第四話
「お前は歌わないのか?ここはカラオケという、異世界の者が経営する闘技場、魔物同士が歌を歌って競う場所だ。歌も歌わずに何をしている……はて、お前のその鎧、どこかで見た覚えがあるような」
「ああああ、あの! バルロッグさんもそうおっしゃっておりますから、一曲歌ってみませんか、お兄さん!」
私はバルロッグさんと勇者様の間に飛び出し、鎧についている勇者っぽい紋章が見えないよう背中で隠す。
「くそ……一体どうすればいい」
「歌って下さい、勇者様」
「なっ!? 貴様、俺にもあれをやれと言うのか!?」
「他に方法はありません。バルロッグに罵倒されたら、怯えたフリをして逃げればいいんです、後は私がワインで食い止めますから」
「悪くない手だが……駄目だ! 俺にも服を脱がすなとか今は駄目とかちょっと誘ってるような女の真似をしろと言うのか!?」
「違います! 別の曲を掛けますから、曲選びは私に任せて下さい!」
「そ、そうか、さっきのラララーの方がマシだ、いや、あれはあれでだめだ、歌い難過ぎる」
「何をゴチャゴチャ話している」
「ああ、はいはい! さまよう青白い鎧さんは田舎から出て来たばかりなので少し恥ずかしがっているんです! でも今、歌う事に決まりましたから!」
「待て!? 俺はまだ歌うとは決めてないッ」
「諦めて下さい、貴方勇者って言いましたよね、勇者って何ですか、勇気のある者じゃないんですか、誰もが避けて通るような困難にも、率先して立ち向かう、それが勇者じゃないんですか」
「ええい、知ったような口をッ……解った! だが絶対男の歌にしろ!」
「はい、はい」
「それから! 俺は絶対に30秒以上は歌わん、あの悪魔が意地悪をして俺に歌い続けさせようとしても必ず途中で演奏を止めろ、奴がするのを見ていたぞ、演奏は途中で止められるんだろう?」
「は、はい、止められます」
「いいか? 必ず30秒以内に止めろ。約束を破ったら……俺がお前を斬る」
ひいいっ……カラオケを止めなくて斬り殺されたカラオケ店員なんて聞いた事ないよっ!?
さまよう青白い鎧は。カラオケスナック「すみれ」の円形のお立ち台に立った。
バルロッグさんは三杯目のワインの樽を手にしている。ゴブリンの兄弟も見守っている。
私はリモコンを操作する。
勇者のリクエストは男ボーカルで歌い易い曲だ。しかし……歌い易いと言ってもなあ、勇者様にとっては勝手にシンドバッドとセーラー服を脱がさないで以外は全部一度も聞いた事が無い曲になるわけで。
ともかく、これかなという曲を私は選ぶ。
私も一応、店員として二年くらい、色々な人が色々な歌を歌うのを見て来た。
入力を終えた私は、勇者に耳打ちする。
「曲はゆっくりですから。変に調子をつけず、出て来る歌詞をただはっきり読んで下さい」
「そんなので……歌になるのか?」
「大丈夫です。無理に盛り上がらないで」
「これは男の歌なのだろうな?」
「はい……女性の心情を歌ってはいますが、男性ボーカルで」
「きッ……貴様!! 謀ったな!!」
勇者様が不意に激昂する……何で?
イントロが始まる……
「女の心情を歌うだと!? そんな恥ずかしい話がどこにある!! 貴様最初からこの俺に恥をかかせるつもりだったのだな!」
しまった。男が女性心理を歌うようになったのなんて、元の世界でも歴史的にはごく最近の事なのだ。たけどもう時間が無い。
「違います! ああもう始まります、画面に集中して下さい」
画面……ああ、これ本人映像の曲ですよ!
「ほら、男性歌手ですから」
「中年ではないか! 俺はこんなおじさんではない!」
「さあ、始まります」
曲は雪國だ。映像は大御所となられてからのものだが、おじさんとは失礼である、この曲を自ら作詞作曲された時の吉先生は30そこそこだったのだ。当時はコミックソング歌手としか評価されていなかった先生が、諸先輩方の反対を押し切って発表した、若いエネルギーと才能の結晶なのだ。
いきなり愛の告白から始まる歌詞は、今でも男性が歌うには照れくさいのかもしれないこの曲は、前半は静かな語りが続く。ここは平坦に読んでいるだけでも、歌えているような雰囲気が出る。
それが途中から盛り上がって行くのだが、カラオケが苦手な人は無理について行かなくていい。前半と同じように平坦に読むだけでも良いのだ、上手にやろうと思わなければそれでいい。
最後もそう。無理に盛り上がらなくていい。
シンプルで深い歌詞、そして文句なしのメロディ……名曲ですねェ。恥ずかしかったらうんと小さな声で歌ってても大丈夫……
ほら、しんしんと雪が降る景色が見えて来るじゃないですか……
って、メロディに聞き惚れている場合じゃなかった。歌い始めから30秒以内に止めないと私は斬り殺されるんでしたよ。えーとリモコン……
え?
私がリモコンを取ろうとすると、勇者様が小さく、手でそれを制した。何だろう。私は横目でバルロッグ様をそっと見る……やや、バルロッグ様、腕組みをして勇者様をガン見してますよ、今止めるのはまずいって事かしら。
だけど早くしないと、曲が中盤の盛り上がる所に差し掛かっちゃうから、ともかくリモコンは持っておこう。そう思って私が一歩前に出ると……勇者様が私の背中を大きく押し退けた。
私は勢い余って転倒し、カウンター椅子に頬をぶつける。
な、何するんですか……止めないと! 私斬られて死ぬの嫌ですよ!
遠く離れた人へ届けと。
見上げた分厚い雪雲を、声に出せない思いが貫いて行く……
ああっ、一番を歌いきってしまいましたよ! もう30秒以上経つじゃん!
私は間奏の間にカウンター椅子の下を這い、コソコソとカラオケ機の方へ向かう。リモコンが駄目なら本体だ。急がないと二番が始まるよ!
二番は情景がより身近になる……言葉は少ないのにしっかりと思い浮かぶ物語。そしてSNSの発達した現代ではもうあまり見られない、言葉を届けられない人への慕情……私は18歳だから解らないし、そもそもここ異世界だけど。
それどころじゃない! 私はようやくたどり着いたカラオケ機にすがりつく! 演奏停止ボタン! 本体の演奏停止ボタンどこだっけ! あったここ! これをポチっと押せばそれで……
そのボタンに私の指が振れた瞬間、私は誰かに後頭部を捕まれボックス席のソファーへと投げ捨てられた! ぎゃあああ!?
一体誰が誰がこんな酷い事を!? バルロッグ様!? 私は振り返る……
……
ふざけろ……
泣きたくて? 泣きてえのはこっちだよ……
何だその湯水のように湧き出るロングトーンはよォォォ!
私をソファにぶん投げた、勇者様、もといさまよう青白い鎧は、頭に被った茶色い紙袋に二筋の涙を滲ませながら、雪國の二番のサビ部分を絶唱していた。
嘘だろォォ!? 絶対初めてじゃねえだろお前!! ガラ悪くなる私の心の声。自分の中にこんな不良が眠っていたとは知らなかった。
浸りきっている。完全に浸りきっている! 歌の世界に! 遠く離れた男に想いを寄せる雪国の女に! 勇者イーグルはひたりきっている!
振り向けば、バルロッグ様も腕組みをしたまま天井を見上げ……零れ落ちないように、その涙を深い眼窪に溜めていた。
ゴブリン達も。時折深く頷きながら、エールのジョッキを傾けている。
やり過ぎず抑え過ぎずのビブラートも完璧だ。
異世界転移だ。
カラオケスナック「すみれ」は異世界転移していた。ここは「すみれ」だが、外は魔王城玄関ホールの階段裏ではない。雪国だ。店の外は雪降りしきる雪国だ。
勇者イーグルの歌声が。ここを雪国に変えてしまった。
結局、勇者は雪國を最後まで歌ってしまった。
バルロッグが前を向いた。溜めていた涙が一気に零れる。ああ……拍手までなさっている。ゴブリンの皆さんも惜しみない拍手を……
「いい……歌だった……ゴブリン共よ、先程は済まなかった。俺はどうかしていたのだ。一途に想い、耐え忍ぶ愛か……男の俺にそれが出来ぬでは、悪魔としても恥ずかしい所だな。心洗われたぞ、さまよう青白い鎧とやら」
バルロッグ様、不機嫌の理由はまさかの恋の悩みか?
「せめてもの詫びに今日の勘定は俺が持つ。皆、好きな物を飲み食いしてくれ」