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マイラ・グランヴィルは語られる9

 負けた。

 マイラ一人では巨大とも呼べる浴室にて、メイがワインレッド色の髪を丁寧に洗ってくるのを余所に、マイラは今日のことを振り返っては内心で怒りを爆発させていた。

(完璧に負けた。元々無茶振りなゲームだったといえばその通りなんだけど、最後まで奴を追い込むことができなかった!)

 何となくではあるが、これはそのまま現実でも当てはまるのではないか、という予感が胸の中を渦巻いている。

(マイラ・グランヴィルに傷を付けた……汚点が残った……! そんなことは許されない! マイラは私が! この私が――)

 胸の奥が灼けるように痛い。

 薄々感じてはいたのだが、やはりマイラという少女自体のブランドが傷つくことなどあってはならないのだ。それは今まで『マイラ・グランヴィル』を幸せにするためずっと努力してきた自分の否定、あるいは魂の全てを捧げてきた彼女への献身を穢されたという感覚さえあった。

 どうあっても許さない。

 どうやっても殺してやる。

 だが、今あのチャールズに手を出す方法は無い。そもそも彼女が考えていた計画では、まず聖女の登場が早すぎるところから崩れているのだ。第二王子を殺した時も計画上ではかなり早くなったが、殺す手順としては概ねずれていたわけではない。要はあの第二王子の隙を突いて殺すだけで良かったのだから。

 聖女の早すぎる登場と、そして彼女を護る為にアズヴァルドの手で寄越された義賊のセイロもまたマイラの知る登場の仕方とは違っている。大筋では――前世とでも呼べる彼女の記憶では、フィデス自身が悪役令嬢マイラ・グランヴィルの手によってあの牢獄に閉じ込められ、そこで彼と出会い、セイロ自身の生い立ちも相まって彼は聖女の力になることを誓うといった流れだった。尤もセイロが心の拠り所にしていた幼き日の聖女の幻想は事前にマイラ自身が代わりに演じることで幻想と化していたのだが。

 つまり記憶では今まで出てきたキャラクターは大体同じタイミングでフィデスと出会うこととなるのだ。前世ではあくまでも『ゲーム上』そうなってしまうのは仕方ないとして、それでも彼女はその記憶を頼りにしている部分が酷く多い。顔も名前もマイラ・グランヴィルであり、実際に出会う人物は前世でプレイしたゲーム内と同じ人物ならば、当然この人生もまたゲームのストーリーに沿ったものとなるだろう、とマイラはどこかでそう考えていた。しかし現時点においてそんな甘い考えは一切通じなくなっている。マイラが有していた事前に起こる出来事の把握やゲーム内で説明のあったキャラクターの決して声に出さない内面にまで至る特徴の知識というアドバンテージはあってないようなものだ。

 彼女が殺さなければならない人物は、あと三人だ。

 チャールズ王子。

 ゴドフロワ騎士団長。

 そしてアズヴァルド王宮魔術研究所副所長。

 純粋な戦闘力、いわば腕力ではゴドフロワに劣り、智惠ではチャールズに劣り、魔術ではアズヴァルドに劣る。異世界転生ものにありがちなとてつもない能力など、このマイラ・グランヴィルは何一つとして持ってはいない。――あくまでこの世界の主人公はフィデス・サンクであり、特別な力を持っているのは聖女一人のみなのだ。

 ――とにかくこの中で、あの三人で、あの三人を殺すには、何からどう手を付けるべきか。

 それだけを考えるべく、マイラは目を閉じた。

(考えろ……考えろ、考えろ、考えろ! 弱点は何だ。付け入る隙はどこだ。完全無欠な人間など存在しない! 相手は所詮生物なのだから、必ず弱点がある! あの一番厄介だったフィリップを最初に殺せたのだもの、必ず方法はある!)

「お嬢様、終わりましたよ」

 柔らかくて優しい指がそっと離れたかと思えば、緩やかなお湯が髪を梳いていく。ワインレッドの濃い色をした髪。マイラ・グランヴィルの象徴とも言える色。この身体を、マイラ・グランヴィルを決して死なせず幸せにすることこそが自分の役割だ――

「ありがとう、メイ」

「お悩みでしたね」

「うん、そうね。色々と考えることがあって」

「私にできることがあれば」

「それは言わない『約束』よ」

「そうでしたね」

 二人で目を合わせて小さく笑う。

「でも、そろそろいいわね」

「そろそろ、ですか」

「ええ」

 メイに身体を拭かせて、服を着て、マイラはほんの小さく呟いた。

「最終章の幕開けよ」

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