マイラ・グランヴィルが幸せになるために3
十五歳の夜を迎えるその日、マイラ・グランヴィルの誕生日パーティが行われることになった。
グランヴィル家は歴史ある有力な貴族として国中に名を馳せ、また代々王族と強く繋がっていることでも有名だ。そこの娘となればほぼ間違いなく王族に嫁ぐことは必至であり、未来の王妃が齢十五を迎えたとなれば今すぐにでも王子の下へ嫁ぐ宣言がされてもおかしくはない。故にグランヴィル家主催の誕生パーティは自分の屋敷ではなく、なんと王城の会場にて行われるのだ。他の貴族では考えられない待遇こそが、グランヴィル家の力を、王家との繋がりをより一層周囲に知らしめることになる。
マイラは貴族然として背が高くそしてやけに体格の良い父親に連れられ、パーティ会場の中央に立つ。周囲の好機に晒されるのはあまり良い気分とはいえないが、グランヴィル家としての責務は果たさないといけない。
(私の目的のためにも、仕方ない。『このために準備をしてきた』のだもの)
「此度十五の誕生日を迎えたマイラ・グランヴィルと申します――」
そうして演説にも似た自己紹介の最中、彼女は周囲を一瞥する。
(ああ、いる)
そこには未来のマイラ・グランヴィルを殺すことになる王子達。三兄弟全員が揃っている。とはいえこの時点におけるマイラとの関係は第一王子のみ。彼と将来を約束した許嫁という形で、他二名は過去に数回程度しか話したことがない。
(つくづく政略結婚もいいところよね)
そんな相手を愛すのはさぞ大変だろうと、ゲームの中のマイラ・グランヴィルに同情してしまう。最もゲーム内におけるマイラ・グランヴィルは第一王子フィリップスに対して少なからず好意を抱いていたようだったが。
第一王子はさすがに第一王位継承権を有すだけあり、マイラとさほど年齢が変わらないというのに落ち着き払った悠々とした態度だ。王族らしい品位というのはまさにこういうことをいうのか、節々の態度は尊大であるものの、何故か一つも嫌みにならない金髪の少年だ。そして婚約者になるであろうマイラとは幼なじみであり、互いに気心の知れた相手というのは貴族間でも割と有名な話である。
第二王子は「自分が王位を継ぐことはない」と断言しているようで、実際王族よりかは蛮族に近い態度の少年だ。髪の色も兄と違って赤く、まるで内面を反映しているかのように燃えているようだ。ゲーム通りならまさに髪の色の通りに熱い人間で、すぐカッとなる激情家でもある。つり上がった目つきが自分に向いてくるとあまり生きた心地がしない。――実際、彼もマイラ・グランヴィルを殺すのだから。
さらに第三王子。彼は第二王子とは正反対と言える性格であり、穏やかな笑みから第二王子のような激情を感じることはない。実際、その物腰も柔らかく、マイラも過去に数度会ったときは王子だというのに実に丁寧に扱われたものだ。あまりにも腰が低いのでマイラが別の意味で緊張したぐらいであり、三人の王子の中で比べるなら気持ち的にも一番接しやすい。だけれども彼もまた未来で――マイラにとっては過去の記憶だが、その手によって殺されているのだ。
しかし、とマイラは自分に釘を刺す。起こってもいないことで動揺をするわけにはいかない。
(でも、今日私のところへ来るのは……いえ、私が行かなければならないのは、おそらく)
――第一王子がマイラのところへ歩いてくる。ああ、と心の中でため息を吐きながら、教わってきた令嬢の仮面を貼り付けて顔を上げた。
「ごきげんよう、マイラ嬢」
「ご機嫌麗しゅう――フィリップス殿下」
「今日は君の誕生日に招いて頂き感謝する。王子としてではなく、一人の男として高揚しているようだ」
とはいえここは王城であり、この場の意味を考えると目の前の王子を誘わない選択肢が世の中に存在するのか、と密かに考えながらマイラはにこりと笑う。
「ふふ、それは嬉しいですわ」
「皆も君の誕生日を祝福するために来ているのだ。そのぐらいは当然だろう。なぁ?」
と、近くにいた貴族の男性に声を掛けると、その男性は「ええ、もっともですとも」と即座に返事をする。淀みなく返す辺りここへ来る貴族も己の立場というのを重々承知しているのだろう。
まずは王子をたてる。次に次期王妃に最も近い者の顔をたてる。当たり前だ。その程度こなさずにどうして王の近くに居られるのか。そのような貴族達からしても第一王子フィリップスとマイラ・グランヴィルの二人が並ぶとまるでそこだけ輝くように、または花が舞うように雰囲気ががらりと変わる。
「――少しだけ二人になっても?」
「はい、フィリッスプ様となら……」
マイラは頬を染めてそっとフィリップスの傍に寄る。気配は弱く、まるで悟らせぬように。しかしパーティー会場で、しかも当の主役ともなれば何をしようとも目立つものであり、周囲からは第一王子と将来の妃という構図に見えるのも仕方ないといったところだ。
「こちらへ」
「はい」
そっとベランダに二人で移動し、外の空気が肌と肺に心地よい冷たさだと知って、会場内の熱気の程を思い知る。マイラとなってから既に十五年、今更この手の空気に感傷を覚えるつもりもないのだが、やはり息が詰まっていたのだろう。フィリップスはそれを見抜いた上で自分を誘いここへ連れてきたのかもしれない。
(優しい人なのよね)
その優しさに甘えてしまいたくなる。だけれども相手は第一王子だ。寄りかかってばかりいてはいられない、というよりも恐れ多い。
「マイラ、今日は大人しいな」
「ふふ、フィリップも猫被ってるみたい。あんな優しく語りかけてくるなんて、一番下の弟さんのほうかと思っちゃったわ」
「やめてくれよ。俺だってムズムズするんだからさ。でもまぁ王位を継ぐ身としては猫ぐらいいくらでも被ってみせるさ。マイラだって今日はだいぶ面の皮が厚いみたいだからな」
「私はいつも真心込めて相手に接してるから、常に本心のつもりよ?」
「はは――やっぱりマイラと一緒にいる時が一番落ち着くな」
「あら、女性と二人きりで緊張しないの?」
「やめてくれ。君を他の女性と同じ扱いなんてしたくない。意味、分かるだろ?」
「ふふ、どうかしら」
小さく微笑むマイラに、フィリップスも目元を緩めたように笑みを浮かべる。パーティー内の空気や突き刺さる視線の数々がない、二人だけの時間が緩やかに流れていった。
「ここで時が止まればいいのにな」
「そういうことは私だけの時にいいなさいよ。他の人に聞かれたら大変なことになるから」
「まったくだ、これだけで周囲の人間は『あいつは王位を継ぐ気が無い』と噂を広めてしまう。いつだって言葉は凶器になり得ることを連中はよく理解してるよ」
「ええ、そうね」
言葉は凶器だ。フィリップス自身が幼い頃より政略渦巻く魔境の王城で育ち身を以て何度も味わってきたからこそ、実感の籠もる言葉となった。言うなれば彼は苦労人だ。他者へと見せる尊大な態度も王を継ぐ立場である彼からすれば、周囲を威圧しながら自分を守る手段の一つなのだろう。
「ねぇフィリップ、本当に私でいいの?」
「なにをだ? というのすら愚問だな。君が俺の妃になるというのならこれ以上の幸せはない」
「――他に心を惹かれた女性は?」
「いない。断じてだ。マイラ、貴様自身のことといえど俺の心を愚弄することは許さない。……なんてな。実際いないさ、そんな相手。君以上の女性が存在するとも思えない」
「どうして私のことを、そんなに……?」
「今更聞くか、それ?」
はは、と笑ってみせてから、フィリップはマイラの手を取る。
「ここではまだ人の耳や目を完璧に遠ざけているとはいえないな。部屋に来ないか?」
「……こ、婚姻前よ? 個室に連れ込むなんて、そういうのはいけません!」
「ば、ばか! そんなことするかよ! ちょっと話せればいいんだ! 大事な話だから、頼む」
「……」
マイラはどうようかと迷うそぶりを見せる。確かにフィリップスの言う通り、ここはあくまでベランダだ。二人の様子をじっと見つめている者が幾人もいる、というのはなんとなく分かっているので、少し声を大きめに出して周りの目を向けさせたのだ。さすがの王子といえど周りに目があるのは気まずいらしい。
何度か困った顔をしてから、フィリップスに困った眉毛もそのままに口元で笑みを作る。
「もう、仕方ないわね。変な噂になる前にすぐ戻ってきましょう」
「ああ、そうするか」
何やら落ち着いたようだと、自分達に視線を向けていた貴族達からほっとした空気が流れる。
フィリップスはちらりと会場へ目を向けてから、そっとマイラの肩を抱いて隅のほうから会場の中へと戻り、彼なりに目立たぬよう気を遣いながら出て行く。その間マイラは少しうつむき加減で顔を赤くさせ、通りすがりの貴族達がひそひそと何を話しているのかに耳を立てながらフィリップスの為すがままに、彼が自室としている王宮の一室に連れ込まれた。さほど広くないのは、彼自身が私室としながらもあまり物を持ち込む気が無いからだろう。こざっぱりとした室内にあるのはせいぜいベッドと椅子、机、机の上に筆記用のペンとインク、それと真っ白な紙ぐらいなものだ。私室というよりかは事務処理を行う部屋といったほうが良いのかもしれない。
「ここからでも月が見えるのね」
「ああ、今宵は月が綺麗だ」
「……ふふ」
「どうしたんだ?」
「いえ、遠い国では異性に月が綺麗というのは、プロポーズの一種だという話を思い出しまして」
「そっ……うか、うむ、まぁ――間違いではないな!」
「ふふ、お顔が真っ赤よ」
「ああ、まるで魔術にかけられたようだ」
「魔術が得意な王子が、魔術にかけられるの?」
「お前にならかけられるかもな。何しろこの部屋は別に魔術除けをかけてるわけでもないし、お前が魅了してきたら俺なんて一発だろうよ。はは」
「私が魔術なんて、ただの悪口じゃない」
「ああ、君は魔術が使えないんだったな。けれどもそんな君の魔術が俺を魅了してやまないんだ。もはやこれは伝説にある魔法というものだろう」
むせかえるような甘い空気。喉を通って胃に流れ、肺はシロップで溺れそうだ。マイラは目を細めて彼の瞳を覗き込む。フィリップスはそんな彼女の瞳を真正面から見つめ返し、そっと唇を近づけ――
フィリップスは、臓腑を貫かれるという初めての感触に、目を見開いて仰け反った。
ぐり、と刺さるのは細い鋭利なものだ。脇からしっかりと差し込まれて、ぐるぐると回っている。
「マイ……ラ……?」
何が起こっているのか、彼は一切理解できなかった。
それでも自分の婚約者であり、今宵開かれているパーティーの主役である少女が何かを握って眼前で微笑みながら自分の腹を抉っているのだ。どう理解すればいい。理解できるはずもない。こんなことなど――
「――ありえるのよ、フィリップ」
慈愛に満ちた笑みを顔に貼り付けたまま、マイラは手首を捻ってフィリップスの内臓を致命的なまでに引き裂いた。
「ごぶっ、ぼっ、おっ……! なん、で……だ……!」
「だって、私はマイラを愛しているのだもの。私が一番マイラを愛しているの。推しなのよ。何年も何年もマイラを推してきた。それなのにどうやっても殺されるのよ。何人もの男が殺しに来る。何人もの男に殺される。その方法は千差万別。まるで悪夢のよう」
「殺ッ……なにを、言っている……!」
「ああ、フィリップ、あなたのことはとても愛おしく思っていたけれど、もう喋らなくていいわ」
握っているそれの先端を上に向けると、その勢いで肋が折れた感触が伝わる。
(死ぬ……! 死ぬ……! 俺が、こんなところで……! なんだこの力は! マイラにこんな膂力があるはずもない! なんだこいつは、何者だぁ……!)
「私は紛うことなくマイラ・グランヴィルよ。あなたのよく知るマイラ・グランヴィル。他の誰でも無い。あってたまるものですか」
慕情を滲ませていた笑みから一転、その顔は軽薄な笑みへと変わる。
「だから、いつかマイラ・グランヴィルを殺す全ての人間を、マイラ・グランヴィルを害す全ての人間を、一人として残さず、この身へ振り注ぐ遍く不幸を消し去りましょう」
「……はっ、はっ……」
「ああ、もう声も出せないのね。私個人はね、フィリップのことを好ましく感じていたの。だけど結局は優先順位の問題。何が大切で何を為すべきか、それを間違える訳にはいかないから」
さぁ、とマイラは指先でなぞるように空間へ文字を描く。死に往くフィリップスが驚愕で目を開いた。
(ま、じゅつ……! 馬鹿な、マイラは魔術を使えないはずでは! 幾人もの魔術師が彼女には才能が無いと決断を下していたはずだ! だが身体を刺した武器を持っていない! もしや、もしや俺の血液を固めて……違う! どうやって……!)
マイラは懐から古くさいスカーフを取り出すと、微笑んだ顔をそのままにフィリップスの脇腹から溢れる血を拭い、それをふわりと宙に向かって投げた。
「さぁさぁスカーフよ、まあるくまあるくおなり。今宵のあなたは頭のように。まあるくまあるくおなりなさい」
スカーフが空中で丸くなり、浮かんでいる。マイラは部屋のろうそくを消してさらに魔術を唱えるのを、フィリップスは我が目を疑うように見ていることしかできなかった。身体に力が入らない。血が流れすぎた。流れる血によって魂が流されていく冷えた感覚が足のつま先からぞわりと冷たく迫ってくる。恐らくこの悪寒が頭へと達するか、あるいは心臓かもしれないが――その時この命は尽きるのだろう。
割れたガラスは内側に広がり、そしてマイラ・グランヴィルから金切り声に近い悲鳴が響き渡る。
(ああ)
涙を流し私を抱えるマイラ・グランヴィル。その表情を作るまでにどれだけの苦労をしたのだろうか。舞台上の名優さながらに悲しみ、苦しみ、名を叫ぶ愛しき女性。悲鳴で駆けつけ彼女の周囲を囲む人々はさながら観客か名脇役といったところだろう。何しろ彼女の演技に心の底から陶酔しているのだから。
(おかしい、おかしいぞ。俺はこうまでされて『こんなことを想う』人間じゃないはずだ)
自分を抱え上げて血に染まるドレスを着た殺人鬼の顔が、こんなにも残酷で綺麗に見えるなんて――
はたりと、王子の手が地面に落ちた。
死んだと確信する。
もう助からない。彼の命はとうに消えた。これでマイラ・グランヴィルを害する人間を一人、排除することに成功したのだ。
(でも笑えないわね。どうせ死ぬ相手に無駄なことを話してしまった。計画実行後、一人目の殺人だったから平常心でいられなかったのね)
しっかりとシナリオを決めてきたのは正解だった。興奮して次にやることが分からなくとも、頭に刻み込んだシナリオを思い出すだけでどうにかなるのだから。
「王子! 王子ー!」
「あ、あそこだ! 窓の外を見ろ! 何者かが逃げていくぞ!」
「馬鹿な、あのスカーフの色は隣国フランツィエのものでは……!」
「追え! 逃がすな!」
(捕まるものですか)
この暗闇の中で王城を囲む森へ逃げる人間一人を探し出すことも苦労するが、もとより人間ではない存在を捕まえることなど出来はしない。あの頭に見せかけたスカーフはある一定のところまで進むと自動的に魔術が解除され、ただの布きれと化す。それまでは兵士を引っかき回す謎の人物となっていることだろう。
だからここからやることは決まっている。自分は目の前で幼馴染みを、将来を約束『しようとした』相手が殺された悲劇のヒロインだ。
「あっ……あ、ああっ……あああっ……!」
彼を抱きしめて泣き喚き涙を流す。亡骸を抱きしめるなどこんな状況でなければ気が狂っている人間だと思われるものだが、事ここに至っては完全に周囲の同情を得ることに成功する。マイラははっきりと好意を抱いていた男性を抱きしめてさらに泣く。泣き叫ぶ。恥も外聞も関係無い。自分が行った罪を誰にも言うことはせず悲しみを吐き出すように、涙を、声を出し続ける。
「マイラ様、殿下をお放しください。治療をせねば」
声を掛けてきた兵士相手に、マイラは声を荒らげる。
「治るの、治るというの! フィリップは!」
「それは分かりかねます……が、とにかく止血だけでもせねば」
「――そんな程度なの。第一王位継承者への緊急手当なんて、そんなものだというの!」
「うっ……」
王子が受けた怪我の具合を確認した兵士が、首を横に振る。正しくは医者の判断を待つしかないのだろうが、彼らは仮にも戦場を職場とする者達だ。恐らく経験から既に助からないか事切れているかを察したということなのだろう。当たり前だ、確実に殺す為、致命傷となる部分を丹念に剔ったのだから。
直後、医者が駆けつけるものの兵士達と同様の結論を下す。殺人犯が何者なのかは誰にも分からない。唯一近くにいた女性はショックで未だに口が利けないという判断がされ、そのドレスが血に染まっているのも襲撃を受けた王子を抱きしめたからであるという正しくも間違った結論が導き出される。。
どれもが想定通りだ。後は事情聴取で事前に用意していた状況説明をすればいいだけだ。目撃証言は自分のみならず他の兵士にも『与えた』のだから、この状況がピタリと当てはまる説明を行うだけでいい。さらにはこの部屋に連れ込んだのは王子のほうだと、先ほどベランダで一緒に居た際、貴族達にもしっかりと印象付けている。マイラ・グランヴィルの企みによって殺されたとするのは無理筋というものだろう。
それだけで自分は一番近くにいたというのにも関わらず状況的に犯人という立場から遠ざかる。さらに上手く事が運べば周囲の同情も買える。
『だって私は本当に一度もフィリップを嫌ったことがないのだもの』
この積み重ねが彼女を益々犯人から遠ざけることだろう。こんな殺人、元々いた世界ではきっと不可能だった筈だ。元の世界ならばこんな拙い殺人劇をしたところで証拠が溢れかえっているだろうが、この世界ならそうはならない。
(さぁ王子は死んだ)
この手で殺した。
(これで始まった)
もう進むしかない。
(やっと往けるのね)
幸せになるための道程を。
「フィリップ――――」
最後の最期に彼の名前を呼んで、そしてマイラは兵士達に連れられてその場を去って行った。
――さぁ、次に殺すのは決まっているわ。死んでお願い死んで。マイラ・グランヴィルが幸せになるために。