第六話 『くそったれの巣窟』
「すっごーい!」
アリニアは瑠璃色の瞳をガラス細工みたいに輝かせ口から声を漏らす。
帝都ジュビアスへと足を踏み入れてしばらく、狭くて、暗くて、動物の汚臭のするような裏路地を進んでいた三人だったが、ついに大きな道へと出た。
連立する色とりどりの建築物の数々、それに比例するように濁流のごとくに流れる人々、愉快なケルト音楽が民衆の高らかな笑い声と共にこだまする。
「すっげえ人の数……」
一年もの間、引き込もり生活を送っていたハルは久しぶりの人ごみに若干目を回しながらも、アニメやゲームで見た景色そっくりのその状況に、人間酔いよりむしろワクワク感の方が勝っていた。
「ごはん美味しそう……じゅるり」
「ダメだって、アリニア」
ヨダレを垂らし、もの欲しそうに指を銜えているアリニアは、食欲のそそられる香りに鼻先をヒクつかせながら出店の料理に夢中だ。
過去に覚えのある大食感。街に来るまでの道中でも発揮させていたそれは、アンノのですら顔を強張らせるものだったのを覚えている。
もしも、この出店でそれを発揮させてしまうと一体いくらかかるのやら、もはや気になってしまう。可能であるなら日本円に換算してその金額を見てみたい。
そんな思いを浮かべながら、ハルはアリニアの腕をしっかり掴み、あらぬ方向へ進んでいこうとする彼女を、おもちゃ売り場で子供の腕を引っ張る母親のごとく人をかき分け進んでいった。
「着いたぞ」
アンノはそういうと、何かの施設の前で足を止める。
周りの建物より一回り大きなその建物は、西部劇さながらのウエスタンドアの隙間、というにはいささか大きな空間から鼻に来る匂いを漂わせている。
「――冒険者ギルドだ」
冒険者ギルド――、別に知らないわけではない。むしろ、小説なんかで頻繁に目にするだけあって、それなりに知っている。
しかしながら、この異世界。文字上の空想話とはわけが違う。冒険者の前例がアンノであることもあり、この中にはそれと大差ないようなのがジョッキ片手にのさばっているに違いない。
ハルは、まるでヤクザ事務所の前に立っているように感じてゴクリと息をのんだ。
「てか、なんでここに?」
「いいから、早く入れ」
アンノはハルの質問もまともに聞かず、面倒くさそうにハルの服の襟を握って扉の方に投げ捨てる。
「ちょ、おま、だああ! ――ガシャンッ」
ハルの身体は頭から扉の方に突っ込み、ハリウッド映画も驚きのダイナミック入店を決める。
「イッテテ……」
仰向けに倒れこんだハルの目の前、いや、目の上というべきか、お盆を片手にスカートを履いた給仕の少女が驚きの表情で見下ろしている。
世の中にはこのように女性に見下ろされたりすることに興奮してしまう変態紳士の方がいるそうだが、ハルはそんな趣味は持ち合わせていない。ので、自分自身では変態だとは思っていない。
しかし、女性のスカートを下から見ているこの状況はもっとストレートに……。
「キャア!」
少女が持っていたお盆でスカートの中を隠す。
ぼんやりと眺めていたハルの体温は一気に跳ね上がり、
「いや、見てない! 見てない! 見えてない!」
体を起こし両手を前に出し、必死の弁明。
不可抗力としか言えないその不幸な事故。さらに言えば、本当にスカートの中身など見えていないアンラッキースケベ。にもかかわらず、まるで電車内で痴漢の冤罪をかけられたサラリーマンのようにただただ否定を繰り返すことしかできなかった。
「ほーう、イブちゃんのパンツ覗くとは、ガキ……いい度胸じゃないか」
「え……?」
気が付くと愛くるしさの欠片もないむさくるしい男たちに囲まれ、周りから一気に集まる敵意混じりの視線と、パキパキと拳を鳴らす音を浴び、ハルは文字通り目を点にする。
――ア、コワイ オニイサンタチダー
「皆さん落ち着いてください、びっくりしただけですから」
それは意外なところからの助け舟。
先ほどの事件の被害者である給仕の少女イブが囲まれたハルのことをかばったのだ。
彼女のそんな魔法の一言により、強面の男たちは「イブちゃんがそういうなら」と、元居た席に戻っていった。
結局、すぐに容疑もはれ、その後起こった可能性のあった暴力事件も未遂に終わった。
その後救世主はハルに基に近づき、心配そうな表情を向けると、
「それよりも、大丈夫ですか?」
「……大丈夫。ありがとう」
木製とは言え扉を頭突きでこじ開けたために、それなりにぶつけたところがズキズキ痛むものの、これまで経験してきた痛みと比べれば造作もないような事だ。
そんな事よりハルはむしろ、久しく触れた人の優しさに感動していたところだったのだが、
「いや、そっちじゃなくて……」
イブはそう言ってハルの下を指さす。
ハルは苦笑いを浮かべるイブのその指が指し示す先を追った。
「ん? ……!」
「う……うう……」
そこには唸り声を地面に響かせ、ハルの下でうつ伏せで倒れている少年がいた。
「えッ!? ちょっ大丈夫!?」
少年を抱きかかえ様子を見る。杖のようなものが地面に落ちていて、頭には大きなツバの帽子。まさに魔法使いのそれである。
そんな魔法使いの少年は息はあるが、白目をむいて意識がない。
「きゅっ救急車? 救急車あああ!」
ハルはそこが異世界であることも忘れ、顔を真っ青にしながら、存在しない命を救う乗り物の名を連呼。すると、
「何やってんだお前」
「お父さん、その人だれ?」
ハルが、緊急時の救護措置を取ろうかといったところで、外にいた二人が中に入って来た。
「いや、これ、気を失って! る!」
「あぁ? ほっとけそんなん」
もとはといえば、アンノが投げ入れさえしなければ、こんなことになっていなかったというのに、そのアンノは予想通りといえば予想通りの無関心。
おまけにアリニアときたら、
「ツーンツーン、うふふ」
能天気にも少年の頬を指で突っつき遊んでいる。
「変わりますよ」
イブが慣れた手つきでハルの手元から、少年の身体を取り上げる。
あまりにすんなりと、その女性らしい華奢な腕で少年を持ち上げるさまを見てハルは、
「すげぇ」
「そうですか? こんなこといつものことですから、慣れちゃいました」
そう言ってイブは少年を壁にもたれかけさせ仕事に戻る。まるで、居酒屋の店員が酔った客のことを指して言うように、イブは業務的な対応を見せた。
「あーなるほど」
そんな様子を見て、ハルは納得する。
というのも、イブが少年を置いた場所には彼以外の気を失った人間がゴロゴロ座っていた。
飲みすぎ、喧嘩、見ただけでなんとなく原因が分かる。色んな意味で冒険者が冒険者ギルドにいることをハルは理解した。
そんな中、
「ハル、お前冒険者になれ」
アンノがそう言った。




