第二十一話 『執行猶予なしの無期懲役』
「うう、気持ち悪……」
まるで大学の新入生歓迎会の先輩のように、カイモスに酒を飲まされた未成年のハルは、まだ明るいギルド酒場の外で壁に手をついてマーライオン状態である。
あの人、マジで容赦ないな……。
自分の限界を知っておけだの、飲み続ければ強くなるだの、よく耳にするがそんなものアルコールで脳みそが麻痺した人間の妄言に過ぎない。
酒で限界を超えて強くなるなど、金髪のトップヒーローが見ればプルスウルトラといって正義の鉄槌をお見舞いするところだろう。
「……寝よ」
酒場の中からでは、またカイモスに見つかってしまう恐れがあるため、外階段から部屋に行こうとフラフラの足を色々掴みなんとか進んでいくハル。
と、階段の裏側の人影が目に付いた。
「……ソー?」
「あ、ハル君……」
ソーは帽子を深くかぶり、地面を向いて生まれたての小鹿の如く肩を震わせている。
しかし、視界が自然回転しているハルにはそんな彼の様子は見えていないらしい。
「飲まないのか? 今なら多分奢ってもらえるぞ……ああ、でもカイモスさんとは飲まないほうが良い。俺を見ればわかると思うけど、ハッハハハ!」
デリカシーをアルコールで洗い流したハルは、笑いながらそう言った。ハルは酔うと笑い上戸になるらしい。怒る奴と泣く奴よりはいくらかマシな酔い方だ。
と、ソーは苦笑い混じりに口を開く。
「僕はいいや……何もしていないし……ごめん、本当は僕見てたんだ。だけど怖くて、茂みの中で震えてることしかできなかった。あの鼠のことも知ってたのに、情けないよね……」
「そっか……ああ、でもこういう時は自分を見初める……じゃない。カイモスさんなんて言ってたっけ、まあ、自信持てよソー。パーティの成功だろ?」
「そうだね……」
「んー。じゃあ、俺寝るから」
煮え切らない様子のソーに頭をかしげながら、ハルは考えることをやめ、再びバランスを崩しながら寝床へ急ぐ。
そんなハルの足音が聞こえなくなったころ、ソーは小さく呟くのだった。
「――いいよね、ハル君は……強いから」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふー、やっと着いた」
木製扉の前で、半分ほど倒れながらハルは目的地にたどり着く。
さながら、酔って帰って来た昭和のオヤジである。違うところといえば、頭にネクタイが巻かれていないことと、頭頂部が百十円のバーコードになっていないことだろうか。
ガチャァ……
体重を利用して扉を開けるハル。
「……アリニアただいま」
「おかえり、ハル」
ベットに腰かけ、窓の外を除く白髪の少女。
ハルの言葉に背中で答えるアリニアはどことなく違和感がある。
いつもならば、もう子供のように眠っているか、ハルに気が付いた途端、餌を持った飼い主を見つけた猫のように飛びついてくるのである。
思い返してみても、帰りの馬車の中で彼女はいつもの調子を失っていた。言葉は発さず、ハルを見ることも無く、淡い恋心を抱く学生のように何もない奴隷馬車の壁を見つめていた。
しかし、それはクエストの疲れが出ているのだとハルは考えていた。当のハルも、ピーネットから霧鼠の話を聞くまで一種の混乱状態だったのだ。今の精神年齢のアリニアがまともでいられるはずはない。
だが、そんな長たらしく回りくどい話よりも、確実な違和感にハルは気が付いた。
「今……俺の名前」
「ええ、呼んだわ。思い出したの全部……」
酔いはアリニアのそんなわずかな言葉で一瞬にして覚まされる。その即効性といえば、水やシジミの比ではなく、どんな魔法よりも力を持つ。
同時に、ハルの背中が凍り付き、ゲロの代わりに記憶が逆流を始める。レーヴェの死体、アリニアの目、叫び、怒り、涙……。
「え……あの」
どもるハル。なんと声をかけるべきなのか、それが彼には一切分からなかった。
一度は殺意を向けられた相手だ。ナイフの一本でも袖に忍ばしているのかもしれない。しかし、それは受けるべきなのだろうか。父親を奪ってしまった当然の報いなのだから。でも、あれは仕方がないことだっただろ、ああするしかなかった。しかし――、
自問自答も大概に”でも”と”しかし”がハルの頭で乱立する。覚悟の準備をすることもできず、凍り付いた部屋の中、時計はまるで進まない時間を刻む。
「――ありがとう」
「……え?」
背を向けたまま、アリニアはそんな言葉を吐くのだった。
ハルの思考は途端に停止する。彼の予感した言葉のナイフは思ったほどの鋭利さはなく、それどころかナイフですらなかったのだ。
「礼を言ったのよ。助けてくれたでしょ……幻影から、おかげでネズミが嫌いになったわ。あと、あの怪物からも……」
「俺は、殴られでもするんじゃないかって……」
「そうね。あの時の私ならあなたの胸にナイフの一本や二本突き立てるなんて造作もなかったと思うわ。でも、今は恨んでなんてない。あれはお父さんが頼んだことよ。あなたはそれに従っただけ。殴るにしても理由がないわ。もし、そっちがお好みならさっきのお礼は無しにして代わりに殴ってあげてもいいけど……」
「……」
冗談を言う余裕があるアリニアに対して、未だハルの心は混乱の濁流におぼれていた。
こういう時は”どういたしまして”なんて言うべきなのだろう。しかし、今の俺にはできなかった。誰にも理解できない罪悪感が、そんなキザな言葉をせき止めた。
と、下を向き、まるで叱られた子供のような表情をするハルを、反射した窓越しに見ながらアリニアはため息を漏らす。
「……やっぱりさっきの礼は無し――」
その言葉を皮切りにアリニアは立ち上がり、ハルの方へと進んでくる。進撃する少女のプレッシャーは巨人といい勝負だ。
そして彼女は淡々と言葉を並べる。
「あの時、あなたに止められてさえいなければ、私はお父さんと一緒に死ねたのかもしれない。あの時の私ならそれで幸せだったかもしれない。けど、私はあなたに生かされてしまった……」
「……うん」
ハルは少しばかり後ずさりしかけるが、ここに来てやっとすべてを受け入れようと腹をくくり、逃げる足を捕まえる。そして、目の前まで来たアリニアの顔を見るのだった。
彼女は怒っている。
「私はあなたを許さない。だから――」
アリニアはハルの顔めがけ、人差し指をぴんと伸ばす。
「守りなさい! あなたが生かした私を、あなたが死ぬまで守りなさい!」
「……!?」
「わかったら返事!!」
「は、はい!」
「ああ、もうお腹すいた! 私酒場行くから。奢ってもらえるんでしょ?」
「あ……あぁ」
「じゃあ、冒険者達の財布空にしてくる」
アリニアは一つ笑ってみせると蹴り飛ばすように勢い良く扉を開き、嵐なんかよりもよっぽど場を荒らして部屋を出ていった。奢らされる冒険者は可哀そうに、彼女の胃袋はブラックホールで出来ている。
そして、そんな彼女のカラッとした様子にハルは気が付く、アリニアはすでに乗り越えていたのに、自分は勝手に考えすぎて落ち込んでただけであると。
アリニアの、その乱暴な有罪判決は彼女なりの気づかいなのかもしれない。
「……はあ――俺、カッコわりぃ」
そのため息は深く、それでいて前向きで、重い荷物を捨てるように体の外に出ていった。
罪には救いといえる罰が必要だ。
これで、二章はおしまいです。
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『天国事変』もよろしくお願いします。