第五話 『血に飢えた犠牲者』
「ア……アァ、がああ……」
それは死そのものの臭いを漂わせ、枝のように細い手足と鼠色の肌をもって、森の深い影より、ぬるりと人の形をして現れる。口から漏れ出るのは限りなく無色透明に近い赤色の血液。二の腕の内側に付いた深い噛み跡をを見るに、自らヒルのようにジュルジュルと吸血したことが伺える。水分補給にしては随分とインパクトのある接種方法であると言える。
そんな晴人の襲来にジークは眉をひそめる。
「こいつら、なんでこんなところに……」
長槍を持つ手を握り直し、ジークは吐く息も見逃さぬほど鋭い眼力で辺りを取り囲む晴人を睨みつける。その表情には、つい先ほどのまでうだうだと文句を垂れていた彼の片鱗はない。
ジークのその尋常ならざる様に、ハルもまた息を飲む。
と、帆馬車を背に、ローブの間から二本のナイフを取り出したアンノがジークと同様に周りに目を向ける。動きも遅く、知性も感じられない晴人が数にして十体程度。アンノ一人で事足りそうなものであるが、二人の様子を見るにそうもいかないらしい。
「ジーク。どう思う」
「多分、限度は超えてる。今攻撃するのはマズい――それに、何か変だ。何で昼に動ける。何に寄って来た……」
ジークの呟きにハルはピーネットの話を思い出す。晴人は日の光に弱く、日が落ちるまでは路地などの日陰の中に隠れて動かない。しかし、目の前のそれは炎天下にさらされようと動き続けており、まさに別物である。よく見れば街にいたものよりもすべてが浅黒く、瞳が燃えるように赤い。
と、そんな身の毛もよだつ晴人に囲まれながら、何もしない冒険者達を見て、しびれを切らした一人の男は洒落た窓を勢いよく開いた。
「えーい貴様ら。何をやっておるのだ! 早く何とかしろ!」
「……黙ってろ。豚野郎」
そのまるまると恰幅の良い貴族の男は、いささか飛び出すには小さすぎる窓から身を乗り出して、血がのぼった真っ赤な顔で憤慨している。能力がないのに部下に指図する上司のような体たらくに、ジークはあからさまに嫌悪感を顔に出す。
「あ……アアぁ!」
ズルズルと足を擦らせながら歩く晴人は怒る貴族の、その贅肉ダルダルの体格に相応しく大きな声に反応し、その場違いに煌びやかな馬車へと足を進める。
そのすべてがぴちぴちの女子高生であるならば、鼻の下を伸ばして手を振り闊歩してみたいものであるが、残念なことにそこにいるのは形以外が人のそれとはかけ離れたバケモノたち。手を振る前に男は剣を抜いた。
「な!? ち、近寄るな!」
貴族が抜いたその黄金の剣は戦うにしては装飾が派手過ぎる逸品であるが、威嚇に使うには十分な形をしている。しかし、晴人には関係はないようで振りかぶった剣を前に避けるそぶりも見せずに扉のノブに手をかけた。
「きっ貴様ァあああ!」
「あのバカ」
振り下ろされたその剣は見事に晴人の顔面を両断、目の上から顎の下にかけて深々と傷跡を残す。恐らく初めて使われたであろうその剣は役割を十二分に果たしたのだが、それを見た冒険者数名は顔をゆがませた。
「あーあ、やっちゃった……」
痛みが脳に届くまでえっちらおっちら迂回していったのか、晴人はしばらくそのままゆらゆら動き続けると、いきなりピタリとその多動症を止める。しかしそれは他の晴人も同様で、趣味の悪い彫刻でも置いているみたいに動かない。
そしてそれは巨大な傷から、やっと一滴の血液が流れ出た時だった。
『ビィギャァアアア、ギャァアアア!!!』
ゴキブリの鳴き声のように不愉快な声を上げ、晴人の集団は今しがた顔に歴戦の覇者のごとき傷を負った一体に向かって真っすぐに走り出す。バタバタと馬車に体を擦ったり、馬車の上を転がるように越えてくるさまは、バーゲンセール中の主婦団体といい勝負だ。
ギュゴオオオォ! ギュチュアァ、ブチュ、ブチュル……!
破れる皮膚、千切れる筋肉、割ける臓器の音が止めどなく鳴り響き、群がる晴人は手当たり次第に咀嚼して飲み込む。その様はまさに生き食いのカニバリズム。ソニー・ビーンもドン引きである。
と、そんな奇々怪々な風景を前に貴族は慌てて豚箱の中に身を隠し、代わりにやれやれと、ジークとアンノがそばに寄って来た。
「どうするよ。ほっとくか?」
「ジーク、お前がやれ」
「ハァ……はいはい」
晴人たちは最初こそ、死骸に群がるハイエナの如く一体の晴人を貪っていたが、その様子は少しずつ変化する。
食われる側であった一体の晴人は両手足を失い、腹を肋骨がむき出しになるほど先開いているにもかかわらず、口をパクパクと動かしまるで自らも何かを食べているような様子を見せる。
そして、一瞬すべての晴人の動きが止まった後、そこにいた晴人の体は水のように溶け、地面に大きな赤い水たまりが出来上がる。
と――、
「……なんだあれ」
血だまりからかすれた笛のような鳴き声と共にその姿を現した。灰色の肌、長くぼさぼさの髪、人のものと思われる手足や目や鼻は数も配置もあべこべで、馬車よりも大きな体をゆらゆらと揺らしている。
ジークとアンノの背後から見ていたハルは、現れたソレと目が合い、どこまでも沈んでいきそうなほど真っ黒な瞳のおぞましさに膝をガタガタと震わせ、歯をカチカチとかみ合わせる。反射的に抜いた剣も、自分の発狂を抑えるための気休めに近く、そこに闘志は存在しない。
下手な呼吸をするハルの様子に鼻で笑って見せたのはジークであった。
「おいおいアンノ、お前の弟子が泣きそうな顔してんぞ。憂鬱の魔物は初めてか?」
茶化されたアンノはその小鹿のようなハルに目を向けると、軽く一つため息を吐き、そのまま両手に持っていたナイフをしまって、ローブの中から水の入った水筒をハルに手渡した。
「落ち着け」
そう言って、アンノはハルの視線を魔物から外させる。
あまり期待通りの反応をもらえなかったジークは、肩をすくめて決まりわるような様子を見せた後、再び魔物に目を向ける。
「くっせえなぁ。ったく、めんどくせえ奴呼び出しやがって……」
『ギィギョオェエエエエエエ!!!!』
文句を垂れるジークの全身を複数の手で押さえつけ、割れるように高い金切声を上げる魔物は自分の体を縦に割き開く。そこには先ほどまでそこにいた晴人達が上半身だけの姿となり、ジークの肉を求めて手を伸ばす。
しかし、その様子を見てもジークは顔色一つ変えることは無く、魔物はそのままジークの体をその腹の中に押し込み、自分の腕を巻き込んで噛み切るようにそのまま腹を閉じた。
「……く、食われた!?」
ギジョ、ゴリィギュギャアアア!
魔物の膨らんだ腹の中からは割れたり砕けたりする金属の音が聞こえ、閉じた腹の隙間からピトリピトリと血が流れている。
ジークは死んでしまったと、ハルの頭は思慮を巡らせる余地なく結論ずけた。しかし――、
『ぶ、ビョォオオオ!!』
魔物は突然暴れ出し、閉じた腹を自ら搔きむしって引き裂き、中のものを吐き出した。
「――ぷはッ」
全身を真っ赤に染め上げたジークが、水の中から顔を出した時のように大きく息を吸う。御自慢の金色の甲冑は、どれもボロボロに人の噛み跡を残して地面に散乱しているが、それが覆っていたのジークの体には傷一つなく、芸術作品のような美しさをもってそこにたたずんでいる。
ジークは地面に落ちた長槍を足でひょいと拾い上げると、肩をポンポンと叩いて首をかしげて魔物に虫でも見るような目を向けた。
「かすり傷もないし、こんなもんか……身構えて損した。血が足りなかったか?」
「な、なんで生きてるんだ……?」
理解の追い付かないハルに、アンノが答える。
「ジークの冥力だ。あいつの体は一切の攻撃を受け付けない。――元白金等級冒険者”無傷のジーク”そんな肩書だったか」
そういってアンノは新しい煙草に火をつけた。
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