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ある末期がん患者の妻と夫のお話

作者: 水源

 アラサーである”彼女”が同じくアラサー旦那である”彼”と結婚したのは5年前。


 そして”彼女”のがんがステージ4の末期がんで、余命があと半年と宣告されたのはおよそ5ヶ月前。


 夫婦は治療・緩和ケアを頑張っていたが、”彼女”の病状は悪くなるばかりだった。


 がんのステージ4の段階でがんの基本的治療方法である外科的手術・抗がん剤のような化学療法・放射線療法が使えず、治療方法はほとんどない状態だ。


 それでも”彼”は最後まで手を尽くすつもりだった。


 5ヶ月後


 ”彼女”はまだ生きていた。


 ”彼”も未だ毎日のように病室に顔を出し、”彼女”の欲しいものは何でも勝ってきて差し入れ、そして疲れたようにトボトボ帰っていく。


 明らかに心身ともに疲れ切っていた。


 だからこそ”彼女”は”彼”からの愛を捨てることに決めた。


・・・


 がん終末期となる生存期間の残り1ヶ月前を迎えると様々な症状が現れ始める。


 全身の痛みや疲労感、息切れなどが増加し、呼吸に伴う喘鳴も現れることがある。


 食欲の落ちた彼女はやせ細って皮膚はシワだらけになり、昔の美しい姿は見る影もなくなっていた。


 それでも彼は彼女の病室に顔を出し、欲しいと言われた物の差し入れにいっていた。


 そしてその日も”彼”は病室に立ち寄っていた。


 部屋のベットを遮るカーテンを開けようとして”彼”は中に声を掛ける。


「調子はどうだい?

 はいるよ」


 ”彼女”はその声を聞いて背を向けるように顔を背けた。


「もう全身痛くて最悪」


「そ、そうか。

 ごめん僕が無神経だった」


「別に謝らなくていい。

 あなたはいたって健康なんだから、私の状態がわかるわけがない」


「それは」


「持ってきてくれたものは机の上に適当においておいて」


「あ、ああ」


 そして”彼”はおどおどと”彼女”彼女に声を掛ける。


「そ、それじゃお大事に」


 ”彼女”はその言葉にイラッとしたように言った。


「お大事にっていっても、回復する見込みなんてほとんどないじゃん。

 どうせもうすぐ私は死ぬのに治療にこんな費用をつぎ込むなんて無駄だと思うけどね」


「ご、ごめん」


「もう、帰ってよ。

 あんたにこんなになった顔を見られたくないんだけど」


「そう……か」


 ”彼”はカーテンをしめるとトボトボと病室を出ていった。


 そして”彼”は自宅のアパートへ戻り通帳と家計簿を睨んでいた。


「緩和ケア病棟の入院費用が1日あたり約50,000円。

 とはいえこれは高額療養費制度があるからまだなんとかなる。

 朝昼夕の食費とパジャマやタオル、歯ブラシとコップ何かのアメニティーセットは別だからそれが一日2000円程度。

 その他に治療にかかる費用が月約30万……とはいえ今月はまだとかなりそうか……」


 貯金も大きく目減りし、保険で多少はカバーできても全額を賄えるわけではなく”はあ”と彼はため息を付く。


「だけど、本当に辛いのは僕じゃない。

 今も痛みに耐えて、治療を続けている”彼女”の方なんだ。

 だから僕にできることは何でもしよう」


 ”だけど”と彼の心の中の悪魔が囁いた。


「でも、僕のしていることは彼女の望むことなんだろうか。

 最近では病室で顔を見せてもくれない」


「彼女はいつ死ぬんだろう……僕はそうすれば彼女から開放されるのか……」


 しかし彼はその思いに首を激しく横に降った。


「何を考えてるんだ僕は……」


 そしてその翌日”彼”はまた”彼女”の顔を見に病室へ向かった。


 ・・・


 ほんの半年ほど前まで、こうなるなんて思ってもいなかった。


 まだまだ長い人生あなたとずっと過ごせると思っていたのに。


 でも、体調が悪いなと思って病院に行ったら、実は末期がんで余命は半年ほど。


 色々やっては見たものの体の調子は悪くなるばかりで、この先も一緒にいることはできないとわかってしまった。


 だから私のことを許さなくてもいい、むしろ私を嫌ってくれたほうがいい。


 だから私は”彼”からの”愛”を捨てることにしたんだから……あと少しだけだ。


 ・・・


 ”彼”が病室に到着したとき”彼女”は看護師と会話をしていた。


「あの、こんな事を言うのはどうかとも思いますが……旦那さんにはもう少し優しくしてあげたほうがいいと思います。

 最近の旦那さん、酷い表情をしていますよ」


「そう、”彼”が私の事が嫌いになってる?

 なら成功かな」


 ”彼女”の発した言葉を聞いて怪訝な評定をする看護師。


「成功?

 あんなに愛して世話をしてくれている旦那さんにその言い草はなんですか!」


 しかし”彼女”はふふっと笑って看護師へ言った。


「私のことが嫌いになってるなら、私がこの世からいなくなっても、彼は一人で生きていけるでしょう。

 前のままだとあの人は私に事を追って死にかねなかったから。

 だから”彼”には私を嫌いになってほしかったの」


「なんでそんな……」


「そうすれば”彼の”短くない残りの人生を私に引きずられることなく、楽しく生きれるじゃない?」


「だから、”彼”に顔を見せないようにしていたの?」


「そうね。

 きっと”彼”の顔を見てしまったら決心が揺らぐから。

 死にたくないって、もっと一緒に生きていたって彼にすがりついてしまうから。

 そうしたらきっと彼にも心残りができると思う」


「だから、わざわざ嫌われる嫌われるようなことを?」


 ”彼女”は胸を抑えながら言った。


「そう、だからこの胸の痛みもきっとがんのせい。

 きっと病気の痛みなんだよ」


 そして”彼女”彼女は看護師に告げた。


「だから、あと少しだけ”彼”には伝えないでほしいの」


 ”彼女”がそういったとき”彼はカーテンを引いて病室のベットの脇に踏み込んだ。


「僕はそんなことを願ってない!」


 突然病室に踏み込んできたように見えた”彼”に彼女と看護師は驚愕する。


「え?」


 そして”彼女”はおそるおそる”彼”彼女に聞く。


「今の話……聴いてた?」


「ああ、聴いてたとも。

 危うく君の思惑に乗って、君のことを嫌いになってしまいそうだった」


「……あともう少しだったのになんて間の悪い人」


 そして”彼”は言った。


「僕の好きな漫画にこんなやり取りがある」


「いずれは弟が当主になると知っていながら、なぜこれまで次期当主として 情熱を保ち続けることができたのか?」


「主人公の女性にそう問いてきた婚約者に対し、彼女の答えはこうだ」


「やがて失うものに意味がないのなら、あなたの命もまた無意味でしょう」


「時か 病か 刃か。

 いずれは奪われる」


「ならば今すぐ死にますか?」


「とね」


「たしかに君は間違いなく死ぬ。

 だけど、それはあと数日先とは限らない。

 今行ってる治療が功を奏すかもしれない」


 そして彼は言う。


「僕はこの先も君と生きていきたい!

 まだ希望が尽きたわけじゃない!」


 しかし”彼女”はため息を付いて言う。


「でも、貯金も底をつきそうなんでしょ?」


「問題ない。

 確かに今の生活は少し苦しい。

 があと少しお金を節約すれば、君一人の入院治療を支えるくらい、どうってことはないんだよ」


「あと少し、だけでは済まないかもしれないよ」


「それならそれでいい。

 僕は豪勢な生活がしたいわけじゃない」


「私……は……生きていても……いいの?」


「僕は君に生きていてほしい、君はどう思うんだい?」


 ”彼女”は大粒の涙をこぼしながら言った。


「私は……生きたい。

 まだ……死にたくないよ」





















 そしてひと月後、彼女はまだ生きていた。


 彼女が行っていた免疫療法の副作用は疲労・疲労感、そう痒症、発疹、食欲減退などがんの終末期に起こるものと非常に似ていた。


 免疫療法の適合率は2割以下だが、約4.5ヶ月かけて治療を行い、治療効果が認められれば2年間を目安に治療が継続される。


 がん細胞は体の免疫力を弱め、自己防衛を図る特性を持っており、具体的には、PD-L1と呼ばれるタンパク質を産生し、これが体内の免疫機能でがん細胞を攻撃するT細胞に対して「ブレーキ」のような働きをするのです。


 PD-L1タンパク質は、免疫細胞の表面に存在するPD-1という受容体と結びつき、免疫細胞の攻撃活動を抑制。


 その結果、がん細胞は免疫によって壊されることなく体内で成長し続けてしまうのです。


 しかし、免疫療法により、PD-L1とPD-1の結びつきを阻止し、免疫細胞の働きを復活させることができる。


 ただし、これはT細胞の活動のリミッターを外すことでもあって、本来攻撃されない細胞もT細胞に攻撃されることにもなる。


 幸いなことに”彼女”彼女はがんを攻撃する「腫瘍浸潤エフェクターT細胞」のPD-1が多く、逆にがんが免疫細胞からの攻撃を避けるのに利用する「腫瘍浸潤制御性T細胞」のPD-1が少ない体質だったようだ。


 その後、無事食欲を取り戻し、歩行や椅子の上に座る、立つ繰り返すスクワットなどのリハビリも乗り越えた彼女は退院することができた。


 しばらくは通院しつつ、3週間に1度の免疫療法の点滴を受ける必要はあるものの彼女は無事に日常へ戻ることができたのだ。


 そして、病院をあとにした二人は彼女はのんびり歩いていた。


「あのね……」


「ん、なんだい?」


「あのとき私が投げ捨てようとした、あなたからの愛と、私の命を拾い上げてくれて、ありがとう。

 私が今でもあなたのそばにいるのはあなたのおかげだよ」


 その言葉に”彼”は苦笑しつつ答える


「ああ、実を言うと僕も危なかったから……。

 でもさ」


「ん」


「僕達にはこれからも一緒にいる長い時間ができた」


 一息ついてから”彼”は言葉を続けた。


「これはきっと、神様からの贈り物だったと思うんだ」


 そういう”彼”彼女に”彼女”はくすっと笑っていった。


「神様って意地悪で回りくどいのね」

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