マイラ・グランヴィルは振り回されて2
ドン、と壁に追い詰められた初老の宮廷魔術師が助けを求めるようにマイラへと視線を向けてくる。
(自分の半分も生きてない小娘に助けを求めないでよ)
とはいえ国の王子が突然やってきて胸ぐらを掴む勢いで間合いを詰めてきたら、それは誰だって怖いだろう。まず自分が不敬を働いたかどうかを疑い、それから身に覚えがないことを確信し、だからこそ何が起こっているのか分からない、といったところだろうか。
宮廷魔術師といえば王国内でも独立した勢力を誇る一派である。そもそも魔術というのは不特定多数が使用可能である以上、どうしても国による法制度が厳しくなる。特定の場所以外や特定条件に当てはまらない場合は一定以上の出力を誇る魔術を使用禁止にするなどがそれに当たる。そして違法な魔術を使った者への対処、また国に貢献する魔術を研究し、いざ戦争ともなれば重要な戦力として期待されているのが王宮魔術師の集まるここ、国立王宮魔術研究所である。才能を見込まれた人間が厳しい試験を乗り越えてようやく成れる宮廷魔術師を最も多く輩出する、まさにエリート集団と呼べる連中でもあった。
(ここには『あいつ』もいるのよね)
「おい、兄――第一王子が殺された時の現場検証は誰がやったか覚えているか?」
「ひぃっ、あ、アズヴァルド副所長です」
(アズヴァルド……!)
また引っ掛かる名前を出してくれる、とマイラは心の中で舌打ちをする。アズヴァルドといえば前世でプレイしたゲーム内で悪役令嬢たるマイラ・グランヴィルを殺害した男の一人だ。
「奴か……面倒くさい奴だからパスしたいところだが、今どこにいる?」
「そこの研究室にいるんですが、研究に没頭してると思われるのでしばらくは出てこないかと」
「いいさ、俺から出向く」
「ま、待ってください! 副所長からは誰も入れるなと命を受けてて!」
「王子が来たんだ。顔ぐらい見せろって、なぁ?」
(チンピラかしら?)
強引に扉を開こうとした矢先、先に開いた扉にエドアルドが躓きそうになる。中から見せた端正で細身の顔、黒い髪の毛を後ろで無造作に束ねた背の高い青年がエドアルドを見下ろしている。特徴的な白衣の丈は膝にまで届いており、その白色に掛かった黒髪がやけに映えて見える。――からこそマイラはそっと目を逸らした。
「これはこれはエドアルド様。此度はどの様なご用件で?」
「ようアズヴァルド、ちょっと訊きたいことがあってな。他言無用の話だ、できりゃそこの研究室の中で他に誰も入れず話をしたい」
「そちらの」
黒髪の男――アズヴァルドがちらりとマイラに視線を送る。
「噂のお嬢様もご一緒で?」
確かに今の城内、恐らくは国中で話題になっているのは間違いないだろう。何しろ殺されたばかりの第一王位継承者であるフィリップス、その許嫁であるマイラが人々の話題に上らなくなる日はまだ先のことだろう。
「ああ、詳しくはこいつから話して貰う」
(ええ~、そのぐらいは王子がやってよ~)
口には出さず目だけで反論するも、気付いてるのかそうではないのか、エドアルドはにやりと笑ってマイラの肩に手を置いた。
「んじゃそういうことだ、任せたぜ」
思わず第二王子の手を払いのけてしまったが、彼は気にせず研究室の中へと入っていった。
「まだ良いとも悪いとも言ってないのですがね」
ため息交じりにそう言いつつ、アズヴァルドが手を差し伸べてくる。
「ご令嬢には何かと窮屈で汚らしい場所とは思いますが、ご容赦を」
「お気になさらず」
くすりと笑ってその手の横を通り過ぎ、マイラも研究室の中へと入っていった。
「おやおや、これは」
「おいアズヴァルド、中には他に誰も入れるなよ。聞き耳立ててる奴がいたら俺が直々に処罰するからな」
「ひっ」
先ほどの研究員が顔を真っ青にして遠くへと離れていくのを一瞥してから、三人は研究室に置かれている木の椅子に腰を掛けた。
「申し訳ありません。予算の都合で堅い椅子しかここにはないのですよ」
「予算の文句は親父に言え。じゃあ説明よろしく」
「仕方ありませんね……」
マイラは、ふぅ、と一息吐いてから、先ほどエドアルドと話した内容をかいつまんで説明する。時折エドアルドから注釈らしきツッコミが入るので、まるきり説明を任せる訳ではないらしい。通しで話し終わるまで黙っているアズヴァルドに対し、マイラが「本当に聞いてるのですか?」と質問を投げかけたくなるのを押し殺しながら「以上です」で締めくくる。
「――なるほど、王城内の誰かによる犯行の可能性。魔術が使えるとなれば真っ先にここが疑われるのは道理でしょう」
「その、別に疑っているわけでは」
「ああ、疑ってるさ。全部に疑いを掛けなきゃ捜査にならねえからな。魔術が絡んでいるとなれば当然お前も容疑者の一人だが、それでもまずはお前に話を通す必要があった」
「それはどうしてです?」
「魔術の種類を鑑定するにしろ、そこから推理するにしろ、王城内の適任者はお前しかいないからだよ。お前以上に王城内の魔術師共を把握している人間がいないのだから、まずはそうするのが手っ取り早いというわけだ」
「ふむ、なるほど。私が犯行を行う可能性と、私が犯人の特定または証拠に行き着く可能性を考慮した結果、後者を選んだと。理性的な判断に感謝しますよ」
「感謝なんざいらねぇよ」
「いいえ、これで一時とはいえ私は王子の容疑者から外れますからね。さて、それではお二人の推論を元に使われた魔術の痕跡があったかどうか、その事についてですね」
少しだけマイラは緊張感を高める。
「恐らく、その魔術は使われています」
「そうか、なら魔力の波紋から特定もできるな?」
「いいえ」
アズヴァルドは首を横に振る。
「できませんでした」
「つまりそれはお前の知らない奴の魔術だってことか?」
「ですね。少なくとも王宮魔術研究所内では把握していない人物の犯行とみてよいでしょう」
「そうか……ところでお前は」
エドアルドは親指でマイラを差す。
「こいつの魔術とか調べたことあるのか?」
(予想はしてたけど、やっぱりそう来るかぁ)
協力関係みたいな形になっているから容疑者から外れたのではないか、という淡い期待を抱いていた。けれどもこの第二王子は先ほど全てを疑うとはっきり口にしたということは、まだマイラも疑っているのだということだ。
先ほど話に出てきた魔力の波紋とは、魔術を使用した際に残る魔力の痕跡である。いわば魔力の指紋であり、個々人によって全て波長が異なる。調査において必ず調べるものであり、この波長は確たる証拠として扱われることが多い。
「いえ、ありませんね。そもそも調べる必要が無いと思っていたので」
「それはあれか、魔術が使えないからか」
「ええ、有名ですよ。貴族の方で魔術が使えないというのは珍しいことなので」
「はん、じゃあ調べてみろよ。念のためな」
「ふ、む。それは――」
アズヴァルドは少し言い淀み、じっとマイラを見つめてくる。
「魔術を使えない者の魔力は調べられないのです。何しろ魔術を行使していないのだから、魔力の痕跡が残る筈もない。もしここで調べて彼女から波長が検出されようものなら、それは」
それは、国家への裏切りを意味することになる。
魔術が使える臣民は必ず魔力の波紋――魔力紋を登録することになっている。それは魔術による犯罪抑止でもあり、また国が魔術師の才を持つ人間を発掘する機会を得るためでもある。ましてやマイラは名門貴族であるグランヴィル家の令嬢であり、魔術が行使できないという虚偽を行ったとなれば昨今の騒ぎも相じて大問題へと発展することだろう。
(魔術が使えるとバレてしまえば、フィリップ殺しの容疑が一気に私に降りかかってくる。絶対に魔力紋だけはバレないようにしなきゃならないのに)
つぅ、と背筋に冷たい汗が流れた気がする。表情こそ平然としているが、仮にも王宮魔術研究所の副所長を務める人間を相手に誤魔化しが効くだろうか、という恐怖だ。
(エドアルドがここへ連れてきたのはこのためだったと考えるべきね。素直に従うべきじゃなかった! ――いいえ、あそこで従っていなければそれこそ疑われていた! もしここまでの流れがエドアルドの手のひらの上だったのなら、正直侮りすぎていたわ! ここまで頭が回るのならば、先に消すべきだったのは――)
「――マイラ様、よろしいでしょうか?」
「え、ええ、はい」
静かに息を吸う。
「問題ございませんわ」
それ以外に返答しようがない。あくまでも冷静に、魔力紋が発見されるまでは『自分は関係ない』という面をしていなければならない。
「それでは失礼して。利き手は右手でしょうか」
「はい」
アズヴァルドの右手がマイラの右手をそっと持ち上げる。
「魔術を」
「んっ……」
体内の魔力を操作し、言葉にすることで魔術は発動する。力ある言葉として表現されるそれは、いわば魔力を魔術にする媒介とも呼べる儀式そのものだ。
「光よ」
魔力を集めて、基礎と呼ばれる発光魔術を唱えるが。
「発動しませんね。魔力が貯まっているのは確かなので、才能が無い訳ではなさそうですが……いずれにしろこの魔術が唱えられないとなると」
「これじゃ分かんないってことか」
「ええ、実際に発動することで魔力の波紋が発生します。これでは体内で魔力が循環しているだけに過ぎません」
「ち、魔術が使えないっていうのは本当だったか」
思わず笑みが浮かびそうになるのを抑えて、マイラはわざとしかめっ面を浮かべる。
「魔術が使えないと知りながらこんなことをさせるなんて、わざと恥を掻かせたのですか」
「あぁ? 念のためだっつったろ」
(どうだか)
「マイラ様、もしよろしければ私が魔術の手解きを行いましょうか」
アズヴァルドの申し出はマイラ個人にとってありがたいものだったが、彼女は首を横に振る。
「師事を受けているロード先生の顔に泥を塗る訳にはまいりません」
「なるほど、ロード様が自ら教えているとなれば私などの出番は無さそうですね。これは差し出がましい申し出を致しました」
「いいえ、その気持ちだけ受け取らせてください」
「惚れるなよ。これでも兄貴の婚約者だった女だ」
「はは、さすがにそれはありませんよ」
失礼なという言葉を飲み込み、実際ここにいる二人の男は別の女性を好きになる運命にあることを思い出す。少なくとも自分の出番は存在しないのだが――
(フィリップとは割と良い関係が築けていたのよね。まぁもう関係の無いことだけれど)
もう一人の運命の女性が現れるのはまだ先になるだろう。少なくとも前世で得た知識を元にすればという前提条件になるため、どこまでゲームの内容に沿って進むのか定かではない。何しろ既にゲーム内攻略対象である第一王子は殺害しているのだ。
(でも、例え『彼女』が早く登場したところでさしたる問題はない)
マイラ・グランヴィルを不幸にする人物は複数名おり、誰もがゲーム内では主人公にとって攻略対象だった。そして主人公と対峙することになるマイラは、主人公が誰と結ばれようと必ず不幸な未来が訪れることになる。そう、最大限の不幸。人によっては救いかもしれないが、マイラ・グランヴィルにとって最悪の結末だ。
――マイラ・グランヴィルは殺される。