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マイラ・グランヴィルは匂わせる4

 血が止まらない。

 立ち止まって最低限の止血をしなければ、間もなくこの命が尽きるだろう。それでも立ち止まってはならないと、頭の中が悲鳴を上げている。痛みそのものは我慢できるが、命を失うという魂の喪失感はさすがに初めての経験だった。あまりにも身体が重く、意思が脆弱になっていく。

(……まだだ!)

 セイロは歯を噛み締めて、たとえ指一本しか動かなくなろうとも止まることだけはしないと決めていた。向かう先はあの白き聖女。彼女にこの事実を伝え、そして身を守ってもらうためだ。

(そうだ、俺は彼女の言葉によって救われた! だから!)

 とある貴族を殺し、自分が何をしているのかを問いかけようとしたところに現れた白い少女。その少女そっくりの白髪で現れた聖女。偶然にしては出来過ぎだろうが、運命とは大概こういうものかもしれない。

(フィデス・サンク……! お前は、お前だけは俺が守る……!)

 決してあの白を血で染め上げることは許さない。

 本当はあの場でマイラ・グランヴィルを殺すのが最良だったのだろうが、しかしあのマイラから殺意は全く感じず、さらには敵意すらも定かではなかった。襲ってきた相手が当然のように持つ殺意や悪意があれば一切躊躇わずに反撃していただろう。だが、その知覚に長けたセイロが脇にいた少女を見失うほど、そこから流れてくる感情は『無』だったのだ。殺そうと思えば殺せたに違いないが、マイラ・グランヴィルという異質に逃げの一手を打ったのは理性と本能の両方による判断だったのだ。

「かはっ……」

 足がもつれ、倒れる。あの場から相当離れたに違いないが、それでも手負いの人間一人が逃げられる距離などたかがしれている。

「……う、はぁ、面倒くさいものを見てしまったなぁ」

「人が倒れていますね! これは助けなければ!」

「ボクの護衛から離れてそうしたければ、勝手にすればいいんじゃないかな」

「くっ、王子……! 近付いて頂けませんでしょうか! あれほど血を流している者を見過ごすわけには!」

「駄目だろ、アレは」

「いいや、まだ!」

「違う違う、そもそも王城の敷地内でなぜ血を流しているって話だよ。面倒くさいってのは、思い当たる理由がいくつかあるからなんだけど、わかるかな?」

「はっ、この城にいる高貴な方を狙っていたところを城の兵によって撃退されたか、あるいは狙っている者を撃退しようとして手負いになったか!」

「――または『例の事件』に関わりがあるか、だね」

(誰だ……?)

 かすんでくる視界の中で、甲冑を着た背の高い男性と、まるで対比するかのように背が低い眼鏡をかけた少年が喋っている。

(王子、と呼ばれていたが……傍らにいるのは護衛の騎士、か……いや、しかし……)

「王子、助けなければ人道に外れることには違いありません。騎士として放っておくことは出来ません!」

「……ボクは助けないのが一番だと思うけど、仕方無い。ちょっと看てみよう」

「ああ、血には触れないように。感染症になると厄介なので」

「ボクにそれを言うか? さて、それじゃあ失礼するよ」

 近寄ってくる足音に身体が緊張する。相手が誰であろうと身体に触れてくるならば――と考えていたのだが、ここまで来る間に反撃する力が失われていた。

 故に、その『王子』が真上に来ることを許してしまう。そしてその少年が真上から自分を観察してから、ゆっくりと嘆息する。

「駄目だねコレは。治療魔術を施したところで回復力がもう無い。助からないよ」

「なんと……ではせめて人間らしい場所で最期を。君、肩を借りるがいいかい?」

「……めろ、やめろ。俺はまだやるべきことが、ある……」

「何を言う。もう君は死ぬ。やるべきことはない。……いや、できやしない。ならせめて最期の時は穏やかにこの世を去るべきだ。顔見知りがいるならばすぐに集めよう。誰か身寄りは」

「いない。放っておいてくれ。俺は――」

「セイロ様!」

 悲鳴のような声が耳に届く。決して鼓膜が痛くなるような声ではないが、強烈に胸を揺さぶる、そういった声だ。

「まさか、聖女?」

「聖女様! どうしてこのような場に。それにこの者を知っているのですか? あ、いや、それよりも御身に何かあれば――」

「その人は私の知人です! 酷い怪我……なぜこんな……! 魔術を! 誰か治療魔術を!」

 ――無理だ、止せ。無駄なことをするな。

「フィ……フィデス、お前に伝えることがある……か、ふっ……!」

「駄目です! 喋らないで! 傷口が開きます……! 私に治療魔術が使えれば……!」

 それは無理だ、とセイロでも分かっている。治療魔術はあくまでも人が持つ治癒力を増幅させるものであり、その生命力が失われている肉体ではいくら魔術で治療を施そうとも無駄になる。

 ――だから、伝えなければ。

「フィ、デスッ……気をつけ……ろ……!」

 言葉を紡げ、命を全て注げ。

「疑えッ……!」

 聖女を守るために、そのことを伝えろ!

「お前の傍に居る者――」

「セイロさん!」

 その時、セイロの言葉を『遮るように』女性の声が響き渡る。セイロは目を見開く。何というタイミングで、何というところで現れるのだ。王子も騎士も聖女もその声がするほうに目を向ける。

「こんなところで倒れてらしたのですね! そんな、あの時襲われた時の怪我が……!」

「あの時?」

 セイロを含む全員が、その少女に目を向けている。

 ドス、と小さな音がして、セイロは完全にトドメを刺されたことを自覚した。最期の生命力が瞬時に失われ、視界が暗転していく。自分の様子に気付いたらしき白き聖女が自分を見て、そしてふと違和感が残った――


 ――ああ、この聖女は『あの時のことを知らなかったのではないか』


「セイロさん!」

 マイラの声が響き、彼女はすかさずセイロのところへと駆け寄っていく。そして彼の頭を抱き抱えて名前を連呼するものの、セイロと呼ばれた男が応えることは二度と無かった。

「ま、マイラ様……セイロ様は……!」

「……ええ、殺されたわ。あの時フィデスさんが飲み物を取りに行った直後、怪しい連中が私に襲いかかってきたの。多少は体術の心得はあるけれど、本物の暗殺者相手に足がすくんでしまった私を庇って、彼は……」

 そこでマイラの言葉は止まる。彼女が言わずとも、この場にいた者達は大体の事情を察したからだ。恐らくフィデスの代わりに襲われたマイラを守ろうとしたセイロが身代わりになって刺され、その後にマイラが無事なのだからセイロがどうにかして侵入者を倒したのだろう。だが、彼の任務は聖女を守ることだ。最期の最期に聖女のところへ行き、彼女へ言葉を残そうとしたのだろう――

(――と、大まかな筋書きが出来上がるわけね)

 決して表情に出すことは無く、マイラはそういう空気になったことを読んでから、ちらりと周囲の人間に目を遣る。

(――ていうかさっきから気になってたんだけど第三王子がどうしてこんなところに! それにあの騎士は! くっ、気持ちを入れ替えてっと!)

「はっ、こ、これは失礼致しました。チャールズ王子! この様な格好で失礼を致します」

「ん、ああ、別に気にしないでいいし、気に懸けられても面倒だから」

 マイラが転生前にプレイしていたゲームそのものといった、とにかく厄介ごとを避ける性格はそのままらしく、けだるい顔をした王子はちらりとフィデスを一瞥した。

「彼女が聖女フィデス・サンクか。マイラ、君とは良き友人になってるみたいだね」

 気楽に名前を呼んでくるけれど、会ったことがあるのは一度か二度程度だ。兄の元婚約者ということで多少親しみを覚えているのかもしれない。

「ええ、おかげさまで……」

「ふむ、あまり令嬢に死体を抱えさせているのは体裁が宜しくない。ここは我々に任せて君達は部屋に戻り、着替えてきてはどうかな」

「しかし、セイロさんをこのままにしておくわけには……!」

「そ、そうです、セイロ様は私達を守って」

「非合法の命令だろう、それ」

 フィデスが顔を強張らせる。

「誰が貴族殺しに聖女を守らせる命令を下すかって話さ。はぁ、まったく面倒だ。彼とは最期の挨拶をして、ここは我々に任せたまえ。これ以上面倒になられても酷く困る」

「……わかりました」

 マイラはそっとセイロの頭を柔らかい草の上に置く。

「フィデスさん、私達は部屋に戻りましょう」

「……はい。セイロさん、最期の言葉、しかと受け止めました。ありがとうございました」

 ぴくりと、マイラの眉が上がる。

 マイラとフィデスは立ち上がり、最後に頭を深々と下げてからその場を去って行ったのだった。

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