第四話 『一席一鳥』
――ギィイイ
軋む音と共に古臭くも立派なクローゼットを開き、ハルはハンガーにかかった衣服を物色する。
「俺のカッターシャツって……ないな」
仕方なく適当な服に手を通しながら、レーヴェに阻まれた情報の整理を再開した。
夢だったにしては、アンノと山賊との一連の出来事はあまりに鮮明すぎる。かといって、現実だとすればやはりこの右手の説明が出来ない。
「プラナリアにでもなったってのかよ」
いくら考えても納得のいく答えは得られず、やはり整理はつかない。
まぁ未だに現世の尺度で物事を見ているだけで、異世界なら腕一本くらいなら治せるとかあんのかな。例えば、魔法とか。
クローゼットをパタリと閉じ、ハルは着替え終えた。
なんとなく制服のズボンだと収まりが悪いような気がして、ズボンも履き替えた。
「あっ痛!」
着替え終わったその時、一階の方からレーヴェの声が聞こえた。
ハルは気になって、すぐに一階へと駆け降りる。
「もぉ、慣れないことするから」
ハルが手すりの隙間から台所を覗くと、指を押さえるレーヴェと呆れた表情のアリニアが居た。
レーヴェは包丁で指先を怪我しており、指先から赤い血を流している。
「ちょっと貸して」
アリニアは徐に片手でレーヴェの手を掴むと、もう一方の手で傷口を覆った。
それは一瞬の出来事だった。
アリニアが手を退かした瞬間、ぱっくりと開いた傷口は少しの血だけを残して何もなかったかのように塞がっていた。
ハルは手品を見た子供みたいに目を見開き、小さく「おぉ」っとつぶやく。
「悪いなアリニア」
「いいから、お父さんは外で薪でも割ってきて」
「ん、うん……」
レーヴェはどこか決まり悪そうに外に出て行く。
ハルはヒーローの縮こまった背中を見送りながら、アリニアの方へと近づいて行った。
「ねぇ。アリニアさん」
「……」
種明かしを待つ様子のハルを無視して、アリニアは包丁で野菜を刻む。
「あれ? アリニアさん」
「……何?」
「さっきのって魔法?」
「だったら何?」
「いや、そのぉ」
言葉の端々からチラ見えする思春期の女子高生並みの敵意に、気づかぬフリをしつつハルは続ける。
「これ治してくれたのアリニアさんでしょ」
そう言ってハルは右腕を前に出し、もともと無かった部分を指さした。迷宮入りしかけた事件の辻褄が容易に繋がることのできる返事をハルは期待した。
「いやぁ凄いな。傷跡も残さずに一から生やすとか、魔法ってホントすごいな。ていうか、ほんとあり――」
「さっきから何を言ってるの?」
アリニアは、まな板に包丁を伏せ、大きくため息をしながらそう言った。
流石のハルもこれには何かを察し、途中まで出かかった御礼を飲み込んだ。
「私がどうしてあなたを治さないといけないのよ。というか、腕一本一から生やせるわけないでしょ。私を魔人か何かとでも言いたいわけ?」
すぐに分かったことは二つ。
一つは治してくれたのがこの子でないこと。もう一つはこれ以上何かを言うと、この子が確実に怒るということ。もう怒ってるけど……。
「えっとぉ、そのぉ……何でもないです……」
鋭く突き刺さる敵意を帯びた視線に、ハルはおずおずと後ずさりを決め食卓に着いた。
アリニアの後ろの窓から覗く空は赤紫に変わり始め、刻一刻と夜へ向かって行く。
夕方時の陰影と相まって、彼女の表情は怖さを増す。
初めからわかっていたことだが、俺は彼女からは歓迎されていない。
俺が一体何をしたっていうんだ。心当たりなんて何もない。あるはずもない。目を覚ました時から、彼女の俺に対する見方や態度は今と同じままだ。
身に覚えのない嫌われ方をするというのは納得がいかない。
これから一緒に暮らすというのだから、何か誤解があるならば解くべきだ。
ハルは、ゴクリと息をのみ口を開いた。
「そのさ、なんで俺のことを嫌ってるの? 俺何かした?」
「何かしたって、あなた――」
アリニアは何か言いかけたところで、手と言葉を止めた。
「何でもないわよ……」
そういってアリニアは束ねていた髪をほどき、台所を後にして二階へと上がっていく。
隣を通り過ぎる彼女の横顔は綺麗なのはそうなのだが、どことなく悲しそうに見えた。
「なんなんだよ。本当……」
彼女を目で追いながら、ハルはもうこれ以上何も言うまいと再び思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜。ロウソクの光のともる食卓にて、その事件は起きた。
「これ、マジかよ」
目の前のあり得ない光景にハルは思わず苦笑いを浮かべる。
現実的に考えて、これは本当に人間が食することの出来るのだろうか。
「なんだ食わないのか?」
「いや、あの……これって」
「ん? 鶏肉だろ。どう見たって」
それはもちろん俺も理解している。
こんがりと良い焼け目のついた食欲をそそる鳥の丸焼き。きっと外はパリパリ中はふわふわを体現しているに違いない。
しかし。問題はその量だ。
三人で鳥の丸焼きを食す場合、二羽は多すぎるため、一般的な家庭では一羽が出る程度だろう。
それがどうだ。通常食卓の真ん中に堂々とその存在感を際立たせながら一羽鎮座するはずの鳥の丸焼きが、まるでコーンスープとでも見まがうようなポジショニングを見せ、一席あたり一羽並べられているではないか。
「普通、一人一羽でしたっけ、というかこんなに食べて大丈夫なんですか?」
「あぁ、問題ねぇよ。飼ってる鳥はまだ二羽いるし、ツガイで残ってりゃ、また生まれてくるからな。それに、今日は新しい家族の出来た素晴らしい日だ! パーっといこうぜ!」
ブドウ酒の満たされた木製のジョッキを揺らす。
「ん? お父さん。今なんて? 残っているのがツガイ? どうして三羽じゃなくて残ってるの二羽なの? 元々六羽いたはずよね」
「んっ! ゴホッゴホッ……いやぁ、そうだったかなぁ」
「……はぁ」
頭を掻きながら天井の隅を見るレーヴェ、呆れつつため息を吐くアリニア、そして半面だけの歪な笑みを浮かべるハル。
その場の空気はあちこちでバラバラだった。
えぇ……二羽食ったってこと? つまみ食いというか鷲掴み食いだよねそれ……ってそうじゃなくて、今問題があるのは俺の胃の方で……。
ハルはおもむろに鶏肉にかぶりつく。
やはり、予想通りの触感が口の中に広がる。うまい、のは確かだ。
しかし、
いやいやいや、無理無理無理!! なんでそんな涼しげなの? レーヴェさんはともかく、アリニアさんはこんな食えんの?
「ん~!」
口の隙間から言葉にならない幸福感を漏らすアリニアの表情は、俺には一切見せたことのない満面の笑みで、まるでリスみたいに両頬を膨らませている。
うわぁ……食べちゃいそうだよ。こんなにかわいい顔してペロッと行っちゃいそうだよ……。
異国に旅行に行ったとき、大きなギャップの一つは食であるとよく聞く。その国独特の調味料や調理方法が味や触感に違和感を感じさせるとか、しないとか。
でも、これはそういう話じゃなくないか? いくら世界は違えど、胃袋の大きさはそれなりに万国ならぬ万世界共通じゃないのか!?
なんだかんだと心の中で苦言を呈しながらも、ハルはせっかく出された料理を残すわけにいかないという日本人らしい感性と、女の子に負けたくないというしょうもない男らしいプライドに突き動かされ、バケモノ胃袋の親子に人工的食欲を持って善戦した。
結果。元引きこもりの胃袋は誕生から今日までで最大級の膨らみを見せ、浅い息を繰り返しながらハルは完食した。
「こ、これ以上食ったら死ぬ……」
膨らんだお腹を摩りながら、ハルはそう言った。
同時に、それは満たされたからなのだろうか、底知れぬ安心をハルは感じた。