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二話

 辰巳たつみは顔合わせの日から、互いの仲を深めるために度々、栗花落つゆり家の屋敷を訪ねるようになった。


 家の女中たちは辰巳が来ると知れば化粧が濃くなった。それを嗜めるのは母を幼少の頃から世話をしている女中頭で「姫子様の婚約者にお前たちが色めきたってどうする」と若い女中たちを叱りつけた。


 「でも〜、かっこいいって噂ですよ。そんな人が婚約者だなんて羨ましいわ」


 「あんたは相手探すところからじゃない」


 女中たちは皿洗いなどに手を動かしながら、談笑していた。姫子は静かにその様子を扉の隙間から見ていた。「ねぇね」と呼んで慕っている女中たちではあるが、その輪の中に入っていける気がしない。


 いつも姫子は「可愛いお嬢さん」であって可愛がられ尽くされる存在であるから彼女たちのおしゃべりに対等な存在として入ることはできない。

 きっとませているって思われる。尋常小学校でも、なんだか姫子は浮いてしまって友達と呼べる人がいない。


 周りが全て幼く見えてしまうし、女の子たちからは男の子に色目を使っているって陰口を言われてしまう。華族から転落してきたお姫様って扱いなので、皆んな姫子を遠巻きにする。


 祖父も母も女中たちも、姫子が学校でうまく行くことを望んでいるから話せない。


 辰巳が、やって来ると女中が暖かいお茶を出して辰巳をもてなした。普段は布団に引っ付いているような母が珍しく起きてきて、姫子に「辰巳さんにお庭でも見せてあげなさいな」と声をかけて、二人を縁側に行かせた。


 姫子はもじもじとしながら、辰巳を見つめた。二人っきりになるのは初めてのことだった。


 「ここの庭木は美しいですね」


 ぽつりと辰巳がつぶやいた。彼が話題を提供してくれたのだと、気付いて姫子は必死に話題を繋ごうとした。


 「庭師さんがお母様の部屋から一番綺麗に見えるようにしてくれているんです。お母様はお部屋からあまり出られないから」


 母が桜が好きだから、庭木に向かない桜を祖父が庭師に無理を言って綺麗に丁寧に手入れをしてもらっている。母の部屋の窓から庭を切り取ると、春夏秋冬どの時期でも絵画のような美しさで配置されている。

 母の部屋の窓枠はまるで額縁みたいで、晴れていても雨が降っていても綺麗に見える。


 「お母様に甘えられず、それは寂しかったでしょう」


 辰巳は穏やかな声で言った。姫子は次の返事が思いつかなかった。自分の感じる寂しさを受け止めてくれる人は初めてだった。


 「ねぇねたちがいてくれるから、あんまり寂しいなんて思っちゃいけないんです」


 母は病弱だから、心配は掛けられないし祖父は今も現役で会社を動かしているから、あまり家にはいない。姫子が寂しくないように女中たちがいるけれど、彼女たちも仕事があるから姫子ばかりに構っていられない。

 

 「でも、寂しいですか?」


 辰巳はあまり姫子を怖がらせないように細心の注意を払ったような穏やかな声色で尋ねた。


 「……寂しいです」


 ぽろりと溢れてしまった。気づけば母は病弱だから心配かけれないだとか、祖父は仕事で忙しいだとか、学校で友達ができないことを話してしまっていた。


 「友達は焦らずとも、できますよ。姫子さんは家族想いの優しい人ですからね」


 辰巳の慰めの言葉に、姫子は安心した。そういえば近くに辰巳のような空気感を纏った人間には出会ったことがなかったかも知れなかった。軍人は厳しい人ばかりかと思っていたので、そこにも拍子抜けした。


 「じゃあ、辰巳さんも私を励ましてくれる優しい人です。私、辰巳さんが婚約者でよかったって思いました」


 辰巳が婚約者でよかった。それは果たして本心だったのだろうか。姫子自身もわからない。女中たちの言葉を借りてきたような気がした。それでも、この言葉で辰巳が喜んでくれるなら姫子は満足だった。


 しかし、辰巳はあまり嬉しそうな顔をしなかった。姫子を憐れむような視線を向けて、何かを言いかけてやめた。そして話題を逸らした。


 「桜が咲いたら美しいでしょうね」


 辰巳が感じた姫子への憐れみを儚く散る桜が満開になる様子を夢想して誤魔化したように感じた。


 「春はお母様が一番好きな季節なんです。お母様の体調も春は安定します。桜が咲いたらぜひ見に来てください。綺麗なので」


 「……ぜひそうさせてもらいます。…姫子さんが好きな季節はいつですか?」


 辰巳はまだ蕾も見えない古い桜の木の幹を見ながら尋ねた。


 「やっぱり春でしょうか…お母様が元気な日が多いし…。でも、秋も好き…夏も好きかなぁ」


 でも冬は嫌い。冬は母が寝込む日が多いし、蔵も寒いし暗いし肌に突き刺さる寒さが堪える。鳥肌が立って、悍ましい。冬は父も苛立つのか姫子の扱いが少し雑になった。


 そこに女中がおかわりのお茶と辰巳が手土産で持ってきた大福を持ってきた。二人は縁側に並んで座ってお茶を飲んだ。


 「姫子さんは何が好きですか?」


 もそもそと大福を咀嚼していると辰巳が尋ねた。


 「えっと…甘いものならなんでも好きです」


 求肥からはみ出す餡子が何か嫌なことを想起させて、姫子は小さな口で可愛らしくちまちま食べていた大福の残りをはしたなくも一口で飲み込んだ。

 そうだ。この大福は私なのだ、と姫子は思った。柔らかい肌に中身の餡子は内臓。誰かに齧られて中身が飛び出す。誰かに食べられるために存在している。


 辰巳のために姫子は存在しているだろう。世間の妻が夫を立てるように。そういう夫婦関係になるのならば、姫子は添え物みたいなものだ。


 姫子が食べられ行く大福に自身を重ねなんだか物悲しい気持ちになっている時には辰巳も大福を食べ終わって茶を啜っていた。


 「花見をする時には、桜餅でも持ってきましょう」


 枝だけの桜の古木を見つめ、辰巳はつぶやいた。姫子は「楽しみです」と返事をした。




******



 

 秋の深まる日、尋常小学校では地域交流という名で、生徒たちが劇を催すことになった。姫子たちのクラスの演目は「灰かぶり姫」だった。

 誰かが言った。主役の灰かぶり姫は姫子にやって貰おうと。姫が魔女に魔法をかけられて金襴緞子のドレスを纏う場面はやはり豪華な方がいいから、衣装を用意できるお金持ちの家の子がいいだろうということになった。


 たぶん、姫子が機嫌を損ねないようにという配慮もあったのだろう。姫子が主役じゃないと、祖父が学校に文句を言うかも知れなかった。間違いなく、父なら文句を言っただろう。うちの可愛い姫子がお姫様役じゃないなんて信じられないって。でも、父はいない。


 衣装は各家庭がつくる。母は寝込んでいるから針なんて持てないけど、女中の誰かに言えば作って貰えるだろう。魔女役の子が、衣装はお母さんに作ってもらうと言った。姫子は、ねぇねたちが作ってくれるだろうと言った。姫子さんはお嬢様だからね、とその子は言って話してくれなくなった。


 だから王子様役の男の子とよく話した。彼は少し気後れしているみたいだけど、姫子を除け者にはしなかった。そうしたら、端役の女の子たちが姫子の陰口を言い始めた。


 あの子は、こねで主役を取った。


 別に姫子が望んだわけじゃない。でも、大勢の視線を釘付けにして賞賛を受けるのも良いかも知れない。そんな気持ちだった。もしかしたら姫子が主役として劇を成功に導けば、クラスの人たちと打ち解けられるかも知れない。

 

 地域交流、演劇「灰被り姫」のお知らせを、姫子は鞄の奥深くに沈めて家に帰った。母は体調が悪くなって連日お医者さまが家に来ていた。

 もしかするとサナトリウムに入るかも知れないと女中たちが噂していた。しかし母が家から離れたくないと願うので自宅療養が続けられていた。


 祖父も大きな仕事が舞い込んだ時期で、家には寝に帰ってくるならまだましな方で、会社に泊まり込む日も少なくなかった。


 この時、姫子は気づいたのだ。どれだけ頑張っても見に来てくれる人がいないということに。女中のねぇねたちが見に来てくれたところで、他の子が家族が見に来ている中で惨めな思いをするだけだ。


 主役の衣装は女中たちの手によって着々と縫い上げられている。完成に近づけば近づくほど、姫子は追い詰められるような気がした。重いものにのしかかられるような圧迫感。暗い場所、汗の臭い、痛み──嫌なことを想起させて嫌だった。


 そんな時に、辰巳は羊羹を手土産に栗花落家を訪れた。彼は何げなしに尋ねた。学校の方はどうですか?と。彼は心配してくれたのだろう。姫子が学校に馴染めているのかどうか。


 姫子は鞄の奥底にしまい込んでいた劇のお知らせの紙を辰巳に見せてしまった。


 「あの…お祖父様も忙しくて、お母様も体調が悪くて。きっと見に来てくれないんです。辰巳さん、私の家族として見に来てくれませんか?」


 そう絞り出したけど、辰巳の顔を見るのが怖くて姫子はぎゅっと目を瞑った。図々しかっただろうか。辰巳も仕事で忙しいだろうか。まだ結婚していないのに家族の枠に当てはめてもよかっただろうか。

 不安だった。その答えが辰巳の表情に現れていないか、確認するのが怖かった。


 「劇ですか…。それは楽しみですね。仕事を調整できないか頑張ってみます」


 辰巳の返事は思ったよりも好意的だった。姫子はおずおずと瞑っていた目を開ける。


 「あの…無理しなくて大丈夫です。辰巳さんはお国のために仕事する軍人さんですし、忙しいですよね」


 姫子は手に握っていた紙に皺が寄ることも躊躇わずに力を強めた。


 「忙しいとは言っても休めないほどではありませんよ。それに姫子さんのお願いですからね。聞いてあげたいんです」

 

 辰巳は優しく微笑んだ。この人がこんなに優しい顔ができることを知らなかった。


 「じゃ…じゃあ、私頑張って練習します。辰巳さんに見てもらえると思ったらやる気でます」


 姫子は笑顔を向けた。そうすれば辰巳が喜んでくれると思って。練習は姫子だけ除け者にされているので、今のままだと姫子は主役として恥をかいてしまう。それだけは避けたかったし、やる気も湧いてきた。


 衣装は女中たちの手により着々と仕上がっている。あの衣装を纏う日を少し憂鬱に感じていたけれど、少し楽しみになってきた。洋裁は女中たちも慣れないならがも頑張ってくれている。あれを纏えば、新聞の切り抜きで見た花魁のように綺麗になれて、皆から愛されるだろうか。




******




 放課後、姫子は思い切って魔女役の女の子に声をかけて見た。劇の練習は放課後にそれぞれがすると決まっていて、姫子は今まで遠巻きにされていたから王子様役の男の子との場面しか合わせて練習していない。しかし、魔女役の子とも場面があるのだから、練習しないわけにはいかない。


 魔女役の子はちらりと教室の隅に固まる女の子たちを見てから、「いいよ」と練習に付き合うことを受け入れてくれた。


 魔女役の子は、菜桜子なおこと言った。きつく三つ編みのおさげ髪の子だった。菜桜子はこっそりと教えてくれた。姫子がこの学校に転校してくるまで一番お金持ちの家の子が嫉妬して姫子を除け者にしていると。

 本当は主役をやりたかったのに継母役になってしまって姫子を敵視しているらしい。


 「姫子ちゃん、気をつけてね。あの子達、姫子ちゃんを階段から突き落として足でも折って主役からおりて貰おうって言ってたから」


 「わかった。気をつけるね」


 菜桜子は姫子が栗花落汽船のお嬢様で元は華族のお姫様だったという情報だけで、遠巻きにしていたらしい。しかし、姫子が話しかけたことにより、意外と親しみやすいと判断したのかも知れない。辰巳が言ってくれた言葉が蘇ってきた。「友達は焦らずとも、できますよ。姫子さんは家族想いの優しい人ですからね」と。


 姫子は劇までの日々を菜桜子や男の子たちとくっついて過ごした。一人になってしまったら何か攻撃される気がしたからだ。


 そして本番の日はやってくる。


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