74話:ゆるキャラと個体差
窓からダイナミックに侵入を果たした謎の生物を目撃して、翼人族の少女の恐怖と混乱は最高潮を迎えた。
彼女の悲鳴が高周波となってエゾモモンガの耳をつんざく。
「俺は亜人の冒険者だ!助けに来た」
自身の悲鳴で聞こえているかどうか怪しいが、一応宣言しておこう。
ゆるキャラが未使用のベッドに着地すると同時に扉が打ち破られ、生臭いにおいを漂わせた魚頭が部屋に入ってくる。
武器を持っていないそいつは、ベッドの上のゆるキャラと側にいる少女を見比べると、後者に狙いを定めた。
的確に弱者から狙うのは闇の眷属の本能か、それとも知性か。
そうはさせないとゆるキャラは鳥足に力を込めて、一足飛びでサハギンに躍りかかった。
両手剣を振り回すには部屋が狭すぎるため、繰り出すのは刺突だ。
弾丸のようなゆるキャラの一撃が、サハギンの心臓を捉え……損なった。
サハギンが身をよじり紙一重で回避したため、両手剣の切先は胸元の鱗に一本線の傷を付けるに留まる。
勢いのまま壊れた扉から外に飛び出しそうになったため、咄嗟に両足を広げて足の爪を扉の縁に引っかける。
ミシミシと扉の縁が鳴り歪んたが、なんとか飛び出さずに堪えた。
扉の外は薄暗い廊下が真っすぐに伸びている。
もしこの廊下を飛んで行ってしまえば、再び部屋に戻ってくるまでに翼人族の少女の命は奪われていただろう。
少し恥ずかしい開脚ポーズをやめて地面に着地すると、追撃を警戒してすぐに振り返る。
するとサハギンはこちらに背中を向けていて、その奥には竦んで座り込む翼人族の少女の姿があった。
無視ですかそうですか。
両手剣は手放してサハギンの背中に追いすがる。
今の位置関係だと万が一刺突を躱された場合、奥にいる翼人族の少女を危険に晒してしまうため両手剣は使えない。
新たな武器を出す余裕も無いので、まずは自前の手の爪を使ってサハギンと翼人族の少女を引き離しにかかる。
サハギンの背中に爪を立てようとしたところで、下方向に突如現れた何かを察知した。
慌てて立ち止まり顎を引くと、エゾモモンガの鼻先をサハギンの尻尾が通過する。
濃密になる生臭さに思わず顔を顰めたところへ、今度は左側面からサハギンの拳が迫る。
振り向き様に裏拳の要領で放たれた拳は、生臭い空間を切り裂きながらゆるキャラの頬を殴打した。
しっかりと手首のスナップの効いた一撃を受けて、灰褐色の体は弾き飛ばされ扉横の壁に激突。
衝撃で板張りの壁が大きく陥没した。
……こいつ結構強いな。
口の中を切ったのか、鉄の味が広がる。
床に座り込んで口元を拭っているゆるキャラを、サハギンの濁った目が見下ろす。
見た目は普通のサハギンと変わらないが、こいつだけ特別な個体なのだろうか。
ちょっと他のサハギンと色が違ったり、ハイ・サハギンとかサハギンリーダーとか名乗ってくれれば分かり易いのだが。
当たり前と言えばそうなのだが、闇の眷属だって生きているのだから個体差があるのだろう。
ゲームの敵のように全てのサハギンが、一定の決まった動きするはずがない。
体格や鱗の色もそれぞれ違うし(ゆるキャラには区別がつかないが)、槍が得意なのもいれば、このサハギンのように格闘が得意なやつもいる。
屋外で両手剣が使えれば、格闘の間合いの外から切ればいいだけなので、そこまで脅威でもなかったかもしれないが。
それに翼人族の少女を狙うふりをして、ゆるキャラを油断させるとはなかなか狡賢い。
サハギンは腰を落として低く構えると突進してきた。
「今のうちに逃げろ!」
叫びながらサハギンを待ち構える。
掴みかかろうと水かきのついた両手を伸ばしてくるので、こちらも両手でそれを掴んで防ぐ。
ゆるキャラより一回り大きいサハギンの突進を正面から受け止めると、衝撃で部屋内部の空気が激しく震える。
もし相撲取りの立ち合いを間近で見るとこんな感じかもしれない。
衝撃の強さにゆるキャラの両腕は痺れ、体が後ろに押し流される。
両足の爪で踏ん張るが床板を引っ掻きながら後退し、踵が先程凹ませた壁に付いたところでようやく止まった。
そのまま壁に押さえつけられそうになるのを必死に堪える。
サハギンの背後でようやく翼人族の少女が抜かした腰を持ち上げて、震える足で逃げ始めた。
部屋の扉近くはご覧の通り危険なので、ゆるキャラが割って入って来た窓から出ようとしている。
ここは二階だが、彼女の背中の綺麗な羽を使えば問題無いはずだ。
純白の羽が窓の外に消えたのを見計らって反撃を開始する。
焦れたサハギンがこちらを押さえつけたまま、噛みつこうと口を開けたので、あえて踏ん張っていた足の力を抜く。
するとゆるキャラの体は勢いよく背後の壁に叩き付けられる。
既に一度陥没している壁の耐久度は無いに等しく、あっさりと壁は打ち破られた。
大小様々な木片が背中に刺さり多少痛いが我慢する。
そして噛みつき損なって目の前にあるサハギンの頭を下から蹴り上げる。
サハギンもゆるキャラの動きに気が付いて逃げようとしたが甘い。
お互いの両手はがっちりと掴んだままであり、当然離すつもりはない。
黒曜石のように黒光りする鳥足の爪が煌めくと、逃げられなかったサハギンの喉から顎先までを切り裂く。
空気が漏れるような、薄気味悪い悲鳴が廊下にこだました。




