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マイラ・グランヴィルはほくそ笑む1

 ――あの時、メイの服を魔術で操り中にメイが居ると思わせて警備兵の目を誤魔化して部屋を出たマイラが向かったのは、当然ながら風呂場であった。

 浴場はほぼマイラ専用となっており、着替え室の中に入るとメイが新しい召し物を用意して立っていた。風呂場での工作時間と、周辺に事前に誰もいないことを確認してもらうため、メイには事前にここへ来させていたのだ。メイの身体能力はずば抜けており、窓から飛び降りて密かに風呂場へ来ることなど造作もない。

「マイラ様、こちらがマイラ様に合わせたメイド服です」

「ありがとう、メイ」

 服を脱いでするりと着替える。

「メイはここでお風呂に入っている振りをしていて。誰かが来ようとしたら私の名を出して追い出しなさい」

「そんな方がいらっしゃるとは思いませんが、承知致しました」

「一日お風呂に入れないのは辛いけど、これも未来の為だからねー。仕方無いわ」

「いってらっしゃいませ」

 バケツ一杯に水を組んでそれを掴み、浴室からそっと廊下に顔を出す。特に他に兵士等はいないことを確認したマイラは、早速目的の場所へと向かう。途中ですれ違う兵士達にはメイから教わった所作で挨拶をすると、誰も彼も彼女のことをマイラ・グランヴィルと認識しなかった。掃除用バケツの効果もあり、一介のメイドとしか見ていないのだろう。

(興味のない人間相手には装飾や身分でしか見ていないというのは本当みたいね)

 それはそれで都合が良い。端から見ると今のマイラ・グランヴィルは完全にメイドというわけだ。マイラは忙しい身分を装う為に慌てず、しかし早歩きで目的の部屋へと向かう。部屋が見えてきたら足を止め、呼吸を整えて一切の音を立てないようにゆっくりと歩く。気配とは即ち音や空気の揺れによる存在感を相手が感知することだ。ならば空気を可能な限り動かさず、音を立てないだけで気配は絶てる。マイラには『それが可能』だった。

(殺意も同じ――)

 僅かな声で魔術を唱えて、両手に大きめな石程度の圧縮した空気の物質を生み出すため、意識を集中する。実際はそんな物質、この世には存在しないだろう。だけれども魔術というのはそういうことを可能にする力だ。ゆっくりとゆっくりと空気が集まり、手の中で存在感を増してくる。空気を圧縮することにより発生する圧縮熱の効果も密かに期待している。

 部屋は――第一王子であったフィリップスの部屋のドアは開いており、中には検証を行っているエドアルドがいる。彼がそのまま何も気付かなければそっと風呂へ戻ろうと思うが、しかし何かに気付いてしまえば、それはもうマイラとしても行動を起こすしかなかった。

(まだ殺したくないのよ。気付かないで)

 祈るようにそう思う。本心から殺したくないのだ。――今はまだ。

「刺されたのは左脇腹。刺したあとも刃物を回して念入りに殺している」

 そこまでは資料を読めば分かることだ。恐らく現場検証のため改めて思い返しているのだろうと、マイラは注意深く観察する。

(それにしてもなんでこんな暗い時間に検分してるのよ。まぁこっちにとっては都合が良いけど)

 追加で魔術を唱えて姿を誤魔化すには、この暗闇は実にやりやすい。

「人を殺すなら利き手で殺すだろう。両手で持つかもしれないが、それなら真っ直ぐ刺しに来ると考えたほうが自然か。なら背中か胸、あるいは腹だ。脇腹となると、脇腹を狙える位置となれば」

 エドアルドは色々と身体を動かしながら、一体どうやってフィリップスが刺されたのか確認しているようだ。彼の動きは実際フィリップスが見せた動きに近く、またマイラが刺し殺した状況にも似ていた。

「利き手……」

 エドアルドが自分の右手に視線を降ろす。

(気付く……?)

 マイラはゆっくりと空気の塊を持ち上げる。

「……右手が利き手だった」

(そこで止まって欲しい! 止まって!)

 高々とそれを持ち上げる。

 何しろ殺すには高さが必要だ。その分振り下ろした際の威力が増す。

「やはり犯人は」

(言わないで!)

「恐らく魔術も使用可能で」

(それ以上はダメ!)

「隠し持っていたナイフで殺し、のうのうと生きてやがるのは!」

(そこはちょっと違うんだけど!)

「マイラぁぁ……!」

 まるで月夜に向かって唸るように、その名前が彼の口から吐き出された。

 瞬間、マイラは滑るように駆け出す。そこに一切の躊躇いはない。

「あいつを問い詰める――」

 その『目標』が自分を見る前に、致命傷を与える。

 それがマイラに出来る最適かつ確実な手段だった。

 エドアルドの身体能力を決して侮ってはならない。真正面きって戦ってしまえば、いくらマイラが剣術を得意としていても負けは必至だろう。だからこそ自分に気付く寸前にその頭蓋骨を砕くのだ。

 圧縮した空気を頭に叩き付けた瞬間、頭の一方向にだけ穴を作る。凄まじい圧縮から解放された空気が、めしゃり、と頭蓋骨を砕く音をさせ、はっきりと陥没する手応えがあった。だが一撃で殺せるとは最初から思っていない。例えそれで瀕死になったとしても、声さえ出せるなら魔術の発動が可能だからだ。瀕死の相手へ悠長にネタバレをするほどマイラは自分に余裕が無いことを自覚している。フィリップスの時とは違い、今回は計画二度目の殺害だ。さすがに慣れたというのもある。

 だから次の一撃を以てマイラはエドアルドの意識を完全に絶った。


「殺しましたか、誰かを?」


 血の臭いは完全に隠したと思っていた。

 気付くとすればせいぜい犬とかの嗅覚が鋭い動物ぐらいで、人間の言葉を喋らないのなら気にする必要すらないと思い込んでいた。

 だけれども、まさか同じ人間からそれを指摘されるなど、予想できるはずがない。

 フィデルの指摘はマイラを数瞬困惑させた。何しろ今までの計画において出会ったばかりの聖女が確信に迫ることを指摘するという、考え得る限り最悪なパターンは想像しなかったからだ。

(まずい……! 殺す? いやダメ! 私と『同じ部屋』に寝泊まりすると決まった聖女を殺すのは最悪過ぎる! しかもここは私の軟禁部屋! ここで殺すことなど絶対にあってはならない! けれどこの『指摘』に対する『アリバイ』は無い!)

 さっきまで緩んだ空気に浸かっていたから、ということではなく、恐らくどれだけ気を張り詰めていたとしても彼女が指摘する内容を予想していなければ回避不能だっただろう。だからマイラは努めて平常心のままわざと首を傾げる。

「なんのこと?」

「あ、わたし、ちょっと人より鼻が良いので……」

「でも……血の臭い? 馬小屋でどこか切ったかしら?」

「そこまで新鮮な臭いではないです」

(そこまで指摘してもらいたくないんだけど!)

 誤魔化そうとすればするほどドツボにはまっていく気分だった。

「何を殺したんですか?」

「殺したって……身に覚えがないのだけれど」

「そうですか、変なことを聞きました」

(……? あっさり引き下がるわね。どうする、念のため脅す……のは無理ね。私にそれだけの権力があれば可能かもだけど、私が聖女を殺せない以上、この聖女には泣きつく場所がいくらでもある。そうなったら間違いなく私にとって致命傷。だから脅しも論外……!)

 ただの勘違いで済ませてくれるのならばこの場において最も都合が良い。本当にそう思ってくれているのかを探る必要性はあるだろうが。

「ねぇ、フィデスさん。あなたはそういう臭いをよく嗅いだことがあるの?」

「――私の村は国境にあります。大規模な戦争は起きませんが、戦争に至らない小規模な争いといいますか、いざこざが起こるんです。人死にも出ます。特に私の村はいっつも隣国になったり、このエイゲレス王国になったりと、行ったり来たりしていたせいで、他の村からも忌み嫌われていましたから……」

 あまりにも複雑な事情が絡んでいそうで、これ以上踏み込むのに躊躇する。

(これ絶対面倒臭いやつだ。でもここでこの子の考えを把握しておかなければ、こちらは人生がかかってるからね、引いてられないわ)

「では、この国の兵にも……?」

「私の両親はエイゲレス王国の兵士に殺されましたから」

「……」

 そういう設定はあっただろうか、と前世の記憶を振り返る。両親はすでに居ないというのは同じであり、確かに殺されたという設定も一緒だ。ただ彼女の両親を殺したのは隣国の兵士ではなかったか。

「それは……お辛いでしょうね……」

「けど、生きていく術は学べましたから。きっとどこでも生きてくことができます」

「……そういう環境だったから、血の臭いを覚えてしまったのですね?」

「はい。マイラ様、ご存じですか? 人間の血の臭いは、頭にこびりついて離れないんです」

 さらりと背筋が凍り付くようなことを言ってのける。彼女の言葉は、捉え方によってはマイラにとって刃となるのだろう。もしこれが聖女ではなく何も関係の無い少女だったならば恐らく何の躊躇もせずに口封じをしただろうが、しかしフィデス・サンクはこの世界における主人公であり、そして聖女である。

(もしやあの副所長、これを見越してたのでは?)

 アズヴァルドの前でわざわざ魔術が使えないことを証明してみせたのだが、しかしそれだけではマイラに対する疑念が消えていなかったということだろうか。

(あの場には王妃殿下もいらっしゃった。父も。三人とも共謀している可能性があるわね。アズヴァルドの可能性は考慮していたけれど、父はまったく考慮していなかったから気付けて幸いね)

 あくまで可能性の話だが、それを頭に入れて計画を立てるのと立てないのでは話が全く違ってくる。

「マイラ様から感じたのは、人間の血の臭いでした」

「……ふぅ、知ってる? 人間も元々は猿から進化したらしいわよ」

「……? それは?」

「そういう説が提唱されているだけで、実際の証明とかはまだまだ先のことらしいけど。それを進化論と名付けた学者がいるの」

「人は神の子だと、教わりました」

「そうね、私も変な説だと思うわ」

 ――最も、遺伝子工学にまで発展していないだけでDNAと思われるものは発見されたとあったけど。

 今のマイラとなってから、この世界が自分の世界と比べて何が違うのかに興味を持って様々な文献に手を出したことがある。その中にあった最新の生物学では元々居た世界における『種の起源』による自然選択説を基礎にした書もあり、さらに『現時点』では用途不明ながらも膿からDNAの採取に成功している。つまり、神の落とし子であるはずの人間が、実は元となる生物から発展した進化論というのは密かに根付きつつあるのだ。もちろんこうした話がフィデスの住んでいた村にまで広がっているとは思えないが、この世界においてマイラの言葉は決して突飛なものではない、ということになる。

「けど、人間も動物から進化した結果なのだとしたら、私達の血の臭いは所詮獣と同じということになるの」

「いいえ、人の血です。それは……」

「じゃあ、比べてみましょうか」

「比べる?」

「ええ、もう一度あの馬小屋に行って、臭いを嗅いでみましょう。馬が怪我を負っていたのか、あるいは」

「……あるいは」

「全て私の勘違いで、私が嘘を吐いている、ということ。なんてことの無いことで、フィデスさんには対した意味を持たないものね」

「……。でも、それは」

「さ、行きましょう」

 マイラはドアに寄って、外にいる門番に声を掛けた。

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