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マイラ・グランヴィルは振り回されて4

 思わず両耳を押さえながらマイラは俯きつつ、彼らの会話内容を思い返す。

 グラスに魔術を施したのは、自分がいない間にどういう会話をするか盗聴するためだった。アズヴァルドが先に部屋を出るという隙を見せなければとても使えない魔術だったが、とりあえず割れても効果を発揮してくれたのは思わぬ幸運だ。おかげでエドアルドの行動はある程度推測が可能になった。

 問題は割れたグラスに残ったひとかけらの魔力に、アズヴァルドが気付いた場合だ。そこらの魔術師では感知不可能な残滓に過ぎない魔力だろう、と、あの副所長ともなれば話は別だ。もし割れたグラスを片付けたのがアズヴァルドなら? それ以前に自分が手ずからグラスを戻した行為に不審を抱いていたならば? 後になって考えれば考えるほど自分の行為にミスがあったのではないかと振り返らざるを得ない。

(いいえ、今のマイラ・グランヴィルは心優しい貴族の娘。誰にでも親切にするし、嘘を吐くこともない。その仮面だけは誰にも気付かれていないのは確か。事実、私は魔力紋の探知をも潜り抜けた)

 魔力の波紋を調べる時に唱える一般的な魔術である発光は、体内の魔力を使った最も基本で簡単だとされており、魔力を扱える者ならば誰にでも実行可能な魔術とされているため魔力紋チェックにも必ずといっていいほど使われる、そういう魔術だ。ただしどういった理由からかマイラ・グランヴィルはその発光させるだけの魔術すらも使用できない。体内魔力は確かに発動しようと動いているのだが――他にも基本となる多数の魔術があるものの、どれ一つとして使用不可だ。マイラ・グランヴィルは元々の(ゲーム)でも魔術が使えない貴族としての劣等感を強く抱いていたため、それもまた性格が歪む一つの原因となったのだが。

(魔力が働くということは、魔術は使えるということ)

 今のマイラ・グランヴィルではなく基となった話の彼女が魔術に気付くのは、貴族なら使おうとも思わない魔術を使おうとした時だ。

(つまり才能はあった。とことん貴族向けの魔術ではない、全くの別系統の才能が)

 それを事前に知っていたからこそ早い段階(幼い頃)から密かに魔術の訓練をこなせたし、逆に周囲には一切魔術が使えない子として振る舞うこともできた。もし何も知らなければ元のマイラ・グランヴィルと同じく魔術に対して劣等感を抱いてしまっただろう。

(今のところあの副所長を欺けた功績は大きい。欺けたらば、だけど。あっちの方は――)

 この部屋から出ることは容易い。部屋の前に警備兵がいるだろうけれど、まさか四六時中この部屋に居ろという訳ではない。

「擬態よ」

 少し強めの魔術を発動する。メイが残していったメイド服がふわりと持ち上がり、まるで透明人間が来ているかのように膨らみを増していく。その頭にはメイそっくりのカツラを被せ、うつむき加減にして前髪で透明の顔を隠す。

(もう一つ魔術が必要ね)

「顔よ」

 ふんわりと、どこかモザイクめいた顔の輪郭が浮かび上がる。

(もう暗いし、なんとかなりそうね)

 扉を叩いて向こう側にいる警備兵に話しかける。

「申し訳ございません。所用で少し出たいのですが」

「要件を」

「……お風呂と、その、お花を摘みに」

「わかりました。お付きのメイドも一緒でしょうか」

「もちろんです。ね、メイ」

「外に出ていられる時間は決められています。所定時間を過ぎますと我々が探しにいきますので、その前にお戻り下さい」

「もちろんですわ」

 マイラは自分の横に立っているメイド服姿のそれの、手袋をつけた手を取って扉を開く。それは長い髪の女性に思え、顔こそいまいち判別がつかないものの、時間が時間で薄暗く、警備兵からしたらそういうこともあるだろうという程度に思えた。

「マイラ様、灯りは」

「メイが魔術を使えます。それに毎日通っている処ですもの、目を閉じても大丈夫です」

「――それではお気を付けて」

 一礼をする兵士に軽く頭を下げて横を通り、ゆっくりと歩いて行く。廊下を曲がるまでは一定の速度と魔力を使うため、正直思ったより疲労感が凄い。魔術というのは使い続けると意外と疲れるものなのだ。

(第一関門突破ね)

 抜け出せたとはいえ、時間制限が存在する。急ぐ必要があった。

 誰も居ないことを確認してから――もちろん今の時間なら誰もいないことを事前に知っているが――マイラは廊下を駆け出したのだった。


 エドアルドは立ち入り禁止となっている兄の個室に無断で立ち入り、その部屋を見回した。部屋の中は灯りが無く、目をこらしてようやく全体が拝める具合だ。現場保存のために割れた窓はそのまま、部屋中もそこかしこが散らかっている。かつて才覚を発揮した第一王子の部屋にしては質素極まるとばかりに飾り気のない場所だが、それだからこそ兄のフィリップスは王城内で唯一心を休ませる場所としていたのかもしれない。

 あの夜の兄は婚約者のマイラ・グランヴィルをここへ連れ込んだという。不埒なことをしようとしたわけではなく、あのフィリップスのことだ、婚約者相手へ改めて自分の気持ちを伝えようとしたのだろう。妙に義理堅く生真面目なところがエドアルドとは合わない部分だったが、それでもあのフィリップスならば王国を正しく導いてくれるという信頼だけはあった。

 実際、その性格の堅さはさておき頭が柔軟に働き、人には誠意を見せ、剣の腕も魔術の腕も見事なものだった。真正面からあの兄を打ち倒す者となれば騎士団の中でもほんの一握りしかいないだろう実力者がいとも簡単に殺されたという事実だけでも未だに信じがたい。

(だが、死んでいた)

 兄の死に顔を見た。

 棺に入った兄の姿はどうだったか。顔だけ覚えていて、他の記憶が曖昧だ。第一発見者であり一応容疑者となっているマイラ・グランヴィルは葬式に参加できなかったものの、彼の死を悲しまない者はいなかった。そう、人望も厚かったのだ。彼ならば隣国との緊張状態も何とかしてくれるのではないかという期待すらあった。そんな傑物となるべく生まれた彼を殺した人間がいる。

(まぁ、許されることじゃねぇ。許さねぇ)

 自然と手に力が入る。

(犯人は俺がこの手で殺す)

 ――その為に独自に調査をしているのだ。

 何としても騎士団より早く犯人を見つけ出し、真っ先に八つ裂きとするために。兄を殺した実力者であろうと関係が無い。およそどの様な手を用いても確実に殺すだけだ。

(まず、フィリップスはどうやって倒れていた)

 聞き及んだ状況を思い出し、発見当時の状況を頭の中でイメージする。

 マイラの腕に抱えられたフィリップス。刺されていたのは脇腹を一刺しされたということだ。背中でも正面からでもなく、横から。不意を突かれたと考えるのが妥当だろう。

(魔術を使った隠遁か。それで気配も音もなく? けれどそういう魔術を事前に使われていたならば警備に引っ掛かりそうなものだが)

 王城内において、姿を隠す、音を消す、といった特殊な魔術の使用は認められていない。当時は王宮魔術所の所員達が城全体に不審な魔術を使用した場合、すぐに発見ができるように細工をしていたという報告もある。

 それでも犯人は間違いなく魔術を使用した。だからこそ王宮魔術所の所員が気付き、兄が殺されてすぐに警備兵が飛んできたというのもある。

(刺された状況、か)

 マイラをかばったからか?

(それなら正面から刺されていそうだが)

 実力者であるフィリップスだからこそ、いくらマイラをかばっていたとしても真正面から刺しにいくのは無謀だったからか?

(だとしたら兄は侵入者に気付いていなかった)

 気付かずに、本当に何も気付かずに。

(刺された。どうやって)

 床に残る血の跡から、兄がどう動いて、どう反応して、そして事切れたのかをイメージする。確証があるような話ではなく、彼の野生に近い勘が為す一種のシミュレートだ。

「刺されたのは左脇腹。刺したあとも刃物を回して念入りに殺している」

 マイラの方を向いていたのは間違いがなさそうだ、と彼の勘が告げている。

「人を殺すなら利き手で殺すだろう。両手で持つかもしれないが、それなら真っ直ぐ刺しに来ると考えたほうが自然か。なら背中か胸、あるいは腹だ。脇腹となると、脇腹を狙える位置となれば」

 フィリップスの位置関係、そこにいた人間。狙える箇所。

「利き手……」

 最近その単語を耳にしたような気がする。何だったか、誰だったか。どういう状況だったのか――

 ――利き手は右手でしょうか。

「……右手が利き手だった」

 だとしたならば。

 油断した兄を一番簡単に殺せるのは、やはり。

「やはり犯人は」

 他に誰も存在せず。

「恐らく魔術も使用可能で」

 思い込みが偽装工作を容易いものとして。

「隠し持っていたナイフで殺し、のうのうと生きてやがるのは!」

 ――マイラ・グランヴィル。

「マイラぁぁ……!」

 その女の顔が浮かび上がる。証拠はない。だが、どうやっても彼女以外に兄を殺せた人間がいないのだ。彼女は魔術が使えないという前提を排除するだけでいとも容易く彼女はえげつない行為に及んだのは簡単に想像が付く。

「あいつを問い詰める――」

 暗い部屋の中央、そこから外へと出ようと振り返った彼の横目に映ったのは、何かを振り下ろしている少女の姿だった。いつから物陰に隠れていたのか、エドアルドはまるで反応ができず。


 ガッ、と堅い衝撃が頭部を潰す。


「あがっ……!」

 致命傷に至る一撃が、意識を混濁させる。

 何が起こったのか、何をされたのか。状況を把握するにもその視界は赤く染まり、ほとんど何も分からない。判らない。解らない。

「……」

 自分を殺害する者の姿だけでも見ようと顔を上げるが、その者はそれすらも許さずさらに堅い物で殴られた。あまりにも重く焼けるような一撃である。先ほどので頭が割れて脳が潰れているのなら助かりようもないというのに、何という念の入れようか。確実に殺すという意思がこれほど伝わってくるなんて、初めての経験であり、これが最期に味わう人間の感情となる。

(解らないが、『わかる』……お前は……お前はぁ……!)

 僅かに残った力を振り絞り、手を伸ばす。

 ぼやけた視界の先にいるメイド服を着た殺人鬼に向けて、その手を伸ばす。

 伸ばしたのに、その手が、手首から、ぼとりと落ちた。

(マイラァァ……グラン……ヴィ……!)


 事切れた第二王子を前に、マイラは持ってきた大きめの布で丁寧にその頭を拭く。

(メイド服って便利。それに割れた窓があるのはありがたいわね。過去の私、グッジョブ)

 王子の身体は鍛え抜かれた者特有のしっかりとした筋骨をしており、実際それに見合った重量がある。マイラの魔力がどこまで足りるかはやってみないと判明しないが、それでも工作は行わなければならない。

(死んですぐだから彼の魔力も……使える。これなら)

 マイラの魔術は決して一般的なものではない。ただ、彼女の魔術はあることに特化しているだけに過ぎないのだ。特化した魔術がたまたま相手の残った魔力をも利用できるというのは実に幸いなことだった。

(って、何をナチュラルに殺してるの私は! いやとても殺しやすいシチュだったんだけど!)

「いやいやいや、この男は真実にたどり着いたんだから、まずは殺しておかないと……」

 マイラ・グランヴィルは首を何度か横に振る。

(そう、気付いた人間を放置しておくことこそ馬鹿っていうものよ)

 確かに将来的には殺すつもりではあったが、こんな短時間に二人も手に掛けるつもりはなかった。今この第一王子が殺された場所でさらに第二王子まで死体となって発見されたりしたら――

(さらにまたも第一発見者が私というのはとてもまずい。今でも危うい立場なのに)

 だからこそ命を失いただの物体となった王子の肉体を動かし、窓の外へ――その漆黒に塗り潰された闇夜の底へと落とす。何かがひしゃげた小さな音がしたものの、さして気にせずマイラは死体をある方向に向けて歩かせ続けた。本格的に操作するとなれば近くに寄るか、あるいは膨大な魔力量を必要とする。だがただ一点に向かって歩いていくだけならば無理に魔力を使う必要も無い。

(血は拭ったけれど、さすがに部屋の中には新しい血痕が残っているわね。でもただの水みたいなものだし、それなら魔術で操れる)

「浮き上がれ」

 まだ乾いていない新鮮な血液だけが地面と分離し、空中へと浮かび上がってくる。暗い部屋の中に差し込む僅かな光でそれが紅みを帯びているのが解るものの、ほとんと黒い液体みたいなものだ。乾いていない新鮮な血液は全て浮かび上がらせて一つにまとめたのだから、少なくとも見た目は以前と変わらない現場のままとなる。

(さて、これを)

 棄てる場所はあるだろうか、と回りを見渡す。それなりの量となる血液を利用する方法は思い浮かばないのだが、折角なので有効活用したいところだ。

(――いえ、冷静になりなさい。そもそも殺した痕跡を一切残さないのが一番良いのよ。となると、コレしかないわね)

 窓から外を見回す。

 城にも、というか人が住んでいる場所ならば必ず存在する『それ』をキョロキョロと探す。

「あった。……遠いわねー」

 城の端の端に目的の施設がかろうじて見える。

「うん、こんなものは水に流すのが一番よね」

 彼女は浮かべて丸くした血の塊に魔力を流し、その井戸へ向けて飛ばしてみた。

「入れ~……入れ~……は~い~れ~……お、おお、よーし、ストラーイク」

 水の中に血の塊が落ちる音は聞こえてこなかったのが、残念といえば残念だった。


 朝食はいつも部屋に運ばれてくる。軟禁状態である彼女は家族と食事することも許されず、唯一一緒にいるのはメイドであるメイだけだが、彼女は主人が食べている間はずっと背後で立っているため、やはりこれは実質独り飯ということになるのだろう。

「いただきましょう」

 するりと、目玉焼きにナイフを通す。半熟に焼かれた目玉焼きからとろりと黄身が溢れ出す。

「お嬢様、お水は?」

「ええ、いただきますわ」

 メイが透明な水をコップに注いでいく。

「全ては透明に、ね」

 その水を飲み、マイラは小さく微笑んだのだった。

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