85話:ゆるキャラと毒と気付きと勧善懲悪
ゆるキャラが自身の視覚情報について考察している間に、吹っ飛んで木に激突した忍者男がまた消えた。
その瞬間から周囲の草木が揺れたり、地面に足跡ができたりという物理的な現象が起こらなくなる。
まるでこのアトルランという異世界からいなくなったかのようだ。
ここではないどこか、例えば暗黒空間を移動しているとでもいうのか。
飲み込まれたら粉微塵になって死にそうである。
などというくだらない雑念に囚われていたからではないが、次の攻撃の反応に遅れた。
これまでにない至近距離で忍者男が現れたので、遅れるのも無理はない。
「うおっ」
出現した時点で短剣の切先が目の前にあり、エゾモモンガのつぶらな瞳に迫る。
咄嗟に仰け反ったが躱しきれず額を削られた。
これは予想だが、消えている間は素早い動きが出来ないのかもしれない。
今のも刃の距離は近くなったが、攻撃モーションも小さくなったため初速が遅くなり、ギリギリで躱せた。
そのまま後ろに転がって距離を取ると……しまった、アナと離れてしまった。
慌てて反撃しようとしたが、忍者男がそれを手で止めて初めて口を開く。
「取引だ。こいつから奪った杖を返せ。まさか本当に食ったわけではあるまい。そうすれば命は助けてやる」
「アナじゃなくて俺の命をか?俺はまだまだやられるつもりはないぞ。仮にアナを人質にしても、そもそも敵だし無理して守るつもりもないけどな」
「亜人は自分の体に起こっている異変に気付かないくらい鈍いのか?それとも人種と違って交じりものが多いから効きが悪いのか?」
「いったい何を言って……」
突然始まった意味の分からない亜人への侮蔑に戸惑っていると、ドクンと心臓が激しく鼓動するのを感じた。
鼓動は次第に早くなり、体が熱を持ち始める。
眩暈を起こして視野が狭まると、立っていられずぺたんと尻もちをついた。
「先の刃には致死性の毒が仕込んであった。今すぐ杖を返すなら解毒剤をくれてやる。勘違いするなよ?別にお前が死んで杖が戻らなくても、別の杖を用意するだけで大して困らん。その手間を省きたいだけだ。ったくこの餓鬼が手間取らせやがって」
「あうっ」
そこまで言って忍者男は近くで立ち竦んでいたアナを蹴り飛ばした。
無抵抗に腹を蹴られたアナは地面を転がり、藪に激突して止まった。
つまり杖で逆に脅すことは出来ないということか。
切れた額から流れる血で視界を赤く染めながらゆるキャラは考える。
果たして杖を返したところで、この忍者男が素直に解毒剤を渡すだろうか?いや渡さないだろう。
亜人に対して差別的でアナも容赦なく蹴るような奴が、ゆるキャラを見逃すとは思えない。
本当に解毒剤があるかどうかすら怪しい。
だが致死性の毒というのも嘘ではないようで、先程からいくら息を吸っても酸素が取り込めない、苦しい。
呼吸困難により朦朧としてきたゆるキャラに、選択肢は残されていなかった。
「わ、わかった。今出す……」
四次元頬袋からそれを選択してペイと吐き出す。
そして包装紙のままかぶりつこうとしたが、いつの間にか接近していた忍者男に蹴り飛ばされてしまった。
魔力回復だけでなく解毒効果もあると判明していた、〈ハスカップ羊羹(一本)〉が宙を舞う。
「ちっ、半端に知恵付けやがって。素直に杖を出していれば一思いに始末してやったものを。そのまま苦しみながら死ぬがいい」
ほら、やっぱり見逃す気なんてなかったんじゃないか。
それにしても惜しかったな。
羊羹さえ食べられたならまだ戦えたのに。
てか口の中から出してまた食べるって二度手間なんだよ。
吐き出さずに口の中でキープできないのかよ……できた。
前のめりに倒れているゆるキャラの口内に〈ハスカップ羊羹(一本)〉が現れて膨れる。
でも包装が邪魔で飲み込めないし、もう噛み千切る力もない。
〈商品〉が表示されているウィンドウはいじれないけど、別窓の《次元収納》ならウィンドウ内でアイテムに触れるから、もし口の中の〈ハスカップ羊羹(一本)〉を《次元収納》に移せれたなら……ってなんだ、これも出来るじゃん。
〈ハスカップ羊羹(一本)〉の包装を《次元収納》内でぺりぺりと剥がす。
そして再び口内に戻したが、もう手遅れだったようだ。
羊羹の甘味を感じることはできず、熱を持っていた体も今は冷え切って凍えるように寒い。
なのに体は指一本動かすことができないため、寒さに震えることすらできなかった。
どうやらゆるキャラはこのまま死ぬらしい。
前回の死はあっという間の出来事だったが、今回は時の流れが遅い。
苦しいのも寒いのも通り越して、今は周囲も意識も徐々に暗くなっていく。
結局死後の世界はあるのか?初回は即転生してしまったので分からずじまいだ。
少なくとも再転生は無いだろうから、このまま意識が無に帰すか死後の世界に行くのかの二択と思われる。
フィンとシンクを残して死ぬのは心残りだが、まあシンクがいれば戦闘面では心配ないだろう。
毒の短剣も肌に刺さらないし。
ただし旅は断念して樹海に帰ることになるかもしれないが。
もう少し、みんなと旅を続けたかったな……。
一抹の未練を残して、ゆるキャラの意識は霧散していった。
ふと視線を上げると、黒づくめの男の人が小さな女の子の首を掴んで持ち上げている。
女の子は暫く苦しそうに手足をばたつかせていたが、やがて力尽き垂れ下がった。
ぼんやりとその光景を眺めながら考える。
ここはいったいどこだ?
体が動かないけど何があった?
あの男の人と女の子、それに外の人たちは誰だ?
分からないことだらけだが、一つだけ分かることがある。
僕は弱きを助け強きを挫くために造られた存在だということだ。
それを思い出すと、途端に力が溢れてくる。
動かなかった体に力を籠めて飛び起きると、男の人に向かって叫んだ。
「よわいものいじめはだめだよ」
口の中に広がる濃厚な甘酸っぱさに目が覚めた。
視界がぼやけて焦点が定まらないので、とりあえず出来る事をということで、口の中にある羊羹を咀嚼した。
食べ終わる頃には目が見えるようになる。
羊羹のように状況も咀嚼したかったのだが、そうはいかなかった。
近くに忍者男の姿は無く、どこかと探せば近くの木にぶら下がっていた。
千切れた上半身だけで。
下半身は見当たらず、視線を下げればゆるキャラの握りしめたままの拳が、誰かの血で赤く染まっていた。
すぐ近くにアナが倒れている。
意識は無いが怪我も無く無事のようだ。
ゆるキャラも額を負傷していたが、拳で拭ったとしてもここまで染まらないだろう。
ということは、この返り血は必然的に忍者男のものとなる。
「え、なにそれ。怖っ」




