第七話 『暴力』
ハルは目を開いた。
太陽はとうに空からいなくなり、あれほど広がっていた黒雲もどこかに消え去っている。
曇り空は一変、あのプラネタリウムじみた綺麗な星空に変わり、嫌な思い出がハルの脳裏によぎった。
「イッテテ……」
ハルはアリニアの口を塞いでいた手をどける。
手のひらを見ると、アリニアの歯型をした深い傷がくっきりと残っている。
「なんて力で嚙んでんだ」
手を握るのもままならない傷であったが、その後変化を見せる。
「……は!?」
あれほど深く深く刻み込まれた傷口が、ひとりでに塞がっていく。
数秒もすれば、まるで何事もなかったかのように元に戻っていた。
「な、なんだよこれ」
ハルは自分の身に起きていることに理解が及ばず、手の平の残った血液を拭き取る。
しかし、そこにはカサブタも傷跡もない普段の自分の手の平があるだけだった。
――バサッ……
ハルが自分自身に起きた理解足りえない状況に困惑していたその時、ハルの胸元にあった少女の体は地面へと弱々しく崩れ落ちた。
「……アリニア!?」
すぐさまハルはアリニアの体を抱え込んだのだが、さらなる異変に気が付いた。
それは決して、脈がないとか、息をしていないとかそんなものでは無く、気を失っているアリニアの髪の色は、なぜだか黒から白に変わっていたのだった。
いくつもの不自然な現象に頭の中は混乱の渦に飲まれる。
不可解にして難解な、その問いを頭の中でいくら転がしても、答えはどこにも見つからない。
「……頭がおかしくなりそうだ」
根元まで真っ白になったアリニアの頭をなでながら、ハルは平穏を取り戻そうとする。
「お父さん……」
アリニアが寝言を呟く。
瞬間、ハルの手は止まり、顔色を曇らせる。
自分で決めたわけでもなく、流される形となった選択に、今更あーだこーだという気はない。自分にできることは精一杯やったはずだ。
そう自分に言い聞かせつつ、ハルは恩人の事を思い出す。
「……レーヴェさん」
ハルは今直ぐに確認できることを確かめに向かうため、アリニアを木の根元に座らせた。
レーヴェさんにもしものことがあれば、アリニアは気が気ではないだろう。そんなもの見させられない。
湿った地面とじめじめした空気を肌で感じながら、ハルは一人、家へと向かった。
あのバケモノの様子が今もなお瞼ににこびりつき、どう転がっても悪くなる未来ばかりが頭をよぎる。
もしかしたら、レーヴェさんはうまく逃げているかもしれない。
もしかしたら、あのバケモノを倒してるかもしれない。
――なんて、
試験直前の勉強してこなかった中学生の様なポジティブシンキングを原動力に、ハルは躊躇する歩みを無理やり動かし、前に進む。
そして、
「……悪夢だ」
いや、夢であればどれほどよかっただろうか。
目の前にある意味予想通りの光景にハルは言葉を漏らす。
家は半壊、家畜もまるでいなくなり、焼け焦げた倒木やエグれた地面が、あの後の惨劇を物語っている。
それまで見ていた日常の情景は、たったの数時間で余熱の残る戦場へと変化していた。
ハルの頭の中は真っ白になる。
そしておもむろに、歩みを進め始めた。
辺りから立ち上る焦げ臭いが鼻につく。きっとあのバケモノの仕業だろう。雨が降っていなければまだ火は残っていたかもしれない。
ハルは突然足を止めた。
「……」
それがなんであるのか、ハルはすぐに理解した。
無言で、吐き出してしまいたいほどの感情を押し殺し、ハルは目の前に倒れている二つの物体を見つめている。
二つのそれは真っ黒に焼け焦げた死体であった。
なんの死体であるかは考えることなくすぐにピンとくる。合わせたくもない辻褄は何よりもたやすくつながった。
「レーヴェ……さん」
どちらも人の形を残しているだけで、もはや、どちらが英雄の遺体かもわからないまま、ハルはその場に崩れ落ちた。
落胆や後悔、そんな重い感情が体全身に伸し掛かる。
どうすればよかったのだろうか……。
――ギィ―ギィ―
「ひっでぇもんだなぁ、ハル」
荒れ地と化したその場所で、木の軋む音とその空間に似つかわしくない能天気な声が聞こえる。
ハルは、声の聞こえる方へ目を向ける。
それは半壊した家からの音だった。
「……!」
ハルは見覚えのある長身の男を目撃する。
巨大な荷物を脇に添え、椅子をまるでシーソーのみたいに傾けながら、ソイツはこの前と同じように煙草を吹かせている。
「お前がなんでここに居るんだよ……アンノ」
「玄関が開いてたもんでな、戸締りはちゃんとしとけよ? つっても壁ごと無くなってんだから玄関もくそのないか」
「いや待て……お前――」
アンノの飄々と話す内容の中にハルは違和感に気がついた。
「なんで俺の名前を知ってる? お前に言った記憶はないぞ」
それは、ガキだの馬鹿だのと侮辱的な代名詞に置き換えられていたハルの本名を、アンノは知っていたかのように言っていたことだった。
「名前? まぁ、観てたからなぁ」
「観てた?」
「あぁ、探すのは大変だったが二日前ぐらいからな」
――バタンッ!
途端、ハルがアンノの胸ぐらにつかみかかった。衝撃で、椅子が音を立てて地面に倒れる。
歯をかみしめ、険しい表情のハルはお気楽な表情のアンノを睨みつけ、
「テメェ!」
「おいおい、どうしたよ」
「お前、冒険者だよな!」
「そうだが、だから?」
「戦えるよな!」
「だから何だ?」
「じゃあどうして、助けてくれなかったんだよ!」
怒りを十二分に含ませハルはアンノのことを非難する。
ハルはアンノの実力を目の前で見て知っていた。ゆえに、みすみす放っておいたことに怒りが沸き上がる。
この男がいれば別の結末が待っていたかもしれない。レーヴェさんが死ななくてすんでいたかもしれない。
――コイツがいれば!
「……何温いこと言ってんだ」
「は? ――うぐッ!」
ハルの腹部にアンノの膝が深く食い込む。
胃袋の位置がずれるような嫌な感覚が、ハルを襲いそのまま地面に両手をついた。
「俺が冒険者だから、助けてもらえるとでも思ったか? 手を貸してくれると思ったか? お前がこれまでどれだけ平和な場所で暮らしてきたのか、冒険者にどんな幻想を抱いているのか知らねえが、神話の英雄様と俺を一緒にすんじゃねえよ」
アンノはさっきまでの陽気な表情から一変、まるでゴミでも見るような目をハルに向ける。
ハルの髪を掴み、痛みと怒りで歪んだその顔の前で続けた。
「俺はお前みたいなやつが大嫌いだ。自分では何もせず、そのくせ誰かに何かを期待する。お前みたいな傲慢なクズが、どうして今までのうのうと生きてこれたか不思議で仕方ない。今のこの惨状は俺のせいか? 違う。お前のせいだ」
「……俺は、逃げることしか――」
苦し紛れにハルが言った。
「違うな、ハル。お前は逃げることを選択したんじゃない。立ち向かうことを選択しなかったんだ。勘違いするな。お前はあの娘のことを逃がすという、体のいい口実を見つけただけにすぎねえ。まるで自分は出来る事をしたと錯覚しているだけだ」
アンノは全く声を荒げることなく雄弁にハルのことを語る。
「お前に……お前みたいな強い奴に俺の何が分かんだよ!」
息をするだけで苦しくなるような激痛の中、ハルは叫ぶ。
「教えてやるよ。お前はただの寄生虫だ。他人に寄生し、甘い蜜だけを吸っているだけの害虫だ」
アンノの目は、あの時と同じだった。
それはまるでハルの事など見えていないような、別の何かを見ているような目だった。
「……進まねえなら、虫けららしく死んじまえ」
そんな言葉を残して、アンノはその場を後にしようとする。
酷い正論。それはもはや暴力だ。一方的で殴り返すことを許さない暴力だ。
――悔しい
今のハルの中にはそれ以上の言葉はない。
せっかくの二度目の人生を手に入れたというのに、俺は転生前と何も変わっていない。逃げて、逃げて、逃げてばかりだ。
どうしようもなくやるせない気持ちがこみ上げて、涙すら流れてしまいそうだった。
でも、今の俺には何もできない。何もなせない。そんな事自分が一番わかっている。
ならどうすべきか――、
アンノが荷物を背負い一歩目を進みだそうとしたとき、服を後ろに引っ張られるのを感じる。
「はぁ、なんだよ」
「……――ください」
ハルは夜風の音にすらかき消されそうなほど細い声で何かを呟いた。
「あ? ……!」
アンノは振り返り、少年を見た。
それまで、うじうじとソコにいた少年はアンノのローブを伝って這いあがってくる。
しかし、涙目のハルの瞳の奥には、先ほどまでとは別の何かがあった。
恩人のとの約束を守るため、奪われないため、理不尽に立ち向かうために、今何をすべきか考え、そして出た答え。
それは――、
「俺に……俺に戦い方を教えてください……!」
自分に対して込み上げてくる怒りが裏返り、いつのまにかハルの目から大粒の涙が流れてた。
「戦い方を……俺に、俺に!」
何度も何度も繰り返す。
助けを求めて頼るのではなく、守るためにアンノに頼る。
――ハルは進むことを選んだ。
少しの沈黙を置いて、アンノは口を開く。
「……来い」
アンノはハルに小さくそう言った。
ヨシザラ・ハルの異世界生活は今、幕を開く。
一応、第一章完結になるのかなと思います。
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