第十話 『血と鉄』
「さっみぃ……」
朝焼けまでも時間があり、空の様子は、どちらかといえばまだ夜といったところ。ラジオ体操で皆勤賞を狙う小学生ですら、まだ眠りについている頃だ。
冒険者ギルドの出入り口で肩をブルブル震わせながら、ハルはアンノがやってくるのを待った。
「お父さん……寒い?」
ハルとは対照的にアリニアは元気そうだ。これも、山の中で育った影響なのだろうか。
「まぁ、少し……」
強がって見せたが、正直に言うとめっちゃ寒い。いかに日頃、太陽が温かみを与えてくれていたのかが身に染みて理解できる。
それに加えこの服装。アンノが用意したそれは防寒着なんかではまるでなく、動きやすいように薄い生地で体にフィットするものだった。
こんなの、ほとんど裸も同然だろぉ……。
「そろったな、行くぞ」
カチカチと歯をかみ合わせるハルの後ろから、全身をローブで覆ったアンノが現れた。
いつも通りの服装ではあるが、真冬に体育の授業で行われる持久走で、生徒は半袖半パンなのに先生は厚手のコートを羽織っているような、そんな理不尽な格差にやり場のない苛立ちがこみ上げてくる。
「……ってか、それ誰?」
ハルが言っているのはアンノの肩に担がれている人間の事だった。
どこかで見たことのあるようなその少年は、未だにスース―寝息を立てて眠っている。
「あとで教えてやる」
「あぁはいはい。いつものね」
ハルはもったいぶるアンノに対し頷きながらそう言う。
アンノは呆れ顔でため息を一つつき、持っていたつばの長い帽子を使ってハルに向かって風を起こした。
「さぶっ!! おい!」
「余計なこと喋ってねえで早くいくぞ」
「チッ……行こう、アリニア」
二人はアンノの後ろをついて行った。
昼間のあの賑やかさは何処へやら、面白いくらいに静かな大通り。祭りの出店や装飾なんかは、いつでも祭りを再開できそうなほど、そのままの形を残していた。
「あ……あっ……」
そんな沈黙の中、言葉としては不十分な声を漏らしながら、ソイツはピーネットが言っていたように現れた。
「あれは……晴人」
太陽という天敵を無くした晴人は焦点のまるで合わない眼球をチラチラと移し、ゴミ箱やら何やらをひっくり返しながら、晴薬を求めて徘徊する。
「いちいち驚くな、怪我でもして出血してない限りは何もしてこなねえ」
「わ、わかってるよ」
でも、いくら勝手に死亡するからと言って、あんなヤバいやつ放置して送ってこの国も相当やばいよな。
と、
――ブッシュウゥ――ビタビタ、ビタ
ハルは何かを視界の端で捉え、頭を九十度回転させて足を止める。
大通りの外れ、狭い裏道の端に建てられた高台から、一人の兵士が何か赤い液体を流しているのが見えた。
なんだあれ……。
「ギィアアア! グアア!」
ハルが疑問を持ったのも束の間、そこにいた晴人達が奇声を発しながら、その地面にこぼれた液体を舐め始める。
その光景は異様で、ザラザラの石でできた地面は晴人たちの皮膚や舌を容易にボロボロに、ぶつかる前歯を削り折る。口元はあっという間に真っ赤だ。
ついには、互いに互いのことを噛みちぎり始め、耳を、指を、鼻を、ブチブチと耳に悪い音を出しながら、痛みを忘れた狂った人間達は血の海を生み出した。
”晴薬ってのは、生物の血液に似ている”
ピーネットの言っていたその言葉を思い出し、ハルはその液体が一体何なのか察する。そして、それが悲しいほどに適切な方法であることも理解した。
上からその光景を見下ろしていた兵士は、まるで退屈そうに頬杖をついている。肉屋の店主が豚に包丁を入れるのに何も感じないように、彼もまた、何も感じないのであろう。目の前で共食いをしているのが同じ人間だというのに。
「……」
ハルはただ漠然と口を開け、そのまま悪意のない殺人を眺めていると、気温とは違う冷たさを全身に感じた。
「なにしてるのお父さーん、早くいくよー」
少し先へ進んでいたアリニアが手を振ってハルを呼ぶ。
ハルは何も言わずにアリニアらの元へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
空も少しずつ明るくなっていき、しらんだ青い空が徐々に太陽の登場を予感させる中、ハル達は街の外の森へとやって来た。
「この辺でいいだろう」
アンノが持っていた全ての荷物を地面に下ろし、担いでいた少年を木の根元に寝かせた。
「なぁ、何と戦うのかくらい教えてくれよ」
朝一でいきなりの実践。
剣なんて振るったことなどないハルにとって、最初の対戦相手とは非常に重要である。
虫か動物か、ゴブリンやオークみたいな人の形をしたものか、できることならば人に近いものは避けたいが……。
「落ち着け、まずは別のとこからだ」
そう言ってアンノはハルとアリニアを地面に座らせ、何かの準備を始める。
複数の小袋、天秤、すり鉢、小皿、とまるで理科の実験でも始めそうな道具のラインナップ。アンノそれらを地面に並べ話を始めた。
「まず、戦闘において重要なのは魔法だ。それができなきゃ話にならねえ。いくら剣術に長けていようが、魔法を使えねえなら、使える相手に力も速さも上回られる。相手が仮に素手でも勝てねえ。それだけ魔法ってのは大きなもんだ」
魔法――、この世界へやってきてアリニアの回復魔法以来のそれは、ワクワクと高ぶるものがある。ファンタジー世界特有の空想上のテンプレート的特殊能力。
異世界転生のスタートラインにやっと立てたと言った感じだ。
「お前魔法についてどこまでわかる?」
「え……詠唱とか?」
頭の中でマンガやアニメのことを振り返り、当てずっぽうでハルは答えた。
「いつの時代の魔法だよ。戦闘中にそんなもん使えるか。お前は戦ってる最中相手に向かって”殴るぞ”って口に出しながら殴るのか? そんな馬鹿どこにいる」
「……」
ハルの当てずっぽはしっかりと的外れ。アンノの直球な正論が逆にハルの口を黙らせた。
「体内の魔器という機関に溜まった魔力が、体の表面にある魔孔を通って体外に影響を与える。簡単に言えばこれが魔法だ。だから、感覚さえつかめれば、詠唱なんて必要ない。というか、するな」
アンノは口酸っぱく繰り返す。
「……他の細かい話はあとだ。最初にお前の魔器の性能を量る」
「――性能?」
「魔器に溜まる魔力上限や溜まり直すまでの速さには個人差がある。主には魔力上限だが、それを理解しておくことで自分の戦闘方法が決まる――、この中の種を口の中に入れろ」
アンノがハルに手渡した小さな袋の中にあったのはグリンピースくらいの大きさの植物の種子だった。
「なんだよこれ」
「いいから入れろ、噛んだり飲んだりすんなよ」
「んーあん……」
ハルはアンノの言う通りに口の中に入れて転がし始めた。
しかし、味もしないし、特別何かあるわけでもない。ただ口内の異物はカラカラと歯にぶつかるだけだ。
「そのまま、入れとけ」
「私もやる―! ――あむ」
アリニアは興味ありげに前のめり。さながら、理科の実験に意欲的な小学生そのものだ。
そんなアリニアはハルから袋を奪い取り、中の種を口に入れた。
「んー、おいひくないね」
アリニアは残念そうな表情を浮かべる。
その意見には全く持って同意だが、確実に食べに行ってたよな。食い意地がすごい。キャンディーとでも思ったのだろうか。
「……あと、もう一つ言っとくことがある……冥力だ」
「めいりょふ?」
「極稀に持つ者が存在する人知を超えた特殊な能力。それが”冥力”。ものによっては魔法なんか使えなくてもそれだけで戦える」
更にときめくことを言ってくれる。
それは行ってしまえば、魔法よりも特別感という点で大きく秀でて魅力的だ。
ハルは、目を輝かせ先ほどのアリニアのように前のめりになった。
「これは……見たほうが早いな、これを持て」
そう言って、アンノがハルに握らせたのは重く、微細な光沢を放つ鉄の塊。
「で、こっからどう――シュッブシュゥ……」
ハルの指が飛んだ。
細かな話になりますが、冥力は以下の通りに別れたりします。
冥護――先天的に持っているもの
冥加――後天的に発現するもの




