第四話 『花と輪に隠れた間違い』
煌々と輝く太陽。それが隠れる場所はなく、端から端まで青一色に塗りつぶされた空は、なんだかいつもより低くて巨大なドームの中にいるときに感じる妙な圧迫感がある。
そんな青天井の下、これまた青々と茂る森の中を三台の馬車が走っていた。まず目につくのは中央の一台。それには赤や金の細かな装飾がなされており、誰もが振り返る煌びやかな一台。後ろの一台は中にこれからの旅路に必要な大量の荷物を敷き詰めている帆馬車。そして最後の一台。形は後方のものと同じであるが、中に入っているのは物でなく人であり、護衛の冒険者がすし詰め状態である。
「あ、アァ……」
炎天下にさらされ、幌で覆われ熱のこもった荷台で皆だくだくと汗を流し、温い膜を全身を覆うように着ているような感覚に、運動もしていないのに息が切れる。
良い天気とは往々にして晴れの事を指すが、良すぎたとしても熱中症の恐れなどがあるというのだから、一概に良いと言えないのではないだろうか。本当にいい天気とは程よく雲があり、暑すぎず寒すぎないべきだ。ゆえに今のこの天気は悪い天気であるという事にしておこう。
「あの飲んだくれ野郎がぁああああああ!!!」
前方一台の御者席に座って槍を携えて手綱を握る金髪金甲冑の男が、木に留まった鳥の群れも逃げ出すような叫び声を森中に響かせる。仮にやまびこをするにしては、少々内容が夕まずめの海に沈む太陽向けで、そしてそんな大声をいきなり出しては、反感を食らうのは当たり前である。
「うるっせえなイヌ!」
「あ? サルは黙ってろ! ――ああ、クッソ。なんで俺がこんな事……」
ハルとジークは大変仲良く御者席で横並びに座っている。あだ名までつけ合って、もう親友だと言っても差し障りはないのではないだろうか。
――などと笑えない冗談はさておき、
「しょうがねえだろ。俺たちに貴族の馬車の護衛させて、あの一件をチャラにしようって話なんだから。俺だってこんな危険なこと……」
赤の王派閥に属する貴族をハルの下敷きにしてしまったことの償いは、カイモスの提案でその貴族の領土までの護衛という事に決まった。
カイモスが言うには行って帰ってくるだけの簡単な仕事で、アンノやジーク、ドルも一緒にいるのだから問題はない。とのことであったが、ハルの予定していた安全な生活からは酷く縁遠い場所にいるような気がしてならない。
「馬鹿ザルには分かんねえだろうが、俺はお前ら冒険者と違って忙しいんだ。それなのに……あの酒眼鏡……なーにが”ジーク君も昔を主出して頑張ってぇ”だあああ?? ――」
馬なのか鹿なのか猿なのか口上の動物園を開いているのに加え、驚くほど特徴を捉えないモノマネをするジークにドン引きの表情でそのしゃくれた顎を見るハル。どこぞの揚げ物の名前を冠した方を見習って顔にセロハンテープでも貼って出直してほしいものだ。
「ってか、なんで俺がこんな狭い所でこのサルと座んねえとならねえんだよ」
ジークが嫌みったらしく憎たらしく後ろの帆の内側に座る三人、正しくは四人のうちの一人。ぼさぼさ頭で煙を吐く男を見る。
「こっちはもういっぱいだ。それにお前の鎧が鬱陶しいんだよ」
「お前のその馬鹿でかい荷物をどうにかしろって言ってんだよ……ったく、いつまでそれに固執してんだよ。持っててもしょうがねえだろ」
ジークはワゴンの半分ほどを占領しているアンノの荷物に文句が言いたいようだ。確かに一冒険者の荷物としては、かなり大きすぎる気がする。備えあれば憂いなしなんてよく言ったものだが、その備えも度が過ぎればかえって憂いそのものである。
だが、よく考えてみればあの荷物にはいったい何が入っているのか、それをハルは知らない。
アンノの性格を考えれば、いかにドルの力で軽くできるとしても、物は必要最低限に少なく済ましていそうなものだが、そうしないのには何らかの理由があるのだろうか。例えば、何かを隠している。あるいは、捨てられないでいる。あるいは、大切な何かが入っている。理由を挙げればきりがない。しかし、考えはしてもハルには分からないし、中を開いて確認したくなるほど気にもならない。今のハルにとってアンノとは、そういう人間なのだ。
「……黙れ」
小さくそう呟きジークを睨むアンノは、あまりにも怖い目をしていた。そしてそれは、いつかの雨上がりにハルに向けられた目に似ているようにハルは思った。
「チッ――気分がわりい。勇者にまともな奴はいねえだろ」
再び煙管を口に加えるアンノと、進行方向に向き直し槍で肩をポンと叩くジーク。二人のやり取りの意味は今のところ分からない。けれど、何か重要なことであることだけは肌に触れる空気でわかる。
「あぁ、気分わりい、気分わりい。おい、サル。何か面白い話をしろ」
「は? なんだよそれ」
全人類お手上げ必至な無茶ぶりの塊のようなジークの命令に、ハルはお決まりに困惑して”できるわけねーだろ”とでも言いたげな顔をジークに向ける。
「そうだなあ――女が喜ぶような話がいいな」
ジークは顎に手を当て、何やら深々と考える様子を見せる。表情も読まず、話し相手を置いてけぼりにするさまは空気が読めないという事を体現しているようで、ハルは苦笑いを浮かべて呆れている。
「花言葉の一つくらいは知ってるだろ」
「知らん」
吐き捨てるような短文でジークの事を突っぱねるハル。長く退屈な旅路をいくばくか愉快に過ごそうと、ジークが気を利かせて振った話であったが、続かせる気のないハルの態度にジークは口角を細かく痙攣させ、少々苛立ちを覚える。だが、怒ったところで結局同じことの繰り返しと、ジークはそれらを咀嚼してため息に変えて吐き出した。
「おいおい、お前にも女がいるんだろ? 気の利いた花言葉と共にその花束を渡すと女は喜ぶんたって団員が行ってたぞ」
「アリニアは、そう言うんじゃない」
そうは言うもののジークの言葉にハルは少し考え込んだ。
もしも、アリニアが誰かを好きになったりしたのなら、自分はどうするのだろうか。ついて行くのだろうか。それとも、そこで役目は終わりなのだろうか。じゃあ、そのあと何を目的に生きるのだろうか。家族でも作って田舎でのどかに過ごすのか。冒険者として戦いに明け暮れて、より高い階級を目指すのか。そもそも、どうして転生してきたのか。女神の導きもなければ目的も聞かされていない。たまたまやって来ただけなのか。死んだら皆ここにやってくるのか。じゃあ、どうして不死身なのか――。
「――おい、お前大丈夫か?」
無言で馬車に繋がった馬の脚運びを眺めていたハルは、顔の前で上下する金色の籠手を着けたジークの手の平で意識を取り戻す。チカチカと太陽の光を反射する甲冑は何とも便利だ。
「あ、ああ……それに、もし女性を喜ばせたいなら花よりも指輪だろ」
「指輪?」
「それを心臓につながる血管が通った左手の薬指に通せば、愛が深く強いつながりを持つ……みたいな」
自らの口から零れ落ちるそのいたたまれない言葉の数々にハルは顔の温度が上がり頬を赤く染める。生きていた頃、たまたま見ていたテレビ番組で聞いたセリフは若干十七歳の高校生が口にするには、いささか熱を持ちすぎているようだ。
「指輪……かあ。団長が……うんうん――えへ、えへへ」
ジークは手を組み、目を瞑って何度か小さく頷くと、にんまりと顔を緩ませて笑っている。ジークの頭の中で一体何が起きているのか想像するに容易で、なおかつあまり考えたくはない。その気持ち悪いことこの上ない笑顔にハルは若干引き気味である。
「サルにしては中々興味深――ッ!」
ヒィイイイ! ガコォッ!
「――ッいて!」
ジークは嫌み混じりな言葉を中途半端に止め、それどころか手綱を引っ張り馬車を止めた。後続の二台も先頭の急停車に驚いて急ブレーキ。中で頭の打った貴族は窓から顔を出して文句を叫んでいる。
しかし、原因のジークはそんなこと気にも留めること無く御者席の上に立ち上がると、肩に立てかけていた長槍の鞘を外し、鼻をヒクつかせて警戒している。
「このニオイ……近い」
「どうしたジーク」
アリニアやソーが転げまわる中、荷台から飛び出したアンノが煙管の吸殻を捨てて森の中を注意深く見る。
その場には、一瞬にしてキリキリと張り詰めた糸のような緊張感が漂い始める。わかっていないのは、先ほどから変わらず文句を垂れる貴族とその従者、他には先頭の荷台に乗った二人くらいである。
「な、なんだ」
ハルは剣を抜き、構えはするものの、それで切りつける相手は視界に入っておらず、目線を右往左往させながら敵を探す。
そしてそれは森の中から、馬車を囲むようにのそのそとゆっくり複数体現れた。
『あ……ああ、う……あぁ』
「来た……晴人だ」
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