マイラ・グランヴィルは匂わせる2
――今また、その時の感覚が足下からぞわりと甦ってくる。
脇腹から鋭く、しかし鈍く伝わる熱に、命が悲鳴を上げている。血液を共に生命力が外へと流れていく。
「はっ……はっ……」
細かく息を吸って、セイロは危険だと感じたその場から前方へ飛ぶことでその場を離れる。かつて何度も死線を潜り抜けてきたが、その時に感じる危機感や殺意などまるで無く、まるでその場で発生した殺意が気配も無く腹を貫いた――としか表現のしようがない。こういうときに浅学な自分を呪いつつ、セイロは一体どういう危険な事が起きたのか一瞥する。
(馬鹿な)
頭でそう呟いてから、やはり状況が理解できない。
『何故彼女の手が血で染まっているのか』
『何故彼女の手は鋭利で半透明なモノを持っているのか』
そしてどうして普段と変わらぬ『顔』をしているのか。
殺意も何もない。感情すらもそこにはない。ただ彼女は平時と同じようにそこへ立っていて、そうして何事もないかのように命を奪ってきた。
「はぁっ……はっ……!」
呼吸が荒くなる。
(当たり前だ。三回も刺された。今すぐ死んでもおかしくない。だが何故だ。何故彼女は俺を殺そうとしている。何故だ。殺意がない。本当に殺そうとしているのか。わからない。なんだこれは、本当になんだこれは!)
殺意が無いということは、殺す気がないということだ。彼女は自分を殺そうとしていないが、彼女の取った行動は決してその意味を成さない。
マイラ・グランヴィル――
(何なんだ、この少女は! なぜまったく『殺意がない』んだ!)
ある程度距離を取った。刺されていなければ大概の動きには対応可能だが、今の自分がどこまで動けるかは不明だ。それに刻一刻と血が流れ体力も減り、この命の終わりが迫ってくる。
少女はセイロが距離を取ることが分かっていたのか、全く動揺を感じさせない動きで手に持った『何か』を投げてきた。
急激に血を流したために朦朧とする意識を辛うじて繋ぎ止め、投げてきたそれを素手でたたき落とす。瞬間、肌に感じた冷たさからソレが氷なのだと察して、セイロはますます疑問に陥った。
(彼女は魔術が使えない! ……というのが嘘なのか! くそ、こっちに駆けてくる! 思ったより早い……身体の動かし方を知っている者の動きだ!)
あっという間に距離を詰めてくる。戦い方をある程度知っている人間の動きを見て、セイロは脇腹を庇い、血が噴き出すことを畏れていては戦えないと判断し、腹筋に力を入れる。傷口を筋肉で強引に閉じ、それ以上血を失うことがないようにせき止めてから、薄らと嗤いながら斬りかかってくる少女へと対峙する。
(斬りかかってくるッ?)
まだ武器があるのか、一体何を持っているのかを見定める隙もなく、得体の知れない刃物らしきものが横薙ぎに振るわれる。縦ではなく横というのは確かに考えたものだが、女性の力で胴を裂けるのならばともかく、この場合は相手が悪い。セイロは落ち着いて横薙ぎに振るわれる刃をたたき落とそうとして――
彼女が何も武器を持っていないことに、気付いた。
「なっ――」
考えが追い着かない。だが、それでも空振りに終わった彼女の行動をきちんと視界に入れながら、次の攻撃に向けて意識を集中させる。
しかし、それが彼にとっての誤算だった。
一瞬、身体が震える。
(……?)
背中が冷たく、熱い。
(何かが刺さった……何が!)
「ここまで刺せば、伝説の義賊といえど死ぬでしょう」
「……がっ、はっ……おまえ、はっ……!」
「四カ所目。これでまだ死なないのはさすがですね。じゃあ動けなくなったようなので、少しだけお話をしましょうか。――ああ、ここだとあの子に見つかる可能性を考える必要はありません。その為に貴方を動かしたのですから……ね!」
ごっ、と顎が蹴り上げられる。立て続けに腹部へ回し蹴りを入れられて、大柄な肉体がごろごろと地面を転がっていった。
「……!」
顔を上げる。木々に覆われている場所まで飛ばされたのか、という信じがたい彼女の力に恐れ戦きながらも、今の状況は酷く悪いということに舌打ちしようとして、その力が無いことに気付く。この身体は既に死にかかっているのだ。
「これで何が起こっても、もう大丈夫ね」
「……」
「何故、どうして、といった顔をしているようなので、最後に少しだけ伝えておこうかと」
「何故だ、何故俺を殺そうと……いや、本当にお前が俺を殺そうとしているのか? わからない。どうしてだ。どうしてそこまで――」
「理由は、私が殺すことで確実に死んだことが確認できるから」
「なんだと……がふっ……!」
「確実に殺したという確証を得られるのなら、この手で自ら殺す必要はありません。だけど、そうでなければ確実とはいえない。だからこの手で殺します」
「……」
「ああ、もう喋ることもできませんか。まぁいいです。貴方の過去についても、酷い勘違いについても死んでしまえば関係ないですから。それじゃあ『さようなら』」
その言葉には間違いなく魔力が宿っていた。
セイロは浅くしていた呼吸を止めて、死に体の中で溜めていた力を一気に噴出させる。自分を殺そうとしているマイラ・グランヴィルを殺すためではなく、この不可解な状況から少しでも離れ、真実を伝えるためにだ。
「しまっ……!」
マイラは明らかに動揺する声色で何かを言っていたが、セイロの耳には届いていない。セイロが本気を出して森の中を走り抜けてしまえば、いくら身体能力が高かろうとドレス姿の女性の足で追いつけるわけがないのだ。
セイロからすればマイラ・グランヴィルの行動こそ不可解だが、彼女が単独犯で犯罪を犯そうとしているのかが判別できない。裏で手を引く人間がいた場合、その存在を誰かに知らせてから死ぬべきだ。しかし誰に伝える。誰が信じられる。自分に仲間はいない。もう仲間はいないのだ。
――白い姿が脳裏を掠める。
伝えるべきは、ただ一人。
あの彼女にだけは、今起こった全てを伝えておくべきだろう、と。




