マイラ・グランヴィルは動揺する4
「はい、着いた当初はここで寝泊まりしてました」
「ええっと、聖女でしょ?」
「聖女だとかなんとか関係ありません。働いてないのですから、部屋になんて泊まれません」
「いいのよ! 聖女なんだから部屋を使ってもいいの! もー、あなたがいるというだけで仕事になってるんだから!」
「……? え、それは仕事じゃなくて棒立ちでは?」
「……よしわかったわ。まずあなたは城の常識を学ぶべきね。私がみっちり教えてあげるから」
「勉強ですね! ありがとうございます!」
「素直なことは美徳かもしれないけれど、もうちょっとこう疑うことも覚えてくれないかしら!」
「疑うなんてとんでもない! マイラ様はとても優しい方ですので!」
「あーうー!」
「ま、マイラ様が言い負けてる……!」
メイの衝撃的な態度はさておき、マイラはこめかみを押さえながら荷物を指差す。
「で、ここにあるのが全部なのですか?」
「はい。たいしたことないので、大丈夫でしたのに」
「たいしたって……いやー……」
一軒家の荷物を全部運んできたのか? と思わずツッコミを入れたくなるような家財道具の山がそこにはあった。さすがにタンスやベッドなどの大型家具こそないものの、少なくとも中にあった荷物や布団などはそこにあるだろう。もう少しで馬小屋の天井を突き抜けそうだ。さすがに馬小屋へ直に置くのは汚れると配慮されているのか、家財一式の山の下には水が染みないよう魔術が込められた古いカーペットが敷かれている。
「無理でしょ、これ。一人で運ぶのは無理でしょ、コレ。相当な人手が必要よ。ていうかどうやって運んできたのコレ」
「はぁ、引っ越し業者の方に頼んで……」
「ああ、はい、そっか。まぁいるわよね、引っ越し業者ぐらい」
そもそも貴族暮らしを始めて十五年、引っ越すなんて微塵も――王子と結婚すれば引っ越しという形になるが、その可能性は万が一にもなかったため――考えて来なかったからこそ、そういう業者の存在をすぐには思い出せなかった。
(とはいえ前世みたいにトラックで運んで~なんてものでもないだろうし、お金掛かったんじゃないの。まぁどうでもいいんだけど)
「で」
と、フィデスは言葉を続ける。
「早速運びたいと思います」
「待って」
思わず止める。
「これだけの量を……あの部屋に?」
背後で空気のように着いてきていた兵士に視線を向けると、大男である兵士といえどさすがに顔面蒼白にして首を振る。
「はい、お部屋も広かったので入りそうですよね! ざっと二十往復ぐらいすればいけるかと!」
「そりゃ入るでしょうけど! 部屋に必要なものだけを選びなさい! 他は城の倉庫に運ばせるわ!」
「ええ!」
フィデスは慌てて振り返る。その顔は蒼白になっていた。
「――全部、名前をつけてあるんです」
「名前つけててもダメです。飼えるものだけ飼いなさい」
うんうん、と兵士も頷いて同意するのが見えた。
「お嬢様? 家具一式はペットじゃありませんよ?」
「んなこと分かってるからー!」
自分のメイドにもツッコミを入れながら、マイラは家財一式の山に向かって歩き出す。正直馬小屋というのは初めて入ったのだが、臭いがそれなりにキツい。ここの担当の兵士も見る限りきちんと世話をしているようだが、それでもやはり臭いものは臭いのだ。つまりこの家具一式、ここに置かれてから時間が経過しているだろう。――臭いが染み付いているのは間違いない。
(洗えば臭いぐらい取れる? 取れるかもしれないけど、全部は量が多すぎ。こうなったら私が選別するしかない!)
「まず貴女が暮らしていくのに必要なものはコレとコレとコレと」
ひょいひょいと生活用品を選んでいき、それをフィデスに渡していく。
「わ、わ、あ、あまりいっぱい渡されると持てません」
「持てる分だけにするわ。他は倉庫行きよ」
「ええええ! ハイヨーちゃんとかポンポルちゃんは!」
「独特なネーミングね……んで、これが最後。こんなもんじゃないかしら」
「す、少ない……両手に持てる分しかないです……」
「いや十分よ。本来必要なものは王宮側で用意されるもの。それでも自分のものを使うと考えたら、まぁこの程度でいいでしょう」
「ううっ、ペヨングちゃん……」
「カップ焼きそばみたいな名前ね……」
「カッ……なんでしょう、それは?」
「あ、あー、なんでもありません。それじゃあ部屋に戻り……いえ、まずは水洗い場ね。メイ、これらの臭いを取って干すわよ」
「分かりました」
メイが一礼し、それから口を開く。
「では一度部屋に戻りますので、これらは兵士さんに頼んで洗ってもらいましょう」
「え?」
兵士が思わずといった様子で声を出していた。
「いや、いいんですが……わ、私が洗うのでしょうか?」
「はい。ここだけの話ですが、あまり外で長居をするとお嬢様にあらぬ疑いが掛かるかも知れません。一旦一緒に部屋まで来て頂いてから、これらの荷物を洗っていただけませんでしょうか?」
「は、はぁ、確かに一理ありま……ありますかねぇ? 実はまったくないんじゃないですかねぇ!」
「ありますあります。さぁさぁフィデス様、お荷物をこの方にお渡しください」
「え、ダメですよ。私が運ばないと余計な仕事が」
「大丈夫です、これもこの人のお仕事なので。さぁさぁ」
強引に荷物をひったくったメイは、そのまま大柄の兵士に荷物を全て渡す。
「思ったより重い……!」
「女性の細腕で持てる程度です。男ならしっかりしてください」
「ぐっ……、くおー! やったらぁ!」
色々と諦めたのか、兵士は気合いを入れて大声を張り上げる。
「これでも毎日鍛えてますからな! なんならもっと持っていけますぞ!」
「え、じゃあパイヨルちゃん(冬用布団)とプリルちゃん(家族用テーブル)も」
「ごめんなさい限度があります許してください」
荷物を一度部屋に持ってきたマイラ達は、全ての荷物をまた兵士に預けて洗い物をするように頼む。諦め顔の兵士は何やら悲しい鼻歌を奏でながら荷物を運んでいったが、まぁいいか、とマイラはすぐに彼のことを忘れることにした。
「さて、私達も馬小屋に入ったから臭いがついてるわね。お風呂の用意をしてもらえる?」
「かしこまりました」
一礼をしたメイは扉を叩いてから見張りの兵士に用件を伝え、そのまま風呂場へと向かう。部屋には今、マイラとフィデスの二人きりとなった。
(悪役令嬢と主人公だけとか、本来なら気まずいにも程があるけれど)
幸いこの世界における人間関係なら、ゲームと違い最悪な状態となっていない。そもそも彼女はフィデスを殺そうとしたことが一度も無く、むしろゲーム内における彼女はそれを必死に止めようとしていた側だ。
故に彼女は殺さない。
「フィデスさん、貴女もお風呂に入るのよ」
「え、無料でですか!」
「……つくづく聖女の自覚がないわね、貴女」
はぁ、と小さく嘆息する。改めて気持ちは分かるけれど、このままではここでまともな生活も送れないだろうという心配がモリモリと盛り上がってきてしまう。
「メイにはお風呂場で準備をさせています。私達は今のうちに自分の準備をしましょう。ああ、メイも一緒に入るのなら彼女の分も必要ね」
「――不思議、です」
「え、なにが?」
「マイラ様は貴族というお立場なのに、それを強調することもなくごく自然と平民である私に話しかけてくれています」
「……まぁ、この部屋で一緒に暮らす以上、気後れしているわけにはいきませんから。フィデスさんにも慣れてもらわないと困りますし」
「やっぱり優しいんですね、マイラ様」
またこの言葉か、とマイラは困ったように眉を顰める。別に優しさから面倒を見ようとしているのではなく、早くここの生活へ慣れてもらわないと余計な手間がかかるからだ。そう伝えるべきか――
「それにマイラ様はご自分のメイドの分も用意すると仰っています。普通、貴族の方は下の者のことなど考慮することはないのでは」
「それも一つの見方ではあるけれど、偏見でもあるわね。使用人の状況をある程度把握しておけば、それこそ効率良く人を使えるわ。何も考えずに人を使う、というのは基本的に無能のやることです」
「な、なるほど、失礼しました」
頭を下げるフィデスに、マイラは何度目かの溜息を吐く。
「――では」
フィデスは言葉を続ける。
「香水を強めにつけているのは、体臭を消すため、でしょうか」
「……! 何のこと? 香水は淑女としての嗜みよ」
「いえ、それにしては強めかと。それに髪の毛も以前遠目で見たときのマイラ様の時より、やや脂ぎって固まっているように思えます。もしや昨晩、湯浴みをしなかったのでは?」
「……いえ、したわ。ただ今朝からバタバタしていたから、ちょっと汗臭くなってるかもしれないわね。ふふ、貴族の令嬢に汗臭いなんてとても失礼だわ」
「あ、ごめんなさい! でも、臭いは『それだけ』じゃなくて」
「馬小屋の臭いならもういいわよ……」
「いいえ」
あまりにも無邪気な顔をしていたので、その時のマイラは完全に油断をしていた。致命的な一言であり、本来ならそう予想できていても良かった筈だった。けれど、マイラはフィデス・サンクという少女を完全に見誤っていた。彼女は無害だと。彼女に何もしなければ特に害は無いと。確かに同じ部屋ならば邪魔ではあるものの、それ以上ではないのだ、と。
「血の臭いがしますね」
「――ッ!」
「殺しましたか、誰かを?」
世界が反転したかのような衝撃に包まれた――




