話を進めたいという意図は間違いない。それだけなら私の部屋に父が来るだけで良かった筈。なぜ王妃がいるの? アズヴァルドの人選は分からなくもないけれど、そこまで秘密裏にしたいなら父だけで話をしてきても良かったのでは?)
マイラが軟禁されている部屋ならば、父の権力があれば容易に人払いが可能だろう。
(なら、考えられるのは?)
マイラが想定しているのは、まず『この人達は第一王子同様に第二王子も殺されている』と考えている。
(これは一番最悪ね。他には?)
『第一王子の殺害はさておき、第二王子の失踪にマイラが絡んでいるとみている』
(先ほど父が王子の足取りを質問していたのは、私に対する揺さぶりだったかもしれない。あとは――)
『本当に言葉通りの用件だった』
(だとしたらどんだけ心安らかにいられるでしょう)
マイラに対して何かしらの疑いを抱いているとしても、その中身を暴かなければ動きようもない。
(今のマイラは『何も知らない第一王子の婚約者』よ。その心情をしっかりと描ききらないとここは危険ね。特にアズヴァルドは些細な違和感を決して見逃さない)
すぅ、と息を吸う。
「お父様、少しお話をよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「フィリップ……フィリップス殿下が何者かに殺されてまだ間がありません! 私の目の前で! それなのにもう次に心を入れ替えろと言われるのですか!」
「――まぁ、言いたいことは分かる。だがな」
「いいえ、いいえ! お父様のお立場は十分に承知しています! 私もお父様のお力になりたいと常々心に決めております! それにしたってもう少し時間を頂かなければ整理が付きようはずもありません!」
「……むぅ、まぁ、そういわれればそうなのだが……」
昔から娘の押しに弱い、という父の欠点は十分に承知している。
「お父様の申し出はもちろん受け入れます。受け入れますが、もう少しだけあの人のことを思っても良いのではないでしょうか……?」
「うっ、確かにフィリップス殿下とお前は昔から仲が良かったからな……私も王子が亡くなられて胸が痛いのだ」
後半の言葉は娘というよりも王妃に向かってだろう。決して第一王子のことを軽視しているわけではない、というアピールだ。娘にこれだけ言われても決して政治的判断を怠らないところは、この世界に長く生きてきた者としての賢しい部分だろう。
「お話はこれでお終いですよね、お父様! メアリ王妃、私は時間制限がありますのでこれで一度退室致します」
「――そう、そうね」
「待って下さい」
さっさと話を切り上げて戻ろうとした彼女を止めたのは、冷え切った王の間をさらに冷たい刃で切り裂くかのような声だった。
声の主である王宮魔術研究所の副所長は、まさしく鋭い殺意を向けて『彼女』に視線を送っている。それに気付いた父親に緊張が走り、柄へと手を伸ばすが、メアリが無言で彼を制す。
(……気付かれた? いいえ、気付かない振りをしなさい)
くるりと振り返り、少し怒り気味の顔を作ったままマイラはアズヴァルドを睨む。
「何でしょうか。話は済んだと思います」
「いいえ、本題がまだですよ。ああすみません、少し気を張り詰めないとマイラ様が帰ってしまいそうだったので」
「……? 本当に何なんですか?」
「紹介したい人物がおります。マイラ様の良いご友人になられるかと」
「私の? 何を――」
マイラの後ろのドアが開く音が聞こえてきて、思わず強張る。
「いいですよ、入ってきなさい。フィデス・サンク」
(フィデス・サンク!)
さすがにドアのほうに目を向けるしかなかった。
(まさか! このタイミングで! もう『彼女』が出てくるというの! まだ早い――)
ドアが開ききり、そこから現れたのは美しき白髪の少女。薄い緑色のドレスを身に纏い、凜と青い瞳が美しく、すらりとした鼻立ちと薄い唇、まるで作り物のような二重で整った顔立ちは貴族の中でもそうそう存在しない神々しささえ宿した美少女だった。年齢はマイラ・グランヴィルと同じだが、それでも存在感が違うと思わず屈しそうになる。何に、どうして、そんな理由がないというのに。
「初めまして。フィデス・サンクと申します。あ、故郷ではサント・フォワと呼ばれていましたが、フィデスのほうが読みやすいと言われましたので」
「彼女は」
たどたどしく自己紹介を始める少女の言葉を遮って、アズヴァルドはマイラの横を抜けて少女の隣へ。そしてその背中を軽く押す。
「伝説上で語られる『聖女』の奇跡を起こした少女であります」